(現代語訳の方針)
これまでの現代語訳では、ちょっとでも鏡花らしさを残したいという執着があって、雰囲気でわかりそうな原文のことばはできる限り残しておこうと悪あがきをしていたのですが、今回の『春昼』の現代語訳にあたっては古いことばづかいをきっぱり棄てて(ときには語彙を貧しくして)、咀嚼した上で大意を汲むような訳文を心がけました。とはいえ、それほどわかりやすくはなっていない。というのも、原文の、読み解きにくい長い文を長い文のまま、短く句切らずに現代文(結構が明快な欧文脈の文章)に置き換えようとしているからです。
どうしてそんな、訳すにしても読むにしても厄介な方針を採ったのかといえば、鏡花小説の、そしてとりわけ本作の魅力となっているのは、なかなか句点で寸断されることのない、波うつような息の長い文のうねり、フレーズの重なりにあると思うからで、豊かな語彙や言い回し、リズム、時代色などを棄てても、それだけは活かしてみようと思いました。
とくに前半の自然描写、山里の風物の描写は、そももの地形自体がわかりにくい上に、薄雲に薄雲を重ねたようなつかみどころのなさを感じさせる、一文がやたらと長い文章が散見されて、初読者にとっては難物です。けれどもそれを解きほぐしてみると、退屈に思えるプロローグの部分にこそ、本編の基調をなすものが隠されて、不必要に長く思える文にこそ、普通のことばでは言い表しにくいニュアンスが織り込まれているのだとわかってきます。しかもどちらも、そう書かなければ言えないもののような気がするのです。
『春昼』『春昼後記』の連作には、すでになろう内に秋月しろうさんによる正統派の現代語訳が掲載されています。私自身も参考にさせていただいた部分があり、より原文の雰囲気を伝える訳になっているので、そちらもぜひご参照ください。
重複を知りながらもアップしたのは、視点を変えたアプローチや解釈を試してみたくなったからで、実際に出来上がったものはかなりルックスの異なったものであり、同じ作品でも競合するものではないと考えています。
『春昼』は、これ一篇で完璧な短編であり、続篇として書かれた『春昼後刻』は、続篇というよりもいわば返歌――しかも、言わずもがなのことを言った、やや出来の劣る返歌だという印象があり、いったんは本編だけを切り取っておきたい気がして、今のところ、すぐに『後刻』に手をつけるつもりはありません。
附記:2025年2月15日に『春昼後刻』全章をアップしました。