03.尻尾がくるん
役所から自宅への道をトボトボ歩く。沢山の人で賑わう大通りから南へ小道を入り、途中のパン屋へ立ち寄ってから二十分。着いたのは二階建てレンガ造りのアパート。国立学院の採用が決まった際に田舎から出てきて借りた物件で、実は同条件の他物件よりも家賃が安い。何故ながらここは獣人族用のアパートだから。
通常アパートのような集合住宅は人族専用と獣人族専用と別れている。熊族のように大きな体躯の種族には体に合わせた設備が必要だし、毛皮を持つ種族は抜け毛が多いので下水管などは詰まらないような工夫がされている。他にもそれぞれの種族による違いから匂いや騒音の問題などが出てくるので、どうしても住居は獣人専用のものを造り、人族とは区別しなければならないのだ。
では何故人族であるユンが獣人族用のアパートに住んでいるのか。それはまだ働いていなかったユンの持ち合わせでも借りられる低賃金の人族用アパートに空きが無かったから。散々王都の不動産屋を歩き回ったがどこも結果は同じ。それならばと、最後に行った不動産屋が紹介してくれたのがここだった。獣人族用のアパートだがオーナーは人族が入っても良いと言うし、住人を募集しても中々部屋の借り手がなかったらしく、相場よりも安い値段で借りることが出来た。獣人用とは言っても、耳や鼻の良い種族は集合住宅で住むのを嫌がる者が多いからだ。
ユンの部屋は二階の端。人族用のアパートよりも頑丈に作られた階段を上がる。大きめに作られたドアの鍵を開けていると、お隣のドアが開いた。
「あら、おかえりなさい。」
「こんにちは。お買い物ですか?」
「えぇ。夕飯の買い物に。思っていたよりも食材が残ってなくて・・」
「ふふっ。お子さん食べ盛りですもんね。」
顔を出したのは蜥蜴族の女性だ。明るいグリーンの肌に黒の格子模様、真ん丸い目がキョロキョロを動くのはいつ見ても可愛い。細身の体の後ろから伸びるのは細長い尻尾。人よりも長い指が器用に藤籠を持っていて、これから八百屋に出かける所らしい。
彼女は旦那さんと二人の息子さんと共に暮らしている主婦だ。長男は働きに出ていて滅多に帰ってこないらしいが、旦那さんとはたまに顔を合わせる。彼女とは違い真っ黒な肌をした大柄な蜥蜴族で、普段は大工仕事をしているそうだ。
「あっ、ユンだ!!あそぼー!!」
「エリくん!こんにちは。」
奥さんの足元からひょこっと出てきたかと思うと、小さな蜥蜴族の少年が飛びついてきた。奥さん似でグリーンの肌をした彼は次男のエリ。先月六歳になったばかりの人懐っこくて好奇心旺盛な少年だ。
「エリ!あなた母さんと一緒に買い物に行くってさっき言ってたでしょう。」
「やっぱりユンとあそぶ!」
「ふふっ。ならお母さんが帰ってくるまで私と一緒にお留守番してる?」
「うん!!」
嬉しそうにエリの目が輝く。彼はするするとユンの体を上り、いつの間にか腕に抱っこされる形に収まった。
「あら、いいんですか?」
「勿論。今日はこの後何も予定がないし。」
「そう言えば最近お帰りが早いわよねぇ。学院が休みに入ったから、仕事も早く終わるの?」
「あ・・いや・・、実は学院を辞める事になりまして・・」
「え!!あらそうなの?・・変な事聞いちゃってごめんなさいね。」
「いえ。気にしないでください。」
玄関前で奥さんを見送り、ユンは抱っこしたエリと共に自宅に入った。
今はすっかり仲良くなったお隣さんだけれど、引っ越してきたばかりの頃はそうではなかった。その容姿から蜥蜴族を敬遠する人族が少なからず居るからだ。引越し初日、挨拶をしにドアをノックすると応対に出てくれた奥さんの声は硬く、何故獣人族専用アパートに人族が?とその目が如実に語っていた。
ユンは地方の出身で、若者は大きな街に稼ぎに出てしまう為、子供やお年寄りばかりの小さな村で育った。そこでは身体能力に優れた獣人族は貴重な労働力として重宝されていて、差別するような風潮は一切なかった。むしろ獣人様大歓迎!だったのだ。そんな村で育ったからこそ、このアパートに住む事に戸惑いなど無かったのだけれど、逆にお隣さんから警戒されてしまい困ったものだ。どうすれば友好的だと分かってもらえるだろうかと悩んだ挙句、結局顔を合わせたときに笑顔で挨拶するぐらいしか打てる手はなかったのだけれど、それが功を奏したのか奥さんも段々と理解を示してくれた。
そうして奥さんと世間話が出来るようになった頃、やっとエリとも顔を合わせることが出来た。最初は幼い息子が傷つかないよう、ユンとは会わせないようにしていたらしい。そして、今ではこうして留守を任せてもらえるくらい仲良くなっている。
「エ~リ~くん!」
「わひゃっ!」
抱っこしていたエリのお腹をこちょこちょとくすぐる。すると細長い尻尾がくるんと丸まった。びっくりすると渦巻状になる尻尾が可愛くて、隙を見てはこうしてくすぐり攻撃を仕掛けるのがユンの趣味となっている。
「ユンのバカバカ!!」
「あははっ、ごめんごめん。エリ君お詫びにブドウがあるよ。食べる?」
「食べるー!!」
「夕飯前だからちょっとだけね。」
ソファの上に下してあげると、エリはぼよんぼよんとその上で飛び跳ねて遊び始める。ユンはキッチンに移動して、楽しそうなエリの声を聞きながら買ったばかりのブドウを洗った。
【補足】
エリ:ユンが住む獣人族専用アパートのお隣さん一家の次男。
緑色の鱗に細長い尻尾が特徴の男の子。