チルドレンループ
家を出たくない。
誰とも関わりたくない。
何も考えたくない。
一人でいたい。
一人で死にたい。
あれ、でも、のどが渇いた。家の冷蔵庫の中を頭の中で想像する。入っているのは、一人暮らしでは、使いきれない調味料と、実家から送られてきたお米が少し。飲めるものといえば、水道水。でも、水道水が飲みたいんじゃない。私は今、店に言い値で売っている飲み物が飲みたいんだ。
ベットに根の張った体を無理やり引き起こす。ケータイと財布を片手に家のドアを開けた。
ブワッと暑い空気が全身に絡み付いて徐々に馴染んでいく。
この暑さは、嫌いではない。暖かいのは好きだ。
家から一番近いコンビニに行くには、小さい横断歩道を一つ渡らないと行けない。車の通りも少ない場所なのに、きちんと信号機がついている。平日の昼前だからか、人もいない。
なかなか、信号が赤のまま変わらない。
でも、渡ってしまえる、と思って周りを見渡した。
(いけるな、これは。)
でも、足は前に進まず結局信号が青になるまで待っている。
それが私なのだ。誰が見てるとか見てないとか関係ない。偽善でもない。ルールを破れない。生きにくい性格なのである。
(信号機を付ける基準について調べてみるか。)
なかなか青にならない信号機を見ながらぼんやり思いついたことを実行してみる。今やらないと、あとで調べようとはならないだろうから。
視線をスマートフォンに向けると、
「お姉さん。」
下の方から声をかけられ、思わずビクッと肩が上がる。
声のした方に視線を向けると、麦わら帽子を被った女の子が、私の横に立っていた。
「んえ、なに、どうしたの。」
女の子のはっきりとした声とは裏腹に自分からはなんとも情けない声が出た。
「お姉さん、えらいね。信号機待ってるの。ここ、車も人通りも少ないからみんな信号機無視して渡っちゃうのに。」
ニカっと笑った彼女から、なぜか今年一番の夏を感じる。
見た目は、小学校中学年くらいの小さな女の子。
「そ、そうなんだ。そうだよね。私も実は、ここ信号機無視して、渡っちゃいたくなることあるんだ。」
彼女の声に、世間話の余興にもならない私の声が続く。
「でも、お姉さん、ここの信号機、無視して渡ったことないじゃん。」
「ああ、そうなんだよねぇ、、。」
と、答えてはっとする。
なんでそんなこと、この子が知っているんだ。
不可解な言葉に思い浮かんだのは、昨日、夏の特番で見たホラー特集。信号で交通事故に遭った女の子の霊がまだそこに成仏できずに取り憑いてるって話。
(もしかして、この子、、幽霊?)
信号がパッと青に変わる。
一目散に右足が逃げ出そうと、踏み出した。
左足も負けてない。いつもよりも早いくらいである。
私は、後ろを振り返らずに信号を渡り切って、そのままコンビニに突っ込んだ。
はぁはぁ、と息が切れる。
コンビニの店員さんが少し不思議そうにこちらを見ている視線に気づいて、平気なフリをしながら、視線を背けた。
ふと、コンビニの鏡に映る自分が見えた。
ボサボサの髪に、ヨレヨレの白いティーシャツ姿の自分。
そういえば、家を出る時に身なりを整えずに出てきてしまった。
さっさっと気持ち程度に髪を手ぐしでとかす。よれたティーシャツは、襟元が一番ひどいから髪の毛で隠そう。
ただ飲み物がほしかっただけなのに、散々だ。
早く買って家に帰りたい。
飲料売り場の前まで行って、飲みたいと思ったものを両手で持ちきれるギリギリまで抱え込む。
会計を済ませ、恐る恐るコンビニを出て信号を見る。
もうあの少女の姿は見えない。
本当に幽霊だったのだろうか。
ミーン。ミンミーン。
蝉は鳴き続けている。
あまりの暑さに幻を見たのだろう。
そう思うことで納得しよう。
どんなに納得のいかないことも、辛いことも、そういうものだと諦めてしまえば、案外うまく社会に馴染めるものだ。
ずっと、そうやって生きてきた。
しかし、うまくいかない自分は、時々世界からはみ出された何者でもない者なのだと、虚しくなる。
「うん。私は、何も見なかったんだ。」
「見たよ。お姉さんは、私をちゃんと見た。」
ひゅん、と心臓が宙に浮いたみたいになる。遊園地のアトラクションでしか味わえない感覚になった。
体が固まってしまって動けない。
これがシートベルトによる身動きの制限なら、素晴らしい仕事ぶりである。
でも、今はシートベルトいらない。むしろ邪魔なんだ。
「あのね、お姉さん。」
ここで、終わりなんだ。
私の人生。
「お姉さんの持ってるそれ、飲みたい。のどが渇いたの。」
彼女は、私の手に持っている甘いジュースを指差した。
「え、どうぞ。」
買ったものの中で一番飲みたかったものを指さされたが、断ることは今の私ではできなかった。
まだ固まっている体をぎこちなく動かして、そっとジュースを差し出す。
「私、このジュースが一番好きなの。あと、キャップ開けて?」
私は、彼女に言われるがまま、キャップを開けて再びジュースを手渡した。彼女は、その場でごくんごくんとジュースを飲み始める。
とりあえず気の済むまで、飲んだようで、
「座って飲みたいから、あそこの公園行こうよ。」
団地の下にある申し訳程度の遊具がついた公園を指さされる。
(帰りたいとは、言えないよな。)
ジュースを美味しそうに飲んでいた彼女の姿を見たからか、幽霊かもしれないという疑惑も薄れていた。
ちゃんと、足あるし。
そのまま公園へと赴き、一緒にベンチに座るよう促される。
日差しが照りつけている。
風が頬を滑ってくすぐったい。
木の影が丁度いい日陰を作っていて、奇妙な状況下でも、居心地の良い雰囲気である。
隣に座ってジュースを飲んでいる彼女を横目で見てみる。
彼女もこの空気感が心地よいようで、どことなく楽しそうだ。
しばらくの沈黙を破ったのは彼女だった。
「今から言うことは、お姉さんは信じないことだと思う。」
夏の景色に目を奪われていると、横目に映っていた彼女が私をしっかり見ていることに気づいた。
私は、反射的に彼女の方を向き、結果的に目を合わせることとなった。
「私は、未来人なの。」
大きくて少し潤んだ綺麗な瞳がじっとこちらを捉えている。
はて、今日は現実味のないことが起きる日のようだ。
「え、っと、どう言う設定の遊びかな?」
最近は、タイムスリップもののアニメや漫画がよくある。
今の小学生は流行りに敏感だと聞くから、手の込んだごっこ遊びがあっても不思議ではない。うん、きっとそうだ。
「んー。そう思っててもいいよ。私の話を聞いてくれるんなら。付き合ってよ、私の遊びに。」
「えっと、あんまり長いのは無理だけど、話を聞くくらいなら…。」
私がそういうと、「ありがとう!お姉さんなら、そう言ってくれると思ってた!」と彼女がまた、ニカっと笑った。
褒められたことで、いい人ぶりたい性が出てしまう。喜んでいる彼女を見て、満更でもない気持ちになった。
相手の感情を読み取って行動することには自信があった。
彼女は今、この話を広げて欲しいのだろう。
「じゃあ、過去にはどのような用事できたのかな?」
パッと思いついた質問を彼女に問いかけてみる。
「えっとね、命が尽きると、ある理由がある人には、もう一度人生をやり直すことが義務付けられてる。それでね、今、私は小学生から人生をやり直しているの。」
真面目な顔をした彼女の話を、どこか他人事のように聞いている自分がいる。
なにぶん、思ったより手の込んだ設定に戸惑っているのだ。
ここは、話を合わせて落ち着いたトーンでいこう。
「い、命が尽きたって、、?」
彼女の話を聞いて一番初めに考えたことが、そのまま言葉になった。まさか、ここまで来て幽霊説がまた浮上してくるとは。
「うん。私死んだの。四回くらい?だから、正確にいうと、自分が死ぬまでの未来は知ってる、、、、」
「回帰者みたいな、?」
「あ、回帰者ってかっこいいね、これからそう言おっと。」
彼女はご機嫌な声色で続ける。
「おっほん。私がなぜ過去に来たかと言いますと、未来を変えるためであります!」
「未来を?」
「そう。今まで四回も失敗に終わってるの。もう次は戻って来れないと思うんだ。」
「どうして?」
「…それは、教えられない。」
彼女は少し俯いた後、スッと視線を夏に向けた。
「ねぇ、ここ丁度よく日陰になってて気持ちいいね。夏が大好きなんだよね。あったかくて。」
「…うん。」
次に戻って来れなかった彼女は、どうなってしまうのか、気になったが、どうも聞く気にはなれなかった。訪ねても、きっと答えてくれないだろうと思ったからだ。
「わたしは今、過去の記憶から、抜け出せずにいる。」
「…」
「理由は言えないけど、このループから抜け出すには、お姉さんを幸せにしないといけないの。今、幸せじゃないでしょ。酷い顔している。」
風が、先ほどと変わらず、緩やかに頬を掠めていく。
コンビニの鏡に映った自分の姿を思い出して、少し恥ずかしくなった。
羞恥心が顔に伝う感じ。苦手だった、自分に注目される発表の場を思い出す。
「お姉さん、今が、自分を見つめ直して、踏み出す時だよ。このままじゃ、ダメなんだ。」
ピクッと肩が上がった。
(本当に、ダメだね。)
過去に母親から言われた言葉が蘇る。
今まで見ないでいようと努力してきたことに、無理やり目を向けさせられたような感覚になった。
(桜は、本当にできの悪い子だねぇ。)
自分の顔が徐々にこわばっていくのが分かる。
「…幸せって、どうやったらなれるのか、教えてくれるってこと?」
発した言葉が震えた。
「…それは、教えられない。」
「じゃあ、意味ないじゃん!無責任な言葉押し付けて、これ以上期待させないで!そんなの、傷つくだけじゃん!私は何もできない人間なの!」
肩が上がるほど空気を吸い込んで、吐き出すを何度も繰り返す。
側から見たら、子供に大人げなく怒鳴っている大人。
誰か、若者がたまたま動画を撮っていて、今の光景をSNSに載せたら、炎上もの。
恥ずかしい、醜い何か。
私の事情など、知らない誰かが、今の私の気持ちのたけなど、図ってほしくない。
目の奥が、ぐっと熱くなる。
本音を言おうとすると、すぐ泣けてくるのは、いつものこと。だけど、今は、どうにか堪えたい一心で、下唇を噛み締めながら、地面を睨みつけた。
なによりも、八つ当たりでしかない自分の行動が酷く、辛かった。
再び沈黙が訪れる中で、ポツリと彼女がまた話し始めた。
「…本音言うと、泣きそうになること。」
私に伝えているのか、独り言なのか、どちらとも伺えるトーンの声が私の耳に届いていた。
「人と、接する時は、相手がどう言うことを求めてるか、その求めてることに、答えないといけない、と思うこと。」
「答えられない時の苦しさが、尋常じゃないこと。」
「失敗や後悔を、引きずってしまうこと。」
その声は、落ち着いていて、淡々としていた。
「全部、私の大っ嫌いなとこだ。」
視線は、下を向いたまま、私がつぶやいた言葉に、彼女がクスッと笑った声が聞こえた。
「知ってるよ。なんたって、わたしは未来人だからね。でも、辛い気持ちを誰かに話してすっきりすることもあると思うの。良かったらお姉さんの話、聞かせてよ!」
彼女の幼い容姿からは想像もつかない、包容力のようなものを感じた。
ああ。彼女はみんなみたいに、私を馬鹿にはしない人間なのだ。
それから、私は、今までに経験してきたことを彼女に話し始めた。
家が厳しくてよく叱られていたこと。
ピアノの練習は、どんなに頑張っても褒められなかったこと。
引っ込み思案で、友達とはうまく行かないことが多かったこと。
一人だけ、仲の良い友達がいたこと。
その友達とも、母が付き合いを許さなかったこと。
「私の意思とは別の、敷かれたレールを歩いてるみたいだった。」
なぜだか、いつもは自虐だと言われそうで、さらけ出せなかった、自分の弱い部分も全て、彼女には、臆することなく話すことができた。
彼女は、真剣な眼差しで話を聞いてくれている。
「それで、少し前に母が亡くなったの。正直、これで、思い切り、自分のやりたいことが、できるって思った。自由なんだって。…でも、いざ何か自分でやろうとした時に、やり方が分からなかったの。仲良くしてくれてたみいちゃんにも、今更会いにいけなかった。挑戦しても失敗ばっかりで、そのうち人付き合いが怖くなって逃げ出した。逃げきれなくて、家にいても不安が募っていくの。寝ると、母が、私を罵って、何もできない子だって、そう言う声が聞こえて、眠れない。私は、何もできない、愚か者なんだ。こんな私なら、いなくなった方がマシだって、何度も思った。」
本音を初めて口にしたことで、ああ、私は、自分は誰かに自分のことを聞いて欲しかったのだ、と感じた。
「話してくれてありがとう。今まで、一人で苦しかったね。よく頑張ったね。お姉さんは、とってもいい人。それをわかってくれてる人は、たくさんいるよ。」
彼女は、私のおでこと自分のおでこをくっつけて言った。
ずっと、母に欲しかった言葉を彼女からもらった気がした。
子どもの体温が心地よく伝わってきて、また、泣きそうになる。
「…お姉さんの未来を一緒に考えていく助っ人として、しばらくの間、一緒にいてもいいかな。」
「…うん。でも、どうしても自分が変われるとは、思えないんだ。」
「わたしも、今までのこびりついた習慣とか、考え方がすぐに変わるとは思ってない。」
「じゃあ、変われないんじゃ、、。」
彼女は、そんな私の言葉を聞いて、待ってましたと言わんばかりに私に言い放った。
「今から言うことを実行してくれたらきっと変えられます!今から言う3つのルールを守って生活してくれればいいから!」
三本立てた指が、ぐっと私の顔の前に押し付けられた。
「その一、一日に一つ目標を立てて、必ず達成すること。ただし、小さなものでよい。その二、苦手に思っていた人に積極的に会いに行って、話をすること。その三、今の自分を疑わないこと。」
「…どれも、無理な場合は、、。」
簡単でしょ、と出された三つのルールはまさに自分にはできないと思うものが並んでいて、さらに尻込みする。
真剣に考えて、無理だと思う。
人格を一からひっくり返して、一晩も二晩もぐつぐつ煮込んで、芯が完全に溶け切っても、しつこく残る臭みをハーブとか様々な調味料で打ち消さないと無理だと思う。
「一人じゃ確かに無理だった。でも、今なら。可愛くて頼りになる助っ人が、一緒にがんばるよ。一人には、しない。何があってもわたしたちは有志だ。」
私にはできる、と確信しているのか、私にしてもらわないといけないと、切羽詰まっているのか。どちらにしろ、今の私に断ることはできない。なぜなら、
「私の言って欲しい言葉、使うのはずるいって。」
「はは。じゃ、決まり!よろしくね!」
ニカっと、笑った彼女からまた、夏を感じた。
そうして、私たちの生活は始まった。
一日に一つ達成しなければいけないルールは、同じ時間に起きるとか、自分のいいところを書き出すとか、本当に簡単な物でよかった。ただ、三日坊主になりがちな私は、三日あたりから危うくなることもあった。
彼女は、私が家にいても外にいても、どこからともなくふわっと現れては、ルールを守れるよう助言した。
初めは、驚いたものの、それ以上に誰かが自分のしていることを肯定して、頑張れるように応援してくれることの方が自分にとって優先順位が高く、他のことはあまり気にならなかった。
「そろそろ、『ルールその二 苦手に思っていた人に積極的に会いに行く。』に、取りかかってもらおうかな。」
ルールその一に慣れ始めた頃、彼女は、ぼそっと、でも確実に私の耳に入る大きさの声で言った。
「…苦手な人、なんて、たくさんいるよ。」
苦し紛れに放った私の言葉に、彼女がニヤッと悪魔のように笑みで微笑んだ。
「ケータイ、見せてみなよ。この頃、丁度、あのメッセージが届くの、知ってるんだからね。」
ニヤッとした口角はそのままに、ケータイを見せるよう手を差し出される。
「な、なんだろうな、メッセージなんて、誰からも来てないよ。」
渋々、ケータイを受け渡すと、「あ、消したな。見てなさい。」と、ケータイで何やら操作をしながら、ぶつぶつと言っている。
操作が終わったのか、ぱっとケータイの画面を見せられる。
「わたしは、未来人よ。消したメッセージの復元方法だって今のわたしは知ってるの。でも、お姉さんは知らないはずね。消した後に後悔するお姉さんが気になって方法を調べるのは、もう少し後だから。」
興奮気味の彼女から、もう逃げられないことだけが分かった。
「…どうしても、これに行かないと行けないかな。」
「うん!どうしても!だって、こっっんなにいっぺんに、苦手な人に会える機会ないよ。ルールを守るのにぴったりだね、同窓会って。」
なんとも、残酷で、人手なしなことを言っている自覚は彼女にあるのだろうか。いやない。
恨めしそうに彼女を見つめてみる。
そんな私に気づいた彼女が言い放ったのは、
「明日ウォーミングアップに行こう。」
だった。
私に遠慮がなくなってきたな。と、また恨めしくなった。
「明日、着心地のいい好きな服を着て、お姉さんが話してたみいちゃんに会いに行こう。」
「え、みいちゃん?…それは、無理だ。」
ぐっと体に力が入る。
「…お姉さん、みいちゃんはずっと、お姉さんに会いたいって、何度も連絡してくれてるじゃん。」
ずっと、返事をしていない、溜まったままのみいちゃんのメッセージを見せられる。
「みいちゃんに最後会ったのいつか覚えてる?」
「…えっと、あれ、覚えてないな。」
「それもそのはずだよ。だって…最後に会ったのもう五年くらい前でしょ。お姉さんが避け始めてもう結構経つんだよ。」
みいちゃんに会ったのは高校の卒業式が最後だった。
唯一、仲良くしてくれていたみいちゃんを母の一言で避け始め、母が亡くなってからも、交流は避けていた。
変わらず連絡をくれるみいちゃんに、安堵しながらも、自分の都合で避けていたのだから、どんな顔で会えばいいのか、今更虫が良すぎるのではないか、考えれば考えるほど、避けるしかなかった。
「今すぐ会おうって、みいちゃんに連絡して。ずっと、みいちゃんに会って話をしたかったのは、お姉さんじゃないの?」
ぐっと、ケータイを押し付けられる。
「…みいちゃんは、私に怒ってる、と思う。私のこと、嫌いになってるかも、、。」
「お姉さん自身が、みいちゃんはそんな人じゃないってわかってるんじゃない?みいちゃんにこれから先会えずに終わったら、後悔するよ。絶対。お姉さんだって、会いたいの知ってるよ。怒られたら一緒に謝ってあげるから!」
いつになく真剣に彼女が言うものだから、
「…私、みいちゃんに会いたい。」
私も考える前に、本音がスッと出てきた。
みいちゃんに送るメールの文面が完成して、正座になる。この、送信ボタンを押したらみいちゃんに届いてしまう。何度も文面を読み返して、いざ、ボタンに指を置き、呼吸を整える。
「よし。たくさん確認したし、おかしなところはない。でも、念の為もう一度、」
送信ボタンから手を外そうとしたところを。
「あ、書けたんだね。これ押すだけだ、えい!」
「あああああ!送っちゃた。」
彼女が私の指の上から送信ボタンを押してしまった。
やんややんや二人で言っていると、みいちゃんからの返信はすぐに来た。
ピコン、と返信が来た音に興奮しながら、その内容をじっくり読む。
「あ、みいちゃん、明日会えるって、一時に高校の最寄り駅の前で待ち合わせすることになったよ。」
いつぶりだろうか。こんなに舞い上がった気持ちになるのは。
「よかった。じゃあ、今日の夜は一緒にファッションショーしながら明日の服を決めようか!」
「いいね!」
駅前に少し早く着き、キョロキョロしていると、私の方に手を振りながら駆け寄るみいちゃんが見えた。
目の前まで来たみいちゃんは、記憶の中の容姿より、ずっと大人っぽくなっていた。
「久しぶり!桜ちゃん!会いたかった。」
「わ、私も。会えて嬉しいよ!」
私たちはぎゅっと抱きしめあった。
みいちゃんのよくいくと言うお気に入りのカフェが近くにあることを聞き、そこでお茶をすることになった。
席に座ってすぐに話し始めたのは、みいちゃんだった。
「桜ちゃんの好きな飲み物、当ててもいい?」
昔のことを聞かれるのかと身構えていた私にかけられたのは、そんな突拍子のない言葉だった。
「このお店のメニューだったら、この甘いイチゴのやつでしょ!」
「うん。すごい、当たってるよ。さっき貼られてたポスター見て、それを頼むつもりだったの。」
「やった!やっぱり!桜ちゃんかわってないね。高校の時、自販機で甘いのばっかり買ってたの覚えてた、って、桜ちゃん泣いてるの?!」
瞳の中に込められた涙が、左の目から流れたのを合図に右目からも溢れてくる。
昔も今も変わらない、みいちゃんの、優しい声と眼差し、他愛もない会話が、私に向けられていることが嬉しくて仕方なかった。
「…私、みいちゃんにずっと、謝りたいと思ってた。高校で仲良くしてくれてたのに、無視してごめんなさい。ずっと、避けててごめんなさい。本当はずっと、前みたいに仲良くしたかったの。」
なくならない、辛い過去の記憶があることを私は知っている。だからこそ、みいちゃんにしたことをずっと後悔していた。
「…桜ちゃん、これハンカチ使って、顔あげてよ。私も、桜ちゃんに謝らないといけない。…本当はあの頃、桜ちゃんが私を避けてるの、お家のことがあって仕方なかったって、知ってた。どうにかしてあげたいと思ってたのに、私には何もできなくて、苦しかった。メッセージだって、その時の後悔をなくすための自己満だったのかもしれない。今まで助けてあげられなくてごめんね。桜ちゃんと会ってまた仲良くしたかったのはわたしもおんなじ。」
みいちゃんは、確かに大人っぽくなっていたけど、私と同じようにぽろぽろと涙を流す姿は、まだ幼さが感じられた。
「そ、そう言ってくれて、それだけで、嬉しいよ。これ、ごめんハンカチ。」
「うん。涙わけだね。ふふ。これからも、助け合っていこうね。」
今思えば二人して号泣の卓など、ここだけだったと思う。いつもなら周りが気になって仕方がないはずなのに、全くきにならなかったのは、自分の心が満たされていた、という理由に尽きるだろう。
(昔には戻れない。でも、今はより良くしていける。)
みいちゃんの笑顔が、その言葉の正当性を証明してくれていた。
「わたしの出る幕はなかったみたいだね!」
家に帰ると彼女は家のベットに寝そべっていた。
「うん、ありがとう。みいちゃんに会えて、少し気持ちが前に進んだ気がするよ。」
「良かった!次は同窓会だね!どう?行けそう?」
「…みいちゃんも一緒に行ってくれるって言ってたの。だから、頑張ってみるよ。」
「そっか、じゃあその時は、またファッションショーしないとね!」
「うん!」
あの時は、完全に浮かれていた。未来に行けるなら忠告したい、自分に。なぜ、未来人の彼女は言ってくれなかったのか。
とんとん拍子でいいことがあった時は、次はうまくいかないものだ。
目の前にはいつも私を無視して冷たい言葉をかけてきた斎藤さん(金髪でまつ毛バサバサで高校の時よりも怖く感じた。)、隣には私を毛嫌いしていたクラスメイト。みいちゃんは、遥か遠い席に座っていた。
同窓会で指定された居酒屋にみいちゃんと一緒に入ったところまでは、順調だった。そう、着いた時にはみいちゃんと一緒だったのに、気づけば、離れ離れになっていた。それは、どうしてかと言うと、なぜか、斎藤さんが私に声をかけてきたからである。
ここ空いてるよって。
断ることなどできず、同級生に、はい!と敬語で返事をしてしまった。
どこのテーブルも話が盛り上がっているようでガヤガヤとしている。
私以外は、今の仕事はどうとか、彼氏冷たいとか、そんな話をしていた。
私がすっとテーブルの上にあったきゅうりの漬物に箸を伸ばしたところで、
「桜ちゃんは、最近どう?」
と斎藤さんに尋ねられた。
「え、」
思わず、伸ばした箸の行き先を見失う。
間が悪いのも、昔からで、嫌になった。
「えっと、桜ちゃんて、呼んでいいかな。高校の時は、みよじで呼んでたと思うけど。最近、仕事とか、どう?」
私が答えないからか、追加の質問が来る。
「あ、全然大丈夫…です。実は、今仕事してなくて。」
恐る恐る答えると、隣にいた同級生たちが驚いたのか、えー、と声を出した。
「この年で仕事してないって、どうしたの?」
その声を聞いて、さーっと、血の気が引くのがわかった。私はこの、一見私を心配しているような質問の意図を知っている。
好奇心。それから軽蔑。
「…ちょっと、人間関係とか、うまくいかなくて、」
「あ〜。ぽいぽい!桜ちゃんっぽいね!まあ、無理せず頑張って!」
「は、はい。」
ポンと、肩を叩かれて、笑顔を向けられる。
これも知ってる。
私を見下して、嘲笑っているのだ。
いくら、時間が経っても、私は搾取される側であることが、身に沁みてわかった。
だから、やっぱり無理なんだ、私は、変われないし、相手も変わらない。
「…ちょっと、お手洗いに…。」
「いってらー。でさ、この前の話なんだけど、」
私が席を立つや否や、興味のある他の話題に話がそれ、複雑な気持ちのまま席を立った。
トイレに向かうふりをして、店の外に出る。
荷物は中に置きっぱなしだから戻らないといけないけど、今は少しでもこの場所から目を背けたかった。
近くにあった電柱に背を預け、小さくうずくまる。
このまま、消えてなくなっても、誰も悲しまないだろうな。
むなしい。憫然たるや。
「お姉さん、初めて会った時みたいな暗い顔してるよ。早く、戻んないと。ルールニ、忘れたの?」
上の方から声をかけられる。どこからか現れた、聞き慣れている彼女の声だった。
「…やっぱり、私なんてずっとこのままなんだよ。自信ない、、。」
「…そう思うのは、まだ早いみたいだよ。」
彼女の意識が私とは違うところにかけられたような声がした。
「どう言うこと、、。」
「桜ちゃん、」
私と彼女、二人だと思っていた空間に第三者の声が響く。
「さ、斎藤さん、」
声のする方を見ると、そこには私と同じように外に出た斎藤さんが立っていた。
「外、暑くないの?」
「…はい。大丈夫…です。」
「さっきも思ったけど、その敬語、やめてよ。同い年じゃん。」
「う、うん。」
そのまま立ち去るかと思った斎藤さんは、私の隣にしゃがみ込んだ。
「さっき、あの子達が、桜ちゃんのこと、バカにするような言い方したの、おせっかいかもだけど、怒っといたから。」
予想だにしない斎藤さんからの言葉に驚いて目を見開く。そんな私を見て、斎藤さんは爽やかに笑った。
「はは。急に馴れ馴れしいよね。…いや、私さぁ、昔結構やんちゃだったでしょ?桜ちゃんにひどい態度取ってたのも、ちゃんと覚えてる。だからって、昔のことなしにして欲しいとは、思ってない。許してもらえるとも思わない。でも、ずっと気に掛かってたのは事実。あの時はごめんね。」
着飾らない彼女の言葉は素直な気持ちに聞こえた。
「ううん。私も、あんまり自分から意見言えるタイプじゃなかったし、こうして、気持ちが聞けて嬉しいよ。」
少し、声は震えたけど、彼女の本音に、自分の言葉も自然と発することができた。
それから、斎藤さんは、にこっと笑って、さっき仕事してないって話してたでしょ?と話を続けた。
「私は高校卒業してずっと、工場で働いててさ。でも、実は仕事内容とか人とかで、コロコロ仕事辞めてんの、んで、今は、大学に通い始めたいって思ってるの。つまり、何を言いたいかって言うと、世の中うまくいかないよね、って話!」
少し照れくさそうに話す彼女は、昔の彼女ではなく、前を向いて頑張ってきた彼女なのだ、とわかった。そんな彼女が、素直に羨ましかった。
「…うん。大学、いいね。斎藤さんなら、きっと、うまくいくよ。」
「…ありがとう。桜ちゃんも、きっと、人生なんとかなるよ。てか、斎藤さん、じゃなくて、れなって呼んでよ。」
「れ、れなちゃん。」
「うん!これからは、人生を頑張る有志だね。」
時が経てば、人の人生や価値観は変わってくるもので、変わっていくのは怖いけど、変わろうとしたおかげで、出会い直せた人がいる。それは、これからの私の前向きな人生設計に必要な材料になることだろう。そう思った。
店に戻るとみいちゃんが、大丈夫?と声をかけてくれた。私は大丈夫になった!と答えた。
さっきの卓の人たちは、れなちゃんに怒られたからか、次々に謝ってくれた。
中には、口だけの人もいただろうけど、それでよかった。
私だって完璧な人間ではないのだ。そんな自分と仲良くしてくれる人を大切にしていこう。
受け身だった人間関係をやめ、自分のために、自分から行動していくのだ。そう強く思えた。
今、この気持ちを一番に聞いてほしい人は、決まっている。
早く彼女に会いたくて、今日のことを聞いて欲しくて、駆け足で家の扉を開けた。
「ただいま!あのね!あれ、、」
いつもなら電気が付いていて、彼女がいるはずなのに、今日は部屋は暗いままで、姿が見えない。
ドクン、と脈が速くなって、急に不安にある。
「ねえ、いないの?どこ、あ、、」
彼女の名前が呼べない。今まで聞いたことがなかったのだ。
ばっと、家を飛び出して、彼女に初めて会った横断歩道に行ってみる。どこを見渡しても姿が見えない。それを確認してすぐに、初めに彼女とたくさん話した公園に走る。
息が切れるが、そんなの気にならなかった。
むしろ、ここで止まれないと思ったら、力が沸いてきた。
夕方、日が沈み出した公園には、もう誰もいない。
涙をぐっと堪える。
「ねえ、どこにいるの。今まではずっと近くにいてくれたじゃん、どうして何も言わずに消えちゃうの、ねえ、さくら!!!」
彼女の正体を薄々感じ取っていたのは、いつからだったか、もしかしたら初めからわかっていたのかもしれない。彼女がわたしだと言うことに。
「私の後悔を無くさないと、私を救わないと、過去から抜け出せないんでしょう?!まだ、ルール三が残ってるよ!」
「…それは、これからの人生で守ってほしいことなの。」
後ろから声が聞こえて振り返る。
そこには、探し回っていた彼女の姿があった。
「自分を疑わずに、前を向いて生きていくの。今の私なら、できるはず。」
優しく笑った彼女から、彼女に会えるのは、きっと、これで最後なのだと言うことがわかった。
「い、いやだよ。最後まで一緒にいてよ。まだ、一人じゃうまく生きていけないよ。」
「もう、私は一人じゃないよ。助け合える仲間と信じていこうと思える自分がいるじゃん。」
「で、でも…お別れなんて…。」
「…人間はいつか死ぬよ。自分を嫌になったり、消えたくなる失敗をなかったみたいに生きろなんて無理なこと言わない。ただ、自分の選択を疑わないで欲しい。最善の選択ができなくても、それでいいんだよ。できないことがあってもいい。それでいいんだ。そのままの自分を愛して。そうしたら、きっとわたしもこのループから抜け出して、やっと自由になれる。わたしをたすけるつもりでさ!私らしく生きてよ。かつてのわたしから決別するの。」
しょうがない子供を見るような、少し呆れたように、私をあやすように彼女は言った。
「う…うまく、できるかな、私。」
「絶対、できる。私ならできるよ。信じてる。」
私は涙を手荒く服の裾で拭きあげ、最後のわたしとの会話をする決意をした。
「分かった。今まで、苦しい思いをさせてごめんね。私がわたしを絶対に幸せにするから、約束するよ!期待してて!」
私がそういうと、彼女は少し驚き、
「ずっと、言ってもらいたかった言葉だ。これで心置きなくいけるよ!ありがとう!」
と涙を一粒流した。
ぎゅっと私に抱きついてきたわたしをぎゅっと抱きしめ返す。
彼女が私の腕の中からスッと消えていく感覚ごとぎゅっと抱きしめた。
今度は、自分を大切に生きていくね。
遠くから見守ってね。
さようなら、わたし。




