ホワイト企業のすゝめと、最高の有給休暇
創世神(CEO)が消滅し、静寂を取り戻したアビスの社長室。
黄金のコードが全て漆黒に書き換わったその空間で、俺は空中に浮かぶ巨大なホログラムコンソールに向き合っていた。
『――新管理者(新社長)、朝倉健人様。地球ローカルサーバーの【新ルール(利用規約)】の策定をお願いいたします』
システムのアナウンスが、かつての無機質で高圧的なものから、どこかへりくだった『有能なAI秘書』のような音声へと変わっている。
「そうだな……。とりあえず、ダンジョン自体を完全に消去するのはナシだ」
俺はコンソールをスワイプしながら呟いた。
ダンジョンは確かに理不尽な脅威だったが、今や人類のエネルギー資源や素材供給の要として世界経済に深く組み込まれている。急に無くせば、世界中で大量の失業者と大恐慌(倒産ラッシュ)が起きるだろう。
「だが、理不尽なデスペナルティや、突然のモンスターの変異、街への強制的な侵食(サービス残業の強要)は一切禁止だ。ダンジョンはあくまで『安全基準を満たした資源採掘場』として再構築する」
俺は次々と、新しいソースコード(就業規則)を打ち込んでいく。
「探索者のレベル上限も撤廃。努力した分だけ正当に評価される、クリアな人事評価制度を導入。……よし、こんなところか」
『――承認しました。全ダンジョンに【働き方改革(ホワイト化)パッチ】を適用します』
ホログラムの地球儀が、穏やかな青い光に包まれていくのを見届け、俺は満足げに頷いた。
これで、理不尽な神の機嫌取りをするデスゲームは終わりだ。これからは、人間が人間のためにシステムを利用する、真っ当な市場競争の時代が始まる。
「さて……。俺の仕事(残業)も、これで本当に終わりだ」
俺はアビスの空間に背を向け、地上へと続くゲート(帰路)へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
東京・探索者ギルド本部。
俺が地下最深部のゲートを抜けてエントランスに戻ると、そこには見慣れた顔ぶれが揃っていた。
「社長!! お疲れ様でした!!」
一番に飛びついてきたのは、タイトスカートを翻した秘書のしずくだった。彼女の背後では、巨大な神獣クロが千切れんばかりに尻尾を振っている。
「ああ。アジア市場の制圧、ご苦労だったな。完璧な監査だったぞ」
「へへっ、社長! 借金ゼロの世界、最高です! もう僕、一生盾役として朝倉商事に骨を埋めますからね!」
ヨーロッパから帰還した灰原が、傷一つない体で満面の笑みを浮かべている。
「社長ぉー。私、残業代の代わりに一ヶ月分のイチゴミルク支給で手を打ちますよ。あと三日は寝かせてくださいね……」
ルミがゲーミングチェアごと空間転移してきて、そのままスヤスヤと寝息を立て始めた。
「ちょっと! 私の資産のおかげで勝てたんだから、特別ボーナス出しなさいよ社長! もちろん、現金(魔石)でね!」
人間の姿に戻ったバハムートが、俺の漆黒のスーツの袖を引っ張ってドヤ顔を決めている。
「……フッ。見事な手腕(M&A)だったな、俺たちのボス」
少し離れた場所から、星条の英雄・リチャードが葉巻を咥えながら笑みを向けてきた。
「北米のギルド【オリンポス】は、今日から正式に朝倉商事の傘下(北米支社)に入る。……お前の創る新しい市場、楽しみにしているぞ」
「ああ。お前ら全員、最高の業績だった。来季のボーナスは期待していいぞ」
俺は、ボロボロになった社長の一張羅のポケットに手を突っ込み、優秀で、規格外で、少しだけ面倒くさい俺の社員たちを見渡した。
「世界は、俺たちが完全に買い取った。……これにて、大型プロジェクト(神殺し)は完了だ!!」
ギルドのロビーに、割れんばかりの歓声が響き渡る。
窓の外には、赤黒いヒビが完全に消え去り、どこまでも高く澄み切った青空が広がっていた。
◇ ◇ ◇
――それから、半年後。
世界は劇的な変化を遂げていた。
俺がアビスに適用した【働き方改革パッチ】により、世界中のダンジョンは完全に安定化。モンスターが街に溢れ出す「ダンジョンブレイク」の脅威は過去のものとなり、探索者たちは安全な環境で資源を採掘する「高給取りの専門職」として社会に定着した。
そして、その全ての世界基準を管理するグローバル企業へと成長したのが、俺たち【朝倉商事】である。
「……ハァ。波の音が心地いいな」
南の島、ハワイの超高級プライベートビーチ。
俺はアロハシャツにサングラスという完璧なリゾートスタイルで、パラソルの下のサマーベッドに寝そべり、トロピカルジュースのストローを咥えていた。
「ついに……ついにこの日が来た。俺の、数年越しの完全な『有給休暇』だ……!」
神を倒し、世界を再建し、システムを完全なオートメーション(自動化)に切り替えるまでの半年間。俺は社長として、それこそ死ぬほど働いた。
だが、その苦労も今日報われる。これからの二週間、俺は絶対に仕事のことは考えず、ただひたすらに南国でダラダラと過ごすのだ。
俺がサングラスの奥で至福の涙を流しかけた、その時だった。
「――社長。申し訳ありません、お寛ぎのところ」
背後から、リゾート地には全く似つかわしくない『カツン、カツン』というヒールの音が近づいてきた。
振り返ると、完璧な黒のタイトスカートのスーツを着こなし、書類のバインダーを抱えた秘書のしずくが立っていた。
「……しずく。俺は今日から有給だと言ったはずだが」
俺がジト目を向ける。
「はい。存じております。ですが社長、ハワイ(オアフ島第4ダンジョン)の視察という名目で経費を落としている以上、最低限の決裁印はどうしても必要でして」
しずくが、悪びれる様子もなく分厚い書類の束を差し出してくる。
「いやいや! そもそもなんでお前がここにいるんだよ!」
「えっ? 社長が有給を取られるなら、私たちも一緒に慰安旅行(有給)を取るのが当然の福利厚生ではないかと!」
「は……?」
「社長ー! この海、マナの濃度が高くて最高よー!!」
海の方から声がした。見れば、きわどい水着を着た神話級の竜娘が、クロと一緒に波間でバシャバシャと遊んでいる。
「社長、日焼け止め塗ってくださいよぉ……私、紫外線浴びるとHP減るんで……」
隣のパラソルでは、ブカブカのラッシュガードを着たルミが、ゲーミングチェア(わざわざ日本から空間転移させた)の上で溶けている。
「社長! ハワイの探索者ギルドの連中と交流試合(飲み会)のセッティング終わりました! 今夜は朝までコース(残業)ですよ!」
アロハシャツを着た灰原とリチャードが、両手に大量の酒瓶を抱えて砂浜を走ってくる。
「お前ら……」
俺はトロピカルジュースをテーブルに置き、深い、深いため息を吐いた。
世界は平和になった。理不尽な神も消え、システムは俺の思い通りになった。
だが、俺が創り上げたこの「最強の会社」の社員たちは、どうやら俺という社長のことが好きすぎるらしい。
「社長。……有給休暇、楽しくなりそうですね」
しずくが、バインダーで口元を隠しながら、ふふっと悪戯っぽく微笑んだ。
「……チッ。仕方ねぇな。今日だけは『無礼講(特別手当)』にしてやる。思いっきり遊べ!」
「「「やったーーーー!!!」」」
青い空、白い雲。
世界を理不尽から救った最強の平社員は、サングラスの奥で少しだけ苦笑いを浮かべ、騒がしい社員たちの輪の中へと歩き出した。
俺の名前は、朝倉健人。
世界最高のホワイト企業【朝倉商事】の、代表取締役社長。
世界を敵対的買収するのは大成功したけれど……俺が本当の意味で「一人でゆっくりできる有給休暇」を取れる日は、まだまだ先のことになりそうだ。
―― 【朝倉商事:企業再建プロジェクト】 完 ――




