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18 好きなもの? 嫌いなもの?

 それから数日間、私はベッドの中で過ごした。

 マリーがたびたびやって来ては、食べ物や飲み物でほしいものがないかと聞いてくれた。それ以外の人の出入りはない。時折、廊下をおしゃべりしながら通り過ぎていくメイドたちの声が聞こえてくるだけで、静かなものだ。

 静けさに呑まれて、うつらうつらとしていると、頭の中にまた、あの声が忍び込んでくる。


 ――少しでいいから、私のことを気にしてほしかった。愛されたかった。抱きしめてほしかった……次は、優しい家族のもとに生まれたい……。


 声と同時に、孤独に過ごしてきた記憶が流れ込んできた。

 私に無関心なお父様。そして、完全な政略結婚で結ばれたお母様とは、結婚当初から義務的な夫婦関係でしかなかったと聞いた。

 お母様は私を生むとすぐに、私を乳母のマリーに託して、領地の城に行ってしまった。以来、お父様とは別居生活を送っている。

 幼い頃、マリーに聞いたことがあった。


「お母様は、私のことが好きじゃないのかな? だから皇都にはいらしてくれないの? 私に会いたいと思ってくださらないの?」

「お嬢様……。そんなことはありませんよ。奥様もお嬢様のことが大好きでいらっしゃいますよ。今は領地の管理でお忙しいので、こちらにいらっしゃれないだけなのです。お嬢様がもっと大きくなったら、会いに来てくださいますよ」

「……わかったわ。マリー、ありがとう」


 子供心にも、私は慰められているのだと、わかっていた。

 マリーの言葉が嘘だということを知っていた。

 なぜならよく、メイドたちがひそひそと私を見て話しているのを聞いたことがあったからだ。


「お嬢様もかわいそうよね。奥様は子供がお嫌いだから」

「いや、それだけじゃないからね。奥様は閣下を嫌っているので、そもそも閣下との間のお子様だってことが嫌なんでしょうよ」

「あー、それって、貴族の義務で、とりあえず子供ができたから、これで妻の務めは果たしたからいいでしょ? ってやつだわー」

「そう考えると、貴族に生まれるのも善し悪しだわ。贅沢はできないけど、好きな人と結婚できる自由がある私たち平民のほうが、人生は楽しいかもね」

「ほんと、そうかもねー」

「そうそう!」


 私にまで聞こえないように声をひそめて話しているつもりが、話が弾んできて、だんだん声が大きくなっていることに当人たちは気づいていないらしい。

 ふふふ、と笑い合うメイドたちから逃げるようにその場を去った私は、その日、食事の時間を告げに来たマリーも無視して、部屋に閉じこもった。


(お母様は、私が嫌い……。だから会いに来てくれないのね)


 そうは思っても、誰かにそれを否定してほしくて、マリーに尋ねてしまっていたのだ。

 たとえ、慰めにすぎないとわかり切った言葉だとしても。


(私はここに、お母様に置いて行かれたのかな……)


 でも、もう小さな子供じゃないんだから、私もいい加減、お父様とお母様のことは、そういう人たちなんだと、あきらめたほうがいい。


 ――そうよね。私もわかっていたのよ……。


 また、あの声。

 そこへマリーがやってきた。その明るい声と表情に、私は現実に引き戻される。


「お嬢様。起きていらしたんですね。今日は良く晴れていいお天気ですから、部屋の空気を入れ替えましょう」


 マリーがバルコニーへ続く扉を開け放すと、温かな風が部屋の奥まで入ってきた。


「お茶の準備をいたしましょうか? お嬢様のお好きな茶葉が届いておりますよ」


 えっと……? 私の好きなお茶って何だっけ?


「うーん……。お茶は今はいいかな」

「それでしたら、お庭を歩いてみてはどうでしょう? お嬢様のお好きな薔薇が咲き始めましたよ」


(薔薇? 好きだった、のかな……?)


 マリーに支度をしてもらい、私は庭に出た。そよぐ風に仄かに甘い香りが混じっている。


「あちらですよ。昨日から咲き始めたそうです」


 マリーが指さしたほうに、白いカップ咲きした薔薇の花がいくつもほころんでいた。周りについた蕾も、明日には開きそうなほど色づいたものが数えきれないほどある。これがすべて咲きそろった日には、さぞ芳しき眺めが臨めるだろう。


 何日も部屋の中に閉じこもっていたせいで、外を歩くのが思いのほか楽しい。公爵邸の敷地は広大だ。足に任せて庭園の奥へと進んでいくと、やがて灌木が茂るエリアに立ち入った。


「お嬢様、ずいぶん歩かれましたね。お疲れではないですか? そろそろお部屋に戻りましょう」

「そうね」


 邸のほうへ戻ろうとドレスの裾を翻した時、木立の奥から、金属が激しくぶつかるような高い音が響いてきた。


「この先に、バローヌ騎士団の訓練所がありますから、今ちょうど訓練中なんでしょうね」


 マリーの言葉に、私はなぜか心ひかれる思いがした。


「訓練を見てみたいわ。マリー、久しぶりに体を動かしたせいか、今、すごく気分がいいの。だから、もう少し付き合ってくれない?」

「えっ、いいんですか?」


 マリーが怪訝な顔で私を見た。


「お嬢様は騎士たちがあまりお好きではなかったはずですが……。剣を交える姿も怖いと言っていたじゃないですか?」

「そうだった? うーん……でも今は、怖いなんて気持ちはまったくないし……。それよりもなぜか見に行きたい気分なのよ」

「……そうですか。お嬢様がそう言うのなら、行ってみましょうか」


 なおも納得のいかない表情をしたマリーを連れて、音を頼りに木立の中を進んでいった。



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