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キリンのアトリエ  作者: 駄貫 千創
芙実花とキリン
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 本名不祥、あざなはキリン。

 彼女はやっぱり同じ学科の人だった。

 次の日は朝から必修科目ばかり続いて、しかも一番最後の5時限目まで講義が入っているという、学生目線だとうんざりなスケジュールである。 先生から見たって遅い時間の講義は面倒なんだろうけど、世の中はうまく回らないからこういうことが起きるんだと思って諦めることにした。諦めきれずにサボり、なんてする度胸はまだない。

 こんな日なのだから逆に、彼女の方が飽き飽きしちゃったりして、いなくなってくれないかななんて、自分にとっては都合のいい想像をしてはみたが、世の中はそういう風にも出来ていないようだ。

 逃げるつもりはないが、しかし逃げ場所はなく、私はキリンとやらの来訪をどんと構えて待つしかなかった。彼女が私の座席の近くに来るってだけだけどね。

 お昼休みも終わりかけ、次の講義の教科書とかを準備しているときに、自称キリンさんはやってきた。

 座る私の机の前に、まあ男らしく仁王立ち。


「おはよ、若生さん」

「おはようって時間じゃないけどおはようございます、キリンさん」

「それで、昨日の話なんだけど」

「いきなりそれですか。

 でも、もうすぐ授業始まるし、また今度ね」

「いやいや、まだ10分くらいはあるじゃない。

 話は出来る」


 さすがに同じ手には乗ってくれないようだ。

 強気そうに見える外見とは裏腹に、案外聞き分けのいい人みたいだから、もしかしたらまたこれが効くかと思ったんだけど。

 人は見かけに寄らずってことだねー。

 昨日は暗がりの中で1分少々話しただけだったので、目力と髪の毛がわりかし明るい色をしてるってことしか分からなかった。

 今、蛍光灯の下に立ち、浮かび上がるキリンさんの外見。

 大学生になったら、いやもしかしたら高校生だって、とにかく若い女の人が髪を染めるのは普通のことだけど、キリンさんはまあずいぶんと明るいキャラメル色のショートカットをしていた。

 アーモンドみたいな形をした目はやっぱり吊りがちだ。改めて見てみても、まつ毛は多くて長い。個人的には逆さまつ毛じゃないみたいなのがうらやましい限りだ。

 大きくて真んまるい瞳は、髪の毛のキャラメルを少しだけ煮詰めたような色をしていた。


(もしかして、地毛なのかな)


 高校の頃の先生が言ってたんだけど、髪の毛と目の色っているのは大体おんなじになるらしい。まあ、それだったらいかにも煌びやかな海外のスーパースターたちはどうなるのよ、って話だ。たぶん日本人や東洋人に限ったことなんだろう。

 それはすなわち、持って生まれた色素が薄いということである。

 事実、むき出しの肩やら腕やらは日光なんて知らないみたいに白かったし、そういえば細い眉毛も髪と全く同じ色。ふたつの眉の間には、うっすらとそばかすが散っている。

 膝上丈のショートパンツと、そこから伸びる太ももからのラインも眩しいくらいに白い。


「何さ、人のことをじろじろ見て」

「私のことをじろじろ見てたんでしょう、お互い様じゃないでしょうか」


 理由もなく人を見るのは失礼だともちろん分かってる。

 ただ、昨日のような話を振ってくる時点で、相手もどこからか私を見ていたってことは間違いない。おあいこだ。

 そのことを指摘すると、自称キリンさんは苦しげに呻いた。


「ま、ま、まあ、そうとも言うかな。

 でも、仕方ないじゃん、あたしが気に入ったんだもの。

 あなたこそ、あたしの世界にふさわしいってさ。

 ねえ、芙実花さん、モデルにならない?」

「……昨日から聞きたかったんですけれど、モデルって、何の?」

「そんなの決まってる、絵のモデルだよ。

 あたし、油絵描いてるの」


 入る大学を間違えてはいないだろうか。

 この大学は総合大学とかマンモス大学とか言われている。でも、美術関係の学部はない。

 

「……何で地域科学なんて選んだの?」


 私が入学したのは地域科学科といって、芸術なんかとは結構遠い位置にあると思う。

 言わずもがな、このキリンさんも同じ学科にいるわけだ。

 シャーペンの芯を補充しながら目線を上げると、キリンさんが眉間を寄せたのが見えたけど、まばたきをしたら消えていた。


「そりゃあ、あたしは天才だもの。

 ちょっと寄り道したって一番の高みに辿りつける。

 そうね、今は見聞を広めているってところ。色んなことをやるでしょ、この学科。そこがいい。

 絵ばっかり描いてる世間知らずって言われたくないし」


 そんなものなのだろうかねえ。

 私は絵を描かないし、才能とか異能とかそういうものは、多分何もない。

 少女小説の書き出しとかだと、『何の取り柄もない平凡な女の子』ってモノローグが流れるけど、そうは言ったって、主人公という生き物は何かしらの強みやオンリーワンって持ち物を持っているわけだ。

 真実の平々凡々、中庸に愛されてこれまで生きてきたのが私、若生芙実花という田舎育ちの女である。

 何がこの人の琴線に触れたのか、私にはさっぱり分からなかったのだった。

 

「あ、言い忘れてたけど、タダでやってなんて恥知らずなことはしないよ。

 それなりの報酬は準備してるから、そこは安心して」


 ――え、なに? ほうしゅう?

 報酬って言わなかった、この人。


「……報酬って」

「そそ、報酬。あたしが天才っつったって、今はまだ未熟者。

 だからあんまり大きなお金はお支払い出来ないけど……。

 1時間3000円くらいでどう?」


 さ、ささささささささんぜんえん? じきゅうさんぜんえん?!

 時給300円の間違いじゃなくって? ってそしたらいくら何でも労働基準法に違反するか。

 え、でも、3000円って、私のバイトの時給の3倍以上なんだけど。

 さすがにこれは空耳のような気がする。

 私がぽかんと口を開け放っていることに気づいてか気づかずか、彼女は話を続けた。


「それで1回あたり2時間はいてほしいところだけど、じっとしてるだけだと暇だろうし、肩も凝るだろうし。

 細かく休憩挟むし、あたしの手作りで悪いけどお菓子も準備してる。

 だからまずは一度、やってみない?」

「……え、えーと、少し考えさせてくれませんか」

「一回やってみてから考えてもいいんじゃない!」

「お、おかねのやり取りとか、いけないんじゃないかしら……?

 それに、何で私?」

 

 そう、それが昨日の過去から今日の現在に至るまで、この人に一番聞きたかったことである。

 昔の言葉で言えば十人並みな容姿の私に、何でモデルの依頼をするんだろう。

 同じ学科の人間って条件なら、ぴったりな人がいくらでもいるのに。

 なんだか違う世界のヒトだなあ、って思うくらい美人さんだっているのだ。


「――カンよ、あたしの、女のしての。

 その前に、一人の絵描きとしてのね!

 あなたの絵を描けば、私の道が開かれるって気が絶対する!」

「え、えええ、そんな適当な!」

「お願い

 あなたを見たときから、絶対モデルをお願いしようって決めてたの!」

「…………それじゃあ?

 試しに、一度だけなら、やってみようかな、なんて……」


 詐欺に遭う人の気分ってこんなものなのだろうか。

 カンに騙されるなんて、ひどく間抜けな被害者ではないか。

 それに、頼まれてのこととは言え、同級生から大金をもらってはいけない気がする。

 お金の出所がイケないところだったらどうしようとか、倫理とか良俗的なこととかも脳裏には過ぎったけれども、その裏でにわかに胸を沸き立たせる、おたんちんな被害者部分の私がいた。

 相手も女の子だから大丈夫だとは思うけど、素っ裸とか要求されませんように、と心密かに祈りながら、私は本名は未だ不明で自らをキリンと称する同級生の依頼を受けたのだった。


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