6 その時、皇子は
「このクッキーは、おまえたちにはあげられないんだ。あいつが僕のために作ってくれたんだから……」
一人きりになったセレスティアンは、視線の先で忙しなく動き回る鶏に話しかけた。
「あいつ、ちょっと変な奴なんだぞ……」
あいつは――リュシーは、今までのメイドとは違う。
「あいつのこと、……信用してもいいと思うか?」
乳母が病気になって、療養のため里に帰ってから、何人もの奴らが世話係だとしてやって来た。
でも、奴らはセレスティアンが子供だと見くびって、聞こえるように不満を言ったり、どうせ誰も見ていないからと、仕事をさぼったりしていた。
それどころか、屋敷の中の物を勝手に持ち出したり、何とか皇子を言いくるめて、支給されている維持費を引き出そうとしたりもしていた。
けれど、乳母のテレサがいろいろ教えてくれていたおかげで、簡単にそんなことはさせなかった。テレサはよく、セレスティアンに言っていた。
「簡単に人を信じてはいけませんよ。殿下に優しいことを言う人が、本当に優しいとは限りません」
だからセレスティアンはいつも、ここに来た奴をしばらくはじっと観察することにしていた。何度もそうしているうちに、人の悪意の些細な兆しも見逃さず、敏感に気づけるようになったと思う。
そんなセレスティアンにリュシーは、悪意を向けるどころか、セレスティアンのことをいつも気にかけてくれている。それがいちいち、態度で伝わってくる。
だから何となく……何となくだけれど、リュシーには自分以外の奴のことなんて気にしてほしくないと思ってしまう。そんなことを考えるたびに、胸の中がザワザワするのが止められない。
(ジェイデン卿が嫌いなわけじゃない。むしろ好ましい奴だ。でも、何となく不快になることがある……なぜだ?)
ジェイデン卿は、信頼に足る人物だ。今まで会った大人の中で、下心なくセレスティアンに接してくれる、数少ない内の一人。今では剣術の稽古で、彼に会うのが楽しみにさえなっている。セレスティアンにとっていつしか、兄のようでもあり、父のようでもある存在になっていたのだ。
ぼんやりとそんな物思いに耽っていたセレスティアンは、視線の先にいたポポが、悲鳴のように甲高く鳴いたことで我に返った。
バタバタと羽を散らして暴れるポポの背に、大きな鷹の爪が食い込んでいる。軽々と持ち上げられてしまったポポは、それでも何とかその爪から逃れようともがいている。
「ポポを放せー! 返せってば!」
セレスティアンは辺りにあった石や枯れ枝を手あたり次第つかむと、ポポをつかんでいる鷹を目掛けて力いっぱい投げつけた。
ポポが激しく抵抗するせいで、鷹はそれほど高くまでは上がれずに、低い位置をよろよろと飛んでいく。追い駆けるセレスティアンは、必死で石を投げる。
離宮の庭園を抜け、木立の中に入り……そろそろポポも抵抗する力が尽きるかと見えた頃、セレスティアンが渾身の一撃で投げた石が、鷹の頭に命中した。
衝撃で鷹は高度を落とし、まもなくポポが枯れ葉の積もる地面に落下した。
「やったぞ!」
歓喜して、セレスティアンは地面に横たわるポポに駆け寄る。両手で抱えると、ポポは血を流して弱ってはいるものの、息を吹き返したかのように羽をバタバタとし始めた。
「おまえ……強いな」
ポポを生きて取り返せたことに安堵して、抱える腕が緩んだ。途端、ポポは数メートル先まで飛び退る。
「おいっ、待てって!」
そう言って追いかけようと数歩踏み出した、その時――。
突然、足元の枯れ葉の堆積が、雪崩のように崩れ落ちた。