第43話 収穫祭とセクハラ因果律
「――というわけで、明日からこの街で、年に一度の収穫祭が開かれるんだとさ」
女将から聞いた話を、アキトは店の朝礼で仲間たちに伝えた。開店前の静かな店内、四人はカウンターを囲んで顔を突き合わせている。
「収穫祭、ですか」
「ああ。街中が屋台やら催し物やらで賑わうらしい。うちの店も、この機会に何か企画してみるのはどうかと思ってな」
リーゼロッテは早速、帳面を取り出して考え込んだ。
「祭りの間は、普段以上に人出が見込めます。特別な催しを用意すれば、集客にも繋がるでしょう」
「そう来なくっちゃな」
アキトはニヤリと笑うと、懐から一枚の紙を取り出した。既にいくつかの企画案を、こっそりと書き溜めていたらしい。
「案その一、『的当てチップゲーム』。案その二、『早撃ちダイス対決』。案その三――」
「――待ってください。その三番目、何やら怪しい文言が交ざっていましたが」
リーゼロッテが鋭く突っ込む。アキトの手にした紙には、確かに『美女ディーラーとの一日デート権』という文字が、しれっと書き込まれていた。
「いやいや、これは景品としちゃ悪くねえと――」
「私を景品扱いするとは、いい度胸ですね」
リーゼロッテの声が、一段と低くなる。その笑顔の圧力に、アキトは思わずたじろいだ。
「わ、悪かったって。冗談だ、冗談」
「冗談で済むと思っているのですか」
二人のやり取りを見ていたミミが、くすくすと笑い声を漏らす。
「ご主人様とリーゼお姉ちゃん、いつも仲良しなのです」
「仲良しって……。これは説教されてるんだよ、ミミ」
「そう見えないのです。楽しそうなのです」
その無邪気な指摘に、アキトとリーゼロッテは思わず顔を見合わせ、揃って苦笑した。
そんなやり取りを繰り広げる二人を横目に、シルヴィアは静かに、しかし興味深そうに祭りの話に耳を傾けていた。
「収穫祭、ですか。……故郷にいた頃も、似たような催しがありました。懐かしいですね」
「シルヴィア殿の故郷でも、祭りがあったのですか」
「ええ。もっとも、私は騎士団の警備任務でほとんど参加できませんでしたが」
その懐かしそうな、しかしどこか寂しげな声音に、アキトは思わず彼女の顔を覗き込んだ。
「毎年、任務だったのか?」
「ええ。祭りの日は特に、羽目を外す者が増えますから。治安維持のため、団員総出で警備に当たるのが習わしでした。……子供の頃、屋台を眺めながら、いつか自分も自由に祭りを楽しんでみたいと、密かに夢見ていたものです」
その言葉に、アキトが割り込んだ。
「じゃあ今年は、ちゃんと楽しめよ。警備は俺たちで何とかするからよ」
「……よろしいのですか」
「当たり前だろ。祭りってのは、楽しむためにあるもんだ。……それに、ずっと我慢してきた分、今年くらいは目一杯楽しんだっていいだろ」
その気遣いに、シルヴィアは僅かに頬を緩めた。かつての堅物な聖騎士団長からは想像もつかないほど、その表情は柔らかいものになっていた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
ミミもまた、興奮気味に目を輝かせていた。
「収穫祭、ミミ、初めてなのです! どんな屋台があるのか、楽しみなのです!」
「お前は毎日食い物のことばっかりだな」
「だって、お祭りって、美味しいものがいっぱいあるって聞いたことがあるのです!」
ミミの無邪気な期待に、アキトは思わず苦笑した。
「よし、それじゃあ、明日は俺たちも交代で祭りを楽しむとするか。店は最低限の人数で回して、残りは自由行動だ」
その提案に、四人はそれぞれ賛同の意を示した。
翌日、収穫祭の会場となった街の広場は、朝から既に多くの人々で賑わっていた。色とりどりの旗が掲げられ、あちこちから食欲をそそる香りが漂ってくる。焼きたてのパンや串焼き肉、蜜をかけた果物など、様々な屋台が軒を連ね、街全体が祝祭の熱気に包まれていた。
「うわあ、すごい人なのです!」
ミミが目を輝かせながら、屋台の間を駆け回る。アキトはその後ろを、苦笑しながらついていった。
「ミミ、はしゃぎすぎて迷子になるなよ」
「大丈夫なのです! ミミ、鼻がいいから、ちゃんとご主人様の匂い、追いかけられるのです!」
その頼もしい返事に、アキトは思わず笑った。
「よし、それじゃあ、まずは何を食うか決めるか」
「あれ、あれが食べたいのです!」
ミミが指差した先には、蜂蜜をたっぷりとかけた串焼きの屋台があった。香ばしい匂いに誘われるように、二人はその屋台へと向かう。
「おっちゃん、これ二本くれ」
「あいよ、まいどあり!」
屋台の店主は、アキトの顔を見るなり、にっと笑った。
「おお、銅貨三枚亭の兄さんじゃないか。あの伝説の博徒を打ち負かしたって聞いたぜ。すごいもんだな」
「もう街中に知れ渡ってるのか、その話」
「そりゃそうだ、この街じゃちょっとした有名人だからな、あんたは」
その言葉に、アキトは苦笑しながら串焼きを受け取った。ミミは既に、頬張りながら満面の笑みを浮かべている。
「美味しいのです、ご主人様!」
「そりゃよかったな」
一方、シルヴィアは私服姿で祭りを歩いていた。普段の鎧姿とは違う、動きやすい軽装の彼女の姿は、街の人々の間でもちょっとした話題になっていた。女将が見繕ってくれたという、涼しげな色合いのワンピースが、彼女の凛とした美しさを、また違った形で引き立てていた。
「あら、あの方、確か銅貨三枚亭の……」
「へえ、私服だと随分と印象が違うのね」
「綺麗な人ねえ。まさか、あの噂の元聖騎士団長だなんて」
周囲の視線に気づいたシルヴィアは、僅かに落ち着かない様子を見せた。
「な、なぜ皆、こちらを見ているのでしょうか」
屋台を見て回りながらも、その視線の集中に、彼女は落ち着かない様子で歩みを進めていた。剣を握っている時とはまた違う種類の緊張感が、その頬をほんのりと赤く染めている。
その時、強い風が吹き抜け、シルヴィアの服の裾が大きく翻った。
「――っ! な、なぜ急に強風が……!」
偶然にしては出来過ぎたタイミングに、シルヴィアは慌てて裾を押さえながら、鋭い視線を辺りに巡らせた。周囲の視線が一斉に集まる中、彼女の顔は羞恥で真っ赤に染まっていた。
「まさか、アキト殿……!」
「いやいや、俺は今、リーゼと一緒にいたぜ。証人もいる」
少し離れた場所から、アキトが両手を上げながら弁明する。実際、その言葉に嘘はなく、リーゼロッテも呆れたように頷いていた。
「本当に、あなたじゃなかったんですか」
「濡れ衣もいいとこだぜ。まあ、こういう偶然もあるってことだろ」
アキトはそう言いながらも、内心では少しばかり残念そうな表情を浮かべていた。その様子に、リーゼロッテが半眼で睨みをきかせる。
「今、残念そうな顔をしましたね」
「気のせいだろ」
「絶対に気のせいではありません」
リーゼロッテの冷ややかな視線に、アキトは慌てて視線を逸らした。
その後も、四人はそれぞれ思い思いに祭りを満喫していった。ミミは輪投げや射的といった屋台の催しに夢中になり、景品の飴玉をいくつも獲得しては、誇らしげに掲げて見せた。
「ご主人様、見てください! ミミ、五個も当てたのです!」
「すげえな、才能あるんじゃねえか」
「えへへ、もっと頑張るのです!」
その無邪気な姿に、周囲の屋台の店主たちも、微笑ましそうに目を細めていた。
リーゼロッテもまた、久しぶりの祭りの空気を楽しんでいるようだった。占いの屋台で恋愛運を占ってもらい、結果に一喜一憂する様子は、普段の冷静な彼女からは想像もつかないほど、年相応の乙女らしさを見せていた。
「な、なんと書いてあったんだ?」
「な、内緒です!」
アキトの問いに、珍しく頬を赤らめながら、リーゼロッテは占いの紙を懐にしまい込んでしまった。その反応に、アキトは余計に気になったが、それ以上追及することはしなかった。
夕暮れ時、祭りのクライマックスとして、広場の中央で盛大な花火が打ち上げられることになっていた。四人は特等席とも言える丘の上に集まり、夜空を見上げていた。この丘は、街の子供たちの間でも、花火を見る穴場として知られている場所だった。
「綺麗なのです……!」
ミミが感嘆の声を上げる。色とりどりの光が夜空を彩る様子に、四人はしばし言葉を忘れて見入っていた。大輪の花のように咲き誇る光の粒が、次々と夜空に打ち上げられ、その度に、広場からは大きな歓声が沸き起こっている。
「この世界に来て、これほど穏やかな時間を過ごせるとは、思ってもいませんでした」
リーゼロッテがぽつりと呟く。その言葉に、アキトも静かに頷いた。
「ああ、本当にな」
異世界に転生してから今日まで、数え切れないほどの波乱と困難を乗り越えてきた。だが、こうして仲間たちと肩を並べ、夜空を彩る花火をただ静かに眺める時間もまた、彼にとってはかけがえのないものだった。
「これからも、こういう時間が、たくさん増えるといいですね」
シルヴィアの言葉に、四人は互いに顔を見合わせ、それぞれ穏やかな笑みを浮かべた。
「ミミも、ずっとみんなと一緒に、お祭り見たいのです!」
「そうだな。来年も、再来年も、みんなで見に来ような」
アキトの言葉に、ミミは満面の笑みで頷いた。
夜空に輝く花火の光を浴びながら、銅貨三枚から始まったこの旅は、また一つ、かけがえのない思い出を積み重ねていくのだった。
花火の余韻がまだ夜空に燻る中、アキトはふと、隣に座るリーゼロッテの横顔を見つめた。花火の光に照らされたその横顔は、いつもの凛とした表情とは違う、どこか穏やかで柔らかな色を湛えていた。
「どうかしましたか?」
視線に気づいたリーゼロッテが、小さく首を傾げる。
「いや、別に。……ただ、綺麗だなと思ってな」
「……花火が、ですか」
「まあ、それも含めてな」
その曖昧な返答に、リーゼロッテは一瞬きょとんとした後、みるみるうちに頬を赤らめた。
「な、何を言っているのですか、こんな時に……!」
「本当のことを言っただけだろ」
アキトはどこか照れくさそうに、しかし飄々とした態度で笑った。その様子に、シルヴィアとミミも、微笑ましそうに顔を見合わせている。
ミミもまた、花火を見上げながら、幸せそうに呟いた。
「今日は本当に、楽しい一日だったのです。ミミ、ずっとこの日のこと、忘れないと思うのです」
「ああ、俺もだ」
アキトはそう答えながら、改めて仲間たちの顔を見回した。全財産を失い、追われる身となったあの夜逃げの日から、随分と遠くまで来たものだと、彼は静かに実感していた。だが、その道のりの全てが、今この瞬間の幸せに繋がっているのだと思うと、後悔などどこにもなかった。
シルヴィアも、静かに夜空を見上げながら、これまでの日々を振り返っていた。
「思えば、聖騎士団にいた頃は、こんな風に空を見上げる余裕すらありませんでした。任務のことばかり考えて、日々に追われるような生活を送っていましたから」
「今は違うのか」
「ええ。……不思議なものです。全てを失って、当てもなく旅をしていたはずなのに、今の方がずっと、心が満たされている気がします」
その言葉に、アキトは静かに頷いた。
「贅沢とか地位とか、そういうもんより、大事なもんがあるってことなんだろうな」
「ええ、きっとそうなのでしょう」
花火が全て打ち上がり、広場からは名残惜しそうな歓声と拍手が響いていた。祭りの終わりを告げる鐘の音が、遠くから静かに聞こえてくる。
「そろそろ、店に戻るか」
「ええ。明日からも、また通常営業ですからね」
リーゼロッテがそう言いながら立ち上がると、スカートの裾についた草を軽く払った。四人は丘を下りながら、名残惜しそうに、何度も夜空を振り返った。
店に戻る道すがら、ミミが大きな欠伸をしながら、アキトの袖にもたれかかった。
「ご主人様……。ミミ、今日は目一杯遊んだから、眠いのです……」
「はは、そうだろうな。今日はゆっくり休め」
アキトはミミを軽々と背負うと、そのまま歩みを進めた。すやすやと寝息を立て始めたミミの様子に、リーゼロッテとシルヴィアも、思わず微笑ましそうな視線を向けていた。
「本当に、あなたは面倒見が良いですね」
「そうか? ただ、放っておけねえだけだ」
夜道を歩きながら、四人はそれぞれの想いを胸に、穏やかな時間を噛み締めていた。
『銅貨三枚亭』へと戻る道のりは、祭りの余韻を残す提灯の明かりに照らされ、どこか幻想的な雰囲気を纏っていた。街の人々もまた、それぞれの家路につきながら、この一日の楽しかった思い出を、口々に語り合っている様子だった。
「今年の収穫祭、本当に楽しかったのです」
眠りかけていたはずのミミが、寝ぼけ眼のままそう呟いた。その声には、確かな満足感が滲んでいた。
「来年もまた、みんなで来ような」
アキトの言葉に、ミミは小さく頷くと、再び穏やかな寝息を立て始めた。
リーゼロッテは懐にしまい込んだ占いの紙を、そっと指先で確かめていた。そこに書かれていた言葉を、彼女はまだ、誰にも明かすつもりはなかった。だが、その口元に浮かぶ小さな笑みが、その内容を雄弁に物語っているようだった。
「リーゼ、さっきから何をにやにやしてるんだ」
「な、にやにやなどしていません!」
慌てたように否定するリーゼロッテの反応に、アキトは思わず噴き出した。
シルヴィアもまた、この一日を通して、これまで知らなかった穏やかな幸福を、確かに噛み締めていた。剣を握ることでしか自分の価値を証明できないと思い込んでいたかつての自分からは、想像もできないほどの心の変化だった。
「アキト殿、今日は本当に、ありがとうございました」
「礼を言うようなことじゃねえよ。お前が楽しめたなら、それで十分だ」
シルヴィアは静かに微笑むと、夜空に向かって、もう一度視線を向けた。花火の余韻はすでに消え去っていたが、その光景は、確かに彼女の心に、深く刻み込まれていた。
こうして、収穫祭という一日を通じて、四人はまた一つ、かけがえのない絆と思い出を積み重ねていった。銅貨三枚から始まった彼らの物語は、これからも、こうした穏やかな日々を積み重ねながら、続いていくのだった。
月明かりの下、四人の帰路は静かに続いていった。




