19.フルドライブモード
ハデスの話を二人が聞いてから、数日が経った。
最近、降り続いてた小雨は止んだが、雲が厚く立ち込めている。すぐにでも、また雨が降りそうだった。
先日のハデスの告白もあり、ハデスと二人の間に流れる空気はぎくしゃくとしていた。
だが、それでも二人は習慣のように朝の授業を受けていた。
ハデスの話によって、わだかまりはできたものの、三人の間にある絆はそれでは切れない程強いものだった。
ハデスは、表面上はいつもの毅然とした調子を崩さず、二人に入り組んだ文法を教えていた。
「……人がこの島に来ました」
唐突に、ハデスが授業を中断した。
ハデスが画面に映し出した文章を、バイスが朗読している時だった。
「え、何言って……?」
バイスは、とっさにハデスの言っている事が理解できず、隣のミコトに視線を送る。
「どういう事だ、ハデス」
ミコトがてっとりばやくハデスに聞き返す。
「いきなり馬鹿になったのですか、二人とも。言葉通りの意味です」
この島に人が来ることは、二年間の間一度も無かった。
バイスの居た島から供物が捧げられる時期も、周期が巡ってこない。人が来るのは、当分先の事になっているはずだった。
二人は、人の来訪という衝撃に目を見開く。
「二年前、バイスをこの島に連れてきた舟の漕ぎ手の一人が、この島に来ました。息を切らせて、緊迫した顔で辺りを見回しています。武器は石のナイフが一つ……。多分、誰かを探しているのではないでしょうか。浜辺にいますので、二人とも迎えに行ってあげてはどうですか」
二人の驚いた顔とは逆に、ハデスは表情の読めない落ち着き払った顔をしている。
「行くぞ」
まず、ハデスの言葉にミコトが反応して、浜辺に向かって走り出した。
ミコトの素早い動きに、バイスも走って後を追おうとすると、
「待ってください、バイス様!」
と、バイスだけ、ハデスに大きな声で呼び止められる。
ハデスは、バイスと長く暮らすようになってから、バイスの名前に尊称を付けなくなっていた。
バイスは、いつもとは違う雰囲気を感じる。
「先に行っているぞ。後から来い」
ミコトは、ハデスの声に立ち止まったが、一刻も早く島への来訪者に会いたいのだろう。それだけ言い置いて、木立を駆け抜けていった。
言葉を覚えたミコトなら、もう「鬼」という誤解は生まれないだろう。
バイスはそわそわしながらハデスに向き直る。
「なに? ハデス」
「お願いです。フルドライブモードを許可してください」
「フルドライブモードって?」
バイスは聞きなれない言葉に聞き返す。
「私の能力にかかっている制限を解除するだけです。二年間ぶりの人の来訪でしょう? 最大の能力で動けるようにしておきたいのです。バイスやミコトに何かあったら助けたいので」
ハデスが、真っ直ぐにバイスを見つめ、辛そうに顔を歪めた。
前に、コンピューターが神である事を告白してから、ハデスは心配ばかりしている。
「そっか、でも、大丈夫だよ。話し合えば分かるでしょ」
「念の為です!」
軽く受け流すバイスに、ハデスが食い下がる。
早くミコトを追いたいバイスは、ちらっと木立の方を見た。
「うん……。分かった。良いよ。許可する」
「フルドライブモードを許可して頂けるのですね」
「うん」
念を押すハデスに、バイスはせかせかと頷いた。
「ありがとうございます。引き止めてすみません」
ハデスが、満面の笑みを浮かべた。
「いや、ハデスが安心してくれるなら良かった。心配しないで、大丈夫だからね」
久しぶりにハデスが晴れ晴れとした顔をしたので、バイスも安心する。
ハデスに笑って手を振り、ミコトを追いかけた。