3 頼もしい協力者たち
皇宮を後にして戻ってきた私は、離宮の門を守る若い兵士が誰かと談笑しているのが見えた。
私が近づく気配に気づいたのか、その人がこちらに振り返る。見知ったその顔に、私は笑顔で呼びかけた。
「ジェイデン卿!」
「ああ、やっと会えましたね。このところリュシーを見かけないので、メイド長に聞いてみたら、こちらに異動になったと聞きました。ここはどうですか?」
「何とかやっています。前任のメイドが何人も辞めたり逃げたりしている、って聞いていましたが、私にとってはそれほど悪いところではないです。むしろ、ここのほうが皇宮で働くよりいいくらいです……」
「そうですか……。それならよかった。とにかく、リュシーの顔が見られて安心しました」
メイドの私にも、常に紳士的に接してくれるジェイデン卿。こういう人を騎士の鑑というんだろう。
皇宮に来たばかりの頃、仕事に慣れない私は、事あるごとにあの三人組のメイドに嫌がらせをされていた。そんな場に偶然通りかかって、さりげなく助けてくれたのがジェイデン卿だ。それをきっかけに、顔を合わせれば言葉を交わすようになった。
いつかジェイデン卿が、郷里で暮らす妹のことを話してくれたことがある。ジェイデン卿の生まれも騎士の家系だ。そこに生まれた妹は、少々元気すぎるところがあり、兄であるジェイデン卿を真似て、幼い頃から剣術のまねごとをしていたのだとか。
だから、同じく騎士の家系に生まれ、子供の頃から父に剣を習っていたと話した私に、妹を思い出したと言ってくれた。以来、その腕がなまらないようにと、何度かこっそり皇宮の裏手の森で剣の稽古に付き合ってくれたりもしたのだ。
「ここの門番は皇宮騎士団の見習い兵士が交替で務めることになっているので、時々様子を見に来ているんです。もし何かあったら遠慮なく言ってくださいね。あ、こいつらに言ってくれてもかまいませんよ」
そう言ってジェイデン卿は、若い兵士の肩を軽く叩いた。人の好さそうな顔立ちの兵士が、元気よく私に答える。
「はい! お手伝いできることがあったら、僕に言ってくれてかまいません!」
「じゃあ、その時はお願いしますね」
「だが、レイモン、警護も怠るなよ」
ジェイデン卿に釘を刺されて、レイモンと呼ばれた兵士は「はい!」と敬礼した。
また来るから、と言って皇宮のほうへ戻っていくジェイデンを、私はレイモンと見送った。
エントランスに入ると、なぜか皇子に出迎えられた。腕組みして仁王立ちしている皇子は不機嫌そうだ。
「おい、おまえがさっき話していた奴、誰?」
「えっと……、門のところで話していた騎士様のことですか? ジェイデン卿です。皇宮第二騎士団の団長さんで、ここの門を守っている兵士さんの見回りに来たそうです」
「……親しげだったけど、知り合いか?」
「はい。私が妹さんに似ているとかで、これまでよく話しかけてくれたんです」
「ふうん……おまえが庭にも見当たらなかったから、これまでの奴らみたいに逃げ出したのかと思ったけど、違ったようだな」
「心配いりませんよ。私は逃げたりませんから」
「心配なんて、するわけないだろ……」
私のことを探していた?
そう言えば皇子は、私が掃除をしている時には、いつの間にか現れて、同じ部屋の隅で本を読んでいたりする。
埃が立つので別のお部屋で読書されてはいかがですか、と言っても「今はここで読みたい気分なんだ」と言ってそのまま居座る。
厨房で料理を作っている時には、厨房に置かれたテーブルに座って本を読んでいる。私が逃げないように監視しているのかとも思えるが、もしかしたら違うのかもしれない。
この間なんて、手付かずだった部屋を掃除して、家具の配置を変えたりして模様替えをしていた私に、「おまえが邸の中を走り回るから、騒々しくて本に集中できない」と言いながら、「それはどこに置くんだ?」なんて聞いたりして手伝ってくれたのだ。
気難しい性格だと聞いてはいたけれど、今のところ全くそうは思えない。
確かに不愛想ではあるけれど。
(そう言えば、殿下の笑った顔はまだ見たことがないな……)
口ではしきりに、一人でも寂しくないふうに言ってはいるけれど、本音はそうではないのだろう。こんな大きな屋敷の中に、話し相手もいず一人でいるのは不安なはずだ。
「これからお食事の支度をしますね。今日は私がパンを焼きますから、楽しみにしていてください! 焼きたての温かいパンをご用意しますよー」
いつもは皇宮から届けられるパンを出しているが、焼かれて時間の経ったパンは、硬くてあまり美味しくない。だから思い切って、ここで焼いてみることにしたのだ。
皇子には、せめてできるだけ温かい食事を用意してあげたいと思う。体が温まると、心まで温まる気がするものだから。
◆ ◆ ◆
夕食を皇子の部屋へ運んでいくと、皇子は分厚い本を読んでいるところだった。
ちらりと見えたタイトルからして近隣諸国の政治史を説いた本のよう。この歳頃の少年に本来なら理解できるような内容ではないはずだ。
「殿下は本がお好きなんですね」
「何もしないでいるのは退屈だからな。書庫にある本はほとんど読んだ」
確かに皇子は一日のほとんどを、自室と書庫を行き来して過ごしている。
考えてみれば、この年齢の皇子なら当然のように一流の教師がついて教育を施すわけだが、ここにそんな者はいない。だから書物から独学で学ぶしかないだろう。
「殿下はすごいですね!」
「……べつに。他にすることがないだけだ」
テ―ブルについた皇子の前に、熱いスープと焼きたてのパンを並べた。香ばしい香りに、何だか幸せな気分になる。
スープをひと口、口に入れた皇子がぼそりと言った。
「お前の作るものは、いつも温かいな……。これまでのメイドは、冷めた料理ばかり出してきた。あと、具が少なくて、薄いスープばかりだったし」
えっ、冷めた料理ばかりって……。
それは典型的な主人に対する嫌がらせだ。具が少ないのも、もしかしたらわざと?
確かに支給される食材は多くはないが、私が作っている程度の具材はスープに入れられるはずだからだ。
そうすると、こういう場合によく聞く話は、あえて主人を怒らせて、ここを追い出してもらえるようにするためか、あるいは主人に悪意のある誰かから、そうするように言われていたか………だ。ひどい場合は、支給された食材の一部をどこかに横流ししていたことも考えられる。
よくもまあ、そんなことができたものだと呆れると同時に、意地でも満足してもらえるものを用意してあげたいという気にもなる。専属メイドの意地ってやつかな?。
「では、これからもできるだけ温かいうちにお出しできるようにしますね」
(明日からは畑づくり、がんばるぞ!)
にこっと笑って答えると、心の中で強く決意した。
◆ ◆ ◆
翌朝、庭園に出た私は、門兵のカールに呼び止められた。
門兵は、朝と夕と深夜の三交替制らしい。今朝はカールの番だ。
「オランドさんっていう人が、これリュシーさんに、って」
朝早くに届けられたという木箱には、箱いっぱいに野菜の苗が並んでいた。
隙間に押し込むように入れられていた布袋の中身は、何種類かの種だ。いずれもすぐに育つ根菜と葉物野菜のものだった。これらを畑に植えれば、数か月後には食べきれないほど収穫できるはずだ。
私と一緒に木箱を覗き込んでいたカールが、不思議そうに尋ねた。
「これ、野菜の苗ですよね? リュシーさんがここで育てるんですか?」
「そうよ。私は実家の庭で野菜を育てていたの。たくさん取れたら、あなたたちにもお裾分けするわ」
実は、この庭園には、食べられる果物や木の実をつける樹木もけっこう植えられている。
今まさに、レッドベリーがたくさん実をつけていた。これは日に干してよく乾燥すれば、長く保存できる。花弁が小さくて目立たないレッドベリーは、庭園の植栽に不向きとされる低木だが、なぜかこの庭の一角に広範囲で植えられていた。
他にも、リンゴや柑橘系の木も何本も植えられていて、見事な花を咲かせている。時期になれば、これらもまた立派な実をつけてくれるだろう。
今日はお茶の時間に、レッドベリーでマフィンを焼いてみよう。
(殿下、喜んでくれるかな……)
庭の畑に苗を植え、種を蒔き、一仕事終えた私は、レッドベリーを籠いっぱいに積んで邸に戻った。