欧州出張と、コンプライアンス違反の一括請求
イギリス、ロンドン。
重く垂れ込めた灰色の空の下、街の象徴である時計塔は無惨にへし折られ、テムズ川は赤黒い炎に包まれていた。
「……ここまでか。神の定めたルール(理不尽)には、我々人の剣では届かないというのか……っ!」
ヨーロッパ最大の巨大ギルド【円卓の騎士】を統べるS級第1位の英雄が、血塗れの聖剣を杖にして片膝をついていた。
彼の周囲には、ヨーロッパ全土から集結したトップランカーたちが、誰一人立ち上がれない状態で倒れ伏している。
彼らの前に静かに浮遊しているのは、純白の光で構成された人型のシルエット。
世界同時多発ブレイクにより、このロンドンに降臨した【本社直属・執行役員(欧州エリア担当・法務部長)】である。
『――ローカルルールの逸脱(コンプライアンス違反)を多数検知。これより、欧州エリアの全ユーザーに対し、アカウントの【強制停止(圧殺)】を執行します』
役員が右手を掲げる。
それだけで、ロンドン一帯の「重力」という物理法則が完全に書き換えられ、万を越える重圧が騎士たちをぺしゃんこに押し潰そうとした。
誰もが死を覚悟し、目を閉じた、その瞬間。
「あー、ここがロンドンですか。時差ボケしそうだし、ささっと残業(出張)終わらせてホテルで寝ましょうよ、灰原くん」
「そうですねルミちゃん! 早く終わらせて、社長の経費で美味しいフィッシュ・アンド・チップスを食べに行きましょう!」
緊迫感ゼロの呑気な声と共に、役員と騎士たちの間の『空間がねじ曲がり』、一組の若い男女が突如として姿を現した。
ブカブカのジャージ姿でイチゴミルクをすする銀髪の少女と、気の弱そうなタレ目の青年(灰原)だ。
「き、君たちは……!? 逃げろ、その化け物は次元が違う!!」
騎士のトップが叫ぶが、二人は全く意に介さない。
『――未登録のバグ(外部からの干渉)を検知。不法侵入として、直ちに【空間圧縮の罰則】を実行します』
役員が、ルミと灰原に向けて無慈悲に右手を振り下ろした。
空間そのものが数千分の一に圧縮され、二人をブラックホールのように飲み込もうとする、絶対的な「法」の執行。
「灰原くん、仕事です。クレーム対応お願い」
「はいはい! 【EX:森羅万象のリボ払い】!!」
灰原が一歩前に出て、大きく胸を張った。
ズガァァァァァァンッッ!!
圧縮された空間の断層が灰原を直撃し、周囲の瓦礫がチリとなって消滅する。
だが、土煙が晴れた後――そこには、服の裾一つ乱れていない灰原が、ケロリとした顔で立っていた。
「なっ……無傷だと!?」
騎士たちが驚愕に目を剥く。
『――エラー。執行権限が……適用、されません。なぜ……?』
無表情だった純白の役員から、初めて困惑のノイズが漏れた。
「あー、その罰則、とりあえず僕が全額『肩代わり(リボ払い)』しておきましたので。……それにしても」
灰原はポリポリと頬を掻きながら、役員を見上げた。
「社長(朝倉健人)の、あの息が詰まるようなブラックすぎるプレッシャーに比べたら……あなた程度の理不尽、全然たいしたことないですね」
「ええ。うちの社長のパワハラ(魔力)のほうが、よっぽど次元が狂ってますもん」
ルミがイチゴミルクの空き箱をポイッと捨て、面倒くさそうに右手をかざした。
『――理解不能。バグの消去プロセスを再実行……』
役員が再び攻撃のモーションに入ろうとするが、ルミはあくびを噛み殺しながらその指をパチンと鳴らした。
「【EX:多元宇宙の配置転換】。……ターゲットの『回避・防御行動』をキャンセル。未来の座標を、現在に強制上書き(デプロイ)します」
『――な、に……? 私の、体が……固定、された……!?』
役員が空中で完全に硬直した。
ルミの進化したスキルは、単なる空間の入れ替えではない。「役員が回避に失敗し、直撃を受ける」という平行世界の事象を引っ張り出し、現在の役員の座標に強制的に上書きしてしまったのだ。
「これで、あなたはもう『避けること』も『防ぐこと』もできない仕様になりました。あとは納品するだけです」
ルミが灰原にウインクを送る。
「完璧な物流アシスト、ありがとうございます! それじゃあ……」
灰原が、役員から受けた『空間圧縮の絶死ダメージ』に、自身のEXスキルによる規格外の『利息』を上乗せし、両手に赤黒いエネルギーとして収束させる。
「溜まりに溜まったコンプライアンス違反の負債……利息をつけて『一括請求』です!! 受け取れぇぇぇっ!!」
ゴバァァァァァァァァァァァァッッッ!!!
灰原の手から放たれた、限界を突破したカンストダメージの奔流。
回避と防御の未来を完全に奪われ、ただ棒立ちになることしかできない役員に、その規格外の暴力が直撃する。
『――エ、エラー……。欧州エリアの、法務権限が……喪、失……』
絶対的な神であったはずの執行役員は、断末魔を上げる間もなく、光のポリゴンとなってテムズ川の上空に霧散し、完全に消滅した。
空を覆っていた分厚い暗雲が晴れ、ロンドンに再び陽の光が差し込む。
「……終わった。あの、悪夢のような神が……たった一撃で……」
満身創痍の騎士たちが、呆然と武器を取り落とした。
ヨーロッパの防衛を担う最強のS級たちが束になっても傷一つつけられなかった高次元の存在を、この謎の若い男女は、文字通り『ただの事務作業』のように瞬殺してしまったのだ。
「えへへ、お疲れ様ですルミちゃん! これで社長から任された『欧州市場の再建』の第一歩は完了ですね!」
「んー、疲れた。早く経費で美味しいもの食べて、ホテルでゴロゴロしよー」
灰原は騎士のトップへと歩み寄り、胸ポケットから真新しい名刺を取り出して差し出した。
「あ、はじめまして! 日本の【朝倉商事】から、ヨーロッパ支社長として赴任してまいりました、灰原と申します。隣が物流担当の星野です」
「あ、どうもー」
「あ、朝倉……商事……?」
騎士のトップは、震える手でその名刺を受け取った。
「はい! 理不尽なシステムからの理不尽な要求は、すべて弊社が肩代わり(吸収)いたしますので。以後、よしなに!」
こうして、世界同時多発ブレイクによる絶望の火の手は、ヨーロッパにおいては赴任してきたばかりの【朝倉商事・欧州支社長】たちの圧倒的なチート業務によって、あっけなく鎮火されたのであった。




