61 許しを請う人
目を開けた時、セレスは目の前にいるその人に、リュシーの姿が確かに見えた。
自分を見つめるこの表情を、セレスは知っている。
冷たい暗闇の中にいた自分に、温かい手を差し伸べてくれた人――。
生きていていい、と教えてくれた人――。
目の前のその人を、衝動的に抱きしめていた。これが幻ではないことを確かめたくて、自然と腕に力がこもる。
拒まれてしまうかもしれない怖さに、彼女をしっかりと抱きしめた。
(早くこうしたかった……)
なぜ今まで、この手に触れなかったのか。手を伸ばせば、すぐにでも抱きしめられたのに。
激しい後悔に、セレスにはただ涙が溢れてくる。みっともなく思われても、かまわない。
彼女は何も言わず、セレスを抱きしめ返してくれた。背中に回されたこの手の温もりを、セレスはよく知っている。
あの頃も、よくこうしてくれた。このままその腕に体を預けてしまいたいけれど、あの頃とは違う。彼女の背中のほうが、ずっと小さくてか細いから。
細い腕で、セレスの背中を労わるように優しく撫でながら、彼女は言った。
「カラントの実を入れたお茶をお淹れしましょうか? お好きでしたよね? ちょうどレッドベリーのマフィンも届いたところですよ」
彼女の言葉に、柔らかな甘い香りの記憶が蘇る。同時にセレスは、自分の犯した過ちを思い知る。
(本当に、リュシーなんだな……すまなかった……)
なぜ、信じてやらなかったんだろう。突き放そうとばかりしたんだろう。
何度も兆しはあったのに。
(彼女に抱いてしまった気持ちを認めたくなかった……なんて俺は愚かだったんだろう)
幾度も機会はあったのに、怒りを装うしかなかった自分に歯噛みする。
なぜ一度でも、話を聞いてやろうとしなかったんだろう。突き放すばかりでなく、もっと彼女を見つめて、知ろうとしなければいけなかったのに。
謝っても謝り切れない。誰よりも大事なはずの彼女を傷つけ続けてきた自分に、今さら償うすべはあるのか――。
(リュシーは、俺を許してくれるのか? 俺に許される資格はあるのか……)
彼女を抱きしめたまま、セレスには思いつく限りの謝罪の言葉を連ねるしかできなかった。たとえ許さない、と言われたとしても。
悔いる言葉は、やがて嗚咽に変わっていった。
◆◆◆
私は子供のように泣きじゃくるセレスに、私がリュシーとして死んだ日に、私の名を呼びながら泣きじゃくっていた少年を重ねた。
「もういいんですよ。またリュシーと呼んでもらうことができて、私はそれだけで嬉しいんです」
気づいてもらえて嬉しい……。
もう永遠にその名を呼んでもらえることはないのかと思っていたから。
私はセレスからそっと体を離すと、ハンカチでセレスの涙をぬぐった。
不意に、その手をセレスに掴まれる。セレスは掴んだ私の手を自分の口元に持っていくと、その手のひらに優しく口づけしてくれた。
「ふふっ、殿下は本当に大人になったんですね……」
「いや……ええと……今のお前は、俺より年下じゃないか」
「そうでしたね……。ふふふ……」
「俺を許してくれるのか?」
「ええ、もちろんです。私はとっくに、殿下を許していますよ」
「本当か……許してくれるんだな……」
「はい、殿下」
「あ、……許してくれたのなら……その、殿下じゃなく」
「あ、そうでした! もう陛下とお呼びしないといけませんね」
「いや、……そうじゃなくて……昔みたいに名前で呼んでほしい。……セレスと」
頬をほんのり赤く染めたセレスに、熱が出てきたのかもと思った私は、自分の額をセレスの額につけてみた。昔よくそうしていたように。
「額は熱くないですね……」
「うっ……熱じゃない。……だから、セレスと呼んでくれないか? お前には、そう呼んでもらいたいんだ」
「はい、セレス様」
「うん……」
少し照れ臭そうにしたセレスが、私の肩に腕を回した。
そっと引き寄せられて、互いの鼻がつくほどまでに近づいた時。
バタンッ!
「陛下!」
部屋の扉が勢いよく開いて、ヨハン卿とジェイデン卿、続いてユマイラ宰相が入ってきた。私とセレスは、弾かれたように距離を取る。
「あ……」
何か悟ったらしい宰相とジェイデン卿は、部屋に入った途端、足を止めた。
皇宮医と共に一足遅れて入ってきたネスは、二人の様子に察した様子で、ニヤつきながら私たちを見ている。
一人、ヨハン卿だけは何ら動じる気配なく、ベッドに半身を起こしたセレスのもとにやって来た。私は席を立ち、その場所をヨハン卿に譲る。
「陛下、ご気分は?」
先ほどまでの泣き顔が嘘のように平然とした態度で、セレスは答える。
「……問題ない。俺は三日も眠っていたと聞いたが……」
「はい。その間は、我々のほうで、できることは処理しております」
「俺が動けない間、迷惑をかけたな」
「いえ。万事、恙なく遂行しておりますので、ご安心を」
実直なヨハンの報告を聞きながら、セレスは皇宮医の診察を受けた。