6.大きい猫登場して退場
「ミコト。貴方以外の人が来たのを知って、ネコが来た」
ハデスの言葉に、「ミコト」と呼ばれた鬼が、俊敏な動作で立ち上がる。
石の傍らに置いてあった長い棒を手に握った。細くしっかりした棒は、先が荒削りされて尖っている。腰が抜けていたのが嘘のようだった。
「バイス、危ない。私、近く、居る」
長い白髪の下から細く華奢な手が伸び、バイスを引き寄せた。
「ミ、ミコト様。ネコなら危なくないんじゃ」
バイスは恐る恐る鬼の名前を呼ぶ。牢獄で心を慰めてくれた、小さく可愛い生き物が思い出される。
「ダメ、大きいネコ。大きい大きいネコ」
「大きいネコ?」
葉が擦れる音がして、バイスとミコトの向かいの木立の間に、大きなネコの顔が覗いた。
ネコはバイスとミコトを観察するように、こちらを静かに眺めている。四つん這いの動物なのに、高さがミコトと同じ位あった。
「ガゥゥ……ッ」
ミコトが棒を構えると、大きなネコは鋭い牙を見せて威嚇する。視線はバイスに定まっていた。
あれは、ネコ?
ピンと立った耳や、長い尻尾やふくふくとした毛皮はネコのようだった。
だが、大きさがバイスの記憶にあるものと違っている。鋭い牙とがっしりした顎で噛付かれたら、死んでしまうだろうという事は容易に想像できた。
「なに、あれ?」
バイスは、ミコトの傍にへなへなと座り込む。
ミコトはそんなバイスを庇うように、前に出てネコの視界に割り込む。
「私、言った。大きなネコ」
ネコとミコトがじりじりと睨み合う。
「ミコトがネコと認識しているので、ネコと言いましたが、あれはトラという生き物です。南の島に住むベンガルトラから派生した生物ですね。あの橙色に黒の縞が特徴です。体長は平均約二・八メートル、体重は約二百五十キロ。ネコ科の生物なので、大雑把に分ければネコと言えなくもないですがね。多分、ミコトはヤマネコ種と間違えているのでしょう」
石の中からハデスがすらすらと喋る。
バイスは呆然として、『トラ』という生き物とミコトが対峙している様を見守った。
鬼なら勝てるのかな。
「トラはクマや牛や馬も襲って食べる生き物です。それをミコトは、槍一本で倒しますから……。私が、風や霧で助けているおかげでもありますが。ミコトが次々に倒しているせいで、最近は襲ってこないのですが、バイス様のような人間が来ると、島の奥から出てきますね」
「ガァッー!」
トラが人の頭を飲み込んでしまうような口を開けた。そのまま、ミコトに飛び掛ろうとするが、巻き起こった風に弾かれて転がる。
トラは狙いを定めるように間合いをとる。トラの頭周りに靄のようなものがかかり始めた。
対して、ミコトは次こそというように、槍を前面に突き出して構えた。
「あっち行け。バイス、食べさせない」
「ガゥッ!」
トラが宙を飛んだ瞬間、トラの頭部を完全に霧が覆った。突然の事に驚いたのか、空中で姿勢を崩す。
「あっち行け」
ミコトは、相手の隙を見逃さず両手で力を込め、槍でトラの左足付け根辺りを突き刺した。
槍を引くと同時に、トラがまた転がる。すぐに起き上がったが、左足から血が流れていた。トラはしばらくこちらを見て唸っていたが、足を引きずりながら木立の奥に消えていった。