ガギギくん ~やはり奴のラノベ入門はまちがっている。~
「やったるでえ!」
常靖は、買ったばかりの万年筆を掲げた。ウルトラセブン的なポーズを自室の机に向かって取ったのだ。
「俺の、作家としての成功物語は、この一本の万年筆から始まる!」
箱から取り出したばかりの万年筆は、部屋の蛍光灯を反射して、黒く輝いている。
「一念発起! 会社を辞めて、車も売った! この田舎の一軒家で! 万年筆一本から始める俺のサクセスストーリー!」
田舎の一軒家なので気兼ねなく大声が出せている。
「貯蓄もほとんどないから、何が何でも成功しなくちゃなあ!」
先ほどから三十分ほど万年筆を掲げているので腕が痛くなってきた。
「インクの入れ方とか! マニュアル読むのがめんどくさいなあ!」
自分なりに退路を断ったつもりでいたが、なかなかやる気スイッチが入らない。
「万年筆さえ買えば書き始めると思ったんだけどなあ!」
この数日間、パソコンではインターネットしか見ていない。
「来る日も来る日も! 食っちゃ寝! 食っちゃ寝!」
叫び続ける常靖の眼には涙がにじんでいた。
「インクを入れたら、書かなくちゃいけないのかなあ! 書きたくねえなあ!」
もはや自分でも何を言っているのか分からない。
「もはや自分でも! 何をしているのか分からない!」
万年筆を握る腕がケイレンし始めた。
「インクを入れるは明日にしよう!」
ようやく、掲げていた万年筆を下ろせた。長い戦いだった。
「明日って限定しちゃうと墓穴を掘りそうだな。明日以降、としておこう」
常靖は満足げに頷くと、万年筆を箱に戻そうとした。
その時!
「グホッ!」
常靖の腹部に鈍痛。
「なになに?」
常靖は目を疑った。
「引き出しが! 勝手に!」
勝手に机の引き出しが突き出てきて、常靖の腹部を強打したのだ。
「まさか!」
もう、引き出しの中には、青い頭部が見えている。
「ガフッ!」
見えていながらも避けられない。青い頭頂部が引き出しから飛び出てきて、常靖の顎を打ち抜いた。
「ウガーーー!」
そのまま椅子ごと後ろにひっくりかえる。
「ぎゃーーーー!」
後頭部を畳にしたたかに打ち付けた常靖はのたうち回った。
「ウフフフ! こんにちワ!」
恐る恐る目を開けた常靖が見たものは、青い全身タイツの巨漢であった。
「全体的にガッチリ体型! 三頭身とかじゃ全然ない!」
目の前で起こっていることが理解できないながらも、必死で何かと比較しようとしている。
「ウフフフ!」
青い全身タイツなのに、顔だけが黄色い。
「怖い! 薄笑いを浮かべているのが却って怖い!」
常靖は握ったままの万年筆を武器代わりにして身を守ろうとした。
「ウフフフ!」
得体のしれない青い巨漢は、その万年筆をむしり取る。
「ああ! 何をする! 返してよう!」
青い巨漢は全く聞き入れる気がないようで、ゆっくりと、もったいぶった動作で、万年筆を指と指の間に挟んだ。
「ウフフフ!」
そのまま、自分の膝に叩きつけた!
「やめろーーー!!」
もう遅い。万年筆は常靖の目の前で、粉々に砕け散った。
「手書き原稿なんか読まされる身にもなってよネ!」
手についた万年筆の破片を払いながら巨漢が言う。
「て、手書きでも受け付けてくれるところだってあるでしょう?」
破片を拾い集めながら、常靖は泣きながら言った。
「受け付けるとは言ってても、読むとは言ってないヨ!」
堂々と言ってのけた。
「内部事情に詳しい? お前はいったい何者なんだ!」
集めた破片を箱に入れながら、常靖は我慢できずに聞いてしまった。
「こんにちワ! ボク、ギギギくんです!」
元気よく応えられた。
「イントネーションは聞き覚えがあるが! かわいげは段違いだな!」
常靖に聞き覚えがあるのは、もっと全国的な人気者だ。
「大学館ですから」
「NHKですから、みたいに言うな」
常靖は自分の頬をつねってみた。夢ではないようだ。
「ボクは、才能のない作家志望に取り付く悪霊だヨ!」
聞いてもないのにギギギくんが言う。
「断定?! 才能ないの断定?!」
自分で悪霊と名乗るところにも注目したい。
「才能はゼロか無かの二つに一つだからネ!」
どっちも同じじゃないか。
「ちなみに俺は、ゼロと無の、どっち?」
常靖は目を半開きで聞いた。
「ゼロでもあり、無でもある」
二つに一つでもないのか。
「さ、才能なんて関係ない。大事なのは続けることさ」
常靖は目をそらしながら言った。
「ウフフフ!」
いろいろ含みのある笑いだった。
「ゆ、夢は、諦めなければ、絶対にかなうんだから!」
徐々に感情的になっていく。
「ウフフフ!」
ギギギくんは微動だにしない。
「だ、誰もが無限大の可能性があるんだから!」
もうちょっと重ねないといけない圧力を感じている。
「ウフフフ!」
お約束の天丼である。
「さ、最後の最後まで、どんなドラマが待っているか……」
「いい加減にしろヤ!」
「ゴブファ!」
ギギギくんの左ボディブローが常靖の脇腹にめり込んだ。
「寝言は気絶してから言ってネ!」
ギギギくんは、横たわる常靖を仁王立ちで見下ろしている。
「……俺がツッコむ流れじゃないのか……」
いつまで笑ってるんだ、とか準備していた。
「才能ないやつが諦めても諦めなくても結果は同じだよネ!」
畳み掛けてくる。
「その、才能ないやつにわざわざ取りついて、どうするつもりだ」
どうせなら才能あるやつに取り付いた方がよいのではないか。
「才能ないやつが無駄に足掻いたり、絶望したりするのを見ているのが楽しいんだネ!」
ギギギくんは正直そうである。
「なるほど。わかった。出て行ってくれ」
常靖は心の中で悪霊退散と唱えた。
「いいのかナ? この後もコネなしで生きて行っても」
ギギギくんが不敵に半笑いで言う。
「……本当に、大学館にコネがあるのかい?」
常靖は恐る恐る聞いた。冷静に考えればこんな化け物に人脈があるはずもないし、あっても、その紹介で作家デビューできるとは思えないのだが、この数か月の極貧生活の中で、常靖は普通の感覚を失っていた。
「ウフフフフ!」
ギギギくんは否定も肯定もせず、ただそこで微笑んでいる。
「……どうやら本当みたいだな……」
人は信じたいものを信じる。今の常靖がその好例である。
「うまく丸め込んだところで、どうだい? 今までに書いたものがあれば、このギギギくんが、読んであげようカ?」
ギギギくんが甘いトーンでにじり寄ってきた。
「自分で、うまく丸め込んだとか言うんだな…。ええと、これなんかどうだろうか」
常靖は印刷されていたA4用紙の束を取り出した。
「なんだ、ちゃんとプリンターで印刷してるじゃない! 手書き原稿とか出てきたら引き裂こうと思ってたヨ!」
引き裂けなくて残念そうでもある。
「さっき万年筆を粉砕されたから、これからも手書きはできないよ」
常靖は嫌味を言ったギギギガくんは無視して原稿をめくり始めた。
「ちゃんと縦書きで印刷できてる! 偉いヨ!」
ギギギくんは常靖に向かって親指を立てた。
「ちゃんと指があるんだな」
ドラえもんの手のようなのを想像していた。
「文字数・行数の規定もちゃんと守っているようだネ!」
無視して褒めてくれるが、それはそれでムカつく。
「まずは体裁をチェックするのか! これは、出版社にコネがあるというのもあながち嘘じゃないかもしれない!」
常靖は無理やりなポジティブシンキングを導入してみた。
「その通り! 体裁チェックだけで全体の七割は落とせるからネ!」
ギギギくんが都市伝説みたいなことを言っている。
「落とせる、ってスタンスが、何かリアルだなあ!」
常靖は常靖で、自説を強化してゆく。
「……」
ギギギくんの目は表紙に戻り、そこで止まった」
「おや?」
ギギギくんの止まり方に肯定的な雰囲気が感じられず、常靖は急に不安になった。
「……」
ギギギくんは何も言わない。表紙をの一点を見つめ、ただ止まっている。
「どうしたんだい? そんなにタメを作って」
常靖は伏線的なものをけん制しようとした。
「……たィとるゥ~……」
ギギギくんのつぶやきは細くて、常靖はききとれなかった。
「どうしたんだろう、このポンコツ化け物」
どうせ聞いてないと思って強気なことを言ってみた。
「……うらーーー!」
ギギギくんの気合い一閃! 原稿の束を常靖の顔面へと叩きつけた。
「しっかり!」
100ページほどのA4用紙を顔面に叩きつけられ、そのしっかりとした重さを体で味わった常靖は、しっかりの部分を強調した叫び声をあげたのだった。
「なんじゃー! このタイトルはー!!」
ギギギくんは立ち上がり、隣近所に聞こえるくらいの大声で叫んだ。
「お気に召しませんでしたか」
常靖は割と冷静だった。それほど自信のあるタイトルでもなかったし。
「読んでみ? いっぺん自分で読んでみ?」
ギギギくんのボルテージは相当なものだ。
「『悲しいほど笑える幕末のスイーツたち』です」
さすがに自分で書いたもののタイトルは記憶している。
「だれが読むんだよ!!」
それはもうものすごい声量であった。
「そんなこと言われても、そういう内容なんだからしょうがないじゃん」
常靖は唇を突き出し、不服の意を表した。
「この通りの内容?」
ギギギくんは常靖の胸ぐらをつかんで、怪力で持ち上げた。
「オウ……」
力の強さに圧倒される。
「キサマ! ラノベなめとんのか!」
半笑いのギギギくんのこめかみに青筋のマークが浮かんだ。
「……暴力からは何も生まれはしない……」
首が閉まって、息ができず常靖はうめいている。
「こんな! タイトルの! ラノベが! 棚に並んでいるサマを! 想像できるか!」
ギギギくんは力を緩めず、さらに顔に圧力をかけてくる。
「……ラノベって何?……」
常靖は薄れゆく意識の中、最後の力を使って、その言葉を言った。
「……」
聞いた瞬間、ギギギくんは雷に打たれたようにビクッとして、力を抜き、常靖を床へと落っことした。
「尻もち!」
文字通り常靖は尻もちをついたが呼吸を取り戻した。
「あんた、今、何て言いはりましたあん?」
少し笑いながらギギギくんがユニークな口調になっている。
「それはこっちのセリフでんがな」
つられて常靖の口調もユニークになった。
「死にてえのかこの野郎!」
ギギギくんの素の調子が垣間見えた。
「あ、すいません」
思わず素で謝る。
「……ラノベって何?って聞こえたような気がしたんだネ!」
ギギギくんの手が小刻みに震えているのは怒りのためだろうか。
「そう言った。気のせいではないよ」
常靖は真顔で回答した。
「……」
しばし沈黙が流れる。
「何か勘違いがありましたか?」
精神的に優位になったせいか、常靖は落ち着きを取り戻してきた。
「……一回、座ろうか」
ギギギくんの声のトーンは一転して優しくなっている。
「座っとるがね」
胸ぐらを離され、常靖は床に座り込んでいた。
「さてと」
ギギギくんは乱れた常靖のシャツを、しなやかな手つきで整え、ゆっくりとした動作で胡坐をかいた。
「本家と違って、足の関節が普通にあるんだ」
常靖の余裕の発言に、ギギギくんは答えず、少し待ってから次の言葉を吐いた。
「ラノベっていうのは、ライトノベルの略だヨ!」
何か吹っ切ったように登場時のテンションに戻っていた。
「ライトノベル……。聞いたことはあるけど、よくわからないな」
常靖は眉をひそめて言った。
「よくわからない?」
ギギギくんは、信じられない、というように言う。
「本屋にそういうコーナーがあるのは見たことあるけど、若者向けっていうか……」
常靖は後半の言葉を自粛した。
「二次元美少女好きのキモオタ向け、とでも言いたげだネ!」
ギギギくんは捨て鉢な感じで言いにくいことを言った。
「そこまで明確に言語化してないぞ」
漠然と思っていただけで。
「と、いうことは、君の書いたこの原稿は、ラノベじゃないってことだネ?」
ギギギくんは床に散らばったA4用紙を拾い集めている。
「そういうことになるね」
常靖は自然に頷いた。
「しょうがない。読んであげよう」
ギギギくんは原稿を集め終わった。
「別に頼んでないけどね」
常靖にしても、世に出したい論文、他人に読まれるのを嫌がっていても仕方がない。
「シュパシュパシュパっ!」
ギギギくんはいつの間にか指サックを付け、ものすごいスピードでページをめくっていく。
「おお、それっぽい!」
口でシュパシュパ言うのは置いておいて、常靖はギギギくんが編集に関係があるというのを信憑性があると思い始めた。
「シュ……シュパ……、シュパ……」
だがそのシュパシュパ音は徐々に小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。ページをめくるペースも遅くなっていく。
「明らかに途中からテンションが下がっている」
それでも常靖は楽観的に、ラノベじゃないのを残念がっているのだろう、くらいに考えていた。
「……うーん……」
ついに最終ページまでめくり終わると、ギギギくんはリアルなガッカリため息をついた。
「つ、つまんなくてもしょうがないよね。エンタメじゃないから。論文だから」
常靖は先回りして自分でフォローを入れた。
「つまらない自覚があるものを人に読ませるとは、なかなかの面の皮だネ!」
原稿を持つギギギくんの指が震えている。
「頼んでないね」
つられて常靖も強がった。
「無いわ……。本当に才能が無い」
ギギギくんは首を振りながら、しみじみと言う。
「真正面から言われると傷つくな」
常靖は手を伸ばし、原稿を取り戻そうとした。
「まさか、これほどまでとは……。ワナビでもないのに、俺が呼ばれた理由が分かったネ……」
ギギギくんは原稿をビリビリと破り始めた。
「何してるんですか!」
常靖は怒りよりも驚き、大きな声を出した。
「こんな、資料の丸写しをつぎはぎしたもので人から金をもらおうなんて、開いた口がふさがらないネ!」
図星を指され、常靖の息が一瞬詰まった。
「く、口はもともとそういうデザインじゃないの」
ギギギくんの半笑いのままの口を攻撃し、プライドを守ろうとした。
「どうして! どうして! その才能の無さを生かそうとしないんだ!」
ギギギくんは原稿を破り終わると、立ち上がって紙くずを足で踏みながら言う。
「無い才能をどうやって生かすというのか!」
もはや常靖も自分に才能がない前提で話を進めている。
「それくらいは自分で考えてほしかったネ!」
ギギギくんはまた座った。
「何しに来たんだよ」
罵倒された挙句に原稿を破られただけではないか。
「ウフフフフ!」
ギギギくんは急に不敵に笑った。
「やや! 破られた原稿の残骸が?!」
無暗に足で踏んでいたのではないようだった。円を描くように、規則的に並べられている。
「これは禁断の魔術、悪魔の魔法陣だヨ!」
背景が暗くなり、原稿の紙くずからは青白い炎が立ち上る。
「畳なのに! 木造なのに!」
常靖はまず火事の心配をした。
「どんまい」
ギギギくんはすげなく言う。
「水を持ってこなければ!」
幸い、水道はまだ止められていない。
「落ち着きなよブラザー。これは本物の炎じゃない」
どんぶりに水をためようとしていた常靖はその声に振り返った。
「本当だ! 畳は焦げてないし、熱くもない!」
青白い炎は半透明で、ホログラムのようでもある。
「これは、このクソ原稿の魂が、悪魔に生贄にされるときの断末魔だヨ!」
何やらいかめしいことを言っている。
「クソ原稿って……」
常靖は憮然として言った。
「ウフフフ! 耳を澄ませてゴラン?」
ギギギくんに促され、常靖は耳を青白い炎へと近づけてみた。
『コピペー……。コピペー……。ハクシゴー……』
「なめてんのか」
常靖は自分の子供ともいうべき原稿に毒づいた。
「そんな論文で、ロクにチェックもせずに博士号を与えるような大学があったら見ていたいものだネ!」
そしてその大学はそれなりに高偏差値なのだろう。
「古いネタ持ってきやがって」
常靖はスポーツ新聞の一面を飾った顔面を思い出している。
「魔術の生贄なんて、しゃれた供養の方法だとは思わないかい?」
ふと見れば魔法陣はすでに完成し、光の強さが増している。
「それで、なんの魔法なんだ? いったい、何を企んでいる?」
常靖は緊迫感を強めて言ってみた。
「イントロダクションだヨ!」
ギギギくんは両腕を広げた。もう部屋は真っ暗である。
「何の?」
ずいぶん長い序奏だと感じている。
「茶番ともいうネ!」
ギギギくんは大きな動作で、自らの頭上で手の甲と甲とを打ち合わせた。
「逆拍手! 縁起が悪い!」
悪霊が魔術を行っているのだから仕方ない。
「フェニックス幻魔拳!」
ギギギくんは技の名前を叫ぶと、常靖の眉間を思いっきりぶん殴った。
「うぎゃ!」
メガネを吹き飛ばされながら、常靖は仰向けにダウンした。
気を失っていたのか、常靖が目を開けると、そこはステージの上だった。
「あれ? なんだここは?」
慌てて周りを見回すと、パーティー会場のようである。
「それでは、ギギギ新人賞の大賞に輝きました、武田常靖様よりスピーチを賜りたいと存じます」
司会の女性の声がスピーカーから流れると、100人程の客が一斉に拍手をする。
「え、俺?」
椅子から立ち上がると、カメラのフラッシュがバシャバシャと光った。
「な、なんだこの状況? 現実かなあ」
フラッシュの光から目をかばいながら、常靖はよりいっそうキョロキョロした。
「武田様! さあ早く! 受賞の喜びの声を!」
司会の女性が楽しそうに言う。マイクでスピーカーがキンキンする。
「受賞? 俺が?」
常靖は間抜けな馬面を晒した。
「はい! 武田様が! 大学館ライトノベル! ギギギ大賞の! 最優秀賞に選ばれましたでしょ!」
司会の女性は解説っぽく熱く語った。
「そんな半笑いで言われても」
常靖は照れながらのけ反った。
「それでは武田様のスピーチですっ! 今度こそ!」
客席の笑いも誘いながら、司会の女性により強引に常靖は壇上のセンターへと引き出された。
(これば、夢かな)
常靖は目だけの動きで左右を見る。
(だが、客席には知らない顔ばかりだ)
夢ならば記憶にある顔になるだろう、という考えだ。
(どこか白々しいが、自分の知らない顔ばかりなので、とりあえずいつもの白昼夢ではなさそうだ)
夢でないならこうしてはいられない。常靖はお立ち台へと近づこうとする。
(このままでは本当にスピーチすることになってしまう)
もちろん何の準備もしていない。台に上がる一歩前まで来て、常靖は立ち止まり、本当に上がっていいの? とばかりにまたキョロキョロした。
(誰も何も言わない。ずっと半笑いのまま拍手し続けているな)
この台に上ってしまったらスピーチをしなくてはならないのだろう。常靖にとっての大きな一歩になるはずだった。
(だがしかし、あれれ? やけに簡単に上ってしまったぞ)
ごく普通に、とても自然に、常靖は壇上に登り、スタンドマイクの高さを慣れた手つきで調整する。
(我ながら自分の動作に驚いている。俺ってこんなに度胸あったっけ?)
緊張で震えるなんてことも全くない。それどころか、自信に満ちた不敵な笑みで客席を見渡す余裕すらある。
(そう! 俺は常に、こんなシチュエーションをイメージトレーニングしていた!)
このことは誰にも言えないし、バレたら人生が終わるくらい恥ずかしいものであった。
「……えー、どうも。ご紹介にあずかりました武田です」
なるべくぶっきらぼうに、いかにも慣れっこな調子で語りだす。
「……!」
その瞬間、一斉に鳴らされる拍手、指笛、そして歓声。常靖は圧倒され、さすがに驚愕の表情で息をのんだ。
「どうも、どうも。ハハ……」
予期せぬ状況にも、常靖は余裕をもって臨めている。
「本日は、このような栄誉ある賞をいただきまして、大変光栄に存じます」
少し笑いながら言う。
「えー、これはとても重要なことなので、まず最初に確認しておきたいのですが……」
余裕があるので、持って回った言い方もできる。
「賞をいただく以前に、応募した記憶がないのですが、何の作品で受賞したんですか?」
会場がどっと笑いに包まれた。ジョークだと思われたか。
「武田先生! 何をぬかしていやがるんですか!」
司会の女性が笑いをこらえながら割り込んできた。
「さりげなく失礼な」
常靖のつぶやきはマイクに拾われなかったようだ。
「中学生の時にノートに書いた『里見八美少女伝』が、やっと日の目を見たんじゃないですか!」
そのワードは常靖の予想をはるかに超えていた。
「ポウ!」
なぜそれを知っている、という意味で常靖は総毛だちながら飛び上がった。
「うおお! あれはまさに! 天才の作品!」
選考委員と書かれた席から一人の中年男性が立ち上がり、壇上へ突っ込んでくる。
「誰ですか?」
混乱したまま常靖は聞いた。
「選考委員長をしております、アニメの大御所です」
確かにベレー帽をかぶり、黒縁メガネに、パイプをくわえている。
「自分で大御所とか言うんだ」
このつぶやきもマイクは拾わない。
「あなたは! まさに! 停滞するラノベ界に舞い降りた最後に希望!」
大御所はすごい泣いている。
「あの黒歴史が?」
常靖本人も内容をイマイチ思い出せない。
「最初の一文字目から涙がほとばしって、原稿がびしょびしょになって、その後は全く読むことができなかったよ!」
今もピュピュっと涙が黒縁メガネの内側に当たっている。
「読んでねーじゃん」
さすがの常靖も徐々に白けてくる。
「プロは最初の一文字で書き手の力量が大体わかるんだヨ!」
大御所は半笑いになっている。
「今、語尾がヨだった?」
信じたくなかったが、そろそろこのシーンが終わりそうなことに気づき始めた。
「なかなかセルフコントロールがしつこいやつだネ! あんなサクラ大戦のパクリ! 誰も読んでくれるわけないだロ!」
その一言で、常靖の中で何かがフラッシュバックした。
「パクリじゃない! リスペクトだ!」
常靖はお決まりの弁明を試みた。
「はいはい! 次のシーン行くヨ!」
ギギギくん、いや、アニメの大御所は、素早く常靖のみぞおちにニーパッドをお見舞いすると、頭上で両手の手の甲と甲をペシペシと打ち合わせた。
「逆拍手! 不吉な!」
確かなデジャブと共に、常靖の目の前は暗くなり、すぐに意識を失った。
常靖が意識を取り戻したのは、どうやらホテルの一室のようだ。
「それも高級なホテルだ!」
高そうな椅子に座っている。
「それではインタビューを始めさせていただきます」
見上げると見たことない男が立っている。
「あ、どうも」
半笑いの男に対し、常靖も愛想笑いで応えた。
「申し遅れました。私、月刊ジョビンコの、嵯峨です」
オシャレヒゲの男は名刺を差し出してきた。
「ジョビンコ? あの、オシャレ文芸誌の?」
ロクに読んだことはないが、常靖でも存在は知っている。
「はい! 祝! 大型ライトノベル大作ついにアニメ化! ということで、見開き100ページインタビューです!」
ポマードで髪を光らせながら男は頷いた。
「100ページもインタビューすることないでしょ!」
自分が読者だったら絶対に買わない。
「大丈夫です! 写真とかで適当にやっつけますから!」
男は自信たっぷりに言う。
「写真って俺の?」
あるいは風景とか?
「もちろん! 先生は天才イケメンラノベ作家として、日本を代表する存在ですから!」
そう言うと男はスマートフォンを取り出し、本当に適当に写真を撮り始めた。
「えー、俺、そんなイケメンじゃないよー」
レザーのジャケットとか持ってないし。
「いやいやー。あんまり謙遜していると、殺しますよ!」
男は笑顔のまま、首を切り落とすゼスチャーをした。
「殺すって言った?」
びっくりして聞き返した。
「それじゃあ最初の質問いっちゃいましょうか」
男は気にも留めない様子で、常靖と対面する椅子に座った。
「いっちゃうんだ」
常靖も、浮いていた尻を椅子へと再び置いた。
「常靖先生は、どうしてそんなに天才なんですか?」
まっすぐに目を見て聞いてくる。
「え、あ、いやいや、ずいぶんストレートな質問ですね」
常靖は目をそらし、照れながら頭をかいた。
「天才なのは認めるんですね!」
男は半笑いで圧力をかけてくる。
「それにしても、才能って、何なんでしょうね」
常靖は聞こえないふりをして、目を細めてかっこつけた。
「お? 語りますか? 才能について」
男は意外そうな反応をした。
「才能っていうのは、好きなことに夢中になること、そして、続けていくことだと思うんですよね」
常靖は指を組んでかっこよく言った。
「なるほど?」
男は少し高いキーの声を出しながら、何度も頷いている。
「生まれ持った才能だけで書けるほど、小説は甘くないんですよ」
常靖はかっこよくメガネをビシッと上げた。
「それじゃあ、先生は、夢中で小説を書き続けてきたんですか?」
男の質問は、常靖の不意を打って、みぞおちあたりにきれいに決まった。
「……え?……」
そこで常靖はハッとする。
「パクリ二次創作と、コピペ論文以外に、何作くらい書いたんですかって聞いているんだぜ?」
男の半笑いが、エイフェックスツインのジャケットみたいになっている。
「そうだ……。俺は、小説を好きで書いたことは、今まであっただろうか……」
常靖は自問を始めた。
「ま、そんな感じで好き勝手で書いた原作を、ヌピルバーグ監督がアニメ化するわけですが」
男は常靖に自問する隙を与えなかった。
「ハリウッド?」
言葉の意味の衝撃で、常靖の中の物がいろいろ吹き飛んだ。
「総製作費は一兆ドルだそうですね」
男は呆れたように言う。
「アメリカの軍事費より多いの?」
世界中の軍事費の合計でも二兆ドルいかないと言われている。
「そりゃあもう! なんたってノーベルライトノベル賞ですから!」
当り前じゃないですか、というテンションで男は言う。
「なにそのノーベル?!」
常靖は驚き続けている。
「先生の活躍があんまりなので、急きょ新設されたんじゃないですか」
なんで本人が知らないのか、とでも言いたげである。
「なら別に文学賞でもいいんじゃないだろうか」
驚き疲れた常靖は肩で息をしている。
「文学なんて呼べるか、こんなもん」
男の声は小さかったので、常靖は聞こえなかったふりをする。
「ぶ、文学なのか、小説なのか、ラノベなのか、それが問題だ」
常靖は腕を組んでかっここよく言った。
「カテゴリー以前の問題だけどネ!」
男の声は小さくなかったが、常靖は聞こえないふりをするしかなかった。
「そんなのがノーベル賞を取れるご時世なんだなあ」
聞こえない前提なので、常靖は大き目な独り言をした。
「どうですか? ノーベル賞の気分は」
男はシブシブと言った風にインタビューを再開した。
「えー、ノーベルですか? はっきり言って、実感がありませんね」
そもそも何の作品で取ったのやら。
「賞金は何に使うんですか?」
ゲスなことをズケズケと聞いてくる。
「え、ていうか、いくらくらいもらえるんでしょうね」
常靖は誰からも何も聞いていない。
「いくらくらいもらえるんですか?」
男が普通に聞いてきた。
「こっちが質問してるんだよ」
常靖はイラッとした。
「振込ですか? 小切手ですか?」
男は更に小馬鹿にしたように挑発してくる。
「約束手形じゃないことは確かだな!」
常靖は当座口座を持っていなかった。
「何に使うんですか? やっぱりアレですか?」
男は半笑いのまま、期待しながら聞いてくる。
「アレってなんだよう」
常靖は、どうせロクなことじゃないとは分かりつつも先を促した。
「示談金ですヨ!」
大きな声では言ってほしくなかった単語だった。
「ななな、なんの示談金だってんだい?」
常靖は思い当たる節があるのを隠しながら平静を装った。
「セクハラで訴えてきたOLさんに払う示談金ですヨ!」
男は半笑いを全開にして、顔を思いっきり近づけてきた。
「なんで知ってんの?!」
常靖は茫然としながら聞いた。
「毎日のようにメールをして、OLさんの上司に呼び出されたんだよネ!」
男の顔は、もはや完全にギギギくんになっていた。
「やめてくれ!」
常靖はギギギくんに掴みかかる。
「君みたいな気持ち悪いやつに付きまとわれて、毎日が地獄だったろうネ!」
ギギギくんの体は厚みがあり、肩を揺さぶってもビクともしない。
「お前に何が分かるんだ!」
常靖は激高し、我を忘れた。
「分かるわけないネ! 毎日毎日、くそつまんないメールを決まった時間に送り付けて、『きっと彼女は今日も心待ちにしているだろう』なんて妄想なんか!」
やけにリアリティーのある事を言ってくれやがって」
「おどりゃー!」
常靖は自我を守るため、拳を握り、ギギギくん目がけて打ち付けようとした。
「貧相貧相ゥ」
常靖の渾身のストレートパンチをギギギくんはいとも簡単に掌で受け止める。
「強い! やたらと!」
運動が苦手な常靖には、もとより勝ち目などなかった。
「さーて、そんじゃ、そろそろ次のシーン行ってみっか!」
ギギギくんはこの場にそぐわない明るいトーンで言った。
「うがっ!」
常靖はギギギくんにのど輪の要領で首を掴まれ、そのまま怪力で持ち上げられた。
「チョークスラムの大勢に入った!」
どこかで実況アナウンサーが叫んでいるのが聞こえたような気がした。
「……苦し……」
片手で軽々と持ち上げられ、首に全体重がかかり、呼吸もできない。
「ウィー!」
ギギギくんは雄たけびと共に、持ち上げた常靖の体を、地面へと叩きつけた。
「ぐふっ!」
受け身も取れず、まともに背中から落ち、常靖は息が詰まった。痛いし。
「レスト! イン! ピース!」
どこかでスリーカウント取られたような気がした。
「……ちくしょう、……ちくしょう……」
息もできず、痛みにのたうちながら、常靖はみじめな涙を流し続ける。
「どんなもんじゃーい!」
ギギギくんは勝ち名乗りをあげながら、頭上でまたも逆拍手をした。
「……不吉な……」
薄れゆく意識の中、常靖はまたしてもデジャブを感じていた。
意識を取り戻した常靖は、やはり椅子に座っていた。
「どうしました先生? 本番中ですよ?」
アシスタント的な女性が気遣ってくれた。
「……ここはどこだ?」
見渡すと、どうやら生放送中らしい。
「先生! ニコ生中に寝ないでください!」
女性アシスタントは半笑いで突っ込んでくる。
「また半笑い! そろそろ学習しなくちゃあな!」
そういって常靖は身構えた。
「いつもの幻聴ですか?」
アシスタントは慣れた口調で言う。
「今度は何だ? ニコ生? カメラどこ?」
常靖はすぐに、机の上のwebカメラを見つけた。
「放送中ですってば!」
アシスタントが指差したノートPCの画面には、確かに映像が流れていた。
「いつもは無料の放送をダラダラ見ているだけだった僕が、まさか出演する側になるとはね!」
そう言うと、PCには『つねりーん』や『いつもの解離ww』などのコメントが一斉に流れた。
「さすが先生! いつもながら、すごいコメント数です!」
アシスタントは楽しそうに半笑いで言った。
「俺ってそんなに何回も出てるの?」
自分でする質問なのだろうか。
「新人賞を取ったとこから、5000回以上は出てるじゃないですか!」
アシスタントに肩を叩かれた。
「何年やってる番組なのだろうか」
そして、おそらく、月に一回の放送と思われる。
「さて、そんな妄言垂れ流しの先生ですが! ここで重大発表があるんですよね!」
アシスタントが半笑いで振ってきた。
「知りませんけどね。ノーベル賞? ハリウッド? 次は何でしょうか」
常靖は目を半開きにしたまま肩をすくめた。
「ご自分で発表してくださいよ~」
アシスタントは肘で突っついてくる。
「知らねーっつーの」
カンペも出ていない。
「では仕方ない。私から発表いたしましょう!」
そう言うとアシスタントは、金持ちの誕生日パーティーで出てくるようなバカでかいクラッカーを取り出して、常靖の顔面に向けて構えた。
「近っ!」
危険な射程距離内である。
「常靖先生! ご結婚! おめでとうございまース!」
そう聞こえた次の瞬間、耳元での破裂音で何も聞こえなくなった。
「火力!」
巨大クラッカーの火薬の量。
「なんと! 常靖先生は! 人気声優さんと! ご結婚なさったんですよネ!」
常靖の耳はキーンとしているが、かろうじて聞き取れた。
「マジ? 人気声優? 誰? 自称声優じゃなく?」
声優さんについては全然知らないので個人名は伏せておく。
「そうです! アイドル的な、CDも出してる、成功している側の人気声優さんとです!」
事務所に所属するのも大変らしい。厳しい世界らしい。
「結婚……。俺が……。人気声優と……」
常靖は、顔にかかるクラッカーから発射された細いテープをかき上げながら茫然と言った。
「祝福のコメントであふれ返っているネ!」
アシスタントは興奮のせいか、語尾がカタカナになっている。
「みんなが……。僕を祝福……」
常靖の目には涙があふれ、ボロボロと流れ出した。
「三十路やもめのクソワナビは、クソならクソであるほど、何よりも結婚に憧れているだろうネ!」
アシスタントはもはや完全に青くてずんぐりした大男に戻っていた。
「……くさい……。このテープ……。昆布くさい……」
常靖はそっと顔にかかっているテープをつまんだ。
「良い子は食べ物で遊んじゃダメだヨ!」
ギギギくんの言葉は誰に向けられたものだったのだろう。
「……これは、とろろ昆布……。みそ汁に入れるやつだ……」
もったいないので食べだした。
「……」
常靖が住むど田舎の一軒家が静寂に包まれている。
「パクパク……。とろろ酸っぱい……」
常靖の精神活動は停止している。涙だけが流れ続けている。
「……」
ギギギくんは話さない。あぐらをかいて、常靖の様子を見ているようだ。
「新人賞……。ニコ生……」
うつろな目でとろろ昆布をペロペロしながら常靖はうわごとを繰り返す。
「……」
ギギギくんはあさっての方向を向きながら、いらだたしげに貧乏ゆすりをしている。
「結婚……。けっこんしたい……」
常靖の精神崩壊は回復する兆しが見えない。
「……」
ギギギくんは常靖をチラチラ見ている。普通のワナビならそろそろ次の展開に入っているだろうか。
「けっこん……。ラノベ作家になったら……。俺……。けっこんできる……」
常靖はタップリと時間を使う。惜しみなく使う。
「……。堆積物が多いほど、底まで染み込むのに時間がかかるんだろうネ……」
ギギギくんは頬杖をついて、ワンカップを飲み出した。
「ラノベ作家になりさえすれば……。一発逆転……。今までのクソみたいな人生が……」
常靖が正座した姿勢でビクンビクンしだした。
「……」
ギギギくんは七輪でスルメを炙り出した。腰を据えて飲みに入るようだ。
「……なりたい……」
ポツリと常靖が言った。
「……?」
ギギギくんが常靖を見た。
「なりたい……。なりたい、なりたい!」
常靖は両手を広げ、体を激しくケイレンさせ始めた。
「……これだけ才能がないと、エンジンがかかるまでも、こんなに時間を食うんだよネ」
七輪の上でスルメは香ばしい香りを漂わせ始めた。
「生まれ変わりたい!」
常靖は強く拳を握り、高々と振り上げた。
「……お、そろそろかナ?」
さすがにもういいだろう、とでも言うようにギギギくんも立ち上がる。
「この! クソみたな人生とオサラバするには!」
常靖は泣きながら天井に向かって怒鳴り始めた。
「……まだか」
ギギギくんは再び腰を下ろし、スルメに手を伸ばした。
「ラノベ作家に、俺はなる!」
言うと思ったわ。
「言うと思ったヨ」
意見が合ったネ。
「ラノベ作家になるためだったら、何だってやってやる!」
常靖は空中でキーボードを打つような仕草をし出した。
「……ちょっと魔術が強すぎたかナ?」
ギギギくんは芋焼酎のお湯割りを作り始めた。
「そして! このクソみたいな人生とオサラバするんだ!」
リフレイン。
「梅干しねえのかよ」
ギギギくんは冷蔵庫をあさっている。
「俺の人生は! こんなはずじゃなかった!」
のどから出血しそうな程のボリュームで叫び続けている。
「……なんていうか、ものすごい素質の持ち主に巡り合ってしまったのかもしれないネ……」
ギギギくんはウィスキーをショットグラスで飲み始めた。
「なりたーいー! ラーノベー! さっかにー!」
とうとう歌い出した。
「よし、仕方ないネ! 今夜はトコトン付き合うヨ!」
ギギギくんはネクタイをハチマキのようなやつにした。
「ラノベ作家にー! なりさえすればー! 結婚できるんだー!」
歌というより、応援団のコールのようである。
「そーれもういっちょう!」
ヤケになったギギギくんがはやし立てる。
「結婚! 結婚!」
常靖は身をよじって声を振り絞っている。
「そらどうした」
ギギギくんはつまらなそうに合いの手を入れる。
「結婚! けーっこん! したーいー!」
常靖の声が掠れてきた。
「はーこりゃこりゃ」
ギギギくんが手拍子をしている。
「結婚さえできれば! このクソみたいな人生とオサラバできるんだ!」
常靖は自分の体を抱きながら身もだえている。
「はー、けっこんけっこん」
ギギギくんは何か決意したのか、ゆっくりと立ち上がる。
「結婚式は! 神前でやりたいけれど! 教会でもやぶさかではない!」
常靖の脳内では欲望と打算が目まぐるしくうごめいている。
「そーれそれそれ」
ギギギくんは面倒くさそうに、常靖の後ろに回り込んだ。
「結婚! それは! 僕が見た光!」
幸せの青い雲。サンドウィッチマンさんマジリスペクト。
「それからどったの」
ギギギくん君は机の上へと上った。大技の予感がする。
「結婚するためなら、何だってやってやる!」
ギギギくんに引っ張られ、机の上へと上りながらも、常靖は妄言を止めない。
「なんでそうなるの」
もはやギギギくんの発言は合いの手でもなんでもない。
「け、結婚できる怖くない! 何も怖くないぞ!」
机の上で大技の体勢になって、足が震えていても、常靖は妄言を止めない。
「ピアノ売ってちょうだーい」
ギギギくんは常靖の後ろに回り、投げっぱなしジャーマンの構えをとった。
「しかも、雪崩式!」
普通の雪崩式ジャーマンスープレックスはコーナーの上から行うが、この場合は机の上から投げっぱなされるようである。
「机の上から畳へと投げっぱなすと思った? 残念ネ!」
ギギギくんは常靖の体を後ろからしっかりホールドしながら言う。
「部屋の真ん中の方向に投げっぱなさないとしたら?」
さすがの常靖も現実を見ざるを得ないようだった。
「こっちだヨ!」
ギギギくんが常靖を投げっぱなしジャーマンしたのは、窓に向かってであった。
「あぎゃー!」
さて、ぐわしゃーんとガラスの砕ける音がするやいなや、常靖の体は、哀れにも、腰から窓ガラスを突き破る格好で、2階の窓から投げっぱなされたのである。
「決まったネ!」
常靖の体が1階部分の屋根を転がっていく。
「あひゃー!」
砕けたガラスの破片が所々突き刺さっていく。
「屋根があるから大丈夫だヨ!」
ギギギくんは遠ざかる常靖へサムアップした。
「これは幻影じゃないの?」
リアルに痛みを感じながら転がっている。
「もちろん現実だヨ! お前の惨めな人生もネ!」
いつも一言多いのよ。
「…って、なんの! ここでグリップ!」
ついに屋根の淵まで転がった常靖は、空中で体をひねり、屋根の縁を両手で掴んだ。
「これが本当のクリフハンガーだネ!」
ギギギくんが言うように、常靖は握力だけで屋根からぶら下がっている。
「……く、クリフハンガーとは、いわゆる絶体絶命のピンチと煽って、読者の興味を引っ張るテクニックである……」
常靖は仕方なく解説した。
「なかなかしぶといネ! スタントマンの才能の方があるんじゃない?」
もうギギギくんは見下ろす形で仁王立ちである。
「……憎まれ口はともかく、助ける気はないのかい?」
常靖の握力は限界がすぐに来るだろう。
「ラノベ作家になりたいか?」
急にテンションを一段階落としてギギギくんが聞いてきた。
「……今、その質問?」
手をプルプルさせながら、常靖は質問の意図を探った。
「ラノベ作家にならずに落ちて死ぬのと、ラノベ作家になるのと、どっちがいいかって聞いているんだヨ?」
めちゃくちゃなことを言いだした。
「……それはつまり、ラノベ作家にならないと助けないと言っているような……」
すでに泣きながらラノベ作家になりたいと表明しているのだが。
「その通りだヨ!」
悪びれる様子もない。
「そろそろ限界なんですが……」
常靖の方も、いろいろ構えなくなってきている。
「さて、そこで、覚悟が試されるヨ!」
ギギギくんは一枚の書類を、尻の後ろのポケットから取り出した。
「前のポケットからじゃないのかよ……」
伝統をないがしろにする行為に常靖は憤ったがガマンした。
「本当に、心から、ラノベ作家になりたいなら、このこの契約書に署名してもらうヨ!」
ギギギくんは羊皮紙のひもを解き、条文をビシッと常靖へと示す。
「はい! 見えません!」
ぶら下がっているのに必死で、むしろ見ようともしない。
「重要事項説明は完了したヨ!」
ギギギくんはあくまでも一方的に法的手続きを進めていく。
「このままでは! 言いくるめられてしまう!」
握力の限界以上に心理的な焦りを迫られている。
「さあ、納得した上で、この契約書にサインをしてもらうヨ!」
屋根の縁にぶら下がっている常靖に向かって書類を差し出してきた。
「この状況でサインを?」
文字通り、手が離せないのである。
「拇印でも結構ですヨ!」
ギギギくんは顔を近づけて圧力をかけてくる。
「拇印とは、親指の、指紋認証のことである……」
親指のことを拇というんですね。
「都合のよいことに血のりがベットリだネ!」
なんとギギギくんは、クリフハンガー中の常靖の血まみれの親指に契約書を押し付けてきた。
「ええ? こんな状況でも結べる契約があるんですか?」
理不尽にも程がある。
「ちょっとピリッとしますヨ!」
ナースが注射するような口ぶりで、ギギギくんは手慣れた様子で契約書を常靖の親指へと押し付けた。
「もうちょっと泳がせてくれるかと期待したけども! 腕力の限界も考慮しているかのような冷徹さ!」
そう、プルプルももうすぐ終わりそうであった。
「はーい! 綺麗に押せましたヨー!」
ギギギくんは血判の契約書を、半笑いのまま、満面の笑みで、空へと掲げた。
「僕は心からラノベ作家になりたいと思っていたので、別に不服とか、意に反した契約を強要されたということではないのだけれど、それでも、何か釈然としないのはなぜだろう」
それは、契約の内容が分からないからではないだろうか。
「キタキター!」
ギギギくんが奇声を発した。
「……なんだ?」
常靖が見上げると、空が真っ暗になっていた。
「編集長! と書いてルシファー様! 契約とれましたヨ!」
ギギギくんは本当に嬉しそうだった。
「わざわざ表記までセリフで説明しなくても……」
問題はそんなことではないだろうが。
「ギ……! ギ! ギ! ギギギ!」
ギギギじゃないよ。
「ムム! ギギギくんの様子が?」
ギギギくんの青い体が、青く発光しているように見える。
「ジュ! ジュ! ジュッテーム!」
なぜか仏語で。
「単なる青色発光ではないぞ! 見よ! ビリビリが出てますやん!」
ギギギくんの巨体に青いイナズマみたいのがまとわれだした。
「ごぶさたでしたヨ! この感じ!」
ビビビとシビレながら、ギギギくんは体を激しく震わせている。
「って、おおう! 俺の体にもビリビリが!」
常靖の腕から肩、そして頭へと、青い電光が伝わってくる。
「お前も! 一度ハマったら! 一生抜けられないヨ!」
ギギギくんは半笑いのまま、恍惚の表情を浮かべている。
「んっ! うほっ! うほおほおおーーん!」
常靖の目の中がスパークし、脳みその芯から強烈な快感がほとばしった。
「どうだい? 気持ちいいだろう?」
ギギギくんが上から言ってくる。
「うっ! こここっ! これはこれはー!」
常靖は目を血走らせ、歯を食いしばる。
「こんなに気持ちよくなれるなら、寿命の10%くらい、安いもんだよネ!」
ギギギくんがサラっと契約内容に言及した。
「ジュ! ジュ! ジュッパーセント?」
80歳まで寿命があったとして、8年削られる。
「寿命がどれくらいかの計算根拠は非公開だヨ!」
リース契約で残価がクローズな感じ。
「ああ、俺は、悪魔と契約してしまったのだなあ! でも、気持ちいいなあ!」
常靖の黒目が拡大している。
「コンサルタント料のようなものだヨ! 別にお前のチンケな魂なんかいらないのよネ!」
システムがよく分からない。
「うむむむ! とうわっ!」
なぞの気合いと共に、常靖は、クリフハンガー状態からついに手を放した。
「ようやくやる気になったネ!」
ギギギくんは半笑いのまま目を細めた。
「意外に低かった!」
1階の屋根からだから、大したことない。
「上がって来い常靖! お前はラノベ界の星になるのだヨ!」
ギギギくんは腕を組んで上から言っている。
「うおおおお!」
そのまま常靖はダッシュで家の中に入り、階段をダッシュで駆け上り、元の部屋に突っ込んできた。
「おかえり!」
大破したガラス窓の前でギギギくんが迎えてくれた。
「やるぞ! ラノベ作家になるぞ!」
常靖は拳を振り上げて叫んだ。
「その前にガラスの破片を掃除してヨ」
見れば、室内はまあひどい状態である。
「はあ? ガラス片?」
常靖は肩眉を吊り上げ、ギギギくんに圧力をかけた。
「あれ、怖い……」
意表を突かれたギギギくんは少しひるんだようだ。
「こっちは寿命を一割削られてんだぞ! ガラス片くらい我慢しろ!」
鬼気迫る常靖の顔にもガラスはたくさん刺さっていて、まだ血だらけである。
「まあ、お前みたいなボンクラは、生き急ぐくらいがちょうどよいかもネ!」
ギギギくんは顎に手を当てて頷いた。
「そうだ! 早く! もう契約したんだから! 早く俺をラノベ作家にしてくれ!」
常靖は両手を広げて、大声でさらに迫る。
「契約ぅ~? ウフフン。ノンノンノン」
ギギギくんは余裕を取り戻したのか、人差し指を立ててノンノンノンと振った。
「うんああ?」
予想外のギギギくんの態度に、常靖の声もひっくり返る。
「契約書をちゃんと読んでよネ!」
その契約書(原紙)は、ギギギくんの手に丸めて握られているのだが。
「読ませてもらってないけど! ちょっと! まさか?」
常靖の顔が青ざめていくのは、出血のせいだけではないだろう。
「該当部分の条文を読んでげようかナ~?」
ギギギくんはもったいぶった手つきで契約書を広げる。
「あくまで読ませる気がないんだな」
常靖は諦めの境地である。
「え~、コホン。なお、実際にラノベ作家になれなかった場合でも……」
そこで言葉を止め、チラと常靖を見る。
「……キサマ……」
常靖は先の予想がついている。
「……一切何の責任も持ちませんので、あしからずー!」
ギギギくんは無慈悲にあざ笑う。
「クーリングオフだー!」
常靖は契約書を奪おうと飛びかかった。
「フン!」
ギギギくんの回し蹴りが常靖の横っ面をとらえる。
「ガフ!」
見事なカウンターアタックに、常靖は回転しながらもんどりうった。
「特約事項に、クーリングオフは認めないって書いておくヨ!」
あろうことか、契約を交わした後に文言を追加するという。
「……有印私文書偽造……」
畳の上に突っ伏したまま常靖はつぶやいた。
「つってもまあ、何も手伝わないとわ言ってないヨ!」
ギギギくんは腹にあるデカいポッケに契約書をしまい込むと、常靖の枕元にあぐらをかいた。
「……そうだった、俺はラノベ作家になるのだから、何の保証も必要ないのだった……」
常靖の心はまだ折れていなかった。
「寿命の10%分はバッチリ仕事するヨ!」
言いながらワンカップのふたをパカッと開けた。
「……俺はラノベ作家になるのだから、別に寿命の一割を犠牲にする必要もないのだった……」
第一章「まずは成功者に嫉妬してモチベーションを上げよう」 終
章をまたぐと、常靖の怪我はおろか、ぶち破られたはずの窓ガラスすら修復されていた。
「治ってる!」
常靖には、どのタイミングで章をまたいだのか分からなかった。
「契約には、原状回復義務が入っているからネ!」
どうやらギギギくんが怪しげな魔法を使ったらしい。
「あ、まあ、ありがとう」
常靖が起き上がり、とりあえずギギギくんに礼を言った。
「なあに、またいくらでも怪我できるからネ!」
常靖が内心心配していたことを、ギギギくんはこともなげに言い放った。
「ラノベ作家になれるなら、怪我なんかいくらでもしてやる」
だが少し腰は引けている。
「スパルタでビシバシ教えてあげるヨ!」
言いながらもギギギくんはまだワンカップを飲んでいる。
「もう我慢できない! 早く! ラノベ作家のなり方を教えて!」
常靖は顔を真っ赤にして切なく求めた。
「え?」
ギギギくんは驚いたように声を上げた。
「……あ?」
まさか知らないとか言うんじゃないだろうな。
「ごめんごめん。あまりに基本的な質問だったもんだから、呆れかえってしまったヨ!」
挑発的に一言多い。
「んもう! あんまり焦らすと血を吐くよ!」
常靖は伝わりづらい脅迫をしてみた。
「ラノベ作家になるには! ハッキリ言って! 方法は一つしかないヨ!」
ギギギくんはビシッと人差し指を立てた。
「言い切ったな」
比率はともかく、方法は何種類かありそうだと思っていた。
「浅はかな凡人は方法が何種類かありそうとか思ってるかもしれないけど、とんでもない思い違い、かつ、思い上がりなんだヨ!」
なぜかバカにされている。
「普通、小説家になるには、やっぱり新人賞に応募だけど、ラノベでは?」
今まで一般の作家志望だったKら、常識として知っている。
「……うん、正解……」
ギギギくんはテンションをだいぶ落として答えた。
「編集部に持ち込みとかは、今ではほとんど無いんでしょ? 実績のある作家とかならともかく」
常靖はありきたりな情報を吐いた。
「……うん……」
常靖が正しい情報を言うのはかなり不満のようだ。
「ネットでアップして人気になればデビューできるって聞いたことあるけど」
常靖は純粋な目の輝きで質問した。
「まあ、なくはないけど、それで出したって売れねえし」
ギギギくんは遠くを見ながら言う。
「それを言ったら、新人賞だってボフ」
言いかけた常靖の口元をギギギくんがすごい勢いで殴った。
「その先は言わないでネ!」
言葉は手よりも後から届いた。
「痛って……」
常靖の唇が切れ、血が流れる。
「お前はラノベ界の星になるんだから! 売れまくるに決まってるヨ!」
弱気な常靖をたしなめようとしたらしい。
「そうだった! 俺は特別なラノベ作家になるんだった! 普通のラノベ新人賞作家なんか、誰が買うんだよ、みたいなタイトルでビフ」
また殴られた。今度は鼻だ。
「うるせえこの野郎!」
理屈もなく。
「……ギギギくんって、売れないラノベに何かプワ」
恨みでも、と言おうとしたのをまた遮られた。
「プー!」
今度は毒霧を吹きつけられた。
「うひゃあ! 目が!」
すっごく染みて、すっごく臭い。
「ボクもこんなにプロレス寄りになるとは思ってなかったヨ!」
作者もだヨ!
「大した知識も思い入れもないのにね」
どうしてこんなことになってしまったのか。
「というわけで、ラノベ作家になるには、新人賞に応募するしかないって分かってもらえたかナ?」
何事もなかったかのように軌道修正してきた。
「他の方法を考えるのも嫌になりました」
常靖は唇と鼻の止血をしながら頷いた。
「では聞くが、ラノベの定義とは?」
そして強引に話題をずらしてきた。
「んはあ~。まずは、ラノベとは何かが分からないと、書けないもんな~」
常靖はラノベを読んだことがなかった。
「チミは、ラノベって、どういうものだというイメージを持ってるかナ?」
さらに質問を重ねてきた。
「あははん。俺に聞くのはどうかと思うけど、聞かれるなら応えなければならない!」
珍しく意見を言える機会なので常靖は張り切っている。
「早く言えヨ!」
ギギギくんに雑に頬を殴られた。
「まだ何も言ってないのに殴られました」
何発目だろうか。
「また殴られたくなければ、早く話を進めろヨ!」
まるで外部から急かされているかのようにギギギくんは苛立っている。
「ハア~。ライトってくらいですから? 普通の、一般の小説に比べて、内容が薄っぺらいんじゃ」
発言の途中で常靖の首の左側をギギギくんの鋭いチョップがしたたかに打ち据えた。
「不適切な表現がありましたヨ!」
ギギギくんが誰かにお詫びをしている。
「……まあ、ラノベにも、深い内容のものが、よく探せばまれに存在するかもしれない……」
あっても常靖は読まないだろうが。
「ラノベの中から探している暇があったら、古典でも読んでる方がよっぽど有益だヨ!」
ギギギくんはどっちの立場なのだろうか。
「あ、じゃあ、ラノベといえば、イラスト! ページの途中にイラストが唐突に挿入されていれば、そしてアニメ調の美少女なイラストなら、それはラノベでしょ」
今度はのど元に手刀を垂直に突かれた。
「地獄突きだヨ!」
技の名前のようである。
「のどがつぶされて声が出なくなるかもしれない!」
と常靖は声を出した。
「才能がない奴ほどイラストがどうのとか言うけどネ! お前みたいなペーペーが心配しなくても、編集部がよろしくやってくれるヨ!」
ギギギくんの言葉には実感がこもっているような気がした。
「なるほど、確かに、デビューする前からイラストレーターのことを気にしていてもしょうがない」
常靖はのどをさすりながら神妙な顔で言った。
「最悪、イラストも自分で描くことになるからネ!」
ギギギくんはサラリと言う。
「それはない」
そんな人は漫画家になっている。
「はい、次」
ラノベの定義の答えはまだ出ていない。
「うーん。若者向け?」
適当に言う。
「……じゃあ、もう、それでいいよ」
第二章「ラノベって何? それは一人一人が考えていくこと」 終
「あ、章が」
急に常靖からいろいろな部分の痛みが消えた。
「そろそろ、いい加減に、具体論に入ろうかネ!」
何ページかかっているんだ。
「ヨっ! 待ってました!」
常靖はやる気にみなぎっている。
「まずはテーマを決めましょう」
いきなり普通のことを言いやがった。
「ああ~。いわゆる『小説の書き方』みたいなのでも、だいたいそれから入りますわ」
急に白けた声で常靖が言う。
「え、それ系の本、読んでる感じ?」
ギギギくんには意外だったようだ。
「これでも作家志望でしたから。それがラノベ作家志望に変わっただけで」
本棚を指さす。
「本当だ! 何の役にも立たない、使えなそうな後追い創作論が! 何冊も!」
そしてそれは実際に役に立たなかったものである。
「役に立ってるものもありますよ! 俺が実践できてないだけで」
なんかフォローしようとした。
「結果も出てないヨ!」
そうですね。
「で、テーマって、具体的にはどんなものか、よく分かんないんだよ」
本によっても解釈がまちまちだったりする。
「テーマっつーのは、要するにモチーフだヨ!」
ギギギくんは面倒くさそうに答えた。
「よけい分かんないよう」
常靖は唇を尖らせる。
「辞書でも引けや! それでも作家志望か!」
なんてキレやすいんだろう、この悪霊は。
「はあ? こっちは寿命の一割払ってるのに、そんな扱い?」
塾で講師に質問したら怒られたような感覚。
「じゃあ専門学校にでも行けばいいじゃねえかヨ!」
大した開き直りである。
「この歳で! いまさら! ロクに大学にも行けないような連中と! 専門学校なんかで学べるわけないじゃないか!」
いじめられるに決まっているじゃないか。
「通信制もあるらしいヨ!」
添削サービスみたいなやつの広告を見たことがあります。
「そんなもんでデビューなんかできるわけないだろ!」
2~3回ボコボコにされて意欲を失って終わりだろう。
「先払いだしネ!」
デビューできなくてもお金は戻ってこないし。
「ハッ! デビューの確約ないとか、先払いとか、とんだ悪徳業者がいたもんだ!」
常靖は腕を組んでプイと横を向いた。
「まったくだネ!」
ギギギくんには嫌味を言われた自覚はないのだろうか。
「……」
そして気まずい沈黙が流れる。
「なんか怒ってる?」
ギギギくんがのん気に聞いてきた。
「怒ってないよ、呆れているだけさ」
常靖は、そして次の言葉で、ハッキリと、この家から出ていけと言う決意だ。
「じゃあ、テーマの説明に戻るヨ」
再開?
「戻るの?」
だいぶ言い争ったような気がしたのに。
「これに懲りたら、つまらないチャチャで信仰の妨害しないでネ!」
しっかり根に持っていた。
「俺が悪いんだろうか……」
謝りたくなかった。
「モチーフとは、要するに、テーマのことだネ!」
ふざけている。ふざけたことを言っている。
「むぐぐ……」
常靖は非難の言葉が出そうになるのをぐっと堪えた。
「では、ここで問題だヨ!」
ギギギくんは顔面をずいと近づけてきた。
「なんじゃい」
急に来たので常靖はのけ反った。
「どうして、ラノベにとってテーマが一番重要なのでしょうか?」
ギギギくんは楽し気に語尾を疑問形にしてきた。
「え?」
一番重要だとも聞いていなかったので常靖は面食らっている。
「間違えたらこれで思いっきり殴るからネ!」
ギギギくんは金属バットを持っていた。
「うひゃあ! あんなもので思いきりやられたら頭が割れちゃうよお!」
常靖の身が縮みあがった。
「早く殴らせろヨ! じゃなかった、早く答えろヨ!」
ギギギくんは金属バットをフルスイングで素振りしながら言う。
「スイングのフォームが野球っぽくないというか、武道っぽいというか」
ボールを遠くにとばすよりも、いかに大きなダメージを与えるかを優先しているような感じである。
「あと5秒で答えないと、このまま殴るからネ!」
ブンブンいわせながら、ジリジリ近づいてくる。
「間違っても、答えなくても殴られるっていうんだね」
常靖は目を細め、やや諦めている。
「……さーん、にー……」
金属バットは常靖の顔をかすめるくらいまで来ている。
「テーマがなんで大事かって聞かれても、当り前っていうか、それが決まらないと何も書けないっていうか……」
ギギギくんが求めている答えが分からず、常靖は途方に暮れる。
「……いーち!」
さあ、次のスイングは、おそらく、確実に、常靖の眉間を砕くだろう。
「死にたくない!」
常靖は目をつぶって叫んだ。
「……」
ギギギくんはカウントが終わっても、まだ眉間には当てず、プレッシャーをかけてくる。
「あ! 分かりました! 僕! 分かりました!」
常靖は無駄な悪あがきを開始することにした。
「……」
ギギギくんは半笑いのままフルスイングを止めない。
「答えるんで! 一回! 止めてもらっていいですか!」
もちろん止める訳がない。
「……」
ギギギくんはちょっと顎を出しながらスイングしている。
「いわきかな?」
ドカベンの知識はほとんど無い。
「……」
とっくにカウントダウンは終わっているのに、別に常靖の眉間を粉砕するでもなく、ギギギくんはただただプレッシャーをかけてくる。
「はい! はいはい! テーマが大事なのはですね!」
答えは何も浮かんでいないが、恐怖心が常靖を行動させた。
「早く言ってネ!」
ギギギくんは、ここぞというタイミングで思い残すことなく殴り抜きたいようだ。
「テーマとは、モチーフだから!」
常靖は賭けに出たのである。
「!」
フン!という風圧とともに、金属バットが常靖の頭があった空間を新幹線のように通過した。
「ふぬうん!」
常靖は反射的に動物的な勘で避けたのだった。
「避けるかよォ!」
陸奥ゥ!(『修羅の門』より)
「避けなければ頭蓋骨は粉々だった! 奴は本気だ!」
尻もちをついた姿勢のまま常靖は驚愕している。
「いいから早く! 次の答えを言ってみナ! 間違えたら当てるから!」
金属バットを。
「えーと! テーマが良くないと、売れないから!」
大きく振りかぶったギギギくんへ、常靖が必死で言った。
「……? 売れない……。まあ、いいでしょう」
ピッタァ!とばかりに金属バットは常靖の眉間の数ミリのところで止まった。
「怖ぇ!」
常靖は死を覚悟していた。
「命拾いしたネ!」
金属バットを振るっていた側の言うセリフだろうか。
「とはいえ! 正解でしたかしら!」
助かったのと、正解したかもというので、常靖のテンションは上がった。
「正解は! 読者はテーマで選ぶから、でしタ!」
ギギギくんによる答えの発表にはファンファーレが付けられた。
「う、うん、なるほど」
よく理解できなかったので常靖のテンションは戻った。
「テーマは、言い換えれば、コンセプトだヨ!」
なにやら楽しそうである。
「コンセプトがしっかりしてないと、買う動機にならないってことだろうか」
分からないなりに話を進めようとした。
「コンセプトがしっかりしていれば、タイトルにも表れるからネ!」
ますます楽しそうである。
「はあ、まずはタイトルってことですか」
もしかしたらまともなことを言っているのかもしれない。
「逆に言えば、売れそうなタイトルさえ付けられたら! 中身なんかどうでもいいんだヨ!」
ギギギくんは半笑いのまま、満面の笑みで言う。
「本当かい?」
何を根拠に言っているのだろうか。
「タイトルと! それに準じたイラストさえあれば! 奴ら買うヨ!」
ギギギくんの笑みには狂気がにじんできた。
「表紙にはタイトルとイラストしかないし、ラノベはビニール巻かれてるからなあ」
妙に納得してしまう。
「買ってもイラストばっか見るばかりで、ロクに読みやしないネ!」
なんだかとっても楽しそう。
「そうなの? とはいえ、それなりに活字が好きな人が買ってるでしょう」
絵しか見ないなら漫画を買うのではないか。
「活字は読むだろう! ただし! 読みたい活字だけネ!」
ギギギくんは含みを持たせているが。
「人は読みたいものだけを読む。イラストのイメージに引っ張られ、コンセプト通りのセリフが飛び交っているのをナナメに読むのだ!」
常靖の中にも何かが侵入してきた。
「そう! セリフだけ拾い読み! それが自分のイメージ通りじゃなかったなら! それはつまらない作品だヨ!」
ギギギくんの言葉には悲壮なほど実感がこもっている。
「作者とは、読者を楽しませる存在ではなく、読者が求めるものを供給するだけのものなのだろうか……」
常靖の胸中に寂しい風が吹いた。
「誰もアーティストなんか求めてないんだヨ!」
好き放題言えるのは、守るものが何もないからだろう。
「求められているのは、読者が読みたいものだけなのか……」
寂しい風が勢いを増していく。
「革新的な創作物ができるなら! プラットフォームをラノベにする必要なんかないんだヨ!」
ギギギくんはますます調子に乗る。
「なんか、すげえ急に、創作論をぶち上げてきたけど……」
そう、常靖はラノベ作家になりたいのである。
「いかに面白そうなコンセプトを! いかにラノベっぽくパッケージングできるかの勝負なんだヨ!」
ギギギくんは半笑いでしたり顔である。
「なるほどねー。その、ラノベっぽくパッケージングするコツを、今から教えてくれるってこと?」
強引に話を進めないと、そろそろまずいような気がしている。
「違うヨ! 何聞いていたんだヨ!」
金属バットで脛を叩かれた。
「痛っ!」
軽くとはいえ、地味に十分痛い。
「テーマが命だって言ってるんだヨ! パッケージングとか、技術の問題は二の次なんだヨ!」
そうして逆の足の脛も叩いてくる。
「痛えっつーの!」
避けられず、言葉遣いも荒くなる。
「技術は練習すれば誰でも身につくけど、テーマは才能がないと良いものは降りてこないんだヨ!」
言いながらギギギくんは金属バットで窓ガラスを叩き割った。
「どのタイミングで割るんだ……」
また章が変われば直してくれるんだろうけど。
「もっと才能がないことを自覚してほしいネ!」
そしてまた素振りをする。
「え、もしかして、その、テーマ自体を教えてくれるの?」
常靖は目を輝かせた。
「また不正解ヨ!」
金属バットの柄で、あばらを突かれた。
「折る気!」
あばら骨を折られてはたまらない。
「そんな依頼心の強いことでは、過酷な自営業のラノベ業界で食べていけないヨ!」
逆側のあばらを突いてくるのを常靖は必死でガードした。
「俺は売れっ子ラノベ作家になる予定なんけど」
食べていくのに精いっぱいな現実もあるのだろうが、常靖は夢を見ている。
「テーマは自分で考えろヨ! ただし! 手伝わないとは言ってないヨ!」
ギギギくんは半笑いでサムアップした。
「最初からそう言ってくれればいいのに、ずいぶん遠回りしたよな」
さっき突かれたあばらがズキズキしている。
「やれやれ、ようやく『テーマを決めよう・実践編』に進めるヨ! 生徒が才能のないボンクラだと疲れるネ!」
常靖は怒りで拳を震わせながら耐えている。
「んなら早くしろや……」
歯を食いしばって小さな声で言った。
「このポッケが目に入らぬか!」
ギギギくんはお腹の真ん中に付いている半円形の白いポケットを指さした。
「……」
拳を震わせる力すら抜けてゆく。
「本家は『ひみつ道具』とか言ってたのに対抗して、ボクは『脱法アイテム』と呼んでいるんだヨ!」
『ひみつ道具』というネーミングにも違和感はあるが。
「脱法アイテム? そんな呼び方をしておいて、本当は危険ドラ……、アイテムってことはないだろうな」
常靖は嫌な予感がビンビンにしている。
「一回ハマったら抜けられなくなるヨ!」
どこかで聞いたようなセリフだ。
「そんなものに頼ってまで売れたいのか」
だギギギガくんがポッケから取り出したのは、予想に反したものだった。
「悪魔ガチャ~!」
ガチャガチャ(ガチャポンとも)の筐体であった。
「ポケットに入る大きさではなかった!」
四次元空間につながっているポケットなら説得力はあったのだが。
「魔界とつながっているんだヨ!」
それなりに説明しようとしているようだ。
「悪魔とか、魔界とか、『脱法』っていうのは神と悪魔との関係によるものなのかもしれない」
この後、『神』という単語を使わないように、という趣旨で二時間ほど議論があったが、割愛させていただく。
「いいか! 次に言ったら! その場でミンチだからな!」
ギギギくんの地声は意外に低い。
「分かったから! もう分かったから! 何回同じこと言えば気が済むのか!」
対する常靖も心底ウンザリである。
「……ったく、この国、無神論じゃなかったのかよ……」
ギギギくんは肩で息をしている。
「中途半端に、キ……、おっと、あの一神教の知識があったせいで、えらい目にあったぜ」
常識レベルでも言ってはいけないものがある。特に宗教関係は。
「……すー……、……ふー……」
まだ深呼吸をしている。
「これに懲りた俺は、二度とこいつの前でライトサイド・ホーリーサイドからの発言はするまいと心に決めたのだよ」
ただでさえ話が進まないのだから。
「葛藤とか……」
荒い息をしながらギギギくんが言った。
「何スか?」
聞き取れなかった常靖は聞き返した。
「……奴との葛藤とか、未練とか、今後は一切NGですから! お願いしますよ! あ、ヨ!」
半笑いながらも涙目であった。
「他人には他人の宗教。いろいろ大変なんだろう。思いやりの心を持たなくちゃあな」
二時間も無駄に過ごすと、常靖の心にも余裕が生まれようというもの。
「……ハイ! さあ! これが! テーマを決めるための! 悪魔ガチャガチャでーすヨ!」
編集点らしきものの後に、ギギギくんが気を取り直して仕切りだす。
「ええ? 悪魔ガチャだって?」
しょうがないので乗っかってやった。
「ウフフフ!」
ギギギくんの方でも、デフォルトに復旧しようと四苦八苦のようだ。
「その、ガチャガチャのカプセルの中に、テーマが入ってるってことかい?」
進行のためには多少の不自然さもやむを得なかった。
「そう簡単にことが運ぶと思うかい?」
だいぶギギギくんも自分を取り戻してきたようだ。
「と、言いますと?」
常靖は先を促した。
「見返り!」
ギギギくんは単語を叫んだ。
「誰に?」
他にもいろいろ質問が浮かんでいるが。
「お前は知らなくていいヨ!」
また長くなるだろうから突っ込まなかった。
「まあ、でも、なんたって、名前に悪魔って付いちゃうと、そううまくいく気は全然してないよね」
だがどうしてもラノベ作家になりたい常靖は、どんなリスクも背負わなくてはならない。
「何かを得るためには、何かを犠牲にしないとネ!」
まっとうなことを言っているようだが、犠牲を差し出す相手は、悪魔なのだろう。
「するってえとなにかい? 犠牲にするものが大きいほど、より良いテーマがガチャれるてえのかい?」
常靖はなぜか江戸っ子口調で問うてみた。
「才能がない分、勘が鋭いことがあるネ!」
褒められていない。
「先を続けてくれ」
格好つけながら促す。
「たとえ話をしよう!」
ほんと、なかなか進まない。
「……どうぞ」
促した手前、邪魔をする権利もない。
「こんなコンセプトを授かった作家がいる。『三毛猫が名探偵』」
ギギギくんは声を潜めた。
「なんと! 聞いたことがあるぞい!」
読んだことはない。
「そう! かのベストセラー作家は! 何を犠牲にしてあのコンセプトを手に入れたのか! 知りたくはないかい?」
ギギギくんの誘惑に常靖は抗うことができただろうか。いいやできない。
「知りたいなあ! そして、同じくらいの犠牲を提示してみたいなあ!」
そうすれば同じくらいのコンセプトが授けられる理屈だ。
「いいだろう」
ギギギくんは良い声で言う。
「早く!」
常靖は目を血走らせている。
「彼がコンセプトと引き換えに差し出したのは『活字原稿』だヨ!」
言い切ったギギギくんと共に、静寂が訪れた。
「……もう少し詳しく」
常靖は真顔で聞いた。
「そのままの意味なんだけどネ!」
ギギギくんはヤレヤレと肩をすくめた。
「活字、原稿……。活字じゃない原稿……、ってことは!」
常靖の後ろで光がピカーっとした。
「手書き!」
先に答えを言われてしまった。
「なんと! それはつまり! かのベストセラー作家は! 今でも手書きで原稿を書いておられるってこと?」
ミーハー心がくすぐられる。
「その通り! ワープロもパソコンも使わず! 今でも手書きで原稿用紙に書いているんだって!」
ウィキペディアに書いてあったから間違いない。
「ってことは! 俺も! これからずっと手書きでやると決めれば! 同程度のコンセプトをもらえるってこと?」
万年筆は冒頭で粉砕されたが、常靖は希望を失わない。
「同じ犠牲を払ったって、同じコンセプトが得られるとは限らないネ!」
同じコンセプトをもらってどうするというのか。
「言い換えよう! 同じくらいの重さの犠牲を払えば、同じくらい売れるラノベのコンセプトをもらえる、ってことかい?」
常靖は希望の炎を絶やさない。
「試しにやってみなヨ!」
ギギギくんは半笑いで顔を近づけてくる。
「キャンセルってできるの?」
常靖は学習しているので、慎重になっている。
「できないこともないヨ!」
絶対にできない。というか、認める気がないだろう。
「いや、お試しはやめよう。男なら! ドーンと一回勝負!」
要するに試しで払う犠牲がもったいないのである。
「チッ」
ギギギくんの方から舌打ちが聞こえた気がした。
「さて、じゃあ、何を捧げようかなあ」
急には思いつかないな。
「お前の人生にとって重要なものほど、より良いテーマが得られるヨ!」
ギギギくんは嬉しそうにソワソワしている。
「俺の人生……。重要なもの……」
考え込んでしまう。
「考えたって時間の無駄だヨ!」
言う通り、迷っていても仕方ない。
「一生○○をしない、っていう感じのことでしょ?」
常靖は腕を組んでギギギくんへ問いかけた。
「別に決まりはないヨ! センス次第ネ!」
才能がないと散々人を馬鹿にしておきながら。
「くわー! 自信ないなー!」
常靖は腕を組んだままのけ反った。
「じゃあ辞めちまえヨ!」
急にスパルタになる。
「はい! 出します!」
常靖は元気よく手を挙げた。
「そこの方! ドウゾ!」
ギギギくんも楽しそうに乗っかってくる。
「一生、サッカーをしない!」
一瞬で空気が凍った気がする。
「アイスレクイエムか!」
ギギギくんから謎のツッコミをされた。
「悪くないと思ったんだけどな」
実際、これからサッカーを始めるとも思えず、リスクも低いと判断しました。
「お前がそれでいいなら、ボクは何も言うことはないヨ」
ギギギくんはテンション低く、なにやらコインを差し出した。
「お! これでガチャガチャが回せるんだね!」
コインを受け取ったら燃えるように熱かったので、常靖は悲鳴を上げた。
「悪魔コインを甘く見るなヨ!」
勝ち誇るギギギくん。
「このギミック必要か?」
思いついたんだからしょうがない。
「じゃあ、大きな声で、ルシファー様への捧げものを唱えながら、ハンドルを回してネ!」
固有名詞が聞こえた。
「行きます! 偉大なる地獄の大魔王! ルシファー様! グギア!」
ギギギくんに背中を思いっきり叩かれた。
「余計なアドリブ入れるんじゃないヨ!」
新入りが怖い先輩に粗相をしたような焦り方をしている。
「……ゴメンゴメン……」
常靖は息ができないながらもフランクに謝った。
「今後一生呼吸をしない、でも構わないんだヨ!」
ギギギくんはまだプリプリしている。
「……無頼漢のようでいて、意外にチキンなんだよなあ」
どういう立場の悪霊なのだろうか。
「うるせえ! 早くしろ!」
怒号が飛んできた。
「はいはいー、それじゃいきますよー。ルシファー様! 我にナイスなテーマを与えたまえー! その引き換えに! 私は今後一生! サッカーをしません!」
まだ常靖はハンドルを回さない。
「あの、ハンドル……」
ギギギくんが不安そうに見ている。
「ただし! フットサルは除く!」
そう早口で付け加えると、常靖はハンドルを素早く回した。
「姑息な!」
どちらがよりチキンなのだろうか。
「将来、女子大生とかとフットサルする機会がないとも限らないじゃない」
ポジティブな方向での自己保身を図ったのだ。
「絶対にそんな機会は無いと思うヨ」
そして、リスクを減らした分だけテーマのレベルも落ちるのだろう。
「お! 何か転がってきた!」
カランカランと、軽く、薄い音がした。
「ウフっ」
ギギギくんの半笑いの口から笑い声が漏れた。
「まだ開けてないが、なにが可笑しい?」
カプセルはコインのように熱くなかった。
「ガチャなんだから! 演出で大体予想できるでショ!」
常靖にはギギギくんが言っていることが分からなかった。
「事前の説明が全くないから、ルールが分かんないんですけど」
分かんないので聞いてみた。
「音で分かるようになっているんだヨ!」
ギギギくんは、常靖の理解度には関心が薄いようである。
「良いテーマだったらどんな音がするんですか?」
参考に聞いておこう。
「そんなに変わらないヨ!」
常靖はもうどうしたら分からなくなった。
「まあ、聞ければわかるから、いいよね、ハハハ」
期待しないですむというメリットもあるだろう。
「そんな言い方するならさっさと開けろよクソ野郎」
また理不尽なことを言ってくる。
「事前の演出がどうのとか、そっちが言い出したんじゃんよ」
ムカついたので言い返してみる。
「ボクが失笑したのを、お前が聞いてきたんだろうが!」
そうだっけ?
「まあいいや、開けてみよう」
カプセルを二つに割ると、一枚の紙きれが入っていた。
「プッ、クスクス」
チラリと見るなり、ギギギくんは半笑いの顔で笑いを堪えている。
「『納豆トースト』」
紙にはそう書いてあった。
「斬新なテーマですこと!」
なんでそんなに嬉しそうなの。
「納豆トーストをテーマにしたライトノベルって何だよ!」
そもそも納豆トーストがどんなものかイメージが無い。
「キャンセルできないからネ!」
機先を制された。
「え、じゃあ、このテーマで書かなきゃいけないの?」
書ける気がしないのですが。
「そうだヨ! ……と言ったら書くのかい?」
ギギギくんは面倒くさく常靖の心を試してくる。
「でもキャンセルできないんでしょう?」
悲し気な瞳で常靖が確認する。
「このテーマは保留して、別のテーマを出すことは可能だヨ!」
だからスカを引いたらあんなに嬉しそうだったのか。
「その場合……」
ダメもとで聞こうとするも。
「差し出した捧げものは戻ってこないヨ!」
つまり、もう一生サッカーができない体になってしまったのだ。
「……別にいいか」
こんな程度の思い入れだから良いテーマが出なかったのだろう。
「イイネ! ジャンジャン回しちゃってヨ!」
ギギギくんが指をクルクル回している。
「ちなみに、今後、俺がサッカーしたらどうなるの?」
後から聞くのもどうかと思うが。
「魂が破滅するヨ!」
よくわからないが、なにやら怖そうだ。
「何かもっと、重要なものを犠牲にしないといけないのかな」
そして常靖はまた考え込む。
「早くゥ~、早くゥ~」
ギギギくんが気持ち悪く急かしてくる。
「一生、戦車に乗らない……、いやでも、万が一……」
乗りたいし。
「いいジャン! それで行きなヨ!」
なんでもいいらしい。
「戦車に乗るチャンスは、草サッカーに誘われるよりも可能性は低いだろうし」
つまりテーマのレベルもより低いものになる。
「いいから! こういうのはアイデアをどんどん出していくと、後から新しいのがつられて出てくるんだヨ!」
ギギギくんが知ったようなことを言う。
「どうでもいいアイデアをいっぱい出したところで、収拾がつかないというか、出しっぱなしになって、出たたくさんのアイデアが逆にプレッシャーになったりもするよ」
常靖は実感をもって述懐した。
「それはお前に才能がないからだヨ!」
ここぞとばかりにタイミングを合わせてきた。
「じゃあ、どの程度レベルが下がるか見てみよう」
常靖はハンドルに手をかける。
「オッ! いい男っぷりじゃないか!」
常靖のリスクが少しでも上がるのが心底楽しそうである。
「ルシファーちゃんシクヨロ! 良いテーマをお恵みください! 代わりに、俺は一生、アリエテには乗りません!」
アリエテとはイタリアの戦車である。
「おひつじ座?」
ギギギくんの勘違い。
「俺はハンドルを回し切った! さあ音を聞いてみよう!」
来い! 熱い演出!
「プーッ!」
カラカラを、さっきよりさらに軽い音と共にカプセルが転がってきた。
「……『償却資産税』……」
ライトノベルの読者が興味を持っているとは思えない。
「いろんな税金を擬人化したら、きっと売れるヨ!」
ギギギくんが無責任な提案をしてきます。
「それには、まず、こっちが税金の勉強をしなくちゃいけないじゃないか!」
それば絶対に嫌だ。
「ラノベ作家になるためだったら何だってやってやるんじゃなかったのかい?」
ギギギくんは半笑いである。
「ラノベ作家になるのに、なんで税金の勉強をしなくちゃいけないんだ」
勉強しないためなら何だってやってやる。
「ならどうする? まだ回すかい?」
ギギギくんは余裕の様子である。
「これまで出たテーマは『納豆トースト』と『償却資産税』か……」
組み合わせてもロクなラノベになりそうにない。
「納豆トースト専用トースターの法定耐用年数とか……」
ギギギくんには真面目に考える気はないようだ。
「3年くらいじゃないかな」
そもそもトースターが償却資産なのかという疑問が残る。
「よし! それで行こう!」
ギギギくんは立ち上がり、ガチャ筐体を片付けようとする。
「待って! 待ちんしゃい! こんなテーマでラノベが書けるもんですかい」
常靖はギギギくんの腕にすがりついた。
「ホンナラ、つべこべ言わずに、さっさと回せば!」
ギギギくんの挑発に乗ってはいけない。
「やむを得ない。これを最後にするぞ!」
常靖は目を閉じ、深呼吸をして、ハンドルに手をかけた。
「またどうせくっだらない犠牲なんだろうネ!」
ギギギくんは手の平をこすり合わせてウキウキしている。
「まだ思いついてないがな!」
いわゆるノーアイデアである。
「さすがのノー才能!」
かぶせてきた。
「そうだなあ。何を差し出すかなあ」
常靖は顎に指を当てて見上げる。
「かましたれ! かましたれ!」
ギギギくんがはやし立てている。
「……そろそろ、髪切らなきゃなあ」
常靖は伸びた前髪をつまみながらつぶやいた。
「なにそのペースチェンジ?」
ギギギくんがガクンとつんのめった。(ダジャレ)
「ずっと同じ考えに執着するより、全然違うことを考えた方がアイデアが出るんだよ」
ダウンタウンの松本さんも言っていた。
「才能がない奴ほど能書きが多いネ!」
能がないのにネ!
「髪! そうだ! ルシファーたん! 俺は一生! 美容院で髪を切らないと誓う!」
常靖は左手を掲げながら、右手でハンドルを回した。
「本気か?」
ギギギくんが半笑いで驚愕している。
「理容室には行く」
常靖は美容院に行ったことがない。
「売れっ子ラノベ作家になった後も?」
ギギギくんが素面で聞いてきた。
「う……、オシャレに目覚めて、調子に乗ってついうっかり行っちゃったりして」
常靖には調子に乗った自分の姿をハッキリとイメージできる。
「もうキャンセルできませんからネ!」
気を取り直したギギギくんは先ほどまでの嬉しそうさを取り戻した。
「ふふ……。売れっ子になって、美容院のイスで真っ白に燃え尽きるのも、本望かもな……」
常靖はニヒルな笑みを浮かべた。
「迷惑な客だネ!」
いわくつきのイスになってしまう。
「いっけー!」
やけになったか、常靖は思いきりハンドルを回した。
「ムムウ!」
カラカラという音と共に、ピロリーンというチープな電子音が鳴ったことにギギギくんが反応した。
「今の、いいやつ?」
常靖が少年の顔で聞く。
「スカより一つ上のやつだヨ!」
今までのはスカだったんだね。
「一番上まで、あと何段階あるの?」
興味本位で聞いてみた。
「60かナ」
あべのハルカスか!
「サンシャイン60か!」
なぜか世代間ギャップ。
「聞いても仕方ないんだから、早く開けてみなはれヨ!」
ギギギくんの言うことももっともだ。
「あまり期待できないってことだなあ」
思い切った犠牲を払ったつもりだったのに。
「美容院に行ったことがないってのがインパクト弱いよネ!」
耳の痛いことを言ってくれる。
「うっせ、開けちゃうもんね」
ふくれっ面で常靖がカプセルを開けると、そこには。
「プププー!」
『冷やしシャンプー』と書いてあった。
「美容院に引っ張られてるだろ絶対!」
常靖は紙切れをクシャクシャに丸めた。
「あまりに才能がないので、ルシファー様も手の施しようがないんだろうネ!」
あるいは手を抜いているか。
「冷やしシャンプーから始まる恋? あるかそんなもの!」
常靖は丸めた紙切れを畳に叩きつけた。
「まだ償却資産税の方がマシだったネ!」
税理士を目指す話とかネ!
「フーッ! フーッ!」
常靖は荒い息を繰り返す。
「なんでそんなに怒っているのかナ?」
いやらしい半笑いでギギギくんがのぞき込んでくる。
「それはね、ギギギくん。出てきたテーマのレベルが、あからさまに落ちたからさ!」
演出で期待させられたから余計に。
「その顔で美容院とかぬかしてるから怒られたんだヨ!」
多分そうなんだろう。
「分かった。分かりました」
常靖は静かに言うと、その場に立ち上がった。
「オ? ちょっと感じが変わったネ」
ギギギくんが目で追ってくる。
「……貸してくれ」
常靖は後ろ手に、手をギギギくんへ差し出す。
「何を?」
ギギギくんは普通に聞き返す。
「さっきの、金属バットを!」
常靖は言いながら、テレビ台の下から、買ったばかりの家庭用ゲーム機を引きずり出した!
「マジが!」
ギギギくんは半笑いのまま目を丸くする。
「買ったばかりの! プレイターミナル4を!」
値下げが発表されたばかりの!
「この、金属バットで?」
ギギギくんはそそくさと金属バットを常靖に渡す。
「ありがとう! そう! この金属バットで!」
常靖は金属バットを両手で握り、頭上高く振り上げる!
「先に破壊してからガチャを回すって、新しいヨ!」
ギギギくんの声が上ずっている。
「うおお! この金属バットで!」
まだ振り下ろしていない。
「これば高得点が期待できるヨ!」
ギギギくんも立ち上がってソワソワしている。
「見てろよー! 俺の覚悟をー!」
まだ振り下ろさない。
「こんなに胆の座ったクソワナビは見たことがないヨ!」
ギギギくんは興奮のためか手が震えている。
「一発で! 一発で決めるから!」
振り下ろさない。
「ゲーム断ちするワナビなんかザラにいるけど、目の前での破壊ショーなんて初めてだヨ!」
ギギギくんはゲーム機の周りをウロウロしている。
「止めるなよ! 絶対に止めるなよ!」
振り下ろさなーい。
「うがーー!!」
ついにキレた!
「痛い!」
お尻を蹴られ、常靖は悲鳴を上げた。
「早くしろ!」
このシーンだけでいつまでやってんだ。
「……いざとなると、なかなか覚悟が……」
常靖は情けない声で言った。
「うるせーバーカ! バーカバーカ!」
ギギギくんなりの激励が胸に染みる。
「バカって言う奴がバーカ!」
なぜか言い返す。
「お前の方がバーカ!」
これはギギギくんのセリフ。
「バーカバーカ!」
こっちは常靖のセリフ。
「バーカ!」
以下、際限なく繰り返された。
「……そろそろ、もう、限界かなあ」
バットを振り上げたくだりから、さらに二時間ほど経過した。
「……ここまでのクソワナビとは、最初に見た時には分からなかったヨ……」
ギギギくんも疲れながらも、妙に感心している。
「じゃあ最後の確認で……。ソフトは中古屋に売って、売り上げは俺の収入。ハードは、外のプラスチックのボディを砕けば、家庭用ゲーム機を破壊したとみなす、ということで合意するな?」
常靖は疲弊しきった顔でギギギくんに言う。
「……まさか、こんな条件闘争に時間を奪われるとは思ってなかったヨ……」
明らかに疲れている。
「これが民意……」
強行採決とかね。
「……じゃ、どうぞ……」
破片が飛び散ってもいいように、ゲーム機の下に新聞紙が敷いてある。これにも議論があった。
「掛け声は、打ち合わせ通り……」
掛け声を決めるのにも30分以上かかった。
「……」
ギギギくんが余計なことを言わないのは、また時間を浪費させない戦略なのだろう。
「大きく振りかぶって……」
常靖は立ち上がり、金属バットを構えた。
「……これで何回目だろう……」
ギギギくんは力なくつぶやいた。
「5秒前! 4! 3!」
常靖がカウントを始める。
「2! 1!」
ギギギくんもめんどくさそうに立ち上がった。
「サヨナラ! 僕らのソニー!!」
常靖は涙にぬれた目をぎゅっと閉じ、金属バットをゲーム機へと思いきり打ち付けた。
「やっと来た! 長かった!」
万感の想いをギギギくんが吐き出した。
「固かった!」
非力な常靖の打撃では、プラスチックのボディーがちょっと砕けただけであった。
「いいヨ! いいヨ! オーケーオーケー!」
ギギギくんは手を振って割って入ってきた。
「メーカーの方の開発にかけた情熱や努力を思うと、わざわざ壊すのもどうかと思っていたんだ」
この議論には最も長く時間を割いた。
「儀式ですから、今までありがとう、というネ」
二人して頷き合う。
「さ、いよいよ回そうか。ガチャを」
ゲーム機を手早く新聞紙で包み、ビニール袋に入れた。
「期待値はだいぶ下がったけどネ」
長い議論の末、新しいハードが出たら、状況に応じて臨機応変に対応することになったのだ。
「ルシファー様! ルシファー様! お待たせいたしました! 私は! 当分の間、家庭用ゲーム機をやりませんので! なるべく良いテーマを与えてください! そしてこの宣誓は! ゲームセンターでのプレイまで及ぶものではございません!」
限定条項はもっとたくさんあったが、全部言い切れそうにないので省略した。
「おや? それでも?」
デロデロデローンと、まがまがしい音楽と共にカプセルが転がり出た。
「……なんか怖い音楽だったな」
セーブデータが消えた時のような。
「このレベルは、なかなか出ないヨ!」
ギギギくんが驚いている。
「やったね! これでようやく進める!」
常靖は喜々としてカプセルを開けた。
「見して! 見して!」
ギギギくんがのぞき込んでくる。
「……『時代劇+妖怪』……」
書かれた字から黒い負のオーラのようなものが立ち上ったような気がした。
「こ、これは……!」
ギギギくんの頬を一筋の脂汗が流れた。
「何か心当たりでもありそうだな」
常靖は訝しんだ。
「し、ししし、知らない! ボクは何も知らないゾ!」
ギギギくんは頭を抱えてうずくまった。
「まあいいや、しかし、ライトノベルで時代劇なんて今まであるのかね」
何気なくスマートフォンで検索しようとした。
「トウ!」
そのスマートフォンをギギギくんがネリチャギ(かかと落とし)で叩き落とした。
「アウチ!」
思いっきり常靖の手にも当たった。
「そしてホワチャア!」
先ほどからお馴染みの金属バットでギギギくんが落ちたスマートフォンをドカンとやった。
「やっぱ本物は違うなあ、っておい!」
常靖のへなちょこな打撃とは段違いの破壊力で、常靖のスマートフォンはぶっ壊された。
「ググってんじゃねー!」
まだ何もしていなかったのに。
「……この暴力行為は、後で直してもらえる……、よね?」
章をまたぐまで待てばいいと思っていた。
「余計なことを検索しそうだから、外界から遮断するヨ!」
ネット断ちをせよと。
「知られちゃマズいことでもあるのかい?」
カマをかけてみた。
「忘れてネ!」
首の後ろあたりを絶妙な力加減で金属バットでヒットされ、常靖は気を失った。
第3章「悪魔に魂を売ってテーマを決めよう」 終
「……ハッ?」
気が付くと、常靖は畳の上で転がっていた。
「いつまで寝てるんだよゴミクズ」
ギギギくんが脇腹を蹴ってくる。
「テーマが決まったから、次の章に行ったのか」
いろいろ忘れさせられている気がする。
「テーマが決まったんで、次は、プロットを作るヨ!」
おそらくまっとうなことを言っている。
「……何か、壊されたような……」
不自然に記憶が欠落しているような気がする。
「ゲーム機でしょ?」
すっとぼけたことを言う。
「それは覚えているんだけど」
金属バットの手ごたえもアリアリと。
「そんじゃ、プロットの説明をするヨ!」
フランクに無視された。
「僕は一般文芸の作家志望だったから、プロットという言葉は聞いたことがある」
具体的にはよく知らない。
「プロットとは何なのか、人によって定義は様々だヨ!」
ギギギくんは偉そうに言う。
「テーマの説明の時もそんなことを言っていたような」
統一することもできないだろうし。
「A4用紙一枚にまとめたものっていう人もいるし、ストーリーを箇条書きにしたものっていう人もいるヨ!」
誰が言っているのだろうか。
「形式からして違うのか。どっちが良いんですか?」
常靖は深く考えずに聞いてしまった。
「ドアホウ!」
ギギギくんに強烈なデコピンをされた。
「へこむ!」
常靖の額がデコピンの形にへこんだ。
「どっちかが良かったら、そっちだけが生き残るだろうが!」
進化論ですね。
「そうか、それぞれに長所があるってことなのか」
常靖は額を押さえながら言った。
「そう! ざっくり大まかにストーリーやら設定やらを考えて、本文を書きながら細かいことを考える人は、A4一枚くらいの方が合っているだろうネ!」
ギギギくんはスラスラと解説する。
「なるほど」
自分の性格に合わせてやり方を探せということだろう。
「逆に、細かいところまでしっかり事前に決まってないと不安で書けないタイプは、あらかじめいっぱい用意する方がいいだろうネ!」
ギギギくんは丁寧に説明を続けた。
「両極端にするか、それとも間を取るか、自分の性格を客観的に分析しなければならない」
常靖は腕を組み、自分の性格について思いを巡らせた。
「お前みたいなやつは、考えたって時間の無駄だヨ!」
ギギギくんはひどいことを平然と言える。
「それは、ははーん? さては、やってみないと分からないってこと?」
厳しい言葉の裏には愛情があるのだろうと、心のどこかで信じていた。
「何言ってんだ」
違ったみたい。
「え、じゃあ、俺に合ったやり方を教えてくれる、とか?」
常靖は相変わらず依頼心が強めである。
「なんでそんなことを教えてあげなきゃいけないんだヨ?」
質問に質問で返された。
「じゃあどうすればいいんだ!」
常靖はついにキレてしまった。
「ちょっと声が大きいヨ!」
ギギギくんにのどをチョップされた。
「……!」
これでしばらく声が出ない。
「今からお前がプロットを作っても、才能のないプロットしかできないでショ!」
やり方も教えてもらってないし。
「……」
常靖はのどを押さえながら頷いた。
「ってことで! 次の脱法アイテム、行ってみっか!」
ギギギくんは底抜けに明るい声で言った。
「……!」
常靖は喜んで首を何度も縦に振る。
「おりゃ!」
ギギギくんはお腹のポケットから、デスクトップパソコンを取り出した。
「……」
常靖は懐かしさに目を見開く。
「PC―9821CB~!」
モニター一体型のやつが、薄っぺらいポケットから、デローンと出てきたのだ。
「モニターの、この奥行き!」
ブラウン管ですよね。
「エロゲー専用機にしておくのはもったいなかった名機だよネ!」
あの頃が恋しい。
「ああ、これでプロットを作るのですか」
カスカスの声で常靖が言った。
「何回も!」
ギギギくんにもみあげの毛を引き抜かれた。
「ギャン!」
10本くらい持っていかれた。
「才能がないやつが! 道具を何使おうと! 結果は同じなんだヨ!」
ギギギくんはポケットから何やらコードのようなものを引きずり出す。
「ケーブル?」
当時はインターネットなんか無かったが。
「悪魔ネットに、アクセス! アクセス!」
ギギギくんはノリノリでポケットから伸びるケーブルをパソコンの後ろのポートに差し込んだ。
「お、起動するぞ! ひとりでに?」
パソコンからガコガコガリガリという音が聞こえてきた。
「リモコン~!」
ひとりでに起動したのではなく、ギギギくんがリモコンを押したて電源を入れたようだ。
「パソコンなのに、リモコンが付いていたね、そういえば」
懐かしい。
「テレビ機能があったからネ!」
家庭用ゲーム機のディスプレイとしても使っていました。
「何か出てきた」
画面に、顔のようなものがボンヤリと映ってきた。
「地獄のオペレーターだヨ!」
顔が青白く、角が生えている。
「画面が荒いなー」
シュッとしているのは分かるが、男女の区別がつかない。
「こんにちワ! ボク、ギギギくんです!」
ギギギくんはマイクで話し出した。
『……』
画面の中の悪魔は無表情である。
「あ、プロット一つ、お願いしますヨ!」
ギギギくんは慣れた様子で発注した。
「外注?」
常靖は大いに驚いてギギギくんを振り返った。
『……テーマを言え……』
すごく低くて怖い声が画面越しに聞こえてきた。
「納豆トースト!」
言うと思った。
「待ちゃれ待ちゃれ! それは使わぬ!」
常靖は慌てて口を出した。
「そうだっけ?」
ギギギくんはすっとぼける。
『……』
なんかすっごい睨んでる。
「これです! これでお願いします!」
常靖はギギギくんに先ほどの紙切れを見せた。
「あー、はいはい。これネ。……これか……」
またちょっとギギギくんは逡巡した。
「やはりなにかあるのだろうか」
常靖も目をキョロキョロさせた。
「はい、テーマはこれネ! 時代劇+妖怪! これでプロット一丁! よろしくネ!」
ギギギくんが注文の訂正を入れた。
『……? 本当にそれでいいのか……?』
悪魔の顔にも動揺が見られた。
「何? 何か知ってますか?」
常靖が画面に向かって問いかける。
「余計なことは言わないで、とっとと仕事してネ!」
ギギギくんが強引にカットインした。
『……見返りは何だ……』
画面の悪魔が怖い声で聞いてくる。
「ああー。またかー」
どうせ安い見返りだと出来上がりもショボいとかいうんだろう。
「悪魔ポイントで払うヨ!」
ギギギくんが意外なことを言った。
『いいだろう……』
なにやら通じたらしい。
「なんだいギギギくん。その管理がややこしそうなポイントは」
常靖は自分に不利益を被らないように前に出る。
「あ、ポイントが溜まってたから、今回はそれで払うヨ!」
ギギギくんはこともなげに言う。
「いいの? 君のポイントじゃないの?」
正直者の常靖は、余計な事を聞く。
「アハハ! ボクのじゃないヨ!」
じゃあ誰の?
「じゃあ誰の?」
同時に思い浮かんだか。
「名前は伏せるけど、地獄で一番の高利貸しだヨ!」
ギギギくんは悪戯っぽい半笑いを浮かべた。
「まさか! 勝手に俺の名前で?」
身に覚えのない借金を?
「契約したじゃなーい」
破滅というか、破産が目の前まで来ている気がした。
『……おい、プロットのグレードを選択しろ……』
放置されていた画面の悪魔が怒った声で聞いてくる。
「進んでる! 手続きが!」
どうせもうキャンセルできないんだろうな。
「一番いいやつを頼むヨ!」
勝手にギギギくんが進めていく。
「ちょっと! 大丈夫?」
システムが分からないのが一番怖い。
「大丈夫だヨ!」
まったく安心できない。
『……ジャンルを選択しろ……』
ホイホイ進んでいく。
「そーんなの! ギャグラノベに決まっているヨ!」
ギギギくんは自信たっぷりに断言した。
「勝手に決めんな!」
システムは分からなくても、そこは止めたい。
「違うの?」
ギギギくんは大いに驚いている。
「時代劇+妖怪でギャグって! 素人目にも無茶でしょ!」
バカ殿みたいな感じを想像している。
「ギャグじゃないなら、ハーレムしかないネ!」
ラノベに対する偏見がひどい。
「そうだね! 大奥で、妖怪の女の子をはべらせて……、ってバカ!」
乗りツッコミもしますよ。
『……このテーマなら、王道バトルものだろうが……』
さすがにたまりかねたのか、画面の悪魔が助け舟を出してくれる。
「それだと本家と丸かぶりだヨ!」
大胆にも、ギギギくんは自らヒントを出してきおった。
「やはり! このテーマ! いわくつきだな!」
すかさず常靖は指摘するギギギガくんは何も応えず、強引にコードをパソコンから引っこ抜くと、画面がブツンと切れた。同時に常靖もそれ以上の追及を諦めた。
「だいたい一時間くらいで、完成したプロットが送られてくるヨ!」
本格的な業者だった。
「一時間って、ずいぶん早くできるもんだなあ」
さすがプロというべきか。
「じゃあ、それまで、次の章に進んでおこうかネ」
ギギギくんはポッケから謎のスプレー缶を取り出すと、無造作に常靖の顔へと吹き付けた。
「ゲホンゲホン! いきなりなにをす……」
ツンとした刺激臭と共に、常靖は急速に意識を失った。
第4章「プロット作成を外部業者に委託しよう」 終
「さて、では、実際に文章を書くときの道具、すなわち、デバイスの話をするヨ!」
ギギギくんの声がして、常靖に意識が戻った。
「お、おおう」
頭がガンガンに痛い。
「デバイス選びを間違うと、満足に字をかくこともできないネ!」
そしてギギギくんは部屋を見渡す。
「今までは、家でノートパソコンで書いていたんだけど、他にはどんなのがあるんだろう?」
常靖は首をひねった。
「万年筆で書くとか言ってなかったっけ?」
そういえば、高級万年筆を粉々にされた。
「手書き原稿はダメだって言ってたくせに」
章が進んでも万年筆は直してもらっていない。
「ダメとは言ってないヨ! 受け付けてる新人賞もあるネ!」
ならばなぜ万年筆は砕かれたのだろうか。
「でもちょっと、確かに、手書きのをそのまま提出するのは抵抗というか、恥ずかしいような気持ちもある」
なにより字が上手くない。
「上手い字を書く才能もないんだネ!」
そうなんですよ。ってやかましいわ。
「他に何かおススメのデバイスはないの?」
もっと効率が良いものがあるなら使ってみたい。
「家で書けるならパソコンでいいんじゃないかナ!」
なんだそりゃ。
「あ、ええと、家で書けない時もあるかな。ついゲームをしちゃったり」
もうできないけど。しばらくは。
「そうなんだ、フーン」
こいつは何なんだ。
「パソコンで書くとして、ソフトは何がいいのかな」
今はワードで書いているが、いろいろ思うところもある。
「ワードでいいんじゃネ?」
適当に言ってくるよ。
「……なんていうか、ワードって、ビジネス向けっていうか、英語向けっていうか……」
和製のワープロソフトがあったはずだ。
「スタミナ太郎だネ!」
愉快なことを言っている。
「知っててボケるにしては、もうちょっと他になかったか」
常靖は残念そうに首を振った。
「他には、いわゆる、エディターソフトがおススメだヨ!」
ダメを出されてちょっとピリッとしたギギギくんが言う。
「聞いたことある! 高いから買えないけど」
ソフトにお金をかけるのはゲームくらいである。
「メモ帳でいいだろうガ!」
ギギギくんに脇腹をつねられた。
「イヒヒ! ヤメテヤメテ!」
高い声を出しながら常靖は身もだえる。
「あんさんさえよかったら、脱法アイテムの中から、テキスト悪魔エディタをダウンロードして差し上げようか?」
ギギギくんが怪しげな提案をしてくる。
「また何か、寿命が減ったり、犠牲にしたりするのかい?」
もうコリゴリ、という顔で常靖は聞く。
「フリー悪魔ソフトもあるヨ!」
ギギギくんの半笑いが、とてもうさん臭くなっている。
「タダより高いものは無い、そういう家庭で育ちました」
かといって、タダのもので何か被害を被ったことは思い当たらないのだが。
「どれ、そのノートパソコンとやら、見してミ?」
ギギギくんはインストールする気マンマンのようだ。
「変なもの入れないでよね」
警戒しながら、常靖は机の上のノートパソコンの電源を入れた。
「でかいノートパソコンだネ!」
ギギギくんは大きさに言及した。
「そう、持ち運べないんだよ」
ノートパソコンなのに家でコードがつなぎっぱなしである。
「最近は、だいたいそうヨ! デスクトップなんか、各メーカー、作ってないんだから」
ギギギくんは昨今のパソコン市場に言及した。
「持ち運ぶノートパソコンと、持ち運ばないノートパソコンと、二種類持つカンジなんですかね」
小さいのだけで用が足りればいいのだが。
「画面が小さいとエロゲーで迫力が足りないもんネ!」
同意を求めてくる。
「エ、エロゲーなんて、やんないし、そんなには」
少なくともデスクトップ画面にアイコンは置いていない。
「お前からエロゲーを取ったら何が残るんだヨ!」
ひどい言われようである。
「さて、電源が入りましたが、インストールはCD? それともダウンロード?」
エロゲーから話題を遠ざけようとした。
「ハイ! フロッピーディスクー!」
予想していた。
「……もう、フロッピーを入れるドライブとか、無いんだよギギギくん……」
哀しい瞳で常靖は言った。
「知ってるヨ!」
ギギギくんは、そのフロッピーディスクを手裏剣の要領で、常靖へ目がけてピュンピュン投げつけてきた。
「メガネに! メガネに当たるから!」
レンズに傷をどうしてもつけられたくなかった。
「じゃあ、インストールを諦めるヨ!」
びっくりするほど潔かった。
「ちなみに、テキスト悪魔エディターでは、どんな機能があったの?」
聞いても仕方ないが、興味はあった。
「いい質問だネ! まずは! 悪魔のうめき機能!」
ギギギくんが楽しそうに発表する。
「……何を、何が?」
うめく?
「夜な夜な、電源切ったはずのノートパソコンから、うめき声がするんだヨ!」
常靖はポカーンとした顔で聞いている。
「……他には他には?」
まさかそれだけじゃないだろう。
「悪魔召喚機能!」
アトラス的なやつ?
「メガテンはよくやったものだけど、現実世界ではゴメン被るよ」
いくらレベルが上がっても、生身の人間がべリアルとかベルゼブブとかティアマットとか倒せるとは思えない。
「あとは、テキスト自動作成機能!」
思い切ったことを言ってきた。
「なんというか、良さそうというか、それはまずいだろうというか」
興味はある。
「それまで人が必死に打ち込んだテキストを、夜のうちに、全く違う文章に書き替えてくれる機能だヨ!」
意味が分からない。
「どう書き換える?」
良いものになるなら結構だが。
「主に、文字化け!」
言ってギギギくんは楽しそうに笑った。
「チミチミ! それは単なるエラーじゃないのー!」
楽しそうな雰囲気が常靖にも伝染した。
「そんな! 人聞き、ならぬ、悪魔聞きの悪い! エラーじゃなくて、ちゃんと狙って、ダメージが大きそうなタイミングを見計らって文字化けさせてくれる機能だヨ!」
大げさに手を振ってギギギくんが言う。
「文字化けさせてくれるって」
おそらく、絶対元に戻らないのだろう。
「フロッピーさえ入ればインストールできたのに残念だったネ!」
本気で言っていそうで恐ろしい。
「ソフトはもういいよ。ワードで。それより持ち歩けるデバイスでいいのはないかい?」
気分が乗らない時にカフェなどでかっこよく書けたらかっこいい。
「お前みたいなクズは一歩も外に出るなヨ!」
ギギギくんの罵倒の角度は急すぎる。
「死んでしまいます」
食事をもってきてくれるような人はいない。
「モバイルギアにもいろいろありますネ。予算に応じて」
ギギギくんの目玉の部分に¥マークが表示された。
「やっぱり、世の中、金なのね」
常靖は斜め下を向いてため息をついた。
「高い金を出せば性能のよいデバイスも買えるけど、お前みたいな才能のない奴にはもったいないし、必要ないし、要はバランスですネ!」
そうですね。
「最低限の機能でいいのかな。最近はスマートフォンもありますし」
仕事で使うならいざ知らず、ラノベワナビにとってすれば、文字の入力さえできればいいのだから。
「スマートフォンすらお前にはもったいないネ!」
最近は小学生でも持ってますがな。
「文字さえ書ければ、ってなると、究極は、手書きってことになるけど」
何で書くかですら、また迷うことになる。
「よし、じゃあ手書きで」
ギギギくんは適当に打ち切ろうとした。
「いいから早くデバイス紹介しろよ! ポメラとか! ウルトラブックとか! ザウルスとかあるだろうが!」
キレちゃったんだ。
「知ってんじゃんかヨ!」
ギギギくんが肩をバンバンと叩いてきた。
「一杯食わされた! この野郎!」
常靖はその手をはねのけた。
「本人にやる気さえあれば、デバイスなんかなんでもいいんだヨ!」
身もふたもないまとめに入った。
「やる気が同じくらいなら、なるべく便利なデバイスを使いたいじゃない」
一長一短があるのだろうが。
「そんなに言うなら、いいヨ! とっておきのを出してやろうゾ!」
ギギギくん君は例のポケットの中をゴソゴソとし出した。
「いけずぅ~!」
いじわるしないでよぉ~。
「ハイ! 知らないメーカーの激安タブレットー!」
見た目からしてヤバそうなのが出てきた。
「悪魔と関係ねえじゃねえか」
常靖は露骨にガッカリした。
「文句があるならマックブックエアーでも買えば?」
突き放した調子でギギギくんに言われた。
「クソが! もういいよ! 前に買ったポメラ使うから!」
常靖はタンスの一番上の引き出しから取り出した。
「持ってんのかーい!」
ツッコミとしてのギギギくんの右アッパーカットが常靖の顎にヒットした。
第5章「十分に時間をかけてデバイスを厳選しよう」 終
「い、意識がなくなってないのに章が変わったようだ」
顎を押さえながら常靖が言った。
「なんて与太話をしている間に、プロットが出来上がったようですヨ!」
ギギギくんはアップルウォッチでメールの着信を確認したようだ。
「良いもの持ってやがるな」
そんなにうらやましくはないけど。
「プリントアウトしたものが、こちらになります」
ギギギくんのポケットからA4の用紙が一枚ずつ出てくる。
「プリンターみたいになっているね」
ポケットがね。
「細かいことに触れなくていいヨ」
面倒くさそうに言われた。
「どれどれ……。ほう! 一目、ちゃんとまとまってるようだ!」
フォーマットがしっかりしている。
「キャラクター・設定・ストーリーなどが、過不足なく網羅されているネ!」
ギギギくんは自分の手柄のように誇らしげである。
「ヒロインは……。猫又が変化したのかー! やるなー!」
常靖は感心しきりであった。
「どうだい? このプロットに沿って書いていけば、お前みたいな才能なしでも、立派なラノベが書けそうだろう?」
偉そうに言っている。
「そうね! これならできそうって気になってきた!」
常靖の前に光が見えてきた。
「んじゃ、書き終わったころを見計らって、また来るからネ!」
ギギギくんは机の引き出しを開け、中に入っていく。
「ありがとう! がんばるよ!」
常靖あギギギくんの後ろ姿へとバイバイと手を振った。
「あ、締め切りだけど、一週間後ネ!」
サラリと言ってきた。
「何の締め切り?」
そんな期間で書き終わるだろうか。無職とはいえ。
「何って、ライトノベル新人賞の応募の締め切りだヨ!」
常靖には初耳である。
「え、なにそれ」
聞いておかなければなるまい。
「ラノベ作家になるには、新人賞に応募して、受賞するしか方法が無いってことは、前にも言ったよネ?」
机の引き出しから上半身だけ出ている状態である。
「たぶん、聞いたような気がする」
だいぶ前のことなので記憶があいまいです。
「いろいろな出版社のラノベレーベルで新人賞をやっているんだけど、ある一社以外は、ほとんどクソなんだヨ!」
ギギギくんが不穏なことを言いだした。
「どんなふうにクソなの?」
でも興味はある。
「とにかくクソなんだヨ!」
他の出版社については、ほとんど知らないのではないか。
「……それで、そのクソじゃない一社の新人賞の締め切りが、一週間後だ、と」
状況が呑み込めてきたわけだが。
「イエス! じゃあ、そういうことで!」
早く帰りたいらしい。
「あ、一応聞くけど、今回の締め切りに間に合わなくても、その、来年もあるよね?」
引きつった笑顔で常靖が聞いた。
「……」
ギギギくんは振り返らず、何も応えなかった。
「……あ、ゴメン。なんでもない……」
常靖は下を向いた。
「……じゃ、ヨロシクネー」
ギギギくんの体は完全に引き出しの中へと消えていった。
第6章「締め切りに間に合うよう、余裕をもって書き始めよう」 終
「……終わった……。ついに……。最後に〈了〉って書いた……!」
達成感からか、常靖の脳内にドーパミンがドバドバ湧いている。
「呼ばれた気がしてジャジャジャジャーン!」
すぐ背後に悪霊が来ていた。
「書き終わったよ! ギギギくん!」
常靖は興奮状態である。
「知ってるヨ! パソコンにウイルスを仕込んでおいたからネ!」
見られていた。
「自分で自分を褒めたい! よくやった俺!」
まだ気持ちいい。
「まだ続く? 明日締め切りだヨ」
ギギギくんはまた含みを持たせる。
「一日残したんだから上出来じゃないか」
常靖は自分を褒め続ける。
「本当なら推敲に次ぐ推敲が必要なんだけど、時間が無いし、まあいいだろうヨ」
いいのだろうか。人のことは言えないが。
「そんなに時間ないの?」
常靖には自覚がなかった。
「ちゃんと応募要項を読んだのかナ?」
ギギギくんは手を腰に当てて聞いてくる。
「そういえば読んでない」
ネット断ちさせられていたので。
「あじゃぱ~!」
ギギギくんは古いリアクションでのけ反った。
「要項もなにも、印刷して、送り付ければいいんじゃないの?」
常靖は軽く考えている。
「甘い! 甘いヨ! テイストオブハニー!」
ギギギくんはドロップキックをしてきた。
「久しぶりの大技!」
常靖は吹っ飛ばされ、本棚まで転がって激突した。
「読まぬなら! 殺してしまえ! デメギニス!」
ギギギくんはポケットから一枚の紙を出してきた。
「あ、プリントアウトしてくれてるの?」
優しいとこあるジャン。
「いいから読めボケ」
その紙をギギギくんは常靖の顔面にグリグリと押し付けてきた。
「読めぬー。近すぎて読めぬー」
常靖は顔をイヤイヤと振った。
「ここ! プロフィールと! あらすじがいるんだヨ!」
ギギギくんは怒って言っている。
「……そんなの一時間もあれば書けそうだけど……」
常靖は冷静だった。
「それもそうだネ!」
書き始めると、実際には二時間ほどかかった。
「あらすじが意外と難しかったな」
最終的には、外注したプロットから大幅に引用したのだが。
「印刷して、郵送しなくちゃだヨ!」
言われなくても分かっている。
「えー、なになに? 42文字×34行か」
要項を読みながら、常靖はワードのページ設定をいじろうとした。
「そんなのはどうでもいいヨ!」
本当かなあ。
「郵送は、書留とかの方がいいの?」
無駄とは思いつつ、つい聞いてしまう。
「どうでもいいヨ!」
まあ、ちゃんと届けば、手段は何でもいいだろう。
「ああ、封筒も買ってこないとな」
いろいろ考えると、確かに一日残しておいてよかったと思った。
「レターパックがおススメだヨ!」
ここにきて急に具体的なアドバイスが。
第7章「応募要項をよく読んで、確実に送り付けよう」 終
「いやー、出した出した!」
常靖はスッキリした顔で郵便局から戻ってきた。
「いっぱい出したネ!」
一通しか出していませんが。
「応募要項によると、結果発表は3月か。待ち遠しいな」
今は9月である。
「おっと、3月に発表されるのは最終審査の結果だヨ!」
常靖は妙な顔をして、少し黙った。
「……最終、ってことは、その前に予備審査みたいなのがあるってこと?」
常靖が妙な顔をしたのは、ギギギくんが目を合わさないからだ。
「一次審査の結果は12月ごろ出るヨ!」
オフィシャルには展開されていないが、例年、それくらいなのだろう。
「……ふーん」
常靖も視線を外した。
「……」
気まずい沈黙が流れる。
「……3月かあ」
常靖は遠くを見る目をした。
「じゃあ、ボクはこれで」
少しトーンを落とし、ギギギくんが立ち上がる。
「あ、ギギギくん」
常靖は後ろからギギギくんを呼び止めた。
「なんだい? 常靖くーん」
気持ち悪く振り返ったギギギくんに、常靖は右手を差し出す。
「ありがとう」
お別れの握手をしようとしたのだ。
「何のマネだい?」
その手をギギギくんはマジマジと見ている。
「君のお陰で、初めて小説を一本書き切ることができた。いろいろと改善点はあるかもしれないけど、一本終わったことで、何て言うか、基準が自分の中に作れた気がするんだ」
常靖は清々しい笑顔で言った。
「……改善もなにも、君は処女作で新人賞の大賞を取って、デビューしたら売れまくってウハウハで……」
ギギギくんが取り繕うように言う。
「そして、声優さんと結婚! だよな!」
常靖は飛び切り爽やかな顔で笑った。
「あ、アハ、アハハ! アハハハーハハ!」
ギギギくんは誤魔化そうというかのような笑い声を上げる。
「さあ、しばらくのお別れだ。俺は売れっ子になってからすぐに出せるように、続編の準備に取り掛かろう」
そう言って常靖はウインクをした。
「……ならば、いざ、惜別の時。いつか地獄でまた会おうネ!」
ギギギくんは差し出されていた常靖の右手を、ものすごい力で握ってきた。
「うぎゃ!」
あまりの痛さに常靖がまとっていた爽やか風が一瞬でどっかに行った。
「ヒャッハー! 念のために言っておくが! 結果のいかんに関わらず! お前の寿命の一割はもうボクのものだヨ!」
ギギギくんは吐き捨てると、机の引き出しの中へとピョーンと飛び込んで、消えた。
「……痛ってー……」
一人になった静かな部屋で、常靖は右手をさすっていた。
同じ部屋。12月の深夜。常靖は寝床でスマートフォンを無表情で見ていた。
「……無いなー……」
『一次審査通過作品』のリストの中には、常靖が送ったものも、常靖のペンネームも入っていなかった。
「……無い……」
リストを、一作品ずつ、ゆっくりしっかり見ても見つからない。
「……やっぱり無い……」
リストを下から上へと見ていっても、やはり無いのだった。
「……何かの間違いでは……」
内心、半ば諦めていたが、一次審査くらいは通過すると思っていた。
「……受け入れ難い……」
常靖はスマートフォンの画面を消すと、再び目を閉じた。
第8章「結果を受け止めて現実の厳しさを思い知ろう」 終
立ち直りは自分でも意外なほど早かった。翌朝、すぐに頭をバリカンで坊主にすると、その日のうちに両親に詫びに行った。一週間後には親のコネで上場企業に入社。半年後にはお見合いで10歳下の良家の娘と結婚もした。
「……ふう」
常靖はいつものカフェのいつもの席に座ると、ネクタイを緩めた。会社からの帰り、家に帰りたくないわけではないが、カフェに寄り道している。
「さて、と」
まだ熱いコーヒーに口を付ける前に、常靖はカバンからハイエンドなモバイルパソコンを取り出す。値段は高かったが、厳選した末に決定したデバイスである。
「あ、充電してくんの忘れた……」
駆動時間はポメラに軍配が上がるだろうが、両方持ち歩くのはカバンが重くなる。
「……しゃーない」
充電しそこなった自分が悪い。今度はカバンからA4用紙を取り出した。
「……いかにも、仕事しているビジネスマンに見えるだろうな」
常靖は人からどう見られるかをとても気にしている。
「A4用紙に書いてあるのはライトノベルのプロットなんだけどね」
嫁に見られたら離婚されかねない。
「……うーん……」
用紙を数枚テーブルに広げ、腕を組んで、常靖は難しい顔で見出した。
「なんとなく面白くなさそうなのは、結局、コンセプトが甘いからなんだろうなあ」
だがテーマからまた考え直すのは面倒くさいし……、などと思いながら、ウンウン唸っている。
「すごく面白いテーマが出てくるガチャガチャとかあればなあ……」
そして常靖は目を閉じて、薄く笑った。
「異世界で冷やしシャンプー屋が大繁盛、ってなんだよ……」
我ながらシュールすぎるテーマだったろうか。
「ホットドッグ、お待たせいたしましたー」
カフェ店員の若い女子が、常靖のテーブルに料理を運んできた。
「はい、ありがとう」
常靖は左手薬指の指輪を光らせながら受け取る。
「今日もがんばってますネ!」
その半笑いに向かって、常靖は思いきり笑い返した。 〈了〉