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「ずいぶん御参詣の方も多いのでしょう」

 まず当たり(さわ)りのない話題といえばこれであった。

 僧は頭をうなずかせるようにしながら、机の前でこちらに身を向けてきちんと座り直すと、

「さようでございます。御繁盛と申し上げたいところですが、近頃はそうでもござりません。昔は荘厳美麗で結構な名所であったらしいのですが。

 あなたも先ほどお通りになりましたでしょう。ここからも見えます。この山の(すそ)にかけまして、ずっとあの菜の花畑の辺りまで寺の建物が連なっておりましたそうで。三浦郡(みうらごおり)久能谷(くのや)では、この巌殿寺(いわとでら)が、最も早く建立されたのだと古い記録には書かれております。

 坂東(ばんどう)三十三観音の巡礼所では第二番の札所(ふだしょ)として名高い霊場でございますが、今となってはもはやその旧跡とでも申すもののようになりました。

 そうなると妙なもので、かえって遠国の方々の参詣が多くなっております。近場では千葉や茨城、遠方では九州西国あたりから噂を聞いて巡礼なさる方がありまして、その方たちが当地にいらっしゃって、この近辺で場所を聞かれますと、かえって地元の者のほうが知らないことが多くて、道に迷ってしまうのだという話をよく聞くのでございますよ」

「そんなものですよね」

「ははは、いかにも」

 という相づちを最後に、しばらくことばが途切れた。

 散歩者は僧の物言いが、どうも寄付金を求めているようにも思えてすこし気になったが、煙草の灰を落とそうとした火入れの、灰で(いぶ)されたような色合いや、マッチの突っ込み具合がふと目に留まった。巣鴨あたりで寺の坊主になろうと勉学に励んでいる、真宗(しんしゅう)大学の学生の寄宿舎で見かけそうなその火入れの、あまり生活臭が感じられない様子からして、この相手には打ち解けてかかってもいいのではないかと、勝手に決めつけてみたのである。

 そこでまた、気持ちよく煙草を一服すると、人物画の画題でよく見る、山頂に向けて煙を吐き出す鉄拐(てっかい)仙人の図柄よろしく煙を吐いて、

「夏はさぞ涼しいでしょう」

「まったく暑さ知らずというところです。お堂はもちろんのこと、下の仮庵室(かりあんじつ)などもとても涼しいので、お帰りがけにちょっとお立ち寄り、ご休憩なされませ。木の葉をいぶして渋茶でもさしあげましょう。

 荒れ寺ではありますが、いや、だからこそ、茶釜から尻尾でも生えたらなどと思えば、面白いではないですか。はははは」

「おうらやましい御境遇ですな」

 と散歩者は言った。

「どうしてあなた、そこまで(さと)りが開けました立派な坊主ではございません。一軒家の一人暮らしが心寂しゅうござってな。只今(ただいま)も御参詣なさるあなたのお姿を庵室(あんしつ)からお見受けして、人懐かしさにやって来ましたほどで」

 ところで、どちらに御逗留ですか?」

「私ですか? 私はすぐそこのステーションに最寄りのところに」

「ずっとそちらに?」

「先々月あたりから」

「御旅館にお泊まりということですか」

「いいえ、一室(ひとま)を借りまして自炊です」

「はあ、はあ、さようで。いや、不躾(ぶしつけ)ではありますが、もしよろしければ仮庵室にお泊まりなさったらいかがでしょうか。

 いきなりなお話ですが、去年の夏もやはり同様のご事情で、あなたのようなお方をお一人、お泊めいたしたことがあります。

 ご夫婦でも結構です。お二人ぐらいは余裕がありますから」

「はい、ありがとう」

 と散歩者はにっこりして、

「ちょっと通りがかりに決めるというわけにはいきませんが、お話をうかがってみなければ、こういう所がこちらにあるとは思いつきもしませんね。ほんとうにいいお堂ですね」

「ときどきお散歩にでもおいでください」

「もったいないおことばです。お参りに来ましょう」

 何気なく言った散歩者の顔を、僧はさも驚いたふうに見つめた。



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