8.鬼の顔って
「ミコト、髪を短くすると前がよく見えますよ。その道具で前をよく見えるようにして貰って下さい」
混乱しているミコトに、ハデスが人の良いような微笑を浮かべる。
「前、見える?」
ミコトは、おずおずとバイスに向かって首を傾げる。
その様子はとても人を食べる鬼には見えない。
ましてや、さっきは自分をトラから守ってくれたのだ。バイスは、戸惑いで一杯になる。
ハデスは、ミコト様が鬼ではないような事を言っていた。バイスは、ハデスの言うとおりにすれば、何か分かるかも……と、思う。
「はい、大丈夫です。見えます」
バイスが顔だけにっこり笑ってそう言うと、ミコトは勢いよく頷いた。
「じゃ、切る」
ミコトは、ハデスが居る前にどっかりと座り込む。
「じゃ、切ります。あ、梳かしてから」
バイスは、ミコトの傍に屈みこんで、まずミコトのざんばらな髪をとかす事から始めた。母にやって貰っていた事を、見よう見まねで慎重に進める。
時折、ミコトの髪には小枝や葉っぱが絡まっていたが、意外とすんなりくしけずる事ができた。
「んー、それ良い。もっとする」
「良かった」
ミコトはバイスが髪をとかすのを気に入ったようだった。足を投げ出し、寛いだようにされるがままになっている。
「……ミコト様。さっき、助けてくれてありがとうでした。助かりました」
「んーん、バイス、私、助けた。私、バイス助けた。ありがとう無し」
「分かりました」
首を振るミコトに合わせて、白い髪がさらさらと揺れた。
木漏れ日に髪が反射してきらめく。髪がきらきらと光るのを見て、バイスは、なんだか髪を切るのがもったいない気がした。後ろ髪や横の髪は、地につかない程度に切りそろえるだけにする。
「えっと、ごめんなさい。前の髪、短く切ります」
「うん、切る」
ミコトの言葉に、バイスがおっかなびっくり前髪に鋏を入れる。自分の前髪がある辺りに、鋏を入れると、白いほっそりとした顎と頬が現れた。
「えっ……ええ?」
人を食べるための大きな口や顎は、どこなの?
バイスは、自分の想像していた顔と違って驚きの声を上げる。
「お、前見える!」
ミコトが歓声を上げた。
バイスが驚きながらも前髪に鋏を入れ終わると、上目遣いに自分を見る赤い目と目が合った。
赤い目が喜びに輝き、口は嬉しくて仕方ないというように笑みを浮かべている。
白い眉毛が弓を引いたように綺麗に通っている。
長い白い睫毛が、赤い宝石のような胡桃形の瞳を飾っていた。
バイスと同じ大きさの唇は、とても人を食べられるようではなかった。今は笑っている唇も目と同じで、下の血管をそっくり透かしたように赤かった。
「ミコト様、すごい綺麗……」
ミコトは、バイスが牢獄の隙間から見たどんな人よりも美しかった。世の中には、こんな美しい人もいるんだ、とバイスは感心する。
「え、私、すごい? ハデス、私、すごい?」
思わずバイスが漏らした賞賛の言葉が、ミコトには理解できなかったようだった。ハデスと自分を指し、首を傾げている。