9 広がっていく世界
「じゃあ、あの水路は途中で壁が崩れてしまっていて行き止まりとなり、どこにも通じていなかったってことですか?」
「まあ、そういうことだ」
マフィンを頬張ったレイモンに問われて、ジェイデン卿は素っ気なく返す。
水路の探索を終えた私たちは、ウロスの伐採など、このところいろいろ手伝ってくれたお礼に、レイモンとカールもお茶に誘った。
水路が地下書庫に通じていたことは、我々三人だけで秘めておこう――そう言ったジェイデン卿に、皇子も同意した。この水路は、有事の際に離宮の住人の脱出を可能にする隠し通路だ。秘密の脱出路の存在は、無闇に知られてはいけない。
あれから私たちは水路を引き返し、レイモンを待たせていたところまで戻った。
「しばらく中を探ってみたが、何もなかった。ただの古い水路にすぎなかったよ」
「やっぱりそうですよねー。あ、リュシーさん、このマフィン、すっごく美味いです!」
「ほんと、美味しいです。俺、こういうの、食べたかったんですよね! 俺の母さんもよく作ってくれていました。懐かしいなあ……」
レイモンもカールも、騎士団の兵舎暮らしで甘いものに飢えているのか、私が用意したマフィンやクッキーに次々と手を伸ばす。その傍らで、皇子も一緒にお菓子の盛られた皿に手を伸ばしている。
あらかじめ皇子はレイモンたちに「僕に気を遣わず、お茶を楽しんでくれ」と告げていたのだ。しかも、「リュシーの作るものはどれも美味いんだ」という一言まで添えて。
「たくさん焼きましたから、遠慮しないで食べてくださいね。それと……殿下が、今後は皆さんとお茶をご一緒したいとのことですから、いつでもお寄りくださいね。皆さんの分もご用意しておきますから」
今回の一件から、ジェイデン卿は離宮の警護の強化を申し出てくれた。
とはいえ、皇宮からは以前より「離宮についてはいずれの騎士団も一切の関与を許可しない」とのお達しが出ているとのことで、さすがに表立っては難しい。なので、あくまで内々に、ということで策を練った。
「ここに、非番の連中が出入りすること自体は問題にならないはずです。しかも、殿下ではなく、リュシーを訪ねてということなら――。それは公務ではないし、リュシーという友人に対する私的な訪問ですからね。命令にも規律にも違反していませんし、訪ねてきた騎士たちを処罰する理由もありません」
ジェイデン卿の言葉通り、それからは毎日のように誰がしか騎士団の騎士や見習い兵たちが離宮を訪ねてくるようになった。
私は彼らにお茶や食事を振る舞う。
それでも庭園に設けた畑には次々と野菜や果物が実るようになっていたので、食材に困ることはない。むしろ彼らが時々、自分たちが狩ってきた鳥や魚、動物の肉を差し入れしてくれることもあり、以前より食卓が豊かになったくらいだ。
初めの頃こそ、他人との交流に慣れない皇子は警戒の色を示していたが、次第に顔なじみの騎士や兵士が何人もでき、親しく会話をするまでになった。
騎士たちの話題は、皇宮の内だけのことに留まらない。
街での出来事が話題に上ることもあれば、皇都から遠く離れた領地の話や隣国の噂話も包み隠さず聞かせてくれた。そんな騎士たちの話に、皇子はきらきらと目を輝かせて耳を傾ける。
そんな皇子が、ほどなくしてこう言い出すのは、ある程度は予測できたことでもあった。
「街に行ってみたい……ねえ、リュシー!」