第49話 大陸博打大会
『銅貨三枚亭』の経営も、すっかり軌道に乗り、街の顔とも言える存在になっていたある日、店に一通の豪華な招待状が届いた。
「なんだこりゃ。随分と、仰々しい封筒だな」
アキトが受け取ったその封筒には、金箔で縁取られた紋章が押されていた。手にしただけで、その重厚な質感が伝わってくる、明らかに只事ではない代物だった。中を開けると、達筆な文字で、こう記されていた。
『第百回・大陸博打大会 開催のお知らせ 貴殿の類稀なる博才を見込み、正式に出場をご招待申し上げます』
その荘厳な文面に、店内にいた常連客たちも、興味津々の様子で覗き込んできた。
「大陸博打大会、ですか」
リーゼロッテが興味深そうに、その招待状を覗き込んだ。
「聞いたことがあります。大陸中の名だたる博徒たちが集い、真の頂点を競う、権威ある大会だと。……数十年に一度しか開催されない、伝説的な催しのはずです。優勝者には、大陸中にその名が轟くだけでなく、莫大な賞金と、王家からの特別な栄誉が授けられるとも聞いています」
「数十年に一度、ねえ。随分と大層な話だな」
アキトは招待状を眺めながら、興味深そうに目を細めた。長年数々の勝負を渡り歩いてきた彼にとって、こうした大規模な催しの噂は、決して初耳ではなかった。だが、実際に自分がその招待を受ける立場になるとは、正直、予想もしていなかった。
「開催地は、大陸中央にある王都、カルディナだそうです。……随分と遠いですね」
「遠いって、どれくらいだ?」
「馬車で、片道ひと月はかかるでしょう」
その距離感に、ミミが目を丸くした。
「ひと月なのですか! そんなに遠くまで行くのです?」
「まあ、行くかどうかは、これから考えるとしてもよ」
アキトは招待状を懐にしまいながら、静かに思案を巡らせていた。窓の外に広がる、見慣れた街の風景を眺めながら、彼の脳裏には、まだ見ぬ大陸中央の景色が、静かに思い描かれていた。
「片道ひと月、往復で二ヶ月か。……店を長期間空けることになるな」
「はい。それが、一番の懸念事項です」
リーゼロッテもまた、腕を組みながら、真剣な表情でそう呟いた。
「なあ、リーゼ。お前はどう思う」
「正直、心が揺れています。この大会に出場すれば、あなたの名は、大陸中に知れ渡ることになるでしょう。……ですが、店を長期間空けることになりますし、道中の危険も無視できません」
その懸念は、もっともなものだった。アキトはしばし考え込んだ後、静かに口を開いた。
「確かに、リスクはある。だが、こういう大舞台に挑戦できる機会なんて、そう何度もあるもんじゃねえ。俺の博徒としての性分が、どうしても、この誘いを見過ごせねえんだよ」
「その気持ちは、よく分かります。……あなたという人は、こういう挑戦の匂いには、決して逆らえない性分ですから」
リーゼロッテは苦笑しながら、そう呟いた。
「よし、皆で話し合おう。今夜、みんなで意見を出し合ってから決める」
その夜、四人は改めて食卓を囲みながら、この件について話し合った。テーブルの上には、あの招待状が、静かに置かれている。
「シルヴィアはどう思う?」
「正直に申しますと、賛成です。あなたの実力を、より大きな舞台で証明する機会は、そう多くはありません。それに、道中の護衛は、私に任せていただければ、問題ないかと」
シルヴィアの力強い言葉に、アキトは頼もしげに頷いた。
「頼りにしてるぜ」
「ミミは?」
「ミミは、ご主人様が行きたいなら、どこへでもついていくのです! それに、遠くの街を見てみたいのです!」
その無邪気な返事に、アキトは思わず笑った。
「はは、そうか。……お前がそう言ってくれるなら、心強いな」
「リーゼ、お前はどうだ」
最後に問われたリーゼロッテは、しばし考え込んだ後、静かに頷いた。
「……分かりました。店のことは、留守を任せられる信頼できる人材を、探しておきます。バロウさんの妹さんなら、以前少し手伝ってもらった経験もありますし、適任かもしれません」
「そいつは名案だな」
アキトは満足げに頷いた。以前、女性の窮地を救った縁から、バロウの妹とは、既にそれなりの信頼関係が築かれていた。
「では、明日にでも、彼女に相談してみます。それと、道中の物資や旅程についても、しっかりと計画を立てておく必要がありますね」
リーゼロッテはそう言いながら、既に頭の中で、様々な準備段階を組み立て始めている様子だった。彼女の几帳面さは、こうした大掛かりな計画においても、いかんなく発揮されようとしていた。
こうして、四人は大陸博打大会への出場を、正式に決意することとなった。
「よし、それじゃあ、出発の準備を進めるぞ。……にしても、大陸中の博徒が集まる大会か。腕の鳴る話だな」
アキトの瞳には、これまでにない種類の、獰猛な期待の光が宿っていた。ガレオンとの死闘、ゴードンとの因縁、そして数々の勝負を乗り越えてきた彼にとって、この新たな挑戦は、まさに望むところだった。
「アキト、油断は禁物ですよ。大陸中から集まる猛者たちです。これまでの相手とは、桁違いの強敵ばかりでしょう」
「分かってるって。だからこそ、燃えるんじゃねえか」
その不敵な笑みに、リーゼロッテは呆れたように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「本当に、あなたという人は、危険な香りに目がないのですね」
「それが博徒ってもんだろ」
二人のやり取りに、シルヴィアとミミも、それぞれ笑みを浮かべながら耳を傾けていた。
準備は、瞬く間に整えられていった。バロウの妹が、店の一時的な運営を快く引き受けてくれることになり、旅の道中に必要な物資も、着々と揃えられていく。旅装束、保存食、そして万が一に備えた薬草類――リーゼロッテの綿密な計画のもと、必要な品々が、一つ一つ丁寧に準備されていった。
「アキトさん、リーゼロッテさん、皆さん。留守は、しっかり任せてください」
バロウの妹の頼もしい言葉に、アキトは満足げに頷いた。以前、命の危機から救ってやった縁もあり、彼女の献身的な態度には、確かな信頼が感じられた。
「頼んだぜ。……何かあったら、すぐに連絡してくれよな」
「はい、承知しました」
街の人々も、この大陸博打大会への出場を、我が事のように喜んでいた。
「アキトさんが、大陸規模の大会に出るなんてねえ。この街の誇りだよ」
「頑張ってくださいね! 応援してます!」
そんな声援の数々に、アキトは照れくさそうに頭を掻きながらも、確かな誇らしさを感じていた。
出発の日が、刻一刻と近づいていた。
出発前夜、アキトは一人、店の裏庭で夜空を見上げていた。懐の銅貨三枚を、指先で確かめるように弄びながら。
「大陸博打大会、か。……どんな連中が待ち構えてるのか、正直、楽しみで仕方ねえな」
背後から、静かな足音が近づいてくる。振り返ると、リーゼロッテが小さなランプを片手に立っていた。
「まだ起きていたのですか」
「ああ、ちょっとな。……なあ、リーゼ。俺たち、随分と遠くまで来たもんだよな」
「ええ、本当に。銅貨三枚から始まった旅が、まさか大陸規模の大会にまで繋がるとは、想像もしていませんでした」
二人はしばし、言葉を交わすことなく、夜空を見上げ続けていた。新たな挑戦への期待と緊張が、静かに、しかし確かに、二人の胸に満ちていくのだった。
二人はしばし、言葉を交わすことなく、夜空を見上げ続けていた。新たな挑戦への期待と緊張が、静かに、しかし確かに、二人の胸に満ちていくのだった。
「なあ、リーゼ。正直に言うと、少し怖くもあるんだよ」
その意外な告白に、リーゼロッテは驚いたように顔を上げた。
「あなたが、怖い、ですか」
「ああ。大陸中の猛者どもが集まる場所だ。……俺なんかが、果たしてどこまで通用するのか、正直、読めねえところもある」
その珍しく弱気な言葉に、リーゼロッテは静かに微笑んだ。
「あなたらしくありませんね。ですが、そういう弱さを見せてくれるのも、悪くないと思います」
「おいおい、慰められてどうすんだよ」
「慰めているのではありません。……ただ、あなたがどんな結果を迎えようとも、私たちは、ずっとあなたの隣にいます。それだけは、忘れないでください」
その力強い言葉に、アキトはしばし黙り込んだ後、静かに笑った。
「……そうだったな。一人じゃねえんだった」
その時、店の裏口から、シルヴィアとミミも姿を現した。
「アキト殿、リーゼロッテ殿。こんな時間まで、何を話されていたのですか」
「なに、ちょっとした弱音を吐いてただけだ」
アキトの正直な返答に、ミミが驚いたように駆け寄ってきた。
「ご主人様、弱気になってるのです? 珍しいのです!」
「まあ、たまにはな」
アキトは苦笑しながら、そう答えた。だが、その表情には、これまでにない種類の、素直な人間味が滲んでいた。
「大丈夫です、アキト殿。私たち四人が力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられます。これまでも、そうしてきたではありませんか」
シルヴィアの力強い励ましに、アキトは静かに頷いた。
「そうだな。……ありがとよ、みんな」
四人はしばし、夜空の下で肩を並べながら、この特別な夜の時間を、静かに分かち合っていた。
翌朝、四人は旅装束に身を包み、店の前に集まった。見送りに来た街の人々が、口々に激励の言葉をかけてくれる。
「頑張ってこいよ、アキト!」
「必ず、勝って帰ってきてくださいね!」
その温かい声援に、アキトは力強く拳を突き上げた。
「おう、任せておけ! 大陸中に、俺たちの名を轟かせてやるぜ!」
その不敵な宣言に、集まった人々から、大きな歓声が沸き起こった。
バロウとその妹も、見送りに駆けつけていた。
「アキトさん、どうかご無事で。店のことは、しっかり守っておきますので」
「ああ、頼んだぜ」
固い握手を交わした後、四人はいよいよ、大陸中央へと向かう馬車へと乗り込んだ。
馬車が動き出すと、街の人々は、いつまでもその後ろ姿を見送ってくれていた。窓の外に流れゆく、見慣れた街並みを眺めながら、アキトは静かに感慨に耽っていた。
(この街に流れ着いた時は、まさかこんな大舞台に挑戦することになるとは、思ってもみなかったな)
全てを失い、一文無しでこの街に辿り着いたあの日から、既に一年近くの月日が流れていた。その間に積み重ねてきた数々の出会いと絆が、今この瞬間、確かな力となって、彼を支えていた。
「さて、長い旅の始まりだな」
アキトの言葉に、三人はそれぞれ頷いた。馬車は、大陸中央へと続く街道を、ゆっくりと進み始めていった。
馬車の中、ミミは窓に張り付くようにして、流れゆく景色を眺めていた。
「わあ、初めて見る景色がいっぱいなのです! ミミ、ワクワクが止まらないのです!」
その無邪気な興奮ぶりに、アキトは思わず頬を緩めた。
「そんなにはしゃいでたら、ひと月の旅も、あっという間に感じるかもな」
「本当なのですか! 楽しみなのです!」
シルヴィアもまた、窓の外を眺めながら、静かに呟いた。
「大陸中央への旅、か。私も、これほど遠くまで足を運ぶのは、初めてのことです」
「俺もだよ。前世じゃ、こんな遠出、想像もしなかったからな」
アキトの言葉に、リーゼロッテが小さく笑った。
「未知の世界への旅、なかなか悪くない響きですね」
「だろ? だからこそ、燃えるんだよ」
馬車の車輪が、規則正しい音を立てながら、街道を進んでいく。窓の外に広がる景色は、次第に見慣れた街の風景から、緑豊かな田園地帯へと移り変わっていった。
長い旅路の始まりに、四人それぞれの胸には、期待と緊張、そして確かな絆が、静かに、しかし力強く息づいていた。銅貨三枚から始まったこの物語は、こうして、大陸規模の新たな舞台へと、その歩みを進めていくのだった。
街道の途中、道端に咲く花々や、遠くに見える山々の稜線が、旅情をさらに掻き立てていた。ミミは飽きることなく、窓の外の景色を眺め続け、時折見つける珍しい動物や植物に、目を輝かせていた。
「あ、見てください! 変な形の木があるのです!」
「本当だな。この辺りは、うちの街とは、随分と違う自然が広がってるみたいだ」
アキトもまた、興味深そうに窓の外へと視線を向けた。長い旅路は、決して楽なものではないだろうが、こうした新鮮な発見の数々が、その道のりを、より豊かなものにしてくれていた。
リーゼロッテは、旅の道中も、着々と情報収集を進めていた。
「大陸博打大会について、いくつか事前情報を集めておきました。過去の優勝者たちの戦績や、今回参加が予想される主要な博徒たちのリストです」
「さすがだな、抜かりねえ」
「準備は、勝利への第一歩ですから」
リーゼロッテはそう言いながら、手元の資料に、丁寧に目を通していった。彼女の几帳面さと周到さが、これから始まる大陸規模の戦いにおいても、確かな武器となることだろう。
シルヴィアもまた、道中の安全確保のため、周囲の警戒を怠らなかった。剣の柄に軽く手を添えながら、街道を行き交う人々や、周囲の地形を、注意深く観察している。
「この先、山道が続くようです。盗賊などが出没する可能性もありますので、油断は禁物です」
「頼りにしてるぜ、シルヴィア」
「お任せください」
シルヴィアの頼もしい返事に、アキトは安堵の笑みを浮かべた。彼女の剣の腕があれば、道中のどんな危険にも、しっかりと対処できるはずだった。
日が傾き始める頃、四人を乗せた馬車は、最初の宿場町へと到着した。長い一日目の旅を終え、それぞれが、確かな疲労と、それを上回る高揚感を胸に抱いていた。
「今日は、ここで休むとするか」
アキトの言葉に、三人はそれぞれ頷いた。宿の窓から見える、見知らぬ土地の夕暮れの景色を眺めながら、四人は、これから始まる長い旅路への、確かな期待を、静かに胸に刻んでいた。
大陸博打大会という、未知の大舞台へ向けた、長い旅の第一日が、こうして静かに幕を閉じた。
明日もまた、新たな景色との出会いが待っている。四人の旅は、まだ始まったばかりだった。
夜空には、旅先ならではの、見慣れぬ星々が瞬いていた。
大陸中央、王都カルディナまでの道のりは、まだ長い。
だが、四人の心は、これまでにないほど、力強く前を向いていた。
宿の窓辺で、静かに夜が更けていった。




