みんなで食べよう
「よお、邪魔するぜ」
鮮やかに空の燃える夕刻、そんな大らかな挨拶でアキバの外れにある廃ビルを訪れたのは、いまやアキバでは知らぬ者のない〈円卓会議〉のメンバーにして〈海洋機構〉のギルドマスター、ミチタカだった。
季節は冬に差し掛かり、古木につらぬかれて隙間風の入る建物の中で、〈記録の地平線〉のメンバーは身を寄せ合うようにして、二階にあるダイニングエリアに集まっていた。
と言っても本当に寒ければ〈魔法〉を使うなり〈大工〉に依頼するなりいくらでも対処法はある。
だから彼らが何もないのにこうして集まっているのはなんとなく──つまり単純に仲がいいというだけの結果で、アットホームさでは他所に負けるはずがないなどと、口に出さないまでも全てのメンバーがこっそり思っていたりする表われなのだ。
それはさておき。
「いらっしゃい。めずらしいですね、ミチタカさんがわざわざこちらまで来るのは」
なにやら気難しげな顔で資料を捲っていたシロエが、笑顔になってミチタカを迎える。彼の後ろでいつの間にか音もなく控えて居るのは、長い黒髪の美少女剣士、アカツキだ。
「何か面倒な問題でも勃発ですかにゃ? つまり、ギルド会館では簡単に話せにゃいような」
すらりとした体つきの〈盗剣士〉にゃん太は、そんな不穏な言葉を明日の天気でも言い当てるようなのんびりした口調で話す。
年少組の双子はよく似た動作で立ち上がり「こんちは」「お久しぶりです」と明るい挨拶。二人ともシロエのお供でミチタカとは僅かながら面識があるのだ。一方ギルドメンバーになって日の浅い五十鈴とルディは、突然の大物の登場に気圧されたように、無言の会釈で様子を窺う。
その二人を宥めるように、背中を叩いたのは頼れる〈守護騎士〉直継である。
「揉めごとの相談なら俺にお任せ祭りっ! ただーし、頭をつかう話なら全面的にシロにお任せ祭りだぜ! で、ご隠居の冗談はともかく、一体今日はなんの用事なんだぜ?」
いきなり賑やかになる室内の様子に瞠目していたミチタカは、直継の促しで太い笑みを浮かべる。それはアキバ一のメンバー数を誇る大ギルドのトップと言うには少しばかり子供じみた、悪戯をたくらむやんちゃ坊主のような雰囲気を見せた。
「なんとまあ、仲良しギルドだなここは! なに、別に大した用じゃないんだが、よければ今夜、シロエ殿始め〈記録の地平線〉ご一行を夕食に招待したいと思ってな」
ピューと直継の陽気な口笛。
「うわっ、こわっ。シロ、これは用心してかからねーと、絶対何かたくらんでる祭りだぜ!」
おどけた合いの手に苦笑しながらシロエも返す。
「本当に、どういう風の吹き回しですか? 僕たちがミチタカさんに食事をごちそうになるような心当たりはないですよ。それとも、この招待はミチタカさん個人からじゃなくて〈海洋機構〉からいただいた話なのかな?」
ギルドの名前を出すと、それはどうかなとばかりミチタカが肩をすくめる。彼は小細工の類で人を陥れるタイプではないが、さて、とシロエも思考を開始する。
が、
「あ、あの、シロエさん! わたしもトウヤも、正式なお呼ばれに着ていくような服は持っていないですっ」
慌てたミノリが口を挟むと、五十鈴もそれに驚いたように続けた。
「えっ、そ、それはわたしとルディだって……あ、でももしかしてルディは持ってるのかな、正装」
優雅にソファに腰掛けていたルンデルハウスがきざな仕草で前髪を払う。
「ふふ、ミス・五十鈴そんなの当然じゃないか! 紳士たるもの特別な時の衣装のひとつやふたつ……」
「俺はあんま堅苦しい席なら、謹んでご辞退申し上げ祭りだぜ?」
「主君が行くと言うのなら、護衛としてわたしは当然ついて行くぞ」
「う~ん、そろそろ夕食の仕度に取り掛かるところだったんですがにゃぁ」
またぞろ騒がしくなった室内を見てミチタカが「おいおい」と慌てた声を出す。
「待てよ、そんないっぺんに喋らんでくれ。すまん、言い方が悪かったようだ。
いや実はな、今度〈海洋機構〉でアキバに新しい店を出すつもりなんだが、開店に先がけて少しばかり意見を訊きたいと思ってな」
彼の言葉を受けて特に年少組は肩の力が抜けたようだ。
「なあんだ。……でもすげえな、開店前の店に入るってなんか面白そう!」
「ふふん、アキバに現れた新しい美食にいち早く触れられるというのは、確かに興味深い」
「もう、トウヤったら、お店に迷惑かけたらダメなんだからね!」
「そうよミノリの言うとおり。ルディもなんでそんなにお腹が空くの? さっきも帰り道に明太子ホットサンド食べてたじゃない!」
「別に店で騒ぐなんて言ってねーじゃん」
「ミス・五十鈴っ、それではまるで僕がいつも買い食いばかりしているようじゃないか! フィールドに出た後の栄養補給は戦士として当然の行為であって……」
ぽふ、ぽふ、と四人の頭を順番にはたく手。
「はいはい、そこまでですにゃ。そんなんじゃお客人も困ってしまいますにゃー。で、どうしますシロエち。ここは皆、ギルマスの判断にしたがいますにゃ?」
メンバー全員の視線がシロエに集中する。そのまなざしの大半から明るい期待をシロエは感じた。
そういえば集まって食事をするのはいつもの事だが、全員で外食などしたことがない。どうやらいい機会を貰えたようだ、そう判断を下したシロエは──
「ではありがたくごちそうになりたいと思います」
頭を下げ、ミチタカの誘いに乗ることにしたのだった。
◇◇◇
「へい、らっしゃい!」
生産系ギルド街を奥へと進み、〈エルダー・テイル〉世界ではめずらしい横にスライドするドアを開けて暖簾をくぐると、中から威勢のいい声に出迎えられた。が、〈記録の地平線〉のメンバー一同が唖然としたのは声の大きさが原因ではない。
「え……うそ、これって……」
「知っているのかミス・五十鈴、なにやら僕には随分と奇妙なテーブルに見えるのだが」
「主君、これはまさか」
「シロエさん、これ、もしかしてご存知だったんですか?!」
「ま、待って待って、僕だってすごく驚いてるところだよ」
「シロはもっと顔に驚きを出すべきだと思う祭り。ってーか、俺もびっくり仰天祭りっ」
「これは……流石に予想外ですにゃあ」
皆それぞれに驚きを口に出す。そうして最も目を輝かせていたトウヤが大声で言う。
「うっわすっげー、嘘、これほんとに回転寿司?!」
「はっはあ、どうだ驚いただろう!」
にやにやと一行を見守っていたミチタカが、厚い胸板を反らして笑う。
「シロエ殿には一杯食わされてばかりだったからなあ、一度くらい驚かし返さないとこっちにだって面子ってものがある」
そう言って満足そうに顎を撫でる仕草に、シロエは素直に敗北を認める。
「いや、本当に驚きました。これ、動力はいったい何を……いやその前によくまあここまで再現しましたね、生姜に、箸箱、粉茶。板前さんまで揃ってる。ああお皿の種類も、なんだか凄く懐かしいな!」
「シロエ兄ぃ、俺、寿司大好き!」
「わたしも。トウヤとわたしと、家族でよく行きました、懐かしい」
「はい、座った座った! そこの二人、あ、そこにいるお嬢ちゃんも、回ってるのは全部さび入りだからな、抜いて欲しい時は遠慮なく言ってくれ!」
威勢のいい板前の言葉にアカツキがぷるぷると小さな肩を震わす。
「わさびくらい、食べれるっ! そんな、人を子供みたいに……っ」
「ま、まあまあアカツキ、とりあえず座ろうよ!」
シロエがとりなして背中を押すと、皆思い思いにカウンターに座る。
まさかこの〈アキバ〉の街で、回転寿司を食べることになろうとは予想だにしなかった一行である。
「すごいなあ、何から食べよう」
流れてくる皿を眺めながらシロエが言うと、
「わたしは、貝といくらが好きだ」
なぜか少し恥ずかしそうにアカツキが呟く。椅子のかなり前のほうに座っているのは、そうしないと皿の流れるレーンに手が届かないからのようだ。が、気付いても指摘しないのが武士の情けというもの。
「俺は中トロ大トロ大漁祭りだぜっ」
「お、直継っち飛ばしますにゃあ。……では我が輩、まずはコハダから頂くとしますかにゃ」
年長組がすでに臨戦態勢に入ると、年少組は、
「あ、ルディはわさび抜いたほうがいいと思うよ」
「何を言うんだミス・五十鈴。僕とて〈冒険者〉の端くれ、そのわさびとか言う食べ物くらい……いや、待ってくれ、これはまさか生の魚肉を使っているのか?」
「そうだぜルディ兄。あれ、もしかして〈大地人〉は生魚とか食ったりしねえの?」
「火を通さずに魚……もしかしてここにも〈冒険者〉の力の秘密が……?」
「そんなことはないと思います、けど、とっても美味しいんですよ!」
などと、なんとも罪がない。
和気藹々とした雰囲気を眼鏡の奥で眺めていたシロエは、感謝の気持ちで隣に座ったミチタカを見た。
「それにしても、屋台村のほうに店を出さなかったのはどうしてなんです?」
しかし面と向かって礼をいうのが照れくさくてそんな事を言う。実際、さほど飲食店の目立つエリアではないのだ。
「ん? まあ、受けるようなら二号店、三号店、とも思ってるんだがな。とりあえず忙しい職人がさっと寄ってさっと食える店が欲しいと思ってたんだよ。それになぁ……」
ミチタカの顔に浮かぶ、どこかいとおしむような大らかな笑み。この表情に惹かれて彼のギルドは、ああも大きく活気にあふれたグループになったのかもしれない。一緒に何か作り上げてみたい、そう思わせるだけの求心力が、この大柄な男にはあるのだ。
「よく見てくれよこの店。ちょっと思いつきで作り始めてみたものの、これがまあ大変だったんだ。まずは新鮮な魚を用意する〈漁師〉だろ、鮮度を保ったまま輸送する〈配達人〉。箸やカウンター、椅子なんかは〈木工職人〉の特注品だし、酢は〈醸造職人〉、米は〈大地人〉から。寿司の握れる〈料理人〉なんて、こっそり見つけられたのが奇跡みたいなもんだし、回転部分の動力機構は〈機工師〉と〈妖術師〉の執念の結果だ。俺だって、よく切れる包丁がなきゃ寿司なんて握れるもんかってごねやがるから、鍛冶場に篭ってまあ何本包丁作ったことか。たかが包丁に使った素材アイテム聞いたら、レベルによっちゃあ腰抜かすと思うぜ?」
「それはまた……」
確かに、流通ルートの整わない〈エルダー・テイル〉で店ひとつ作るというのはそういうことなのだろう。できる限り簡単に、と企画した〈軽食販売クレセントムーン〉でさえ、実現には本当に手間がかかった。
照れくさそうにミチタカが笑う。
「当然、〈海洋機構〉の面子だけじゃどうにもならなくて、色んなギルドの力を借りた。そうやって作ってみたらまずは何かこう、生産系で踏ん張ってるやつらと、力を合わせりゃ色々できるもんだよなって気持ちを共有したくなっちまってなぁ。いや、別に戦闘系に思うところがあるってんじゃないぞ? 俺らも色々やってやりたいなって言いたかったっていうか……」
こくり、とシロエは頷きを返す。
「〈生産職〉の皆さんが街を引っ張ってくれてるの、よくわかってますよ」
「っはは。ま、しばらくこの辺りで営業して、職人たちがどう生活してるのか見てもらえたらそれも面白いと思うしな。おお、そうだ、面白いといえばこれを試して欲しかったんだよ」
そう言ってミチタカが暖簾の奥の調理場に指示を出す。その時の表情に若干不安なものを感じたのは、シロエ特有の勘ばたらきというものだったろうか。
「うわっ」
「しゅ、主君これは……」
「げっ」
「お、おお~……」
「これはまたにゃんともいえない……」
シロエの前に置かれた寿司下駄に恐怖と好奇の視線が集まる。
並んだ左から、真っ青な、いくらに似た何かの卵の軍艦。虹色に輝く何かの切り身。どうやら活け作りらしい正体不明の貝に、深い紫色した蟹肉に似た剥き身。
「あの、ミチタカさん、これは……」
引き攣った顔をするシロエをにやにやと見るミチタカ。
「安心しろ、どれも食って害はないし旨いぞ! 何せうちの物好きが専属の〈施療神官〉連れて生食に耐えるかどうかじっくり精査した折り紙つきだからな! まあいわゆるチャレンジメニューというやつだ」
硬直する。まさか彼はこれを食べたと言っているのだろうか。
(更にこれ、まさか僕に食べろって言うんじゃ……)
助けを求めてシロエが横を向く。
「直継……」
「む、無理無理無理っ! 絶賛ごめんなさい祭りっ」
「アカツキ……」
「すまない主君っ、その、わたしはもうお腹がいっぱいで……」
「ご、ごめんなさい、シロエさん、わたしももう……」
「あっミノリずりぃ! シロエ兄、ギルド代表で頑張ってくれよ!」
「ミチタカ殿、よかったら今度その物好きという方にご紹介願いたいにゃ。新しい素材……料理帖に新しいメニューを増やせるチャンスかも知れないにゃあ」
「ね、ねえちょっとルディ大丈夫? だからわたしが待てって言ったのに……っ」
「がはっ、ごほっ。だ、大丈夫だミス・五十鈴……しかし、このわさびというのは一体……鼻に直接攻撃をしかける食べ物と言うのを、僕は初めて食べた気がするよ……」
「おいおいギルマス情けないぜえ? ここはえいやっと食べて男を上げとくべきだろう」
一切の助けを得られなかったシロエの背中を、ばんっ、と大きな手のひらが叩く。
視界には食用とは思いたくない色、形、動き、未知の食物。
(まさか、嵌められた……?!)
ふつふつと疑惑の湧くシロエを他所に、皆は懐かしい味を楽しむのだった。