15.トラと戦闘
バイスとミコトが船を作り始め、幾週かが過ぎた日の事だった。
自由時間で、バイスはハデスに教わった文字の復習をしていた。
ミコトは、暑いので水浴びをしてくると言って、島の奥の泉に行っている。
ハデスが教える文字は、簡単なものから徐々に「漢字」という難しいものが混ざり始めていて、バイスの頭を悩ませていた。
「バイス、トラが来ました」
ハデスが、画面に映していた文字を消し、そう告げた。
バイスは、一瞬何を言われたのか、とっさには分からなかった。
だが、次の瞬間、手元に置いておいた鋭い石を縛り付けた棒を握った。
「トラは、ミコトのいない時を狙ってきたのでしょうね」
ハデスが、バイスにも分かりきった考察を述べる。
バイスもあれからミコトやハデスに体術を教わっていた。
「ガゥゥ……ッ」
出会った時と同じような唸り声を出し、木立の影からトラが姿を見せる。ネコが巨大化したような容姿は変わっていなかったが、橙色に黒地の縞模様が違う。また、あの時より幾らか大きかった。
ミコトが追い払ったトラとは違うトラだ、とバイスは思った。
武器を持っているのだし、十分太刀打ちできるとは考えていた。
でも、実際に巨大な生き物を目の前にすると、恐れで手に汗が滲むのが分かった。
「落ち着いて、私が防御をしますから、まずバイスは致命傷を受けません。ここで、狩らなければ、また襲ってくるでしょう。落ち着いて攻撃し、倒すことだけを考えてください」
じりじりとトラと対峙するバイスに、ハデスが穏やかに声をかける。
バイスは、獰猛な目をするトラから視線を外さないように睨みつける。
武器を構えると、トラは距離を測るように立ち止まって唸る。
ふと、跳躍して飛び掛ってくるのかと思いきや、近くの太い幹の木に飛び乗る。
木がみしり、と折れそうな音を立てた。
「ガァァッ!」
バイスの斜め上から、トラが大きな口を開けて飛び掛ってくる。
当然バイスが天候を操り瞬間的に風が吹き、トラが後方に弾かれる。
しかし、トラの重みで折れた木の枝がバイスに向かって落ちる。
「いたっ……」
太い枝がバイスの頭を直撃した。
バイスは頭を抱えてうずくまる。
「大丈夫ですか!」
ハデスにとって、偶然枝がバイスに当たることは予想外だったらしい。頭を抱えるバイスに慌てたように声をかける。
隙を与えず、トラが木を飛び移りながらバイスに飛び掛ってくる。
ハデスが、狂ったように飛び掛ってくるトラを風で防ぐが、ハデスは防御しかできない。
バイスもそれを分かっていて、ふらつく頭を抑えながら、のろのろと立ち上がる。
必死に目を凝らし、トラを見据える。
構えた武器に力を込めた。
「次は防御無くて良いよ」
「大丈夫ですか。勝てないなら、ミコトが帰ってくるまで防御し続けても……」
バイスの言葉に、ハデスは心配そうに聞き返す。
バイスは、ハデスの主人だ。
いつもは気のなさそうな振りをしていても、主人の存在を失ってはならないと思っているのだろう。いつも皮肉交じりのハデスに素直に答えてもらえるわけも無い。
バイスは、ハデスに直接聞いたことは無かったが、言葉とは裏腹の過保護な態度に、それを感じ取っていた。
「絶対狩ってみせるよ、ハデス」
はっきりとしたバイスの言葉に、ハデスは薄く笑った。
「分かりました。次は、正面です。武器をきちんと構えてくださいね」
トラが助走をつけて飛び掛ってくる。
バイスは真正面に石がついた棒を構えた。
「ガゥゥゥ……」
決着は、一瞬でついた。
長い尖った石が、トラの喉笛に突き刺さっている。トラは長い前足を伸ばしたが、バイスには届かなかった。
トラの見事な毛皮が、喉から流れ出した血で汚れていく。
トラは、再度低く唸った後、横倒しに倒れた。
しばらく、前足を動かして唸っていたが、やがて目を見開いたまま動かなくなった。