5 小さなお茶会
数日後、ニールは頼んでいたものを届けてくれた。
「ご依頼の物、お持ちしましたー! お約束通り、とびきり元気のいいのを3匹です!」
「ありがとう! 袋のまま庭に運んでもらってもいい?」
鶏の入った麻袋を庭まで運んでもらうと、私は袋の口を縛っていた紐を解いた。
中から勢いよく飛び出てきた鶏たちは、早速思い思いに庭に散らばって、それぞれ地面を突き始める。
「えっ……逃がしちゃうの? 食べるんじゃないの?」
怪訝な顔をするニールに、私は笑って返した。
「もう……そう思ってたんですか? 違いますよ」
鶏は雑草や虫を食べてくれる。まだ雑草を抜ききれていなかった庭園の一角に誘導すると、勢いよく雑草をつつき始めた。これで庭の手入れも少し楽になる。
「これ、卵を産むのか?」
いつの間にか庭に降りてきた皇子が、もの珍しげに鶏を眺めた。
「ええ。明日からたくさん産んでもらいますよ!」
「……お前、すごく嬉しそうだな」
「だって、卵があればお菓子をたくさん作れますよ」
皇子の目が輝いた。
「それなら、またこの間のマフィンを焼いてくれ。……パイも食べたい。クッキーも……」
「おまかせください! たくさん作りますから、楽しみにしていてくださいね」
「うん。……楽しみにしてる」
(あれ? 皇子が笑った?)
こくんと頷いた皇子が微笑んだのを見て、私の胸の中に温かいものがじんわりと広がった。
◆ ◆ ◆
「これ、ニールさんの分ですよ。どうぞ!」
ロスマリンのクッキーを詰めた小袋を渡すと、ニールは早速、袋を開いて覗き込む。
先日ニールが連れてきた鶏たちが生んだ卵で作ったものだ。卵は高価な食材だけれど、鶏たちのおかげで卵が毎日手に入るようになったことに感謝している。
「いい匂いですね! 嬉しいなー。ありがとうございます!」
「あの鶏たちのおかげで、いろいろ助かっているの。だからね、お礼に少しだけお裾分け」
「では、有難く! また何か欲しいものがあったら言ってくださいねー」
ニールを見送ると、私は厨房の調理台に置かれた卵の入った籠を見やった。
あれから少し、皇子の日々の日課が変わった。どういうわけか皇子は毎日、朝早くに庭を散歩して、卵を集めてきてくれる。その後も、庭の四阿で本を読みながら、時々、庭に放してある鶏たちを眺めているのだ。
(殿下が外に出ることなんてめったになかったのに)
これまでの皇子は、日がな自室か、書斎や地下の書庫にこもっているのが常だった。
それが今では、天気の悪い時を除いては庭に出ている。そんな皇子に鶏たちも慣れたのか、皇子の姿に気づくと、そばに集まってくるのだ。時には嘴で突かれたりもして……。
皇子から、鶏たちに名前をつけてもいいかと聞かれたので、どうぞと言うと、ピピ、ペペ、ポポとしたと後で教えてくれた。
「ずいぶん可愛らしい名前を選ばれたんですね」
「……覚えやすいのにしただけだ。好きな名前つけていいって言ったの、お前だろ?」
私にはどの子がそれだか見分けがつかない。
そう言うと皇子は、呆れたように言った。
「こんなに違うところがあるのに、見分けがつかないのか? ……お前は肝心なところで鈍いからな」
「……どこが違うのか、教えていただけませんか?」
「教えてやらない……自分で考えるんだな」
意地悪い物言いをしながらも、鶏たちと戯れている時の皇子は、何とも無邪気な笑顔を見せる。
そして私にも――。
ロスマリンのクッキーは、皇子のリクエストだ。近頃は作ってほしいお菓子をリクエストするようになった。そんな皇子の変化が嬉しい。
クッキーとティーセットを入れた籠を持って皇子のいる四阿に向かうと、もう一人先客がいた。
「ジェイデン卿もいらしてたんですね」
「今日は殿下に新しい木剣をお持ちしたんです。殿下が熱心に鍛錬されているので、これまで使っていた木剣が壊れてしまったものですから」
ジェイデン卿は頻繁に様子を見に立ち寄ってくれていたのだが、今は皇子の剣術の師にもなってくれている。
テレサ夫人がいた頃には、皇子のために教養や語学、剣術の教師も雇われていたらしいが、夫人亡き後は皆いなくなってしまっていた。
教養などの座学については、皇子が書斎や書庫にある本から独学で続けているようだが、剣術だけはそうはいかない。そんなことをこぼしたら、ジェイデン卿がその役目を快く買って出てくれたのだ。
「ああ、それと。これはリュシーに」
ジェイデン卿は短剣を私に差し出した。
「念のため、リュシーも剣を携帯していたほうがいいでしょう。せっかく剣を握れるのだし、邸の中で殿下をお守りするのに必要でしょう?」
確かにそうだ。邸の中には私しかいないのだから。
「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきますね」
ジェイデンの厚意に感謝して、有難く受け取った。
そして二人分のティーカップにお茶を淹れた私に、皇子が唐突に言う。
「おまえも……そこに座れ。一緒にお茶を飲むんだ」
「えっ? 私ですか……。いえ、使用人の私が殿下たちと同じ席に着くのは恐れ多いことですから……」
慌てて固辞した私に、ジェイデン卿が微笑んだ。
「せっかく殿下がそうおっしゃっているのだから、お言葉に甘えたらどうですか? さあ、リュシーもここに」
ジェイデン卿は、円卓で向かい合う席に座っている皇子と自分との間の椅子を引いて、私に座るように促した。これ以上断るのも失礼かと思い直して、私は自分の分のお茶も淹れると、大人しく席についた。
「美味しいお茶ですね。リュシー、これは何のお茶ですか?」
ジェイデン卿に問われて答えようとしたら、皇子に先を越された。
「紅茶の茶葉にカラントの実を混ぜたものだ。僕の好きなお茶だから、リュシーが僕のためによく淹れてくれる」
澄ました顔で答えると、皇子はすいっと上品にカップを傾けて口をつけた。
(ん? いつもは「お前」なのに……)
皇子に名前で呼ばれるのは初めてだ。不意打ちされた私は思わず言葉に詰まる。
そんな私を察したのか、ジェイデン卿は口の端を少し上げ、ウインクして見せた。
(えーと……それは何の合図でしょうか……?)
戸惑う私のブラウスの袖を、皇子が摘まんで引っ張った。
「殿下、どうしました?」
「いや、ええと……このクッキー、僕が頼んだやつだろ?」
「ええ、そうですよ。ロスマリンのクッキーです。香りがしますでしょう?」
「うん。リュシーの作るものは美味しいな」
美味しいなんて、素直に褒められたのも初めてだ。
いつもと様子が違う皇子に面食らっていると、ジェイデン卿がふっと笑った。
「殿下、美味しいお茶とお菓子をごちそうさまでした。私はそろそろ皇宮に戻りますね」
「ああ。では、また次の稽古の日に。……あ、おいっ、それは駄目!」
皇子の足元に寄ってきた鶏が、円卓に飛び乗ってクッキーを突こうとしている。慌てた皇子は、その鶏を抱きかかえるようにして地面に下ろした。
「その子もお腹がすいたのでしょう。厨房に野菜くずがありますから、その子たちに持ってきますね」
席を立ったジェイデン卿を追うように、私も席を立った。