神楽坂家の専用機(チャーター便)と、強制立ち入り検査
東京を飛び立ってから約一時間。
俺たちは、音速を超える神楽坂家のプライベートジェット(対モンスター用のステルス魔力迷彩付き)の機内で、北海道の空を飛んでいた。
「……それにしても、血だらけのワイシャツに、片腕ずつツヤの違う真っ黒な袖。下半身だけ完璧なスラックスと高級な革靴って。あなた、絶望的にファッションセンスがないわね」
豪華な革張りのシートにふんわりと腰掛けた【紅蓮の戦乙女】神楽坂ミレイが、呆れたようにため息をついた。
俺は機内に備え付けられていたおしぼりで、顔に付いた暴喰獣の返り血を拭いながら、淡々と返す。
「ファッションじゃない。これは俺の身を守るための『概念武装』だ。まだ上着がないから不格好なだけだ」
「概念武装……? S級のドロップ品で作る特注防具のさらに上位、おとぎ話の装備じゃない。それを自作してるっていうの?」
ミレイは信じられないというように目を丸くしたあと、ふいっと顔を背けた。
「ま、まぁいいわ! 今回は特別に、この私が背中を預けてあげるんだから、その変な格好でも死なないようにしなさいよ!」
上から目線の言葉とは裏腹に、彼女の耳の先はほんのりと赤い。
先ほど丸の内で、俺がレベル3万のバケモノを素手で解体した光景。圧倒的な暴力に助けられた記憶がフラッシュバックするのか、ミレイは俺とまともに目を合わせようとしなかった。
「……なぁ、一つ聞いていいか」
俺はシートに深く背中を預け、窓の外に広がる分厚い雲海を見つめた。
「お前、なんで俺についてきたんだ。S級なら、東京に残って天羽さんと一緒に残務処理をしてた方が安全だし、世間からの評価(査定)も上がるだろ」
「なっ……! べ、別にあなたのためじゃないわよ! 私はS級第4位として、日本の危機を根本から解決する義務があるの!」
ミレイは慌てて早口でまくし立てた後、少しだけ声のトーンを落とした。
「……それに。気になったのよ。あなたが、どうしてそこまで怒っているのか」
ミレイの真っ直ぐな、ルビーのような赤い瞳が俺を射抜く。
「東京であなたが見せたあの殺気。世界を救う英雄のそれではなかった。もっと……個人的で、昏くて、絶対に許さないっていうような。あなた、北海道の元凶に何をされたの?」
「……たいしたことじゃない」
俺は、手元にあったおしぼりを、ギリッと握り潰した。
「ただのサラリーマンから、『会社』と『有給休暇』と『世話になった上司』を奪った。……たったそれだけのことだ。だから、奴らの会社も同じように物理で倒産させる。それ以上の理由はない」
「――――っ」
ミレイは息を呑んだ。
世界平和でも、人類の存亡でもない。「奪われた日常」の損害賠償を請求するためだけに、この男はたった一人で、神にも等しいシステムの管理者に喧嘩を売っているのだ。
(……なんなのよ、それ。バカみたい。……でも)
ミレイは胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。
常に「S級としての重圧」と「名家の義務」を背負わされて生きてきた彼女にとって、健人のその「個人的でブレないエゴ(怒り)」は、ひどく自由で、強烈に眩しく見えたのだ。
『お嬢様。間もなく、北海道上空です。……降下を開始します』
操縦席からのアナウンスと共に、機体が大きく高度を下げる。
窓の外に現れたのは、猛吹雪に包まれた白銀の大地。
そして、その中央にそびえ立つ、かつて俺と天羽さんが一度踏み入れた【氷の宮殿】だった。
ジェット機が宮殿の前の雪原に着陸すると同時に、俺とミレイはハッチから飛び降りた。
先日完成したばかりの『黒曜の革靴』が、分厚い氷の大地を豆腐のように「メシャッ」と踏み砕く。全く滑らないし、雪の冷たさも感じない。最高の履き心地だ。
「……さて。どうやら、居留守を使っているようだな」
俺は宮殿の巨大な氷の扉を見上げた。
以前来た時には開いていたはずの扉が、今は完全に閉ざされ、その表面にはシステムによる『絶対防護領域(アクセス拒否)』の強固な赤いバリアが何十重にも張り巡らされていた。
「これ、強固なシステムロック結界ね。私の『反逆の業火』で焼き切るには、少し時間が……」
ミレイが双剣を抜こうとした、その時。
「不渡りを出して夜逃げした会社に、ノックをしてやる義理はない」
俺はミレイの横を通り抜け、漆黒の右袖に限界まで魔力を圧縮した。
「邪魔だ、開けろ」
ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!
俺の右拳がバリアに直撃した瞬間、何十重にも張られていた絶対防護領域が、宮殿の巨大な扉ごと「空間ごと」粉々に砕け散った。
「えぇ……!?」
ミレイが素っ頓狂な声を上げるのをよそに、俺は土足(黒曜の革靴)のまま、メインサーバーの内部へと足を踏み入れる。
『――警告。警告。メインサーバーへの強制アクセス(不法侵入)を確認』
けたたましいアラート音と共に、宮殿の奥から、無数の純白の機械天使たちが湧き出してきた。
かつて俺を殺しかけた、レベル2000オーバーのバケモノの群れだ。
「……出迎えご苦労。だが、雑魚に構っている残業代は出ない」
俺が舌打ちをした瞬間。
「『赫灼の剣舞』!!」
俺の背後から飛び出したミレイが、真紅の長髪をなびかせながら双剣を振るった。
全方位に放たれた超高熱の炎の旋風が、群がってきた数十体の機械天使たちを一瞬にしてドロドロの鉄屑へと変え、吹き飛ばす。
「……へえ。さすがはS級の固有スキルだ。広範囲の雑魚処理(タスク消化)がめちゃくちゃ早いな」
俺が素直に感心して振り返ると、ミレイは得意げにフンスと鼻を鳴らした。
「ふ、ふんっ! 当たり前でしょ、これくらい! 私を連れてきて正解だったって、ちゃんと感謝しなさいよねっ!」
真っ赤な顔で胸を張る彼女の頭を、俺はポンと軽く叩いた。
「ああ。助かった。この調子で最深部まで頼むぞ、神楽坂」
「えっ……あ、ちょ、ちょっと! 気安く触らないでよねっ! ばか!!」
頭を撫でられたミレイは、顔を茹でダコのように赤くしてパニックになりながら、照れ隠しのようにさらに炎を振りまいて先行していく。
俺はそのポンコツな背中を追いながら、再び極寒の殺意を目に宿した。
「待っていろよ、クソ役員。……俺の有給の恨み、その白いコートごと物理で切り刻んでやる」
最深部(役員室)へと続く氷の回廊を、最強のサラリーマンと紅蓮の戦乙女が、蹂躙しながら突き進んでいく。




