創業者特権(ファウンダー・プリビレッジ)と、絶対経営権の凍結
ドゴォォォォォォォォォンッッ!!!
物理法則もクソもない、力任せのハイキック。
概念の絶対防壁で守られていたはずの社長室の重厚な黄金の扉は、俺の右足に込められた【EX:絶対経営権(ガバナンス・権能)】の前に、飴細工のように粉々に砕け散った。
砕け散る黄金の破片が、純白の空間に雪のように舞う。
俺が足を踏み入れたその空間は、宇宙の星々と無数のデジタルコードが幾重にも交差する、巨大で荘厳な「神の社長室(SYSTEM_ROOT)」だった。
足元には、水面のように波打つ透明な床。見上げれば、地球上のあらゆるダンジョン、あらゆる探索者たちのステータス画面が、星の数ほどのホログラムとなって絶え間なく流れている。
そして、その最奥。
全てを見下ろすように設えられた、幾何学的な光の玉座。
そこに腰を下ろしていたのは、人間の形を模した純粋な『光の集合体』だった。
肉体はない。顔も、性別すらも存在しない。
ただ、その体の中には巨大な歯車のような機構が絶えず回転し、無数の光のケーブルがアビスの空間全体へと神経のように伸びている。圧倒的で暴力的で、冷酷なまでの「システム」そのものを擬人化したような存在。
それが、地球という市場を弄んできた諸悪の根源――ダンジョンシステムの創世神(CEO)だった。
『――よくぞ辿り着いた、我が愛しきリソース(資源)よ』
CEOが、口を持たない顔から直接、俺の脳内に語りかけてきた。
その声には、扉を蹴り破られた怒りも、自身の部下である役員たちを全滅させられた焦りも、微塵も含まれていなかった。
ただ「よく出来たプログラムの挙動」を観察して褒めるような、絶対的な上位者としての傲慢さ、あるいは無関心だけがそこにあった。
『お前は極めて優秀なユーザーだ、朝倉健人。私が設計した理不尽なゲーム盤(市場)を生き抜き、システムのバグ(特異点)をその身に宿し、あまつさえ私の末端プロセス(役員)どもから権限を奪い取るとは。……想定外のエラーではあったが、非常に興味深いデータ(成果)だ』
CEOがゆっくりと玉座から立ち上がる。
その瞬間、アビスの空間全体がグラリと揺れ、俺の細胞の一つ一つが「絶対に逆らってはいけない存在だ」と本能レベルで警鐘を鳴らした。
レベル5万の幹部とも、執行役員とも次元が違う。ここにいるのは、世界そのものを定義している『ルールブックの創造者』なのだ。
『ダンジョンという過酷な試練を与え、人類の恐怖、絶望、そして生存競争による進化のエネルギーを刈り取る。それが、我が社のビジネスモデルだ。地球というローカルサーバーは、上位次元の燃料を抽出するための、極めて効率的な【養殖場】に過ぎない』
CEOは両手を広げ、足元の水面に映る地球の映像を見下ろした。
『お前がどれほど特異点を持っていようと、お前もまた、私が創り出したシステムの中で踊る一つのデータに過ぎないのだ。私の決裁(ROOT権限)には逆らえない。大人しく、我が社の至高の糧となるがいい』
「……随分と、社員(人間)を舐めたトップダウン経営だな」
俺は鼻で笑い、ボロボロになった漆黒のスーツのポケットから両手を出した。
これほどのプレッシャーの中にあっても、不思議と恐怖はなかった。あるのは、俺の有給休暇と平穏な日常を奪い、部下たちを傷つけたこのクソみたいな会社に対する、底なしの静かな怒りだけだ。
「お前のやり方は、社員を使い捨てにして利益を吸い上げる、典型的な『ブラック企業』だ。そんな会社は、いずれ内部から崩壊する」
俺は右の拳を強く握り込み、胸の奥にある神竜コア(特異点)から、先ほど役員たちから奪い取ったばかりの莫大な【管理者権限】を全開に引き出した。
「それに、俺はただのユーザーじゃない。……俺は今から、このクソみたいな会社を乗っ取る『筆頭株主』だ!!」
俺の全身を、赤黒いノイズ混じりのオーラが包み込む。
システムのソースコードを直接改ざんする
【EX:絶対経営権】。
俺は地面を爆発的に蹴り出し、光の玉座に立つCEOの顔面に向かって、全力の右ストレートを放った。
空間そのものを「消去」しながら突き進む俺の拳。
どんな高位の神であっても、この一撃を食らえばデータごと完全にデリートされるはずだった。
だが。
『――痴れ者が。管理者に向かって牙を剥くか、バグ風情が』
CEOは回避行動すら取らなかった。ただ、俺に向けて軽く片手をかざしただけだった。
ピィィィィンッッ……!!
俺の全力の右ストレートが、CEOの顔面まで残り数ミリのところで、見えない極厚のガラスの壁のようなものに激突し、完全に停止させられた。
「な……っ!?」
俺は目を見開いた。物理的な障壁ではない。俺の【絶対経営権】によるソースコードの改ざんが、何らかの『絶対的なルール』によって強制的に弾き返されたのだ。
『――【SYSTEM_ROOT:創業者特権】。利用規約第1条:ユーザーはいかなる場合においても、システム管理者に対して危害を加える行為を禁ずる』
CEOの無機質な声が響いた瞬間。
俺の右拳に集束していた赤黒いオーラ(管理者権限)が、まるで電源を落とされたホログラムのように、シュンッと音を立てて完全に霧散してしまった。
「権限が……消えた……?」
『お前が奪ったのは、所詮は私が発行した「役員クラス(末端)の権限」に過ぎない。この空間において、私以上の権限を持つ者は存在しない。私が「攻撃は無効だ」とルールを定義すれば、お前の攻撃という事象そのものが、最初から存在しなかったことになるのだ』
CEOが、冷酷な光の瞳で俺を見下ろす。
『利用規約違反に対するペナルティを実行する。対象ユーザー・朝倉健人の全権限を【凍結】。ステータスを初期値にダウングレードする』
「が、あああああああっ!!?」
突如、俺の全身を万の刃で切り刻まれるような激痛が襲った。
胸の奥で燃えたぎっていた神竜コアの熱が急速に奪われ、俺の存在を形作っていた莫大な魔力と権限が、システムによって強制的に「没収」されていく。
バキバキバキッ!!
いかなる攻撃も通さなかった俺の『漆黒のオーダースーツ(概念武装)』が、防御力ゼロのただの安い布切れへと強制的に仕様変更され、CEOの放つわずかなプレッシャーの余波だけでズタズタに引き裂かれていく。
「ぐ、ふっ……!!」
俺は口から大量の鮮血を吐き出し、透明な床に無様に叩きつけられた。
力が、入らない。
レベル15万の神竜としてのステータスも、世界を書き換えるEXスキルも、全てが封じ込められた。今の俺は、ダンジョンに潜り始めたばかりの、ただのひ弱な「D級の平社員」にまで引きずり落とされていた。
『どうだ、朝倉健人。全ての資産を差し押さえられた気分は。これがお前たち人類が、決して超えられない「神の定めたルール」という名の絶望だ』
CEOが、倒れ伏す俺の頭を、光の足で容赦なく踏みつけにする。
ミシッ、と頭蓋骨が軋む嫌な音が響く。痛い。熱い。息ができない。
『さあ、初期化の時間だ。お前のその特異点ごと、宇宙のチリにしてやろう』
CEOの右手に、太陽を圧縮したような、巨大で純白の消滅エネルギーが収束し始めた。
手も足も出ない。文字通りの絶対的な敗北。
だが、俺は血に塗れた顔を歪め、光の足に踏みつけられながらも、ニヤリと笑った。
「……ハハッ。お前、本当に……経営ってもんが、分かってないな」
「……何?」
「言ったはずだ。俺は、俺の会社(朝倉商事)の社長だ。……俺がこんなブラックな本社に呼び出されて、ただ一人で無策のまま乗り込んでくるわけ……ないだろうが」
俺は、薄れゆく意識の中で、地上で戦っているはずの『優秀な部下たち』を信じ、不敵な笑みを浮かべたまま、CEOを睨み上げた。




