01.君には退職してもらう事になった
「せんせー。さよーならー。」
「はーい。さようなら。気をつけてね」
パタパタと足音をさせながら幼い生徒達が教室を出て行く。先生と呼ばれたのは人族の若くて小柄な女性。前に垂らした三つ編みの髪は小麦色。二重の瞳は大地のブラウン。平凡な容姿の担任ユンは彼らに手を振り、教卓の上を片付けた。
(あーっ、やっと一年終わったなぁ。)
すっかり空になった教室を眺める。ユンが初めて担任を持ったクラスとはこれでお別れ。今日は学年最後の登校日だった。明日からは夏休み。そして初秋になれば生徒達は上の学年に上がり、新学期が始まる。
ユンが昨年教員採用されたこの学院は国内で三本の指に入る大きな国立学校だ。初等部と高等部があり、生徒の殆どが貴族の子息。その中でユンが初担任を任されたのは初等部の一年六組だった。授業の進みに対して問題もあって色々悩んだ事もあるけれど、自分なりに精一杯対処できたと思う。
一年間の思い出が詰まった教室で一人、全力疾走した後のやりきった感動にしばし浸る。
(そろそろ戻らなきゃ・・)
戸締りをして最後にもう一度だけ教室を振り返り、ユンは職員室へと向かった。
大陸西の端にある大きくも小さくもない中立国エスタニア。それがユンの住む国の名前だ。なぜ中立国と呼ばれるのかと言えば、人間と獣人が等しく住まう国だからである。
この世界で『ヒト』と呼ばれる生き物はサル科から進化した人族と、他の獣から進化した獣人族の大きく二つに分類される。獣人に比べて人間は寿命も短いし、身体能力も劣るが知力に長けていて、繁殖力も強いのでこの世界の人口の三分の二を占めていると言われている。対して獣人族は種族の持つ特長によって様々な能力に優れているが、人間とは違い繁殖期が決まっているせいかこれまでの歴史の中で爆発的に人口が増える事はなかった。
かつて人間と獣人は地域によって交わることなく住み別けていた。けれど文明が進むにつれて獣人にも知識や文化を求める者が現れた。そうして人間と獣人との間に商益による交わりが出来き、やがてそれは国交となり、段々と人間と獣人の生活が近いものになっていった。そんな中、人間と獣人それぞれの移民によって造られたのがここエスタニアだ。古来より存在する大国は国交があっても未だに人族の国、獣人族の国とはっきり分かれているが、エスタニアは建国時から人族と獣人族の両方が暮らす珍しい国として発展した。
だが共に暮らすとあってもやはり種族ごとに得手不得手はあって、知力に優れた人族は政治の要、身体能力に優れた狼族や虎族など大型獣族は国を守護する兵力の要と、自然に役割が分かれていった。その為、エスタニアの王族は代々人族だ。
さて、そんな訳でエスタニアは何処に行っても人間と獣人の両方を見ることが出来る。レストランでも広場でも呉服屋でも、勿論ユンが働いている学院でも。教師陣は知力が優れた人族ばかりだけれど、生徒の割合は人族と獣人族が半々だ。
「ユン先生。」
「はい。」
職員室に入り、自分に席に荷物を置くと早々に名前を呼ばれた。その相手はユンの苦手な副学院長。何かとネチネチ文句をつけてくる意地の悪い小姑みたいな人だ。内心げっと呟くが、表には出さずにそちらへ向かう。すると副学院長はぞんざいに職員室の奥を指差した。
「学院長がお呼びだ。すぐに行きなさい。」
「・・分かりました。」
なんだろう。学院長直々に呼び出されるなんて初めてのことだ。副学院長に対しては暗黙の了解で聞き返す事は禁じられているので、疑問を挟まずそちらへ向かう。学院長室は職員室と壁一枚隔てた隣の部屋。ユンは職員室と直接繋がっている扉へ向かった。
「・・・。」
他の部屋よりも重厚な雰囲気の扉を前に、一度だけ深呼吸。他の教職員達の好奇の目線を感じつつ、扉をノックした。
「ユンです。」
「どうぞ。」
「失礼します。」
中に居たのは学院長一人だけだった。二十年もの間学院長を勤めてきた普段から厳格な人物だけれど、今日はよりいっそう厳しい表情をしている気がする。
閉まる扉の音がやけに重く耳に響いた。
「副学院長からお呼びだと伺いましたが・・」
「あぁ。実は来年度の事で話したいことがあってね。」
今学期が終わった早々に来年度の新担任の話だろうか。それにしてもユン一人だけが呼び出されるのはおかしい。それも学院長直々に、なんて。
「君には配属早々一年生の担任を頑張ってもらったね。お疲れ様でした。」
「はい。ありがとうございます。」
「それで・・これは理事会と話し合った結果なのだが・・」
「・・・・。」
「君には本日付けで退職してもらう事になった。」
「え・・・?」
新米女教師ユン。本日、学院の教職をクビになりました。
【補足】
中立国エスタニア:人族の国王が治める人間と獣人が共に暮らす国
ユン(19):教員になる為、田舎から王都に出てきた人族の娘。国立学院の新米教師・・だった。
学院長 :細かい事は副学院長に押し付けている国立学院の偉い人。
副学院長:カッパ型ハゲ。学院長に言えないストレスを平教員への嫌味で発散している。