素敵なぽよぽよ様に出会いました
セリーヌは身近な人から男性の趣味が悪いとよく言われていた。
彼女が好きなのは、世間一般の好みとは外れることの多い、ふくよかな男性である。
胸は厚みがある方がいいが、固い肉を抱きしめるのも抱きしめられるのも嫌だ。柔らかなお肉に包まれたい。
お腹を思う存分もふもふしたい。叶うなら頭を乗せて、枕のようにして眠りにつきたい。
そういう、少し変わった好みをしていた。
しかし、何故かそれが一部には正しく伝わらない。
今日もセリーヌは好みとはかけ離れた男性から好意を伝えられていた。
「セリーヌさんは筋肉のある人がお好きだと聞きました。俺はどうでしょうか。特に腕の太さに自信があります。もしまだ足りないのであれば、セリーヌさんが満足するまでもっと鍛えます」
「まあ、それは誤解です。私が好きなのは、筋肉とは真逆のぽよぽよのお肉をお持ちの方です」
また一人、青年の心が折られた。
・・・
「全く…私は何度もぽよぽよのお肉が好きだと言っているのに、どうして誤解されるのでしょうね」
セリーヌは寮に戻るなり、同室のティナに愚痴をこぼした。
いつも「ぽよぽよが好き」と言って断っているのに、なぜか「体の大きなゴリゴリの筋肉が好き」と誤解され続けているからだ。
悲しいことに、ゴリゴリな筋肉は貴族令嬢に人気がない。
筋肉好きの令嬢は一部いるものの、基本的に令嬢受けの良い体とは、程よく筋肉のついた引き締まった体であることが多い。
そのためセリーヌの「ぽよぽよ好き」が「大きな体が好き」に曲解され、いつしかそれが「ゴリゴリの筋肉好き」に変換されてしまい、ゴリゴリの筋肉がセリーヌに群がってしまうようになった。
しかしそんなモテない筋肉事情はセリーヌには関係ない。群がるのなら筋肉好きの令嬢の元へ行ってほしい。
「セリーヌは可愛いもの。ぽよぽよ好きの噂が間違いであってほしいと、あわよくば狙いの方も多いんじゃない?」
「あわよくばだなんてそんなの困ります。それでまた男性をたぶらかしたと悪く言われるのは私なんですよ?私だって人の好意を断るのは申し訳なく思ってるのに…」
「それこそ男性に相手にされない方の僻みでしょう。セリーヌがたくさんの方から告白されるのが妬ましいのよ」
「…そういうものでしょうか」
ティナはこう言うものの、好みではないからと好意を拒否し続けるのは正直なところ辛い。
「私も婚約でもしていれば、こんなこともなくなるんでしょうか」
「そうねえ…完全にはいなくならないかもしれないけど、婚約者がいればぐっと減るでしょうね」
「どこかに落ちてないですかね、私のぽよぽよ様…」
残念ながら、貴族令息にはセリーヌの思うようなぽよぽよはいない。
見目に気を使うのもそうだが、年若いので代謝が良く、多少食べてもすぐに消費されてぽよ肉にはなりにくいのだ。
昔は政略結婚も頻繁に行われていたそうだが、前国王・現国王夫妻、王太子夫妻と三代に渡り恋愛結婚続きなこともあって、近年では恋愛結婚が主流だ。
セリーヌのように特殊な好みを持つ者にとっては、非常に難しい婚活事情になっていた。
いっそ政略結婚させてもらえたなら悩まずすむのに…と思うほど、セリーヌは疲弊していた。
◇◇◇◇◇
その日、セリーヌは急いでいた。
セリーヌは読書好きが高じて図書委員会へ入っている。
今日は受付カウンターの当番の日だったが、また筋肉に呼び出されたため遅刻しそうになっていた。
焦りから自然と小走りになり、角を曲がった先で、柔らかい何かにぶつかって転んでしまった。
「きゃっ」
「わっ」
「す、すみません、急いでいて……え…」
セリーヌと同時に何かも声を上げたので、人にぶつかったとわかった。
謝らなければと相手に目を向けた瞬間、セリーヌの時が止まった。
丸みのある胸、触り心地のよさそうな顔周り、ふんわりとしたお腹。頭から爪先まで、その全てが輝いて見えた。
メガネと少し癖のある長い前髪に隠されて目元は見えないが、そんなものは関係ない。セリーヌが日頃から求めていた、ぽよぽよの肉を持った男子生徒が、そこに立っていた。
「あの…大丈夫ですか?」
動かないセリーヌを気遣い、男子生徒が手を差し出す。
早く何か言わなければと思うが、ぽよぽよの青年から手を差し伸べられる情景にセリーヌの胸は早鐘を打ち、喉がカラカラになってなかなか声が出せなかった。
「あ…すみません、こんな体の人に触れるのは嫌ですよね。失礼しました…」
「全然!全くそんなことはないです!誰よりも魅力的なぽよぽよ様です!」
「え?」
「……あ」
素敵なぽよ肉なのに自ら否定するものだから、思わず大声を上げてしまった。
セリーヌが我に帰ると、青年の手を逃すものかとでも言うように、がっしりと両手で掴んでいた。
動揺からセリーヌの顔は真っ赤になった。
「すすすっすみません!」
「あ、あの!」
セリーヌはぱっと手を離し、図書室へ向けて走りだした。
後ろから何やら声を掛けられているようだったが、恥ずかしさから早くこの場から去りたかった。
・・・
(はあ…素敵なぽよぽよ様だったのに…)
カウンター業務をこなしながら、セリーヌは先ほど会った青年から逃げてしまったことを後悔していた。
筋肉と向き合うことには慣れていたが、ぽよ肉には免疫がない。おまけにがっしりと手まで握ってしまった。せっかく会えたぽよぽよだったが、自分の失態が恥ずかしくて情けなかった。
せめて名前を聞いておけばよかったと思うが、もう遅い。同じ学園にぽよぽよがいるとわかっただけで良しとするしかなかった。
悶々としながらこなしていると、カウンターを開けてから続いていた返却の列がなくなっていた。
「落ち着いたようですので返却本を戻してきます。しばらくカウンターをお願いしても大丈夫ですか?」
「わかりました」
もう一人の当番がワゴンに置いていた返却本を本棚へ返しに行き、カウンターにはセリーヌ一人になる。
図書室内を見渡すが、まだ誰も借りに来る気配はなさそうだ。
セリーヌは傍に置いていた読みかけの本を出し、続きを読むために本を開いた。
読み始めて少し経った頃。
「すみません、貸し出しをお願いします」
「はい」
顔を上げてセリーヌは固まった。
「あ…」
目の前にはほんの少し前まで頭を占めていた、例のぽよぽよの青年がいた。
やはり目元はよく見えないが、彼もセリーヌに気づいたようだった。
「ずいぶん急いでいらしたと思いましたが、図書委員の方だったんですね。先ほどはぶつかってしまってすみませんでした」
「いえ、私の不注意ですので…」
「僕もぼうっとしてたので。当番へは遅れませんでしたか?」
「はい。お気遣いありがとうございます。……こちらにお名前と、今日の日付のご記入をお願いします」
「わかりました」
貸し出しカードを書いてもらっている間、こっそりと青年を観察をする。
ふっくらとした頬はとても柔らかそうだ。つまんだらもっちりしているかもしれない。顎にかけてのラインが非常にいい。
意外と指の線が細いが、その先の腕の丸みは申し分ない。頬を寄せたら気持ちがよさそうだ。
お腹がカウンターで隠れてしまっているのがつくづく残念である。
「お願いします」
「はい」
カードを受け取り、内容を確認する。
「ロラン様とおっしゃるんですね。…あら、一年生なんですか?」
「はい」
「どうりで今までお見かけしなかったわけです…」
「はい?」
「何でもありません。こちらの話ですのでどうぞお気になさらず」
セリーヌは二年生だが、入学してからずっと学園にぽよぽよの男性がいないか探していた。もちろんそんなことは言えるはずもない。
ロランほどのぽよ肉を見逃しているとは思えなかったが、昨年はロランはまだ入学してすらなかったのだから見つからなくて当然のことだった。
こんなに早く再会できたぽよぽよの男性である。セリーヌに迷っている暇はなかった。
「あの、ロラン様。この後お時間ありませんか?」
「え?」
「えっと、その……こちらの本!私も以前読んだことがあるのですけど、もしかして本の好みが似てるのかな?なんて思いまして。それで、もしお勧めの本があったらお聞きしたいなと思って…どうでしょうか」
「………」
「委員の仕事の、終わった後に…なりますけど……」
セリーヌは途中から自分は何を言ってるのだと思った。これではロランが気になっていることがだだ漏れではないか。
恥ずかしさから次第に顔が俯いていき、ついには顔を上げられなくなった。
「…図書室が閉まるのは、何時頃でしょうか」
「え…」
「せっかくなので…僕も、あなたのお勧めをお聞きしたいです」
ややはにかんだ口元が、彼もセリーヌとの時間を望んでいると物語っていた。
・・・
「お待たせしました!」
「いいえ、大丈夫です。お仕事お疲れ様でした」
当番の仕事を終え、戸締りもした後。セリーヌは一目散にロランとの待ち合わせの場へ向かった。
そこには夢にまで見たぽよぽよが彼女を待っていた。
(ああ、ロラン様のぽよ肉…なんて素敵なのでしょう。先ほどはカウンターに隠れて見えませんでしたが、やっぱりお腹も素敵です。ブレザーの盛り上がり具合がたまりません。素晴らしいぽよぽよ様です…!)
「あの…?」
「あ、す、すみません。じゃあ、立ち話も何なので…カフェスペースへ行きましょうか」
浮かれてつい見つめすぎてしまったかもしれない。セリーヌは気を引き締めた。
二人でカフェスペースまで行き、それぞれ注文して席へ着く。
その頃には、話は自然と本の話へと移っていった。
「その本は私も読みました!心情の表現が絶妙でしたよね。ページを捲る手が止まらなくて、最後まで一気に読んで…翌日は寝不足でした」
「僕もです。途中でやめられないんですよね。あの著者の本を読む時はいつも寝不足です」
「まあ、ロラン様もですか」
フフ、と二人で笑い合う。
セリーヌはこの幸せな時間を噛み締めた。
「あ…もうこんな時間なんですね」
ロランの言葉に時計を見ると、寮の門限が近づいていた。
楽しい時間はあっという間に終わってしまう。
もっとロランと話していたかったが、門限を破るわけにはいかず、ロランと共に寮へ帰ることにした。
セリーヌは、学園が全寮制であることを、今日ほど感謝した日はなかった。
「セリーヌ先輩」
「はい?」
寮の前での別れ際、ロランに呼び止められた。
振り返るとロランが心なしか緊張したようにセリーヌを見ていた。
「また今日みたいに、僕と本の話をしていただけないでしょうか」
「え…」
「先輩と話すのが楽しかったので、もっといろんな本の話を聞いたり、感想を言い合ったりしたいです」
「ロラン様…」
「だめでしょうか…」
セリーヌにとっては願ってもない申し出だった。
もう一度ロランと会いたい。話がしたい。
もちろんです、と言ったつもりが、彼女の口から出たのは違う言葉だった。
「本、だけですか」
「え?」
「…あっ」
セリーヌは自分の口から出た言葉に驚き、思わず口を手で覆った。
今日初めて会ったというのに、本の話だけでは既に物足りなくなっている。
そしてそれを直接ロランに言ってしまったことが、セリーヌの羞恥心をさらに煽った。
「先輩」
「す、すみません!本の話ですよね、私はいつでも大丈夫です。今週は委員の仕事があるので、放課後は毎日図書室にいます」
「セリーヌ先輩」
「来週以降は仕事はないですが、学年が違うと約束するのも大変ですよね。どうしましょう」
「先輩!」
はしっと手をロランに掴まれる。
顔を上げればすぐそばにロランがいて、セリーヌは胸が高鳴った。
「先輩、お願いです。逃げないで下さい」
「逃げていません」
「でも、急いで帰ろうとしてます」
「それは………あの、門限ですし」
「門限…」
「…はい」
恥ずかしさからつい誤魔化してしまい、セリーヌはロランと目を合わせることができなかった。
するとロランが掴んでいる手に僅かに力が入った気がした。
「僕の勘違いだったら、すぐに言ってほしいんですけど…」
「はい」
「先輩、僕のこと結構好きだったり……しませんか?」
その瞬間、セリーヌの全身が熱くなった。
言葉にはせずとも、表情や体温、呼吸…セリーヌの全てがロランの言葉を肯定している。
もう少しの誤魔化しようもなかった。
「先輩?」
「好き、です」
「!」
「……ぽよぽよが!」
「……え?」
「私、小さい頃から筋肉質な方よりも、お肉がぽよぽよしている方が好きなのです!それで、ロラン様がすごく素敵なぽよぽよで…」
「ぽよぽよ……ああ、最初にも言ってましたね、ぽよぽよ様って」
「はい…」
「……」
ついぽよぽよ好きであると言ってしまったが、ロランは引いてはいないだろうか。
セリーヌは俯いたまま顔が上げられず、羞恥で穴があったら入りたい思いだった。
どれくらいそのままでいたのか。しばらくの後、ロランはそっとセリーヌの手を離した。
「…ロラン様?」
「先輩、また本の話をしましょう。今週は毎日図書室にいるんですよね?」
「はい」
「じゃあ、毎日行きます。先輩と話したい本はまだまだたくさんあるので」
「まっ毎日ですか?」
「はい、毎日です」
毎日ロランと会えるのは、セリーヌにとって素晴らしい提案だった。
このぽよぽよを毎日見れるのだと考えるだけで夢のようだ。
するとロランはもう一度セリーヌの手を掴み、そっと自分の方へ引き寄せた。
急なことでバランスを崩したセリーヌは、ロランの元へ一歩近づいた。
「…あっ」
「本以外の話も、いっぱいしたいですね?」
セリーヌの手は、笑顔を向けるロランの二の腕へと導かれていた。
初めて知る柔らかな感触に、セリーヌは頭が真っ白になった。
◇◇◇◇◇
あの後どうやって自室へ戻って来たか記憶がない。気がついたらベッドで仰向けになっていた。
扉が音を立てて開き、ティナが顔をのぞかせる。セリーヌの姿を確認するなり、興奮気味に駆け寄って来た。
「ちょっと、セリーヌ!聞いたわよ!ぽよぽよ様と一緒に帰って来たんですって!?」
「ティナ…」
「セリーヌのぽよぽよ好きは本当だったのかと男子寮が大騒ぎだって、さっき私の婚約者が言ってたわ!」
「大騒ぎ…」
「素敵なぽよぽよ様が見つかったのね、よかったじゃない!おめでとう!」
「ぽよぽよ……!」
セリーヌは顔を真っ赤にし、勢いよく頭から布団を被った。
「え!?セリーヌ!?」
「ティナ、どうしましょう!私、初めてお会いした方なのになんてこと…!」
「え、どうしたの?何か変なことされたの?」
「違います!私がやりました!」
「え」
「会ったばかりの方をお誘いして、別れ際に…に、二の腕に触れてしまいました…」
「…………は?」
布団を剥ぎ取られ、全てを白状し終える頃には、セリーヌはティナに真顔で見られていた。
別れ際、ロランの二の腕に触れてしまったことで、セリーヌは自分が痴女になったような思いだった。
こんな状態で明日からどんな顔でロランに会えばいいのか。セリーヌには全くわからなかった。
「ねえティナ、ロラン様は私のこと、変な子だと思っていないでしょうか」
「そのロラン様って方、本当に大丈夫なの?」
「何がですか?」
「…まあいいわ。それで、しばらくは毎日会うのよね?」
「はい。でも私、どんな顔でお会いしたらいいか…だって、二の腕に指が沈む感触もはっきり覚えているのです。もう本の感想どころではないです…!」
「セリーヌ…」
ティナは座っていた椅子をベッドへと近づけ、改めて座り直す。
そしてセリーヌの手をそっと握った。
「ね、セリーヌはロラン様のことどう思ってるの?」
「ロラン様は…素敵なぽよぽよ様です」
「体のことじゃなくて、ロラン様自身のことよ」
「ロラン様自身?」
「セリーヌは今までぽよ肉に憧れを持ってたから、ロラン様のぽよ肉が気になるのはわかるわ。でもそうじゃなくて、ロラン様と話したこととか、一緒にいてどう感じたとか、そういうのはどう?」
セリーヌはロランのことを考える。
同じ読書好きであることから話題は尽きなかった。彼の書評はおもしろかったし、紹介された本はぜひ読んでみたいと思った。
ロランの声も落ち着いて好きだし、一緒にいると穏やかな雰囲気が心地よい。前髪に隠れて目元がわからないのは残念だが、笑顔を浮かべる口元は好感が持てる。いつか前髪を上げた顔を見てみたい。
会ったばかりでまだ知っていることは少ないが、今後知らないことを知っていけたらと思う。
ロランのことを考えたら、強張っていた顔が自然と緩んでいた。
そんなセリーヌの表情を見て、ティナは安心したように笑顔を向けた。
「なんだ、ベタ惚れじゃない」
「え」
ティナに断言され、セリーヌは固まった。
「正直、二の腕に触れさせるなんてどうなのかしらと思ったけど、セリーヌが好きならいいんじゃないかしら」
「え、あの、ティナ?」
「何?」
「私…ロラン様のこと好きなの?」
「え、好きじゃないの?」
「…わかりません」
「うーん…じゃあ、私とロラン様が仲良く手を繋いで歩いてたら、どう思う?」
「え?ティナは婚約者様がいますよね」
「例えばの話よ。で、どう?」
セリーヌはティナに言われるまま、彼女とロランが手を繋いでいる姿を想像してみる。
しっかり手を握りあい、笑顔で歩く二人を想像したら、セリーヌは酷い不快感を覚えた。
「…いっ嫌です!ティナ、あなたには大好きな婚約者様がいるじゃないですか!ロラン様を取っちゃ嫌です!」
「落ち着いて!私は婚約者一筋だから大丈夫よ!それより、ほら。やっぱりロラン様のこと好きだったでしょう?」
「あ…」
ティナの言葉に、セリーヌは全て理解した。
惹かれたのはぽよ肉だからだと思っていた。しかし、彼の隣に女性がいると想像しただけで、こんなにも嫌な気持ちになるとは思わなかった。
今日知り合ったばかりなのに、この僅かな時間で、こんなにもロランを好きになっていたのか。
セリーヌは胸に暖かさを感じ、そっと手を当てた。
「ティナ、私…ロラン様が好きです。ぽよぽよ様じゃなかったとしても、きっとロラン様を好きになっていたと思います」
「そう」
「はい」
ティナに笑顔を向けた直後、セリーヌはまた布団に突っ伏した。
「あぁぁ…!私ったら、ロラン様にぽよぽよが好きだと言ったり二の腕に触れてしまったりしてます!どうしましょう、嫌われてしまいます…!」
「……二の腕はロラン様が触れさせたんだから大丈夫だと思うわよ」
「うぅぅ……」
ティナの慰めは、羞恥に苛まれるセリーヌには届かなかった。
◇◇◇◇◇
翌日以降、セリーヌは委員の仕事が終わってから、ロランと会って本について語り合った。
どんな態度で会えばいいのか、ロランに変な風に思われていないか…などという考えは、ロランと会うなり消えていた。
今まで好みの男性と会ったことのないセリーヌは、これが初めての恋だ。セリーヌは自覚した恋心に胸を躍らせていた。
その日はトラブルが起きたため、委員の仕事がいつもより長引いてしまった。もうずいぶんロランを待たせている。セリーヌは急いで向かった。
待ち合わせの場へに着くと、ロランが複数の男子生徒に囲まれていた。
話はうまく聞き取れないが、どうやらロランが詰め寄られているのは間違いなさそうである。
「何してるんですか!」
「あ…」
「ロラン様、大丈夫ですか?」
「先輩…」
ロランの元へ駆け寄ると、セリーヌを見るなり緊張が解けたように笑った。その笑顔にセリーヌは胸がぎゅっとなる。
ロランを囲んでいる男子生徒達へ目を向けると、バツが悪そうに視線を逸らされた。
「これはどういうことでしょう」
「セリーヌさん…」
「なあ、セリーヌさん。どうして俺達じゃなくてこいつなんだ?」
「え?」
「ぽよぽよが好きなんて言ってたけどさ、本当はそんなんじゃないんだろう?」
そこで初めて彼らが筋肉質であることに気づいた。話の流れから、彼らはセリーヌに好意を告げて断られた面々のようだ。
その中の一人が、納得のいっていないような面持ちでセリーヌに向けて話しかけてくる。「おい、やめとけよ」と仲間が声をかけるのを無視して、その青年はセリーヌに話を続けた。
「一時の気の迷いとか、あるだろ。そういうのじゃないのか?だってどう見てもこいつ不健康だろ。ぶくぶく太って気持ち悪い」
その途端、セリーヌは激高した。
「あなたに私の何がわかると言うのですか!私はロラン様が誰よりも大好きです!気の迷いなどではありません!」
「でもセリーヌさん」
「そもそも、私は筋肉質の方とは真逆の、ぽよぽよとしたお肉のある方が好きだと何度も言っています!どうしてわかっていただけないのですか!勝手な思い込みを私に押し付けないで下さい!………ロラン様、行きましょう」
「あ…」
セリーヌは青年の言葉を待たず、ロランの手を引いてその場を後にした。
セリーヌに言い返された青年はもちろん、その場に残された生徒達は、セリーヌの訴えに立ち尽くすしかなかった。
・・・
しばらく無言で歩いて行き、校舎の裏へ入ったところで手を離した。
セリーヌは泣きそうに歪んだ顔でロランを振り返る。
「ロラン様、ごめんなさい。私のせいで嫌な思いをさせてしまいましたね」
「いえ…先輩、大丈夫ですか?」
「私よりロラン様です。あの方達にあんな風に言われて。他に何もされていませんか?」
「僕は大丈夫です」
「そうですか…」
セリーヌはほっとして、校舎に背中を預けて寄りかかった。
ロランに顔を向けることができず、足元を見つめながら話し始めた。
「あの方達は、以前私に好意をお伝えして来た方達なのです」
「そうなんですか…」
「ええ。…私、ずっとぽよぽよな方が好きだと言っているのに、なぜか筋肉質の方が好きだと誤解されているのです。友人が言うには、そういう方達はなかなか女性とご縁がないので、私がぽよぽよではなく筋肉が好きとご自分の都合の良いように思い込んでいるのではないか、と…」
「………」
「ロラン様にもご迷惑をおかけしてしまいました。ごめんなさい」
セリーヌはロランに頭を下げた。
すると、ロランはセリーヌに近づき、肩に手を置いてそっとセリーヌの頭を上げさせる。
「顔を上げて下さい。先輩が謝ることはないです」
「でも…」
「それに謝るなら僕の方です」
「え?」
「実は僕……偽ぽよなんです」
セリーヌは一瞬何を言われたのかわからなかった。
「偽ぽよとは何ですか?」
「そのままの意味です。僕は本当はぽよぽよではなくて、ごく普通の体型なんです」
ロランに言われ、彼の体をまじまじと眺める。
顔や胸、腕や足など、どこもぽよぽよしているように見える。
仮に布などで詰め物をしていたとしても、顔の膨らみはどうしようもない。そもそも、以前二の腕に触れた時の感触は本物だった。
どこからどう見ても、間違いなくロランはぽよぽよの体型である。
「私にはそのようには見えないのですが…」
「これのおかげです」
ロランはメガネをとんと指で突いた。
「このメガネには自分の姿を偽る魔法がかけられているんです。見た目も感触も全て変えられます」
「そのような物があるんですね…でも、どうして?」
「先輩と似たようなものです。僕、外見が中性的で、小さな頃から女性だけじゃなくて男性からも声を掛けられてたんです。それだけならまだいいんですが、ちょっかいをかけられることも多くて」
「まあ…」
「それで困っている時に父がこのメガネを見つけて来てくれたんです」
「そうだったのですね」
「はい。それで、なんですが…」
ロランは急に言葉に詰まり、言いにくそうにし始めた。
まだ何かあるのだろうかと、セリーヌはロランの言葉を待った。
しばらくして、意を結したようにロランは口を開いた。
「先輩がぽよぽよ好きなのを知って、このメガネを利用しました」
「え?」
「先輩と初めて会った日、声をかけてもらえて嬉しかったんです。本の話も楽しくて、もっと話したい、先輩のことをもっと知りたいと思いました。そしたら、先輩も本だけですかって言ってくれて。同じように思ってくれていたのが本当に嬉しくて」
「……」
「まさかその後、僕のぽよぽよが好きだと言われるとは思いませんでした。だったら、偽物の体からでいいから僕を見てもらいたいと思って…別れ際、先輩に二の腕へ触れさせました」
ごめんなさい、と謝るロランをセリーヌは見つめ続けた。
触れたことへの衝撃が強すぎて、まさかあの行為にそんな理由があったとは思わなかった。
「話してくれてありがとうございます」
「すみません」
「それはもういいのです。差し支えなければ、一度メガネを外していただいてもいいですか?」
「先輩が、そう望むのなら」
「じゃあ、お願いします」
「…わかりました」
ロランは少し周りを気にした後、メガネに指をかけ、そっと外した。
その途端、ロランは淡い光に包まれ、風がふわりと舞い上がる。
どちらもおさまる頃には、そこにはダブついた制服に身を包んだ青年が立っていた。
ぽよぽよではないが、特徴的な癖毛から、彼は間違いなくロランだとわかる。風のせいで少し分かれた前髪の間から初めて見えたロランの瞳は、透き通るように輝いていた。
儚げな顔が色気を醸し出し、まるで生きた芸術品のような佇まいで、ぽよ肉好きのセリーヌも瞬きを忘れるほど見惚れた。男女問わず声をかけられるというのも納得する美しさだった。
「これが本当の僕です。…幻滅しましたか?」
「そんなことありません。ご苦労されたんですね」
セリーヌはロランの手をそっと握った。
「ロラン様のあのお姿は、ロラン様が一生懸命考えた盾なのですよね。それを私は否定したりも、騙されたとも言いません」
「でも」
「偽ぽよと知ってショックではなかったかと言われたら嘘になってしまいますが、私はあなたの人となりが好きなので、問題ありません」
「え…」
驚きと僅かな期待が込められた目を向けられ、セリーヌは肯定するように微笑む。
「もう忘れたのですか?私は先ほどの方達に、ロラン様が誰よりも大好きですと、気の迷いなどではありませんとお伝えしていますが」
「……あ」
「私はあなたがぽよぽよだから好きになったのではありません。ロラン様だから大好きなのです。もちろん、男性として。ロラン様はどうですか?」
「僕…」
セリーヌは一歩踏み出し、ロランをそっと優しく抱きしめた。
ロランの体はしばらく強張っていたが、やがて力が抜け、ゆっくりとセリーヌの背に腕が回った。
「僕も、セリーヌ先輩が大好きです」
◇◇◇◇◇
空が高く澄み渡り、絶好の外出日和の日。
セリーヌとロランは、外出許可を取って二人で街の本屋へと出掛けた。お互いに好きな作家の本を買うためである。
お目当ての本を買い、天気も良いので、二人はランチボックスを買って公園で遅めの昼食を食べた。
お腹も満たされたところで、食後の時間をゆっくりと過ごしている。
「ロラン様の好きな作家さんも新作を発表されていて良かったです。仲のいい友人はあまり本を読まないから、本屋へ付き合ってもらうのも申し訳なくて」
「僕もまだこの辺りの地理に明るくないので、先輩のおかげで助かりました」
「今日買った本ですが、読み終えたらお借りしてもいいですか?ロラン様のお好きな作家さんの本も気になります」
「はい。僕も先輩の買った本、お借りしたいです」
「もちろんです」
ロランはずっとニコニコしていて、セリーヌもつられて笑顔になる。
「ロラン様、今日はご機嫌ですね。そんなに楽しみにしてたのですか?」
「はい、だって先輩とのデートですから」
「デッ…」
「違うんですか?」
「……違わない、です」
「よかったです」
セリーヌの言葉にロランが笑みを深める。
照れたセリーヌは、誤魔化すように手元の飲み物を一口飲んだ。
「そういえば、昨日父から手紙が届きました。次の長期の休みの時にこちらに来てくれるそうです」
「そうなのですね!私の方も、お休みに合わせて来てくれると先日家から返事が届きました」
「じゃあ…これで婚約の件、進められますね」
「はい」
あの後二人は家に連絡を取り、婚約を考えている相手がいること、互いの両親を交えて会ってほしいことを伝えていた。
現在は恋愛結婚が主流なので反対されることはほぼ無いが、それでも返事が届くまでは不安だった。
「先輩」
「なんですか?」
「婚約が整ったら…先輩のこと、セリーヌって、名前で呼んでもいいですか?」
「あ…」
「僕のことも、ロランと呼んで欲しいです」
二人は付き合ってはいるが、まだ婚約前なので互いに一線を引いていた。
しかし、婚約が整えばそれも気にしなくていい。
「…はい。ぜひ呼んで下さい。私も婚約後は、ロランとお呼びしますね」
「ありがとうございます」
ロランは少しセリーヌとの距離を詰め、そっとセリーヌの手に自らの手を重ねた。
「婚約したら、お腹も触ってみますか?」
セリーヌにだけ聞こえるように囁かれた言葉に、セリーヌは頬を赤くさせた。
「私、ぽよぽよ好きは卒業しようと思っているのに、ロラン様のせいで無理かもしれません」
「卒業するんですか?」
「はい。…だって、ロラン様もいつまでも姿を偽っているわけにはいかないでしょう?その時に、自分はもうぽよ肉じゃないからとロラン様に気持ちを疑われるのは嫌ですもの」
「先輩…」
ロランは感動したようにセリーヌを見つめる。
そのままセリーヌを安心させるように、そっと笑いかけた。
「僕が先輩の気持ちを疑うことはありません。僕の人となりが好きだと言ってくれたじゃないですか。あの時、僕がどれだけ救われたか」
「あ…」
「僕がぽよぽよだから好きになったのではないと言ってくれたのと同じです。僕だってセリーヌ先輩だから大好きになったんです」
「ロラン様…」
「それに、ぽよぽよに変われるおかげで先輩と婚約できるんです。使える間は最大限に利用しますよ」
そう言って、ロランはセリーヌの手を自身の頬へ当てる。
柔らかな感触にセリーヌが赤くなると、イタズラが成功したように笑みを深めた。
「……もう。困ったぽよぽよ様です」
セリーヌはもう片方の手もロランの頬にやり、えいっと勢いをつけて頬を挟んだ。
ロランが驚いたように固まると、その顔がおかしくてセリーヌはクスクスと笑う。
そんなセリーヌにつられてロランも笑い出した。
二人はしばらく、そうやって顔を寄せて笑い合っていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
体型に関して悪く言おうと思って書いてはいませんが、もし不快に思った方がいらっしゃいましたら申し訳ないです。
余談ですが私、はぽよぽよも筋肉もどちらも好きです。