(あとがきにかえて~鏡花とマッケン)
ひさしぶりに『春昼』を読み返して最初に思い出したのは、アーサー・マッケン(1863 - 1947)のいくつかの短編やE.A.ポー(1809 - 1849)の『鋸山奇譚』のことで、どれも山中に分け入った先で怪異に遭遇するというプロットが共通しているのだが、とりわけ鏡花(1873 - 1939)とマッケンは、描写の肌合いまでもがとてもよく似ている。
▶そうして堂まで上った客人は、柱や板敷きに差した月の光が、大きな樹々の影をひらひらと踊らせ、振り返れば海の果てには、入り日の夕焼け雲がちらちらと真っ赤に焼け残っていて、黄昏過ぎの混沌とした、水も山もひとまとめにした大きな池のように広がる世界に、軒端から漏れる夕陽の光と、消え残る夕焼け雲の切れ端とが、水面に浮いた紅白の蓮の花のように咲き乱れている、といった眺めをご覧になっていたそうです。◀(『春昼』十九章、自作現代語訳より)
▶やがて満々と水をたたえた広い河があらわれ、夕陽の残光が黄色い河面にぼうっとくぐもっているのが見えます。広い牧場、枯れた麦畑、そして丘と河の間の森をうねうねとつたう小径。しまいに上り道になって、空気が薄くなって来ました。下を見ると、河の上に真白い霧が屍衣のように立ちこめていて、そのまわりはおぼろな影の深い山野です。高々と隆起した丘と斜面の森は幻想の絵画のようで、その向こうに半ば霞んだ丘の輪郭、そして遥か遠くの山に溶鉱炉のような火が赫々と燃えて、いっときは輝く炎の柱になったかと思うと、またある時はぼんやりした赤い点になったりしています。◀(アーサー・マッケン『黒い石印のはなし』南條竹則訳より)
マッケンの文章は、鏡花のものから続けて読んでもまったく違和感なく連続する描写のようだし、鏡花の文章ほうも、マッケンのコズミックホラー的な感覚に共鳴しているかのようだ。
マッケン作品での「溶鉱炉のような火が赫々と燃えて」といった表現は、なんらかの驚異が隠れていることを示す、この作家の諸作に頻出するもので、これも鏡花の「赤」に対する固執やその扱いと共通している。洋の東西を分けて、お互いの作品をまったく知らなかったはずの同世代の二人が同じように、朧や赤につつまれたものに取り憑かれた男がこの世の外に連れ去られるという怪異譚を書いていたのである。
これは偶然なのか、というと、そうではない気がしている。まるっきり面識のない、よく似た二人に血縁関係があるのかどうかを証明するDNA鑑定というほどの精度はないのだけれど、ピクチャレスクという概念を間に置くことで、必然的な関係性を想定してみることはできるのではないか。
明治39年(1906)11月に、雑誌「新小説」で発表された『春昼』に関しては、同じく「新小説」で9月に発表されていた夏目漱石の『草枕』からの影響が、語彙やプロット、ヒロイン像等の類似といったかたちで数多く指摘されていて、感覚的にも散策士が『春昼』で披露する絵画論や宗教論といった、鏡花にしてはやや理屈が勝っている部分を読んでいると、なるほど、どことなく漱石っぽいなという気がしてくる(鏡花が『草枕』を読んでいたことは、大正十四年の『新潮合評会』での発言からわかっている)。いや、自分が感じた類似性は『草枕』そのものに限らず、
菜の花の 中へ真っ赤な 入日かな
菜の花の 中の古家や 桃一本
といった、漱石の俳句が描く絵面から連想したものも交じっているのかもしれないけれど。
そもそも『草枕』での、漱石の自然描写とはどんなものだったのかと、そんな大問題をここで取り上げるつもりはないのだが、ごくかいつまんでいえば、十八世紀半ばから十九世紀半ばにかけてイギリスを中心に流行したピクチャレスクの概念に感応した性質を持つものだった。
ピクチャレスクとは、これもかいつまんでいえば、当初は自然美を見直そうという観光旅行のスローガンとして使われたことばが、やがて風景のなかに「美」と「崇高」を見出す審美的な用語として論理づけられ、それとともにその影響は造園、建築、絵画、そして詩や紀行文にまで及んだというもので、最終的には古典主義とロマン主義の橋渡しをする役目を負ったとみなされる概念になった。つまり、自然の風景のなかに、美しいとか、恐れを感じるとかの主観を投影することで、風景を描くことによってそれを見る人の内的感情を映す、絵画的、文学的な手法と同義のことばになった。
イギリスに留学した漱石が、いかにこのピクチャレスクの概念を(主に絵画作品を通じて)吸収したのかは、『夏目漱石 眼は識る東西の字』(池田美紀子著 国書刊行会)に詳述されている。と同時に同書には、漱石がE.A.ポーから受けた深い影響についても書かれていて、文学的なピクチャレスク概念の申し子のようなポーに接したこともまた、主観的な風景描写による表現の可能性を、漱石に強く感じさせるきっかけとなったことは想像に難くない。けれども漱石の場合、「美」と「崇高」のうちの「美」への肩入れが強く、ピクチャレスク概念と東洋の山水画を重ね合わせるかのような美意識のありかたが『草枕』では示されていたと感じるのだけれど、もしかすると『草枕』を読んだ鏡花が敏感に察知したのは、「美」と「崇高」のうちの「崇高」の側面が持つ可能性だったのではないか。
そもそもがポーの作品にしても、
▶ぼくの記憶からは一切の翳りが消え去り、わくわくするほどに多彩な色彩のすべてが、先日の危機一髪の大事件をめぐる荒涼感あふれる印象のいっさいがっさいが輝き始めたのだ。◀(E.A.ポー『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』巽孝之訳、集英社文庫)
と、原文を読んだわけではないが、翻訳者が「荒涼感」という訳語を当てる文脈でピクチャレスクということばが使われていて、『ピムの冒険』のその後の筋立てからしても、ピクチャレスクは明確に崇高、頽廃、恐怖とひもづけられている。やがて、ポーによるそうした方向づけの先に、怪奇小説というジャンルが姿を現すことになるのだが、そのジャンルの先駆者としてアーサー・マッケンが頭角を現すまでの西洋の数十年間を、鏡花の天才は『草枕』を読むことによって、自分一人のなかに取り戻したのではないか。
『春昼』の後半部分とプロットが似通ったポーの『鋸山奇譚』も、二重身をテーマにした『ウィリアム・ウィルソン』も、おそらく鏡花は手に取る機会がなかったと思うのだが、『春昼』という作品にはそれらすべての、断片ではなく全体が、濃密に封じ込められている気さえする。
日本近代文学の潮流に乗ることをただ一人拒んだ鏡花ゆえに、逆に海外の同時代の、同じ指向性をもつ作家に対する感受性が、霊的なほどに(まるで『わか紫』に登場する、霊媒のような手腕を発揮して犯人を見つける警部長のように)高まっていたのではないか、などとまで思ってしまうのだ。
〇
『春昼』は、鏡花作品のなかでも比較的読解しにくい作品で、私の場合は若いころの初読ではわけがわからず、その後に観た、鈴木清順の映画『陽炎座』(主に『陽炎座』と『春昼』『春昼後刻』をない交ぜにした作品)の印象が強くて、文章の印象が薄れてしまったせいか、本作を鏡花の代表作に推す寺田透や川村二郎のことばを他人事のように読むことになったのだけれど、今回の精読で二人の卓越した読み手の意図が、身に染みてわかった気がしている(同時に優れた映像作品というものは、原作をよく理解させることもあれば、理解から遠ざけることもあるんだなあ、なんてことも感じている)。
鏡花の生涯のなかでもとりわけ貧窮と孤独と心身の不調をきわめた時期に書かれた作品であるためか、表現の厳しさは、漢詩の鑑賞でもするような集中力を読み手に要求することになって、一読して価値を判断するのは難しい。
再三読むことで見えてくるのは、描かれた内容というよりもむしろ、夢想というものの力にすがりつくような、くるおしい情熱のありかたであって、扱いようによっては毒にも薬にもなりそうなものだ。
薬にもなるそれが、毒があるからこその美しさも兼ねているという、めったにない珍しい姿が鏡花小説の優れたところであって、その美質が、もっとも良く、もっとも完璧に表現されているのが『春昼』という小説なのだと思う。
(了)
追記
上の文を書いた三日後に、アーサー・マッケン『白魔』(南條竹則訳、光文社古典新訳文庫)という、表題作だけを読んで他は未読だった短編集の続きを読みはじめたのだが、ふと後ろのページをめくって、この本に、「解説」と「あとがき」があって、自分はあとがきしか読んでいないことに初めて気づいた。解説を読むと、訳者自身が、マッケンと鏡花が似ていること、「そう感じたのはわたしだけではないようで」東雅夫氏も同じ事を指摘していると書いてあって、そう感じたのは私だけではなかったのか、とこちらも驚いた。
こちらとしては南條竹則のマッケン作品の訳文を頭の片隅で意識しつつ鏡花の文をリライトしなかったわけでもないわけで、そんな無意識の歩み寄りが、マッケンと鏡花の類似を気づかせてくれたのかもしれない。