迷宮の主(マスター)の存在と、ひび割れた上限の壁
猛吹雪が吹き荒れる札幌市街地。
S級第2位【剣聖】天羽蓮は、渡されたシワシワの名刺と、目の前で微笑むサラリーマンを交互に見つめ、完全にフリーズしていた。
「……第2営業部、主任。朝倉……」
「はい。以後お見知りおきを。それで、ウチの札幌支社の場所なんですが」
健人が指差す先。そこは、今回のダンジョンブレイクの中心地であり、最も濃密な魔力(瘴気)が渦巻いている巨大な氷の要塞だった。
「……あそこだ」
天羽は深くため息をつき、刀を鞘に納めた。もはや目の前の男を疑う気にもなれなかった。レベル2200をワンパンで消し飛ばす圧倒的な事実の前に、常識など何の意味もない。
「お前の探しているビルは、ダンジョンの『核』に飲み込まれて、あの要塞の最深部と同化している。中心部の魔力濃度は計測器が完全にバグるほどの異常値だ。あのレベル2200のような未知のバケモノが、中でどれだけポップしているか全く予測がつかない」
「マジですか。俺のボーナス(サーバー)が壊れる前に急がないと」
健人が舌打ちをした時、重傷を負って倒れていたS級第5位・東郷が、救護班の治療を受けながら呻き声を上げた。
「……ゴホッ……天羽、気をつけろ……。さっきのバケモノは、自然発生したイレギュラーじゃねえ……」
「東郷のジジイ、喋るな。どういう意味だ?」
「あいつの眼だ……。あんな巨大な獣が、俺の防御の『一番脆い結節点』を正確に狙ってきやがった。……まるで、高度な知性を持った誰かに『命令』されているようにな」
東郷の言葉に、天羽の部下たちが青ざめる。
天羽はギリッと奥歯を噛み締め、忌々しそうに吐き捨てた。
「ダンジョンマスター級……歴史上の推論でしかなかった存在が、本当に実在するっていうのか」
「マスター級?」
健人が首を傾げると、天羽は険しい顔で振り返った。
「通常のモンスターは本能で動く野生動物だ。だが、マスター級は違う。ダンジョンの核をハッキングし、システムを操作できる『極めて高い知性を持った管理者』だ。万単位のモンスターを軍隊のように統率し、陣形を組み、こちらの弱点を突くように突然変異体を意図的にポップさせる……。もしそいつが奥で糸を引いているなら、ここは既に、奴の『胃袋の中』だ」
「なるほど。ただの野生のヒグマじゃなくて、完全武装したテロリストの司令官ってわけか」
健人が納得したように頷く。見えない司令官が、カメラ越しに自分たちを観察し、殺すための完璧な盤面を整えている。その不気味な想像が、極寒の空気をさらに冷たくさせた。
「朝倉」
天羽は、かつてないほど真剣な顔で頭を下げた。
「俺のギルドに手を貸せ。お前のそのデタラメな力で、道を切り拓いてほしい。その代わり、お前の探している金庫室までの案内と……この事態を解決した後の『マスコミや政府への面倒な説明』は、全て俺が責任を持ってもみ消してやる」
「……ほう」
健人の目が、怪しく光った。
S級探索者が頭を下げるという事実よりも、「面倒な後処理(NDA)を全部やってくれる」という提案が、サラリーマンの心に深く刺さったのだ。
「いいでしょう。お互いの利益が一致しましたね。ではこれより、朝倉とギルド『天刃』との間で、臨時の『業務提携』を結ばせていただきます」
「……行くぞ、お前ら!」
天羽が部下たちに号令をかける。
いざ出陣とばかりに歩き出した健人の背中を見つめながら、天羽は自身の右手をギュッと握りしめていた。
(未知のレベル2200を、一撃……)
天羽の視界の端には、自身のステータス画面が映っている。
【レベル:999(上限)】
「システムが定めた人類の限界」。天羽はずっと、それが世界の絶対の理だと思っていた。
だが、システムの枠を完全に無視して空間を抉り取った健人を見た瞬間、天羽の胸の奥で、カチン、と何かが弾ける音がした。
絶対だと思っていた壁は、ただシステムが勝手に用意しただけの『フェイクの檻』に過ぎないのではないか?
天羽の腰にある日本刀が、主の静かなる高揚に呼応するように、微かにカタカタと鳴った。
「……面白い。俺の剣は、まだ先へ行ける(・・・・・・)のか」
天羽は自身の『上限』という概念にヒビが入ったのを感じながら、氷の要塞へと踏み出した。




