第46話(最終話)「それではそろそろ帰りましょう Part 2」
最終話です
皮膚を爪の先で引っ掻かかれたような痛みを感じて、僕は目覚めた。最初、その痛みが体のどの部分かわからなかったが、やがてはっきりしない記憶と共に、右耳である事を思い出した。
半分ほど失ったはずの耳たぶを確かめようと触れると、耳の下半分が厚いガーゼに包まれている事に気づいた。そしてそのガーゼに触れた右手にもまた、指先まで包帯が巻かれている事を知った。
僕は眠っていた、それも柔らかいベッドの上で。うっすらと見える部屋の様子…15㎡ほどの個室のようだ。部屋奥の角に洗面台らしきものが置かれていて、その隣にドアがある…トイレや浴室がついているのだろうか。 僕は灯りを求めてベッドサイドを見回した。ヘッドボードの上に蛍光のスイッチらしきものを見つけた。そっと指先で触れるだけで反応し、白い灯りが点灯する。部屋は…洗面台やドア、窓を塞いだカーテン、ヒノキのような黄白色の木製テーブルとイスが一脚ずつ、以外にはなにもない。まるで病室のようで、着ている服も病衣のような膝までの白いワンピース。僕はいっそう不安に駆られた。
ベッドから起きて、裸足のまま水色のカーテンに近づき、ゆっくりと開けてみる。外は夜だが、広い芝生や整然と立ち並ぶ木々が見える。おそらくここは病院の2階か3階で、僕は治療を受けたのだろう。だが安心できない。ここが地球の…日本にある病院、それも精神病院かもしれない、という不安を感じているからだ。
僕が仕事に疲れ、心を癒すためにとある島に旅行して、かわいい女子達や変な奴と知り合って、異世界の戦争に巻き込まれててんやわんやの挙句、救世主になったというバカバカしいファンタジーの主人公になったわけじゃなく、実は仕事に疲れるまでは同じで、魔が差してJKと援交し、逮捕されて仕事をクビになり、鬱を発症し、ヤケになってケンカした挙句、相手を負傷させて逃亡、とある島に逃げたが結局捕まって、頭がおかしくなっていたのでその後精神病院に入れられた男……じゃない、という確証がまだないのだ。
いやいやいやいやいやいや、そんなわけない。僕は簾藤響輝だ。その…エンコー野郎じゃない。でもそいつの記憶が、そんな悲惨な顛末が夢となって、ついさっきまで僕の頭の中でIMAX上映されていたんだよ。
よせよエンコーなんて…そんな度胸ないよ、じゃなくて、そんな事しないよ。でも…異世界の戦争? 救世主? そんなのよりずっとリアリティがあるよな。救世主よりもエンコー野郎の方が、ずっと自分に近いと思える。どうしよう、マジでそうだったらどうしよう。これまでの冒険がすべて精神異常者の妄想だったなんて陳腐なオチ…誰も納得しないって!
僕は洗面所を確かめた。一見地球のものとほぼ同じだが、少しだけ違う。蛇口が隠れていて、センサーで感知して水が出るのは同じとしても、水の出がずいぶん幅広くて薄い。群馬県名産のうどんみたいだ。…でも、これで以てここが異世界と判断するには弱すぎる。流しの下も開けてみるが、水道管と排水管だけだ。隣のドアを開けると、トイレと厚いガラス戸で遮られたシャワーブースがあった。それらの形状や機能、棚に置かれてあった白いタオルやバスタオルも確かめてみるが、そう目立った違いはないようだ。
もう一度洗面台の前に戻り、鏡で自分の容姿を確かめてみる。…間違いなく自分だ。簾藤響輝、29歳の顔だ。髭が伸びている、でも肌はきれいに拭いてくれているようだ。耳と右手を負傷しているという事は、やはり異世界は…変異体との戦いは現実だったはずと思うけれど、もしも精神異常なら、記憶と妄想を入れ替えている可能性もある。目、鼻、口をいろいろと動かしてみる。表情筋はしっかり機能しているし、異常者っぽくないと思うのだが。むしろ以前よりなんか顎元がすっきりしていて、目元もきりりと…ちょっと精悍な顔つきになっていないか? もしかしてキロメや異世界の環境のおかげなのかな? 美形と言えない事もないような、あるような…
部屋の横開きのドアが開いた。わずかなスライドの音しかなかったのだが、僕は心臓が飛び出たかと思うくらい驚き、表情筋をフルに使った顔を入口に向けた。
小柄な美少女がひとり、水が入ったグラスを載せたトレイを持って立っている。ロングの金髪を後ろで結んでポニーテールにしている。いつもと違って上下とも看護師のような白衣を着ているけれど、そのファンタスティックな美貌が地球人ではない、少なくとも日本人ではない事を証明してくれている。
「カンペンさん…だよね?」
「カンペンですが?」
ああ良かった! 人生で最もほっとした瞬間を更新した!
「なぜそのような奇怪な顔をされているのですか?」
ありがとうカンペン、ありがとうメェメェ様、実在してくれて、ホントーにありがとう! そして自分を美形だなんて思って、ホントーにごめんなさい!
崩壊し、落下する島から異世界の人々を守るため、僕とメェメェがフルパワーでバリアを貼ったところまでは思い出した。しかしその後の事はあやふやで、僕が(おそらく強制的に)メェメェから降ろされたという事を覚えていない。だけど、それはきっと正しい判断だったのだろう。結果その後の犠牲をなくし、僕もまた、こうして無事なのだから。
死亡した犠牲者の数は…カンペンはまだ正確な数字はわからないと言い、またそれを僕が気にしないよう忠告してくれた。しかし僕はすでにメェメェを通して、多数の死を見てしまっている。今はまだぴんと来ていないが、徐々にそれらの記憶に精神を摩耗させる事になるのかもしれない。もしくは自己防衛本能により、記憶から抹消していくのかもしれない。自身が望むところは、記憶を失うことなく、また精神をも強靭に保つ事だろう。それができればいいのだけれど…。
多くの異世界人と、それまで聖地に籠っていた複数のメェメェによる救助活動は、今もまだ続いている。カンペンをはじめクゥクゥ達もまた、交代で取り組んでいる。だけど小恋ちゃんは、僕の無事を知ったところで溜まっていた疲れが吹き出し、力尽きたように意識を失ってしまったらしい。 梁神らの(侵略に近い)来訪から異世界転移、そして僕らを助けるために、カンペンや綾里さん達を引っ張って、二度目の転移作戦を主導したツケがまわって来たのだろう。彼女もまた聖地に運ばれ、今も病室で眠っている。
僕は意識を失い、分身たちに守られながら、空中をぷかぷかと浮いていたらしい。簾藤メェメェからの連絡を受けて、カンペンが救出してくれたのだ。
ベッド下の収納に、僕の服が(下着込みどころか靴まで)洗濯、乾燥済みで仕舞われていた。僕はシャワーを浴び、髭を剃ってから着替えた。疲れはまだ残っているけれど、それでも徹夜の残業明けなんかと比べるとずっとマシだ。
カンペンに案内されながら、僕は涼しくて、はっきりとわかるくらい澄んだ空気の下を歩いている。ここは地上から約4000メートル上空にある…聖地の中だ。病室がある建物の外見は、まるで昔の西洋の…ローマ建築のようで、白いコンクリートか石材で建てられているように見える。他の建物も同様の材質、デザインで、むき出しの太い柱が立ち並んでいる。各建物の大きさは様々で、高さも10メートル程度から100メートル以上のものまである。内外を遮る塀や扉はなく、どの建物も個々の部屋以外は自由に通り抜ける事ができるみたいだ。 周囲にある木々や草原、田畑といった自然と混じり合うように建てられていて、ある建物の中央にある吹き抜けに、天まで届くような巨木が生えていたり、太い枝が絡み合って橋を支えていたり、天然の芝生が、階段やスロープを部分的に覆ったりしている。区画しているかのように網目状に配置された水路が、屋内外にいくつも備え付けられている水田やプール、ちょっとした噴水等と繋がっている。そこかしこに色とりどりの花が咲いていて、果実がなり、稲が芽吹いている。秋の虫に似た心地よい鳴き声が、丁度よいボリュームで聞こえる。
すべてが混じり、溶け合っているような…この島全体がそうなのだろうか。確かに、まるでエデンの園のような…楽園だ。
まばらではあるが人の姿もある。カンペンのように小柄で若い、見目麗しい美男美女揃いだ。皆、似たりよったりの白衣を着ている。下から運ばれてくる重症患者たちの治療や看病を行うため、総動員してくれているらしいのだが、その割にはどこか緊張感がない。笑みを浮かべた、リラックスした面持ちで、それでも足を止めず軽やかに、スピーディーに歩いている。 生真面目さが表情や仕草に表れるカンペンやサドル達とは、少し雰囲気が違う。
「あの人たちはその…聖地に住んでいるのかな? メェメェ様に選ばれた人間っていう事なのかな」
「そうらしいです。わたしもよく知りませんが、もっとも完成に近い人達らしいです」
「完成に近い? それって知能とか、人間性とかが高いって意味なの?」
「そうだと思います。ですが、問題点もあるそうです」
「問題って?」
「彼らの間では、出生率がかなり低いらしいです」
「へ~ どうしてだろう」
「先天的に欲望を自己抑制する性質を持っているため、性欲をも制限してしまっているらしいのです」
「へ?」
「性欲を、本能で制限してしまうのです」
「せ、せいよく?」
「つまり性行為、わかりやすく言うと親しい男女間で行うやらしー営みをですね…」
「わかった! わかりやすく言うんじゃない!」
この娘はも~
「何を慌てているのですか? わたしはもう17歳、JKですよ」
JKじゃないっての。
「性行為についての一般的な知識は身につけております、そしてその意義もちゃんと理解しております。愛情を確かめ合う男女の行為として、また種の存続を成す方法として、なんら恥ずべきものではございません」
「そりゃそうだけど、そうあけっぴろげに話すようなものじゃないから…」
「あけ…ぴろ? なんです、その人を小バカにするかのような響きの言葉は」
「違う違う。その、赤裸々に… 包み隠さないで、っていう意味だよ」
ふっ、とカンペンが僕を蔑むような笑みを浮かべた。…こんな表情、初めて見るよ。
「何を今さらカマボコぶっているのやら…。 あなた方の世界では、ありとあらゆる情報物に、扇情的な性的表現を絡ませているじゃないですか」
そんなフリしてねーよ。
「肉体的快楽や承認欲求といった邪な欲望が目的の多くを占めているから、変な後ろめたさを感じてしまうのですよ。そもそも愛情で心を満たしていればですね…」
「ちょっ、それはもう、またいつか話そう」
しかし、繁殖能力に問題があるとなると、その程度にもよるだろうけど、メェメェ達が求める…完成した人間とは言えないのかもしれない。それにそれほどまで様々な欲望を、本能で自制してしまうとすると、いくら異世界でも、その…下の世界では適応できないんじゃないだろうか。少なくとも戦争中ではとても生存できない。…もしかして聖地は、メェメェ達は彼らを保護しているんじゃないだろうか。
いろいろと調整が難しいんだろうな、人間ってやつは。
「それよりも大事な話って何? どこへ行くの?」
「お連れする前に、わたしから確認させて頂きたいことがあります」
彼女は僕を石造りの階段の端に、並んで腰かけるよう誘った。幅が5メートルくらいある石段は10段ほどで、広めの水路の上を渡る石橋へと繋がっている。周囲は高い建物と高い木々が隣り合って取り囲んでいるが、真上はぽっかりと広く開いていて、無数の星の光が僕たちを見下ろしている。
カンペンがわりと間を詰めて、隣に座っている。彼女の呼吸音が左耳にそっと触れ、猫のように少し灯った黄緑色の両目が、僕の左頬をほんのり照らす。なんだかドキドキしてしまって、つい逆の…右上の方向に顔を向けた。
「な、何かな?」
「マエマエ様から離れられた前後の記憶がない、とおっしゃっていましたが…」
「うん」
「マエマエ様と簾藤さんは、ものすごく大きな、この聖地と下の大地一帯を覆いつくすほどの障壁を作ってくださいました。そのおかげで、私たちの世界は壊滅的な被害を免れることができました」
「うん、そうみたいだね。良かった」
「どうやってあれほど膨大なエネルギーを生み出すことができたのか、簾藤さんはご存じじゃないのでしょうか?」
「いやそれが、さっきも言ったようによく覚えていないんだよ。とにかく頭の中がごちゃごちゃに、いっぱいいっぱいになっちゃってて… 君たちが助けに来てくれたところまではちゃんと覚えているんだけど…」
「なにか…通じたというか、誰かと話をされた、という事はなかったでしょうか?」
「メェ…マエマエ様とは、ずっと話していたと思うけど」
「マエマエ様以外です」
「いや~ それはなかったと… 思いますけど… いったい誰と?」
「…わたしも知りません。そうであればいいんです。どうかもう、お気になさらず」
「それだけ?」
「いいえ、まだあります。 簾藤さんは…もとの世界へ、ニアへお帰りになるのですよね?」
「う、うん、そのつもりだけど。できる事ならば…」
「地上にあった設備はすべて破壊されてしまっているので、その…ワームホール? の位置を見つけるのに1、2年はかかってしまうらしいのですが。 他に…この聖地に保管されているものがあるそうです」
「それを使わせてもらえるの?」
「その設備が置いてある場所は極秘らしいので、簾藤さん達をお連れすることはできません。なので、ホールの方を動かしてくださるそうです」
「そんな事できるの!?」
「ええ、常に聖地と共に移動させていることになりますから、その技術は確かでしょう。ただし使用するにあたっては、細かい調整が必要らしいですが…」
「なんだか不安だな。大丈夫なの?」
「では1年か2年の間、こちらに滞在されますか?」
「あ、いや、そうもいかないな~。ホントならもう帰ってないといけないからな~。転勤初日から欠勤になっちゃったよ」
「まだ間に合うと思いますよ。簾藤さんが眠られてから、5時間ほどしか経っていません」
「え? でも、もう夜でしょ?」
つい顔を向けてしまった。星灯りに照らされ、うっすら輝く髪と瞳、両腕で引き寄せた両膝に顎を乗せて、少し傾けた…いたずらっ子のようなあざとい笑顔に。
「こちらの世界では、夜は1日に2度あるのです」
「2度? へぇ~ そうなんだ… やっぱり異世界なんだな~」
カンペンはくすっと笑った。
「いろいろとご案内したかったな。こっちの世界を」
ちょ、やばいよ、その…天使のような笑顔は。
「そ、そうだね。またいつか…」
…って、あれ?
「カンペンさん、もしかして…」
彼女は顎を離し、両膝をまっすぐ伸ばした。
「わたし達はこちらに残ります。まだ戦争が終わったわけではありません。変異体の脅威がなくなった今、それを全世界に周知させて、メ…マエマエ様による平定を、秩序の回復を早急に行わなければならないのです。わたし達は、そのお手伝いをします」
でも、君たちはまだ子供だよ。そういう事は大人たちに任せて…なんて軽々しく言えない。大人も子供もない、そういうレベルの問題じゃないんだ。
「それに家族も探さなくちゃなりません。生死不明ですが…」
僕にはただ…頷く事しかできない。
彼女は僕の顔との間に、右の人差し指をぴんと立てた。
「あともうひとつ、わたしの個人的な質問です」
「は、はい」
「前にもお聞きしましたが、簾藤さんは、小恋さんの事が好きなのですか?」
「えっ!?」
「変異体に乗ったお二人を、あらゆる角度からじっと窺っていました。もうすっかりホッカホカのご様子に見受けられましたが…」
じっと窺うんじゃない!
「いやその、まだ知り合ってからそんなに時間経ってないし…。そりゃ少しは仲良くなれたと思うけれど、彼女はその、島一番のお嬢様でしょう? 僕なんかじゃ釣り合わないというか…」
「そんな事は聞いておりません。好きかそうじゃないか、結婚したいかしたくないか、その上で一緒に性行為をしたいかしたくないか、それをお尋ねしているのです」
「けっ… せい… き、君ね、そんな事をだね…」
ひんやりしているのに、なぜか汗が噴き出ている。
「小恋さんは、わたしにとって姉のような存在なのです。ですから妹であるわたしには、質問する権利と責任があると思います。はっきりと、誠実にお答えください」
すっごく真面目な表情だ。これはもう…答えるしかない。
「好きです。…はい、がっつり惚れています。最初はその…前に君に言われたとおり、単なるひと目惚れでした。その後嫌われたと思って、でもまた仲良くなれて…。 たった1週間だけど、彼女の事をいろいろと… その、しっかりしているように見えて、大きな責任を…実は精一杯背伸びしながら背負っている姿を見て、僕は自分を省みたんだよ。 それで、どうにか彼女の助けになりたくて… あれこれあって、いまやもう…ベタ惚れです」
とりとめのない話し方をしてしまい、僕は恥ずかしくなって、エメラルドのような瞳から目を逸らしていた。また頼りないと思われただろうな。
「そうですか。 ……うん、安心しました。そしてすっきりしました」
彼女はすっくと立ちあがり、両手をまっすぐあげて大きく背伸びした。
「今のお言葉も、さっきの事も、簾藤さんの本心である事をマエマエ様が確認致しました。わたしもそう思います」
「え?」
くっきり見えていた星の光のいくつか…7~8ほどが動いて、こちらに急接近してくる。それは表面を灯らせていた中メェメェ達だった。 頭上3メートルほどのところで止まって、数秒間僕を値踏みするように見下ろすと、やがて飛び去った。
簾藤メェメェやカンペンメェメェの分身達じゃなさそうだ。
「返答次第では、ニアに帰してもらえない事になっていました」
「えっ! ちょっ、それは…先に言っといてよ」
またくすっと笑って、17歳らしい眩しい笑顔で僕を見下ろした。
「ごめんなさい。…少し、それを望んでしまっていました」
「え?」
彼女は両手で自分の鼻背から下半分を覆い、顔を逸らした。
な… なんてかわいらしいんだ。 ちくしょう! さっき小恋ちゃんの事を好きと言ったばかりなんだぞ! それ以前にJK…未成年なんだぞ! オタクの気持ち悪いところだぞ! 弁えろっ、この優柔不断!
そのまま顔を隠すように深くお辞儀しながら、
「ふつつつ…つ…者ではございますが、怒りっぽくて、怖くて、でも優しくて、すごくかわいい姉の事を、どうか今後ともよろしくお願い致します」と言った。
僕もあわてて立ち上がって、同じように頭を下げる。
「こ、これからもがんばります!」
どうかこの娘が無事家族と再会できますように、今後はずっと幸せに暮らせますように、お願いします! 神様! メェメェ様!
聖地の下もまた、満天の星空が広がっているように見えた。それらの光の多くは、積み重なった黒い土砂や鉄、それらに押しつぶされた瓦礫を撤去する分身たちが放っているものだ。その他には、異世界人たちが操縦する重機や車のライト、そして…まだ各所に炎が残っている。大都市よりも広大で、また煌びやかではあるが、その下では、まだ多くの命が救いを求めている。まもなく尽きようとしている命もあるだろう。
僕とカンペンを乗せたカンペンメェメェは、被害地域のちょうど真ん中あたりにあるエリアに向けて降下している。そこは僕ら…簾藤メェメェがその上空で広大なバリアを貼った場所だ。比較的被害が少なく、また救助活動も完了しているため光が少ない。直径10kmくらいの穴が、ぽっかりと開いているように見える。
静かに着地し、頭部が開きながら傾くと、それに連動してカンペンが座っているシートと床の角度が動く。僕は膝と腰を曲げ、内殻に手を当てて体を支え、それから頭を渡って外に出た。先端を灯らせた小メェメェが僕の足元を照らす。カンペン達はここで僕の帰りを待っててくれる。つまり僕はひとりで(小メェメェの案内付きではあるが)、この暗闇の中を歩いて行かなくちゃならない。
簾藤メェメェが、僕と2人きりで話したいらしい。彼は崩れ落ちる島をすべて分解するために、エネルギーをほぼ使い切り、墜落してしまったのだ。この周辺の救助や瓦礫の撤去を早急に行ったのは、彼の回復を優先するためでもあるのだろう。とは言っても、さすがに整地するまでは至っていない。足元は硬く、また歪で、僕は何度も躓きながら歩いた。
段々と暗闇に目が慣れてきて、うっすらと周囲が見えた。地面から突き出ているような大きな物影が見える。 撤去しきれなかった鉄骨か何かだろう、と思って近づくと、それは中サイズのメェメェだった。表面の色は…たぶん黒いままだ。変異体の島を形成するための、エネルギーユニットだったヤツだろう。 役割を失って、島と一緒に落ちたのだろうか。このままここに放っておくのだろうか。他にもいくつか…よく見るとかなりあるぞ。本体サイズのものもある。まるでメェメェの…墓場じゃないか。どうしてこの辺に集中しているのだろうか。簾藤メェメェの近くに集まっていた? それとも集められたんだっけ? わからない。 よく覚えていない。
そう言えば、変異体はあれからどうなったんだろう。もう二度と目覚めないと言っていたが、信用していいのだろうか。
小メェメェが僕の前を何度も塞ぎ、方向を違えないよう訴えているようだが、僕はつい埋まっているメェメェ達に気を取られ、いくつも確かめてしまった。
‟ ヤツは朽ちた、死んだと思っていい “
「メェメェ様? 近くですか?」
‟ こっちだ、早く来い。俺はもう眠いんだ “
「眠いって、そんな人間みたいなことを言って…」
‟ いいから早く来い “
小メェメェが眩しいくらいに光を強めた。
「わかったよ」
それから3分ほど歩いて、いくつもの墓の間を通り抜けた先に、簾藤メェメェがいた。半身を土の中に埋めて、少し斜めに傾いている。両目を閉じていて、発光しておらず、また表面を走る七色の光線の数もかなり少くなっているので、僕は心配になった。
「あの… お体の具合はどうでしょうか?」…バカな事を言ってるのかも。
「まあ…良くはない。今はもう、話すくらいしかエネルギーが残っていない。…だから、手短に済ますぞ」
土に埋まっているので少ししか見えないが、腰部にあった赤紫色の変異が…どうも薄くなっているように見える。
「お辛いなら、回復された後でも…」
「早く帰らなくちゃならんのだろう?」
「あ、はい… でも、あと1時間や2時間くらいなら大丈夫と思うんですが…」
それくらいあれば、ある程度回復できるんじゃないのか? 変異体と戦っていた時はそれこそ20~30分程度で…
「回復はしない。俺はもう、このまま眠りにつく」
「はい?」
「せっかく周りをきれいにしてもらったがな…」
「え? その、眠りにつくって、どういう意味合いで…」
「俺は役割を果たした。つまりもう、寿命って事だ」
「で、でも、確か生まれてから、まだたったの1年なんですよね?」
「時間は関係ない。俺は変異体を倒すために生まれて、その役割を果たせたんだ。お前のおかげだ。改めて礼を言う」
「ちょ… ちょっと待ってください!」
僕は動揺している。 だっていきなりそんな… どういう反応をするべきなんだ? 笑顔か? 悲しい顔か? それとも怒るべきなのか?
「でも、他のメェメェは… 二朱島に戻った兄弟たちは?」
「あいつらはまだ役割が残っているんだろう。きっと、あっちでまだやる事があるんだ。それが何かは知らん。1年か5年か、もしかしたら100年以上かかるかもしれん」
「じゃあ、手伝ってあげればいいじゃないですか。僕らと一緒に帰って…」
「それはできん」
「どうして?」
「俺は…成長しすぎた。届いてはならない領域まで、さらにそれを越えるほどまで能力を拡大させちまった。これ以上この世界に、お前たちの世界に存在してはならない。変異体と同じように、自らを封印するってわけだ」
「そんなバカな! 変異体と同じって… あなたは異世界を、皆を救ったんですよ? 救世主じゃないですか。メェメェの中のメェメェじゃないですか」
「そうだ、お前と同じ救世主だ。俺は満足している。だから…」
「いやいやいや、一緒に帰りましょうよ。まだまだあなたの力が必要ですって! 今後も絶対にややこしい事が起きますって! ね、どうかお願いしますよ」
「だからそう…… 悲しまないでくれ」
「………そりゃあ、 そりゃ残念過ぎますよ」
息がしづらくなってきた。
「ああ」
「届いては… ならない領域って… なん、なんですか? どこ、すか?」
やけに喉が詰まる。
「お前は覚えていないんだろう? そのまま忘れておけ」
「はあ …すっ、すっきりしないな~ なんなん、すか、 もう~」
泣きそうなのを、堪えているからだ。
「ありがとう簾藤、達者でな」
「こっ… こちらこそ、ありがとうございまし…た。 いろいろと… その、人の命を奪ってしまったり、救ったり、 戦争したり、戦争を止めたり… 普通じゃ経験できないことを、 ずっと目を逸らして、耳を塞いでいた事に、 立ちむかう事ができたのは、ひとえにあなたの、 あなたの力があったからです」
僕は右手の包帯を取って、少しだけ火傷の跡が残っている掌でメェメェに触れた。ひんやりしていて、滑らかで…心地いい。メェメェの言葉は、もう耳にも脳にも届いていない。僕の声は、心は、まだ届いているだろうか。
‟ でも、もうあなたの力はないんですね。となると、今後はもう大した事はできないでしょう。 …ですが、以前よりはその…マシになったと思います。度胸が身に付いたと思います。自分にできる事は、いや、できそうな事は、…ちょっとくらい無理そうな事でも、僕は挑みます。 自信はありませんがね… “
手を離し、僕はメェメェに体を向けたまま、しつこく何度も別れを告げながら離れていった。
‟ さようなら “
‟ ホント、お疲れさまでした “
‟ でも、眠りにつくって事は、死ぬわけじゃない、という意味なんですかね? “
‟ もしもまた新しい役割ってヤツが見つかったなら、その時はぱっと目覚めてくださるんですかね? “
‟ もしそうなら、またご一緒する機会が得られましたら、どうぞよろしくお願いしますね “
‟ それまでどうか安らかに、お休みください “
遠く離れ、メェメェの姿が見えなくなったところで、僕はようやく進行方向を向いた。足元が光っている。暗い地面の下で、七色の光が走っている。周囲のあちこちが光っている。それは二朱島にあるクゥクゥの洞窟で、そしてニーナさんが歌った夜に森の中で見た、異世界のエネルギーが可視化したものと同じだ。光の色は7つを超えて、どんどん数と共に種類を増やしていく。土の下だけでなく、空中にもそのエネルギー網が張り巡らされているようだ。光の川はでたらめに、縦横無尽に流れている。外へ…被災エリアに向けて大量に流れていくものがあれば、より中心地へ…簾藤メェメェの方に流れていく光もある。
きっとすぐに…この地は甦るだろう。水が流れ、草木が生えて、穀物や野菜、果物の実がなり、多くの動物が、鳥が、虫が移動してくるだろう。だってもう…さっきより土が柔らかくなっているもの。
二度目の朝が訪れ、あれよあれよという間に日の光は昼間まで進んだ。リュックに入れていたスマホで時間を確認すると…休暇最終日の13時過ぎだ。転移から丸1日経過したというわけだ。…たった1日? 1年くらい経ったような体験だった。その分成長できた…と思うんだけれど、それ以上に老けたようにも思える。
小恋ちゃんが回復し、カンペンとカンペンメェメェに連れられて降下してきた。メェメェから降りて、僕を見つけるやいなや、彼女はダッシュして駆け寄り、あいさつよりも先に僕に抱きついた。細い女性とは思えない凄い力で、ほとんどベアハッグだ。
でも…とても気持ちがいい。
「…良かった、響輝さん、生きてて良かった」
遠慮がちにではあるが…彼女の腰に両腕をまわす。彼女もまたきれいになったジャケットとデニムジーンズを着ている。(革製のジャケットを、たった数時間でよくクリーニングできたものだ)
「心配かけてごめんね」
「終わったんですね。一緒に帰れるんですね」
ジャケット越しに触れて、そのままゆっくり狭めていく。
「メェメェ様と…小恋ちゃんのおかげです。ヘルメット…弁償するよ」(バイクは無理だ)
彼女の締め付けが一層きつくなる。
「そんなのいいんです。…けど、買ってください」
僕も負けじと、強く抱きしめる。
彼女の後ろにいるカンペンが涙ぐみ…そして拍手し始めた。
姉のように慕っている人と、密かに恋心を抱いていた年上の男性が抱き合う姿を見て、人知れず涙を…って感じじゃないな。その慈愛にあふれた表情と、腕を伸ばし、さらに少し掲げて、左右に向けて周囲に促しているような拍手はなんだか…卒業生を見送る校長先生のようだ。実際周囲に伝染し、白衣を着たオロやクルミン、誰がどの名前か教えてもらった若いクゥクゥ達(ヨンちゃん、プール君、マチナガさん)、そして移動式ワームホールを調整中の聖地のクゥクゥ達もまた、わざわざ手を止めて拍手し始めた。
僕と小恋ちゃんはさすがに照れ臭くなり、お互いゆっくり身を離した。
僕たちは聖地から少し離れた地上にいる。被害を受けた地帯の一角だが、周囲の瓦礫や廃材はほとんど撤去されている。メェメェが眠る位置からはかなり離れていて、変異体が埋まっていた場所に近い…ニ朱島と繋がる位置になるらしい。
僕はここに来る前に、変異体を確かめさせてもらった。確かに朽ちたように、すべての光を失っていた。目は当然開いておらず、体表を走る光線も消えていて、なにより変異(赤紫色の)部分がかけらも残っていない。何度話しかけてみても、反応は微塵もなかった。黒い土砂にまみれたただの土管が、瓦礫と一緒に土に埋まっていたのだ。
そのまま放っておく事に不安を感じたが、メェメェの力を以てしても解体はできない。時間をかけて自らを分解し、やがて異世界を巡るエネルギーになるという。自分で破壊しておきながら再生させるのか… なんだか納得できないが、核兵器よりはマシだよな。
多面体のビームバリアで囲まれた黒い球体…直径1メートル程度のワームホールが、聖地から地上に運ばれていた。多面バリアのそれぞれの角には、小と中の間のサイズ(長さ40~50センチ、底面の直径が10~20センチほど)のメェメェが配置されていて、その数は100を超えているだろう。おそらくバリアを張りつつ、エネルギーを少量ずつホールに供給していると思える。さらにバリアの外を、2体の本体クラスが、全体を監督するように周回している。聖地のメェメェと思われるが、近づいた時に「はじめまして」とあいさつをしても、返事をしてくれなかった。
地上5メートルくらいの位置で制止したそれに、さらに中メェメェ4体が入ってホールに接近する。彼らから無線で伝達されたデータを、一緒に聖地から降下してきた美男美女のクゥクゥ達十数名が、周囲に木製の長机とイス(地球にあるような折り畳み式)を置いて、その上にいくつも並べた謎の装置で分析している。ハイテクなのかアナクロなのか、丸っこいプリンターから排出される点字が描かれた紙をチェックし、ブラウン管のようなモニターに映る蛍光のラインの動きを確認しながら、ジョイスティックみたいなものを使って、指先で操作している。役員室のデスクに置かれているような…回転し続ける謎のオブジェ(…みたいな何か)が多種置いてあるが、あれらで一体何をどう調整しているのだろうか。
巨大な扇風機みたいなものを荷台に積んだ2台の薄黄色のトラックが、ホールの後方へ移動して行った。そしてモニターの監視を続けるクゥクゥの報告を受けて、異世界人には少ない黒髪(ミドルの巻き髪)の女性がこちらに近づいてくる。聖地から来たクゥクゥの中で、彼女は日本語を話せるらしい。やはり美女だ。
「準備ができました。そろそろお願いします」
「あ、はい」
とうとう、別れの時が来た。
僕は小恋ちゃんが来るまでにひと通りあいさつを済ませておいたけれど、彼女は一緒に降下してきたカンペン以外とはまだだろう。僕が促すと、彼女は横一列に並んでいる彼らのもとへ行った。
それぞれ握手と、軽く…いや結構固い抱擁を交わしている。男子相手…年齢が近いクルミン相手でも、かなりお熱い様子だぞ? さっき僕と抱き合った時とあまり変わらないように思える。あれ~?
オロともまた抱擁を交わし、その後会話し始めた。オロは目線を下げて、なんだかかしこまっている。もしや説教されているんじゃないだろうか。
そしておそらく二度目か三度目の、カンペンとの別れのあいさつ…抱き合って、20秒余りが経過した。巻き髪のクゥクゥが僕に耳打ちする。
「すみません、そう長くは安定しませんので、早目にお願いします」
「あ、はい…」
僕は彼女たちに近づいた。
2人とも固く抱き合ったまま、涙声で話している。
「月見さんは、 足を悪く…されているので、なるべく毎日、毎日様子を見に行ってあげて…ください。それから…池ヶ谷さんのところは…」
「何度も聞いたって、ちゃんと…やるから ね、安心して」
「小恋さんも、くれぐれも…無理し…しないようにして、ください」
「カンちゃんこそ体第一だよ。いつか…いえ、早いうちに、絶対帰ってくんのよ、絶対… あなたの故郷は…ね、2つあるんだから…ね」
「はい …必ず」
「お盆には… せめてお正月までには… 絶対だよ。 来なかったらこっちから…行くからね」
「…はい」
それはたぶん無理だと思う。 だからもう少し、どうかもう少しだけ…
僕は振り返って、拝むように両掌を合わせた。そのジェスチャーは彼女に伝わった。ひょっとして、ニ朱島に来たことがあるのかな?
間を持て余していた僕に、クルミンが話しかけてくれた。
「繰り返しますが、ザッサによろしくお伝えください」
「うん、必ず」
彼と2度目の固い握手を交わした。
続けて、オロが神妙な面持ちで近寄ってきた。
「簾藤さん、最後にひとつだけお願いがあるのです。聞いてくださいますか?」
「え、何だろ?」
「口を大きく開けてみて…」
「1枚しかねーよ!」
食い気味に言ってやった。くっ…と悔しそうな、でもかわいらしい表情をする。変な奴だけど、いい娘だよな。 みんな、どうか体に気をつけて…
クゥクゥ達の後方に控えていたカンペンメェメェが、浮遊しながら近づいてくる。彼は僕と小恋ちゃんを乗せて、二朱島に連れて行ってくれるのだ。彼の影に気づいて、ようやく小恋ちゃんは観念した。ゆっくりカンペンの体を解放して、手で涙を拭う。
カンペンメェメェが体を傾け、開いた頭部の先を地面につけた。ホールを調整しているクゥクゥ達が奇妙な言葉を発し、巻き髪の彼女も持ち場へと戻る。オロ達も少し後方へ下がっていく。小恋ちゃんが名残惜しそうに何度も振り返りながら、頭部を渡ってメェメェの中に入っていった。
彼女の後をついていこうとした時、カンペンと目が合った。
「それじゃあ元気でね!」
「はい!」
「必ず、また会おうな!」
「はい!」そう元気よく言って、かわいらしく手を振る。僕もまた、彼女と彼女の後ろにいるクゥクゥ達に向けて、そのまた後ろにある異世界に向けて、大きく手を振った。
頭が閉じて、全方位スクリーンに外の景色が等倍で映った。小恋ちゃんがシートに座り、僕はその右に立った。背後ではワームホールが少しずつ大きくなっていって、3メートルのメェメェを飲み込むほどまで大きくなっている。でも、僕らは正面にいるカンペン達をじっと見つめた。彼女たちもずっと僕らを見送ってくれている。どんどん小さくなっていっても、バリアに遮られても、周囲が暗くなって、やがて真っ黒に塗りつぶされても、僕らはじっと前を見続けた。
「安全運転で行くから、着くまで数分かかるぞ」とメェメェが言った。
たった数分…。でもメェメェは僕らを送り届けた後、すぐにホールを戻って帰ってしまう。その後ホールは閉じられて、おいそれと行き来する事はできなくなる。二朱島にももうホールは残っていないはずだ。詳しい事は知らないが、カンペンはホールを見つけるのに1~2年はかかると言っていた。二朱島でもまた見つけられるのだろうか。だとしても、やはり少なくとも1年以上はかかるのだろう。
とは言っても、僕もまた島に戻った後、すぐに本土に渡って、さらに転勤先に向かわなくちゃならない。当分は二朱島に係わる余裕はないだろう。でも…
「響輝さん、戻ったらすぐに東京に帰らなくちゃならないんですよね?」
「あ、うん。そうだね」
「帰ったらすぐに船をチャーターしますから。それからまたすぐに異動先に行かれるんですよね。それなら新幹線か航空チケットを、至急にこちらが準備いたしますので」
「でも、そこまでしてもらうわけには…」
「いいえ、それくらい当然です。どうかお世話させてください」
「あ… うん、ありがとう」
そうだよな。とにかく現実に…いや、異世界も現実だから… 日常に一旦戻らないと。その後はどうなるんだろうか。東京よりもさらに離れてしまうから、週末毎にニ朱島に行くなんてとてもできないぞ。せいぜいお盆や大晦日といった長期休暇じゃないと難しい。かといって実家を無視するわけにもいかないし…
…そうだ。響輝さんは自分のお仕事に、本土での生活に戻らなくちゃならないんだ。たとえ費用を全部こちらが持つとしても、今後はそうしょっちゅう二朱島に来て頂くわけにはいかないんだ
でも、このまま疎遠になってしまうなんて絶対に嫌だ。そんな無責任な事はしたくない。2千人以上もの異世界人を転移させたのは僕なんだ。それに梁神の事だって、まだ解決したとは言えないんだぞ
でも、このまま疎遠になっちゃうのは絶対に嫌。大勢の避難民をどうするか… それに梁神の問題だって残ったまま。これから島はいっそう大変な事になるかもしれない。彼の助けがぜったい必要!
いつか…そう遠くない先、僕は仕事を辞めて、二朱島にまた帰ってきたい。そして町政に係わらせてもらって(…公務員資格が必要になるだろうか)、カンペン達が安心して帰ってこられるように島を、みんなが…日本人と異世界人が仲良く暮らせる場所にしたい
いつか…なるべく早く彼が今の仕事を辞めて、島に戻って来てもらえないだろうか。クゥクゥと島民が、それに綾里さんや珠ちゃん、雲妻さんのような外からの人とも仲良く暮らしていけるようにするため、わたしと一緒に働いて欲しい
それまで今の仕事を一生懸命やって、コミュ力とか交渉術とかをもっと磨いておくべきだろう。少しの間待っててもらうようお願いしてみようか
彼の周囲に流される…じゃなくって、高い共感力と調整力は、島の今後に必要な能力だと思う。帰られる前に、もう一度腰を据えて話して、お願いしてみるべきだ
それに何より彼女と…
何より彼と…
離れたくない
そのためには… 今ここで男らしく言っておくべきだろうな。たぶん彼女も僕の事を…少なくとも嫌ってはいないだろう。…だよね?
そのためにはもう…女らしく告っちゃうべきか。でもなあ… 何度かきつい態度見せちゃってるし… 最初会った時からイメージダウンしていると思うしな~ もしも断られたら、キレて、また落ち込んじゃうんだろうな~
うわ~ 好かれていると予測して告るなんて、なんか男らしくないな~。 でもだからといって、まだしばらく様子を見るなんて、さらに男らしくないよな~
うえ~ 嫌われているかもとビビって告れないなんてヘタレ~ そんな男嫌いだわ~ …女だけれど。 ええいっ、もうやぶれかぶれでやっちまうだに!
「あの、響輝さ…」
「小恋さん」
「う? あ、はい?」
「僕と交際してくれませんか?」
「あ… え?」
「君の事が好きです。大真面目に」
「う… え? わたし? 響輝さん?」
「え? その、僕が… 小恋さんの事をね…」
「今、わたしが告白したんですかね? 響輝さんに…」
「え? いやあの… 僕がね、小恋さんの事を好きです、と言ったんですが…」
「え? わたしが響輝さんの事を好きと、言いました…よ」
「いや、言ってない言ってない」
「響輝さんが…わたしの事を好き?」
「は、はい、そうです。はい…」
「わたしは響輝さんの事が好き?」
「…だったら嬉しいんだけど」
「わたしも嬉しいです」
「え…と、 じゃ、じゃあ交際を…して頂けますか」
「え…ええ! ええもちろん! よろかんで! いえ! よろこんで!」
ワームホールを通行中のメェメェ内部はずっと暗かったが、後方のスクリーンが明るく光り、彼女はそれを正面にスライドさせた(つまり視点をメェメェと合わせた)。ホールの出口…フレアで輪郭が滲むほどの明るい白光が見えている。小恋ちゃんの明るい茶色の髪、輝くように光を照り返している肌と、キャッチライトが入った大きな瞳がはっきり見える。旅行代理店ではじめて会った時、ターミナルで迎えてくれた時、レストランで美味しい料理を紹介してくれた時とは違う…彼女の本当の笑顔、とんでもなくかわいい笑顔を見て、僕はのぼせ上った。浮かれ上がった。
そんな浮かれポンチな僕と彼女は、まもなくホールを抜けて、新たなる異世界へと転移する。もしかしたら、これまで以上に困難な問題がたくさん待ち受けているかもしれない。これまで避けてきたような社会の問題に、国際的な問題に、当事者となって立ち向かわなければならないかもしれない。 僕1人だと逃げてしまい、彼女1人だとプレッシャーに押しつぶされてしまうだろう。でも2人なら… それに家族が、友達が、隣人たちが一緒なら、きっと乗り越えられる。
僕らは明るい展望を抱いて、光の中へ入っていった。
ありがとうございました
あとオマケ
エピローグ「1年」を早いうちに掲載します
たぶん…今週末あたり…か今月末までに
それで終わりです




