38 メイドは仮面を外す
「皇太子殿下に、公女様からのお手紙をお届けに参りました」
扉の外の声に、執務室でセレスと話し込んでいたジェイデンが応える。
「入れ」
封書を手にしたメイドが入ってきた。
廊下で守る衛兵が扉を閉めるなり、室内に三人しかいないことを見て取ったメイドは、手にした封書をセレスの執務机に叩きつけるように置いた。
ジェイデンが呆れた顔でメイドを咎める。
「おい! 殿下に対してその態度は無礼だろ?」
「誰が無礼だって? もともと僕はこうなんだよ。……まったく、今回はやりすぎじゃない? ジェイは止めなかったの?」
「それは……」
決まり悪そうに渋い顔をしたジェイデン卿に代わり、セレスが答える。
「ジェイデンは関係ない。エルネス、まさかあの女の肩を持つつもりか?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ……」
長椅子に、どさっと腰を下ろしたエルネスと呼ばれたメイド――公女付きのメイドのネスは、スカートの両端をつまんで煽ぐようにパタパタさせると、不遜にも足を組んだ。
「あーんな嫌みなこと、わざわざしなくったっていいんじゃないの? って、僕は言いたいだけ。子供じみてるよ」
「俺の勝手だろ。放っておいてくれ」
「そりゃあ、僕だって、サルストゥス辺境伯家の次男、エルネスティ・サラストゥスの名にかけて、我が領地にやられたことを考えれば、バローヌの奴には煮えくり返るほど腹が立つし、仕返ししてやろうと思ってる。でもさ、公女様が手を下したわけじゃないし、ましてや企んだわけでもないでしょ? 彼女にしてみれば、セレスのひどい態度は、理不尽極まりないだけだと思うよ」
それに……と、エルネスは着けていたヘッドドレスをむしり取る。
「あー、もうっ! 大人しくメイドやってるのも、疲れるんだからねっ!」
「お前も街で公女様を手伝ってるんだろ?」
ジェイデンに聞かれたエルネスは「そうだけど。悪い? 公女付きのメイドの仕事だからね」と口を尖らせた。
「あのさ……公女は、公爵とは似ても似つかないよ、僕が見た限りね。セレスが信じたくないって気持ちはわからんでもないけど……僕は自分の目で見たものしか信じないたちなんだよね、噂なんかじゃなく」
エルネスの生家、サラストゥス辺境伯領は、50年前までは荒れた野山が広がり、お世辞にも豊かとはいえない地であった。それをエルネスの祖父と父、二代にわたる当主が尽力し、荒野を開拓して農地を広げ、街道を整備して国内外との交易を活発にした。
おかげで皇国内有数の豊かな領地が築き上げられたのだが、先の戦火で、収穫を迎えようとしていた小麦畑を焼かれ、国境に近い街道沿いの街を破壊された。元の繁栄を取り戻すには、この先数年を要するだろう。
無辜の領民の犠牲も多く、何代にもわたり仕えてきてくれた家門の騎士や忠臣を何人も失った。エルネスも、親しい友人や知人を何人か失っている。
エルネスは、この災禍を辺境伯家にもたらした重罪人としてバローヌ公爵を疑い、その罪を必ず償わせてやると強く決意している。その決意は簡単に崩れはしないことを、セレスもジェイデンもよく理解していた。
エルネスは、姿こそ黙っていれば可憐な少女のような見た目だが、それに反して性格は、好悪の落差が激しく、容赦がない。
だから当然、セレスは、エルネスは仇の娘と言える公女を毛嫌いし、悪しざまに罵るものと思っていた。なので、満更でもない公女への評価にひどく意表を突かれた。
「お前がそう言うなんて、驚いたな」
「そうかな? まあー、確実に言えるのは、変なお嬢様だっていうこと。普通じゃないよ。夜に部屋を抜け出して、護衛騎士と剣の訓練してたし」
これを聞いて、セレスは昨夜の庭園を思い出す。あれは訓練所から部屋へ戻るところだったのか。
脳裏に浮かんでくる、庭園で目にした姿。
それを想うと、胸の辺りがかき乱されるように苦しくなる。
セレスはその幻像を振り払おうと、エルネスとの会話に意識を戻した。
「言いたいことはそれだけか? 他に何か報告は?」
「うーん、今のところはそれぐらい。公女も特に公爵に連絡している素振りもないし。そのあたり、僕がしっかり監視してるからね。むしろ、娘にまったく全く会いに来ない父親、っていうのも珍しいね。公爵から放置されていたっていうのは、本当みたい。公爵も娘を手先に使うつもりはないんじゃない?」
ジェイデンが思い出したようにセレスの前に置かれたままの封書に目をやった。
礼を伝えるにしてはマナーに反する、味気ない封筒――。
「その公女様からのお礼状、とても感謝を綴ったものじゃなさそうな雰囲気ですよ。どうもお怒りを示されているようですね」
「あ! さすがジェイだね。正解―! じゃ、僕は渡すものは渡したからね」
エルネスは跳ねるように長椅子から体を起こすと、再び一介のメイドに戻るべく、ヘッドドレスをつけ直して出ていった。
「あのエルネスも、ああ言ってますし、殿下も公女様にもう少し婚約者らしく接してみてはいかがですか?」
「いや、その必要はない」
「まだ本性を現してないとお思いなら、優しく接してみて、油断させたほうが何か出るかもですよ。今の殿下の接し方では、あちらも警戒して、何も見せまいと警戒するだけです」
ジェイデンの言葉に一理あるのはわかっている。
しかも、エルネスの観察眼と直観は、置かれた環境で研ぎ澄まされてきた一級品だ。
彼には、幼い頃から貴族たちの悪意と好奇の目が注がれてきた。
どうせ爵位を継げない次男だからと見下す者、エルネスの容姿に惹かれて下心ある視線を向ける者、年若いからと甘く見て遠慮のない言葉を投げつけてくる者……。
おかげでエルネスは、何気ない美辞麗句と作り笑顔の裏に巧みに隠された悪意や嘘を、見逃すことなく感じ取る。
そんな彼の特異稀な気質を買って、セレスはこれまでも、内情を探りたい家門にメイドや下働きとして潜り込ませた。ターゲットとなる人物を探るには、メイドが一番都合がいい。
もとから中性的な容姿を自覚していたエルネスは、たびたびドレス姿で令嬢を装い、気に入らない貴族をからかうことを楽しんでいた。おかげでメイドに扮しても、疑われたことがない。
退屈を嫌い、刺激を好むエルネスは、役目を嬉々としてこなし、いつも想定以上の結果をもたらしてくれた。おかげでセレスは、幾度も危うい橋を渡りつつ、判断を誤らずにやってこられたのだ。
「わかっている。でも、そうすることを自分に許せない、俺がいるんだ……」
セレスはまた浮かんできた月明かりの下の幻を、振り払おうと頭を大きく振った。




