4 母の思い出
「今日は、お庭にお茶をご用意しますね」
このところ、天気のいい日は、庭園の四阿にお茶を用意していた。
テーブルについた皇子の前に、焼きたてのマフィンとお茶を淹れたティーカップを並べる。
レッドベリーをふんだんに入れて焼いたマフィンから、甘酸っぱい香りが漂う。
「お庭に美味しそうなレッドベリーがたくさん実っていたので、それを入れて焼いてみたんです」
「レッドベリー……」
皇子はナイフで一切れ切って口に入れると、レッドベリーの茂みのほうへ目をやった。
「乳母のテレサが……レッドベリーのパイやクッキーをよく作ってくれた。お母様が好きだったと言っていた」
「レティシア皇后様が……。もしかして、レティシア皇后様は、ロスマリンもお好きだったのでは?」
「うん。……どうして知っている?」
「お庭に、ロスマリンがたくさん植えられているようでしたから。ロスマリンは枝や葉が枯れていても、その爽やかな香りは残るんです。そんなロスマリンが庭園の至る所に植えられていた痕跡がありましたから。特に、植栽の間の散策用の小径には必ずと言っていいほどあるんですよ。今日のお茶は、乾燥させたロスマリンの花を少し入れて香りづけしてあります」
「……お母様は、ロスマリンの香りが好きだったとテレサが言っていた……」
ロスマリンは、小さいが鮮やかな水色の花をつける。その花にも葉にも、清涼な香りがある。
二階を掃除していた時、ある部屋に大きな肖像画が掛けられていた。プラチナブロンドの髪に皇子とよく似た涼やかな瞳をした女性が、微笑みを浮かべている。その女性がレティシア皇后だとすぐにわかった。
テレサ夫人はきっと、皇子に母后の存在をいつも身近に感じられるようにと、繰り返し思い出を語っていたのだろう。たとえ生まれてすぐに亡くなった、顔も知らない母君ではあっても、この花の香りと共に見守ってくれているのだと伝えたかったのかもしれない。だから、皇子は一人ではないのだと――。
「……懐かしい香りと味がした。お前に感謝する」
そういうことなら、皇子がよく行く部屋には、ロスマリンを飾ることにしよう。乾燥した花や葉をポプリとして置いてもいいだろう。いつでも母君のことを感じられるように。
皇子はまた一切れ、マフィンを口に入れる。いつも無表情だった皇子の顔が、僅かに綻んだように見えた。
◆ ◆ ◆
「実は、手に入れてほしいものがありまして……」
今日は、出入りの商会が食材を運んでくる日だ。私は、厨房に食材を置いて帰ろうとしていたグランデオ商会のニールを呼び止めた。
「何が欲しいんですか?」
昨夜、皇子は私に、離宮に支給されている維持費を自分が管理していると話してくれた。
こんなまだ子供と言ってもいい皇子が自分で管理しているなんて、と驚いたが、乳母のテレサが幼い頃から教えてくれていたらしい。
支給されている金額は決して十分ではなかったけれど、つつましく遣り繰りしていけば問題はなさそうだ。そこで皇子に許しを得て、ニールに頼むことにした。
グランデオ商会は、本来は貴族ではなく、平民との取引を主としている。なので、価格も抑えめなのが助かる。
皇宮に出入りしている貴族相手の商会なら、いくら寂れた離宮に住む皇子であろうと、相手が皇族ということで遠慮なくもっと高値を吹っかけてくるはずだ。だが、グランデオ商会は、そんなことはしない。商会の会頭であるタルシオは、元は貴族の出で、不正を嫌う高潔な人物だと聞く。しかし、平民との取引が多い商会を貴族たちは蔑んで、取引するのを恥と思う節があった。
グランデオ商会が離宮に出入りし始めたのは、乳母のテレサ夫人がいた頃だという。皇族の外聞ばかりを気にせずに、先々の皇子の境遇を見越して出入りの商会を決めた夫人は賢い人だったのだろう。
欲しいものを告げると、ニールは一瞬驚いたようだったが、すぐに私の意図を理解してくれた。
「なるほど……。わかりました! では、次に来る時に持ってきますね。お代はその時に!」
気のいいニールは、「とびきりいいのを、僕が選り抜いてきますよー」と言い、にっと笑って帰っていった。
しぱらく離宮での、ほのぼの暮らしが続きます。