事後処理(コンプライアンス)と、S級特別会議 東京・丸の内。
東京・丸の内。
日本のビジネスの中心地は、A級ダンジョンブレイクによって甚大な被害を受けたものの、ギルドと政府の迅速な対応により、瓦礫の撤去と復興作業(事後処理)が急ピッチで進められていた。
「……こんな、ひどい有様に……」
千葉の【C級ダンジョン】でのソロ研修を終え、東京へと帰還した雨宮しずくは、半壊した自社ビルを見上げて絶句した。
彼女の足元では、神獣クロが心配そうに小さく鳴いている。
「雨宮しずくか。……無事だったようだな」
背後から声をかけてきたのは、S級第2位の剣聖・天羽だった。
彼は復興の指揮を執りながら、しずくに事の顛末――丸の内でのA級支店長討伐と、北海道でのレベル15万の執行官との死闘、そして朝倉健人が昏睡状態(長期休業)に陥っていることを手短に伝えた。
「朝倉さんが、目を覚まさない……? そ、そんな! 私、すぐに病院へ……!」
「行っても無駄だ。あいつの病室には、今、【紅蓮の戦乙女】神楽坂ミレイが付きっきりで張り付いている。S級の権限で、関係者以外の立ち入りを完全にシャットアウトしてな」
「か、神楽坂ミレイ……S級第4位の、あのお嬢様が……?」
しずくの胸の奥で、チクリと嫌な痛みが走った。
自分が安全なC級ダンジョンでレベリングをしている間に、朝倉は圧倒的なバケモノたちと死闘を繰り広げ、そして、別の女に背中を預けていたのだ。
(……私じゃ、ダメなんだ。朝倉さんの隣に立つには、今の私じゃ、全然足りない……っ!)
しずくはギュッと拳を握りしめ、天羽を真っ直ぐに見据えた。
「天羽さん。……私を、A級ダンジョンに行かせてください」
「正気か? お前はまだレベル150程度だ。今の狂ったA級に潜れば、確実に死ぬぞ」
「死にません。……そのための『材料』はあります」
しずくが足元のクロに視線を送ると、小さな黒犬の姿をしていたクロの瞳が、竜のように縦に割れた。
瞬間、S級の天羽ですら肌が粟立つような『神獣の威圧感』が周囲の空間を歪め、しずくとクロの姿が完全に景色から透過して消え失せた。
「……擬似的な概念隠蔽か。あの黒犬、ただのテイム獣じゃないな」
虚空から聞こえるしずくの声に、天羽は驚きと共に目を細めた。
「C級での研修中、クロちゃんと編み出した連携スキルです。これなら、A級のボスに見つかることなく、安全地帯から高レベルの魔石(経験値)だけを一方的に狙撃して回収できます」
姿を現したしずくの瞳には、一切の迷いがなかった。
「朝倉さんが目覚めた時。完璧な秘書として隣に立つって、決めたんです」
「……」
天羽はしばらくしずくの目を見つめ返し、やがて呆れたように息を吐いた。
「……やれやれ。あの平社員は、女を狂わせる才能もあるらしい。分かった、俺の権限で安全なA級の『狩り場』を指定してやる。絶対に無理はするなよ」
◇ ◇ ◇
同日。東京・ギルド本部最上階、特別会議室。
円卓を囲むのは、政府の高官たちと、ギルドの最高幹部、そして日本に数人しか存在しないS級探索者たちだった。
重苦しい沈黙の中、ギルド長が口を開く。
「――皆に集まってもらったのは他でもない。昨日発生した丸の内でのA級ブレイク、および北海道の【氷の宮殿】の完全消滅についてだ」
巨大なモニターに、丸の内で暴喰獣が『素手で四肢を引きちぎられる』映像と、北海道の雪原に残された規格外の破壊痕が映し出される。
「現場の魔力痕跡から推測される敵のレベルは、A級ボスが推定3万。……北海道の元凶に至っては、推定15万。我々が信じてきた『レベル上限999』という概念が、完全に崩壊した瞬間だ」
会議室に、絶望的なざわめきが広がる。
「バカな! レベル15万だと!? 既存のS級が束になっても勝てるわけがない!」
「問題は……その規格外のバケモノたちを、単騎で『物理的に解体した』謎の男の存在だ!」
モニターに、血まみれのワイシャツ姿から『漆黒のスーツ』へと姿を変えた男の不鮮明な後ろ姿がズームアップされる。
政府高官が、額に汗を浮かべながら声を震わせた。
「全身を規格外の概念防具で覆った、通称『スーツの悪魔』。……彼は一体何者なんだ? どこのギルドに所属している!? これほどの戦力、国として野放しにしておくわけにはいかない!」
「情報を開示しろ、天羽! お前はこの現場に居合わせたはずだ!」
円卓の端で腕を組んでいたS級第2位・天羽は、周囲の喧噪を鼻で笑った。
「所属? そんなものはない。強いて言うなら、丸の内に本社を構える中堅商社の『平社員』だ」
「なっ……ふざけるな! 平社員がレベル15万の神を素手で殴り殺すわけが――」
「事実だ。お前たちが信奉してきた既存のシステムは、もう何の役にも立たない」
天羽は鋭い眼光で、会議室の全員を射抜いた。
「あの男はレベル999の壁を越えた【EX(超越者)】クラスに至り、神楽坂ミレイもまた、S級の限界値を理不尽なまでに突破した。……だが、これで終わりではない。いや、まだ『始まってもいない』かもしれない」
天羽の言葉に、政府高官たちの顔から血の気が引く。
「現場に残された魔力痕跡からの『推測』に過ぎないがな。あのレベル15万のバケモノは、肉体の構造が極めて不安定だった。おそらく、回線が不完全な状態で無理やり地上に顕現させた『仮のアバター(リモート出勤)』だ」
天羽は、テーブルの上に北海道のダンジョンマップを放り投げた。
「本物の役員(執行官)どもは、まだアビスの奥底で、無傷のまま生きている可能性が高い」
「……ならば、どうする。我々人類は、その『スーツの悪魔』なる男の機嫌を取って、国を守ってもらうしかないと言うのか……!?」
「残念だが、あいつは現在、限界突破の反動で長期休業(昏睡状態)中だ。目覚めるのがいつになるかは分からん。……つまり、あいつが有給を消化している間は、俺たちでこの国を回す(防衛する)しかないってことだ」
天羽がそう告げた直後。
会議室の巨大モニターに映る日本地図の、全国各地のダンジョンを示すポイントが突如として『真っ赤』に染まり始めた。
『き、緊急事態です!! 全国に現存する全てのダンジョンで、内部構造の複雑化および、モンスターの急激な「レベルアップ現象」を確認!』
オペレーターの悲鳴が響き渡る。
「……どうやら、アビスに引きこもっている役員どもが、セキュリティを強化してきたらしいな」
天羽が刀の柄に手をかけ、獰猛な笑みを浮かべた。
最強のサラリーマンが眠りについた世界で、人類にとっての真の絶望(インフレ環境)が静かに幕を開けようとしていた。




