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第8話「ここはく Part1」

いつも読んでくださる方々に感謝申し上げます。

 こんがり焼いたトーストとバターはおかわり可、厚みのあるオレンジや淡黄の色をした2種のスライスチーズが、たっぷりと皿の上に盛られていた。目玉焼きやベーコンは平々たるものだったが、レタスや玉ねぎ、きゅうり、トマト等の野菜は昨晩食したものと同様瑞々しく、音を鳴らして噛む毎に口内が洗われているような気分になった。牛乳やヨーグルトも島でつくられたもので、その濃厚さに舌を巻いたのだったが、昨晩に味わった感動を超えるものはなく、いささか残念な気持ちになりつつも、支払った金額に対してそれはいくらなんでも過ぎる要望だろう、と自戒を伴った。

 睡眠はたっぷり取った。部屋に戻った後もまだ目は冴えていたが、体はともかく脳は休眠を強く求めていた。ベッドに入ってから10分間はその日得た情報を整理しようとしていたのだが、とても処理できるものではないと判断され、強制的にシャットダウンとなったのだ。目覚めると午前8時を過ぎていた。8時間以上眠り続けたなんて、社会人になってからはじめてじゃなかったか。

 朝食は僕が一番遅かったようで、昨晩と同じホテルの隣にある欧風ファンタジー(?)の内装が施されたレストランに入店する時に、幸塚(こうづか)親子と入れ替わりになり、雲妻(くもづま)とは出会わなかった。綾里(あやり)さんと笑顔で挨拶を交わし、昨晩の騒動について改めて謝罪と感謝の言葉をもらった。(たま)ちゃんも母親に促されてはいたが、元気な様子で「おはよ、ござい、ます」と区切った挨拶をしてくれた。

 食後、念入りに歯を磨き、準備を整えて9時50分に1階ロビーに下りると、小恋(ここ)ちゃんと雲妻が立ったまま話していた。

 お互いに「おはようございます」と言い合って、昨日と変わらない天候を喜びあう社交辞令の後、小恋ちゃんが「本当に申し訳ございませんでした」と頭を下げた。

「いえいえ、もうそんなに謝らないでください。無事だったんですから」

「そうです。むしろこういう事があって、初日にして皆さまと仲良くなれました。珠ちゃんのおかげですね」

 雲妻は僕に追随して言ってくれたのだろうが、やはりどこかずれているな。でも昨晩は彼が一番冷静で的確な判断をしてくれたおかげで、無事に済んだと言える。知り合ってわずかだが、見直したよ。

「ほんとに、…綾里さんも私を責めても当然ですのに、みなさん優しい方々で良かった」しみじみと小恋ちゃんが言った。やや涙ぐんでいるように見えた。

 小恋ちゃんは昨日のものとは違った、体のラインを拾ったようなタイトジーンズを履いていて、上はふわりとした白のブラウスを着ている。レースがついていて、昨日より少し女っぽい恰好だ。靴もパンプスにしている。改めて見てもかわいい。昨晩の少し怖かった、というか柄が悪かった雰囲気は、完全に消去されていた。

 雲妻は…ちゃんと着替えてはいるようだが、昨日とどこがどう違うかはわからなかった。多分どれも同じようなワイシャツとスラックスを、数着持ってきているのだろう。まあ僕も人の事は言えない。一応色は変えているが、同じような服装だ。さすがにダウンの上着は置いてきたが。

 階段を降りるけたたましい靴音が近づいてくる。最後にバン!とおろしたてに見えるきれいなスニーカーを履いた小さな両足を同時に着地させて、珠ちゃんは誇らしげに胸を反らせた。「おう!」と右手を上げて勇ましく挨拶する様は、まさに元気いっぱいと形容する以外になかった。長袖のボーダー柄のポロシャツと紺のハーフパンツはやや大きめで、きっと成長を見越してのものだろう。

「おはようございます。朝ごはんはきちんと食べましたか?」

幼児相手でも丁寧語で話す雲妻。四谷(よつや)って、そういうキャラなのかな?

「食べた!」

 急いだ靴音を鳴らし、「もう、お母さんまだ準備しているのに…待ってよ~」と言いながら綾里さんも降りてきた。

「あ、すみません、お待たせしてしまって」

「いえ、まだ10時になっていませんから」と言った僕の横を通り抜けて、小恋ちゃんは綾里さんに深々と頭を下げた。

「おはようございます。昨晩はまことに申し訳ございませんでした、重ねて謝罪申し上げます」

「いえそんな、わたしこそ皆さんに大変なご迷惑をかけてしまって…。親なのにきちんと見れていなくて、申し訳ございませんでした」

 何度も謝罪を応酬する2人の姿を1分弱ほど見ていた。綾里さんは細かい網目の白いニットに、レモンイエローのフレアスカート、素足に白いサンダルを履いている。控え目でいて華やかだ、男心をくすぐるなあ。嫁さんをもらうならやはりこういう娘達がいい。2人とも思いやりがあるし、礼儀正しいし、そして美人だ。

「朝から眼福ですね」

いつの間にか真横にいた雲妻が小声で言った。奴は僕の心を見通していた。

「…そうですね」

「しいて言うなら、どちらがお好みですか?」

「煽っても意味ないですよ。僕は…(わきま)えていますから」

「私だってそうですよ」

 無益な大人たちの会話を、珠ちゃんがしびれを切らしたかように「行くぞー!」と号令をかけて制止した。我に返った僕たちは笑顔になって、その言葉に従った。

「もう、どうしてそんなに元気になったの?」と不思議がっている母親が、一番の笑顔だった。


 小恋ちゃんが運転する8人乗りのバンは、昨晩港からホテルに来た道を逆に進んだ。

 助手席を空けて、後部シートに僕と雲妻、最後部のシートに綾里さんと珠ちゃんが座っていた。途中にこの二朱島(にあじま)の町役所…4階建てほどの高さの洋風建築があった。レンガ造りの外壁で上部がR型の窓が並んだレトロな建物だが、実際は新しくて、内部は現代的なものだったと雲妻が説明した(彼は昨晩助けを求めるために、ホテルからここまで走ったのだ。相当な距離だぞ)。 小恋ちゃんが言うには、欧風ファンタジーの景観をつくるためにわざとそういうデザインにして建て直したらしい。しかし周囲はまるで追いついておらず、僕が生まれるより前の…昭和のような風景が大部分を占めていた。黒ずんだ木造の、瓦屋根の和風家屋がまばらにあって、それぞれ広い敷地を有しているのだろう、どの家も木製かブロック造りの柵で囲われていて、庭木がそれを超えて緑葉を茂らせていた。コンクリート造りの家や4~5階建て程度のビルもあるが、外壁は薄汚れていて、うすくひびが入っているような古いものが多い。野球帽を被り、首にタオルをひっかけて田畑を歩いている老人達や、荷台に農作物や木材、発電機等が積まれた軽トラックを何度も見かけて、ここがまぎれもなく日本であり、本土から遠く離れただけの、単なる田舎の島であることを強く自覚した。

 夜とは印象が違うな。一夜明けて、もう異世界から帰ってきてしまったのだろうか…昨晩のあの砂浜での出来事、あの異国の美少女とマエマエ様?だけは夢か幻だったのではないか、そんな気持ちになった。小恋ちゃんから説明を聞くまでは雲妻や綾里さんに話さないでおこうと考えていたのは、彼女が暗にそれを止めていると思ったからだが、自分自身の記憶がどこかあやふやなせいもあった。

 途中で突堤への道から外れて傾斜のついた山道を進むと、景観は徐々に変わっていった。民家や人の姿はほとんど見られなくなり、その代わりに細い川や森林が繰り返し車窓を彩った。バンはハイブリッド車で上り坂でもエンジン音が小さく、山道もきちんと舗装されていて振動が少ないおかげで、実に快適だった。少し開けた窓の外からは、多種のかわいらしい鳥のさえずりや、緩やかな川のせせらぎ、風に揺られてすり合う枝葉の音まで聞こえていた。その揺れる枝葉に天を覆われた天然のトンネルを数分かけてくぐり抜けると、一気に周囲が明るくなり、オープンカーでもないのに広大な青い空が見えた。小恋ちゃんが準備してくれていたように、ベストタイミングでルーフを開けてくれたのだ。


 朝食で味わった牛乳やヨーグルトはここでつくられているらしい。朝飲んだものも相当に美味しかったが、今飲ませてもらったものは格別のもの、今まで飲んだ牛乳の中で最高の味だった。ミルキー!と美人の嫁さんがいる筋肉芸人みたいな唸り声をあげたくなったが、さすがにそんな寒々しい真似はしなかった。搾りたてらしく、殺菌処理をしていないため外部の人に飲ませるなんてご法度!と小恋ちゃんは止めたのだが、雲妻が意に介せず飲み干して「うまーい!」と感嘆したため、僕もつい飲んでしまった。さすがに幼児に飲ませるわけにはいかず、珠ちゃんと綾里さんは加熱処理したものを飲ませてもらっていた。それでも十分美味しかったようだ。

 黄緑色の草が茂った広い高原で、見渡す限りで50~60頭ほどの乳牛が放牧されている。柵で区切られたところにはポニーが4頭いて、皆じっと立っている。少し離れたところでは羊も飼っているらしい。牧場を見物した後、さらに車で3分ほど進んだ先には黄やピンク、赤といった色とりどりのフリージアの花畑が広がっていた。あまりの美しさにスマホを持っていないことを失念し、僕は肩にかけていたサコッシュの中を探ってしまった。

 小恋ちゃんが謝りつつバッグからカメラを取り出した。なんと懐かしい、使い捨てのフィルムカメラだ。まだ売っていると知ってはいたが、実際に見るのは随分久しぶりだった。

「これで撮影します。あとでプリントを差し上げますので、皆さんそちらに並んでください」

 雲妻、僕、珠ちゃんの両肩に手をのせて後ろに立つ綾里さん、の配置で花畑をバックにした写真を撮ってもらった。カチャリ、と懐かしいシャッター音に嬉しくなった。

「さあ、小恋さんも入ってください。私が撮りますから」 雲妻が小恋ちゃんから素早くカメラを奪った。

「いえ、私は…」

「いいじゃないですか、さあ」

「はい」

 小恋ちゃんがこちらに来た。

「ええ、簾藤(れんどう)さんの隣に立ってください。さあ、珠ちゃんを真ん中に皆さんもっと寄って」

 小恋ちゃんが右に、綾里さんが左に近づいた。手を伸ばせば肩を抱けるほどの距離だ。(当然そんな事しないが)右からはフルーティーな、左からは甘い香りが立った。フリージアとミルクの香りも入り交じった、あまりにも甘美なハーレム空間に包まれて、僕は少しのぼせあがっていた。

「さあ、撮りますよ、笑顔ではい、いせかーい」

 なんじゃその掛け声、と照れつつも、皆が言ってしまった。

「いせかーい」

 雲妻…なんていい奴なんだ。

「今度は僕が撮りますよ」僕は雲妻に駆け寄った。

「いえ」小声にして、「私は妻帯者ですから、うかつな写真は残せませんよ」


 牧場に戻ってしばらくの間自由時間を過ごしている間に、のぼせた頭を徐々に冷やしていった。美しくて開放感のある、まさに望んでいた景色と静けさ。それは紛れもなく現実の、日本の風景だったのだが、違和感が全くないわけではなかった。牧場には高齢の日本人5~6名の他に、外国人の姿があったのだ。いずれも小柄で若く、遠目からでも美形とわかる容姿(日本人と隣り合っていると、あきらかに頭身の割合が違うとがわかる)の男性2人に女性1人。一輪車で飼葉を繰り返し運んでいたり、ポニーのブラッシングをしていたり、老齢の日本人男性と牛を(ゆび)さしながら熱心に語り合っていたりと、皆熱心に働いている様子だ。小恋ちゃんが少し離れたところで立ったまま、僕と同じようにぼうっと外国人達の様子を見ていた。

 外国人…なのだろうか、…もしも異世界人だとしたら? 

 スマホを預けることを躊躇しただけで船を降ろされるほどの情報規制、不自然な気温の急変と濃霧、サインらしき光、小柄で美形の異人たち、彼らの監視者のような態度、情報がほとんどなく、住民も少ないのに近代的な整備が進む島、立入禁止区域、謎の魚、謎の美少女、謎のマエマエ様、宙に浮かんだペンダント、そして小恋ちゃんの言動。長年封印していたはずの漫画脳が活発に動き出し、ありえない推論が頭の中を埋めていった。

 僕は小恋ちゃんに近寄っていった。彼女が気づいて、一瞬観念したような表情をしたが、すぐにきりりとした真面目なものに変えた。雲妻や綾里さんたちは、近くにいないようだ。

「小恋さん、ちょっといいかな」

「はい」

「昨晩の、あの海岸での出来事についてだけど」

「はい」

「僕、どうにも訳がわかんないままで、夢でも見てたんじゃないかって思ったりもしたんだけど…」少し笑いながら言ったが、小恋ちゃんの表情は変わらなかった。

「ですよね、無理もありません」

「あの女の子とか、あのマエマエ様とかいうの、それに、ペンダントが宙を浮いたりしたのって…」

響輝(ひびき)さん、予定通り明後日にお帰りになられますか?」

「え?」

「3泊で終えられますか? 連休に入ると他にも旅行者様が増える予定ですが、宿泊施設は複数用意しておりますので、同じホテルで延泊は可能ですよ」

「うん…でも」

「よろしければ延長して、もう少し島の事を知ってもらえないですか? 宿泊の費用はどんと割引させて頂きます…いえ、無料で結構です。宿泊もお食事も全部用意します。いかがですか?」

「帰っちゃうなら、説明はできないって事?」

「いえ、そういう訳じゃないんですが…」

「でも…間の平日にやらなきゃならない事があって」

「お仕事ですか?」

「いや、仕事ではないんだけど、まあ、準備と言うか…」

 地方に左遷されるので転出入の手続きをする予定、なんて説明はしたくない。左遷なんて言わずに、単に転勤すると言えばいいのか。いや旅先で、しかも彼女に仕事の話なんてしたくない。それにいくらなんでも無料と言うのは…不気味だ。

「どうしても帰らなくちゃ」

「…そうですか」

 シュンとしてしまった。ああ、なんかすごく悪いことをした気分だ。

「それでは、今晩ご説明します。まずは響輝さんだけに…」

「じゃあ今晩、どこで?」

「ホテルの一室をお借りしますので」

 ドキッとした。

「少しお時間がかかるかも知れません。私の気持ちをきちんと説明したいので…

どうか、よろしくお願い致します」

「わ、わかりました」

 僕だけに…、小恋ちゃんの気持ち…、いや違うだろ、そんな話じゃない。何をバカな事を考えているんだ。…ダメだ、きっとにやけているぞ。僕は目を(つむ)って水を切るように頭を振った。浮かれ過ぎにも程がある。


 …本当にそうだった。僕は大バカだ。どうして美人で、真面目で、きっとこれまでの人生でも人気者だったであろう彼女たちが、出会って2~3日しか経っていないというのに、なんら特別な魅力があるわけでもない僕に恋愛感情を抱いたかも、なんて思ってしまったのか。仲良くした?親切にした?子供を探した?大人として当たり前のことをしただけじゃないか。雲妻だって同じことをしていた。それだけで惚れてくれる、なんて事があるわけないのだ。自分では弁えていると思っていた。一線を引いて、踏み越えないように、失敗しないように心がけていた…のに、僕は感情的になってしまって…しくじった。


次話は第9話「ここはく Part2」です。

3月11日掲載予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 料理や服装、情景描写なんかが細やかで映像のように頭に浮かびました。うまい。 [気になる点] 「ここはく」は別の意味かと心配してたけど…杞憂でした。 いや、Part 2で小恋さん酔っ払ってや…
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