十三
十三
「あの奥さまのことが最初から、ずいぶん気高く見えたんですな。
客人が言うには、
『すこし後ろから、同じような浴衣を着て帯をきちんと結んだ、女中と思える女が付いて行きましたよ。
ただすれ違いざまに見たんですが、目鼻立ちのはっきりした顔立ちで、色の白いこと、唇の紅いことっていったらありませんでした。
盛装といってもいい姿なのに、麦わら帽子をかぶった頭をうつむけて――近所の人が散歩しているみたいにさりげなく見えましたっけ。そうやって下向きになって、帽子の庇で日をよけるようにしながら、真っ直ぐに進んできたその人と鉢合わせをしそうになって、顔を見合わせたんですが、お互いに道を譲るときに、濃い睫毛を見開いて、涼しい瞳が見えたのが、まるで雪舟の筆を紫式部の硯の墨につけて、濃淡をぼかして描いたようでしたよ。
なんともいえない美しさでした。
いや、そんな大げさな物言いをする私は、戯画で描かれた人間みたいですね。
さあ、ご飯をいただいたら、戯画の人間らしく、月夜のかぼちゃ畑でも見に行きましょうかね』
翌日もまた客人は散歩に出て、同じ時分に庵室に帰ってこられましたから、私のほうから冗談めかして、
『雪舟の筆はいかがでございましたか』
『今日は曇ったせいか、見えませんでした』
それから二、三日経って、
『まだお天気は良くなりませんな。ちと涼しすぎるくらいで、お散歩にはよろしいが、やはり今日も雲隠れでしたか』
『いや、源氏物語の章題に雲隠はあっても小松橋はありませんが、その小松橋の上で今日は逢えました』
『それはおめでたい』
などと笑ったものでした。
『まるで別人のように粋な姿でした。私が橋を渡ろうとしたときに、向こうの袂から十二、三歳をかしらに、十歳くらいのと、七、八歳くらいのと、男の子を三人連れて、そのなかの小さい子の肩を片手で叩きながら、上から覗きこむようににっこりとして、橋に差しかかったところでした。
どんな女性でもうらやましがりそうな、ごく自然な印象の花月巻にふっさりと髪を結って、薄いお納戸色の地に、その下にある肌からちらちらと透けて見えるような何かの中形模様の浴衣でしたが、それをきちんと着こなしている。
その透きとおった絽の浴衣に締めた、空色に白を配した帯は、それもなんの模様かわからなかったが、お太鼓結びをした帯の白い部分が腰帯の上にかぶさっているさまは、六月に雪景色を見るかのようだと思いながら、その美しさに鳥肌が立ったすれ違いざまに、その人は放心して肩の力が抜けたようになったのですが、両腕をぶらりと垂らしたまま、かすかにぶるぶると肩を揺らしたように思えたのは、傍を通った男の気配におびえでもしたのでしょう。
通り過ぎたあとに、どうしたことか、私は我を忘れたように、あの橋の低い欄干に座りこんでしまったのです。腰が抜けたんだろうなどと、軽々しく言ってもらっては困ります。下には川があって、あの程度の流れでも、落っこちようものなら命取りです――危険なほどに深い淵や瀬があるわけでもないから、助け船を出してくれと叫ぶこともできず、また叫んだところで、人は冗談だと思って、笑って見殺しにすることでしょう、泳げない私をね』
と言って、苦笑いをなさっていましたが……それが現実になったのでございます。
どうしたことか、恋わずらいというものに限っては、傍でそれを見ている人は、あはははと笑って見殺しにいたします。
私もはじめは冗談半分でひやかしながら、今日のあれはいかがでしたか、などと申していたのでございます。そんな場合はあなたでも、同様になさるのではないでしょうか」
とっさにどう答えればいいのか、散歩者は喫んでいた煙草の灰をはたいて、
「ですよね……どうも恋の病というものだけは、真面目に介抱する気にはなりません。恋わずらいをするのが娘さんなら、乳母が世話をするのがならわしになっておりますがね、男の場合は困りますな。
そんなときは傍観者として、その川でハゼでも釣っていたかったですね」
「ははは、これはおかしい」
と僧は感じ入ったふうにハタと手を打った。