第44話「シューケツ!」
ほんのり明るくなった空の一部に現れた、夜より暗い楕円を、変異体はワームホールと理解しているだろう。その奥から多くのエネルギーが迫りくる気配を、メェメェ達はおろか、僕ですら感じている。しかし変異体はすぐに迎撃態勢を取らない様子だ。
しない…もしくはできないのか? この事態を計りかねている? ワームホールを通ってくるという事は、たとえ地球以外の異世界からの来訪だとしても、そこにはメェメェがいて、きっと変異体に敵対する立場であろう。 恐れているのかもしれない。人類に対する懲罰、粛清を目的とした計画の本丸が果たされようとしているこのタイミングで、敵対するメェメェが、最低でも1人以上割り込んでくることに。
僕は周囲に健在しているわずかな分身たちから、可能な限りの情報を集めた。改めて変異体の分身を数える。画面上で確認できる小サイズ以上のものは…やはり300以上いると思われるが、さっきから増えている様子はない。見えない所…雲妻メェメェや珠メェメェの近く、またあの浮かぶ島や他にも、もしかしたら異世界中に散らばっているのかも知れないが、もしも計画の危機ともいえるこの状況に、本体周辺に集まっているのがこれだけとすると……減っている、と考えるのが妥当だ。
つまり…雲妻や珠ちゃんたちが、クゥクゥや兵士たち、そして僕らも、確実に変異体の戦力を削いでいた。 そうだ、きっとそうに違いない! あとひと息なんだ! ひょっとしたらてんで的外れの予想なのかもしれないけれど、この際そういう懸念は除外しよう! ヤツもいっぱいいっぱいだったんだ。僕たちの猛攻をなんとか凌いだというのに、新たな脅威が現れたんだ。そりゃあいくら変異体といえど、あんなふうにフリーズしちゃうのも無理はない! …という事にする!
近づいてくるエネルギーの気配…間違いない。簾藤メェメェももう気づいているはずだ。なにせ、それはお姉さんの気配なのだから。ワームホールは地球…二朱島と繋がったものに違いない。そう、ホールを固定している場所はもうひとつ残っている、と聞いていた。乗り手はきっと綾里さんだろう。それに他にもいる。きっと綾里メェメェにバリアを張ってもらい、他のクゥクゥも応援に来たんだ。きっとカンペンがいる。オロだって、あのまま大人しく引き下がるような性格じゃないだろう。それに…きっと彼女もいる。 みんな、こんな危険なところに来てほしくなかったけれど、僕らが失敗したり、こんなふうに手間取ってしまったりした場合、彼女たちはきっと来てしまうと懸念していた。そして、期待もしていた。
先に2体、すぐにもう2体の白い中メェメェがホールの中央から高速で抜け出てくると、それぞれ四方へ散らばり、直径100メートル以上ありそうなホールを取り囲むような位置へ移動した。僕らは直感でその意味を理解した。4人の中メェメェ達は、ホール出口を安定させるため、その配置についたのだ。
そして同様に、中央から本体と100を超える分身たちが通り抜けて、それぞれ弱い日光を反射した。 中メェメェに片手と片足で掴まって、一緒に空を飛んでいるクゥクゥが数名いる。カンペン、オロの他に、土壇場で居残りを命じられた若い子達だ。それと…なんだ? その後にも何か出てきたぞ。 あれは、あのバイクはやはり… あれ? さらに…車? 大きなバンやトラック、SUVが5、6…いやもっと、10台以上? ワームホールを抜けて、空を飛んでいる。 ちょっと待て!! クゥクゥが全員来てしまったのか!? もしくは残されていた兵士かも。
バイクと車にはそれぞれ極小、小メェメェ数体がその身を付けて、あるいは周りを囲んで車体を支え、飛行させているのだろう。 だがいずれもふらふらと不安定な様子で、徐々に高度を下げていく。それは綾里メェメェ本体もそうで、彼女達はほとんど落下に近い勢いで、一番先に着地(墜落?)した。
そうだった。転移はメェメェ本体のエネルギーを大量に消費させる。綾里メェメェは初転移だし、しかも人間だけじゃなく、10台以上の車を連れて通過したとなると、しばらくは動けないかもしれない。
変異体本体の周囲にいる分身たちが、徐々に反応し始めた。さすがにもうフリーズしたままではいてくれない。早く助けに行かなくちゃならないのに、僕らにももう、力があまり残っていない。
だが、綾里メェメェ本体に迫る300以上の赤紫色の分身に対し、その接近を阻もうと、どこからか集まった白色の数は、そう劣っていない。強く握ったままの左右の球形コントローラーにほとんど反応はなく、マルチスクリーンの数も増えていない。つまり、彼らは簾藤メェメェの分身じゃない。数が多いし、動きも早い。綾里メェメェの分身だけじゃないはずだ、という事は…。
「お察しの通り、復活の雲妻メェメェ、です!」
本体の姿は見当たらないが、その声は生気に満ち溢れたものだった。
「皆さんが時間を稼いでくださったおかげで、幾ばくか回復致しました。今一度、わたし達にお任せください!」
呆れたよ、今まで動けないふりをしていたのか?
「ぼ、僕らも少しは戦えます! 皆で一緒に…」
「簾藤さん!」と、雲妻は遮るように強く言った。
「あなたはご自分の役割を!」
「役割って…」
「簾藤さんは皆の中心にいらっしゃいます。クゥクゥと二朱島の皆さん、兵士たち、わたし達乗り手とマエマエ様、それに変異体。全員が簾藤さんを中継して繋がっています」
「い、意味が分かりません!」
「何度も言いましたよ。 あなたは主人公なのです。 露払いはわたし達サブキャラに任せて、どうか大役をお果たし下さい」
「大役って言われても…」
‟ そいつの言う通りだ、もう時間がない。俺たちはぎりぎりまでエネルギーの回復に努めて、その間は戦局を有利に展開させるべく、全員の指揮を執るんだ “
「指揮? 僕が? む、無理ですよ!」
‟ 無理じゃねぇ、皆、お前の言う事なら聞くだろうさ “
「ええ~、どうしてそう思うの~ なんで~」
‟ いいからやれ! 四の五の言ってるヒマはねえって言ってんだろ! それと、決して機を見る事を忘れるな。 ヤツの倒し方を知っているのは俺たちだけなんだ。 絶対に声に出すなよ。 この乱戦じゃあ、どこからヤツが聞いているかわからんからな “
‟ は、はい “
‟ いいか、おそらくもう次はないぞ “
そうだ、隙を見つけて、なんとしても接近戦に持ち込まなくちゃ… 僕らがやらなくちゃならないんだ。
「雲妻さんと雲妻メェメェ様、僕らが復帰するまで、持ち堪えてもらえますか?」
「はい! …になるまで」
「へ?」
「灰になるまで! 真っ白に燃え尽きるまでやってやんよ!と、マエマエ様がおっしゃいました」
あのかわいらしい声で?
赤紫色の全面をピンク色にするほどの強い、太い白光が何本も上空から注がれた。変異体本体は急上昇し、また急旋回を繰り返して逃れるが、光線は角度を変えてしつこく追い続ける。 当然その光は太陽光ではない。それはまだ姿を現さない雲妻メェメェの本体、または複数の分身から発せられた超強力拘束ビームだろう。
さっきは力を見るためにわざと捕まったようだったが、今は必至で逃げ回っているように見える。雲妻がヤツを抑えてくれている間にやるべき事…他3人のメェメェのエネルギー回復、それから…
僕は中央のスクリーンに空を映した。さっきより二回りほど(直径50~60メートルほど)まで小さくなっているワームホールの出口が、まだ同じ位置に残っている。 逆方向に視点を変えて、2つの飛行する島を見る…ここからおよそ50~70キロの距離、 高度は最低でも3000メートルはあるだろう。しかし島と島の距離は、おそらくもう1キロもないぞ。
赤土と石、水と大気までも吸収し、エネルギーに変換する間に、数少ない分身を方々に派遣する。分身たちが入り混じる大空戦の中を縫った後、同じく目を閉じ、半身を土中に埋めている綾里メェメェに、視点が近づいていく。
「綾里さん! 聞こえますか?」
「簾藤さん! あの子はっ! 珠はどこ!?」
綾里メェメェの外殻にくっ付いた極小の分身が、クリアな綾里さんの声を届けてくれた。だが内部の映像(綾里さんの表情)までは確認できない。
「た、珠ちゃんは大丈夫です。メェメェ様が守ってくれていますから」
「いい加減な事を言わないで! 泣いているじゃないですか!」
やばい、かなり怒っている。無理もないけれど。
「どこにいるの!」
「い、いま探しています。でも、ホントに命に別状はありません、ケガもしていませんから。それよりも今は皆で力を合わせて…」
「それよりもって、息子より大事な物なんて、私にはありません!」
しまった、また失言を…。
「それは、それはごもっともです! しかし、まずはちょっと落ち着いて、どうか僕の説明を聞いてください」
「イヤ! 先に珠を探しなさい!」
「は、はい!」
ぜんっぜん僕の言う事なんか聞いてくれないじゃないか…。
言われるまでもなく、珠ちゃんを探すための分身が、さっき変異体がビームを放っていた位置に向かっている。きっと僕らと同様に、動かず回復に努めているはずだ。
しかし僕は、珠ちゃんはメェメェの中にいる限り安全…と信じている。 申し訳ないけれど、平静を欠いている彼女の事は宥めつつ後回しにして、他の皆に状況を伝えなくちゃならない。
10以下のマルチ画面の中からカンペンを探した…が、いつの間にか見失ってしまっている。中メェメェに掴まって低空を飛ぶ若いクゥクゥ達の中では、彼女との通信を試みるしかない。
「オロさん! 聞こえる?」
簾藤メェメェの分身(小メェメェ)が、オロが乗る中メェメェと並走した。彼女と他3人のクゥクゥは中メェメェの根本(?)あたりに生やした棒状のフットレストに片足を乗せ、頭(?)の端に生はやしたわっか状のハンドルを握って、もう片方の手で小メェメェを警棒のように持っている。それを振り回しつつ、他の分身体と共に、赤紫たちとドッグファイトを繰り広げている。彼女の表情は…興奮しているみたいだ。まさか、ちょっと楽しんでいないか?
「オロ! 気づいてくれ!」
彼女の前方を塞いだ分身に、ようやく気づいてくれた。と思ったが、手に持った小メェメェを、虫を払うかのようにぶんぶん振っている。
「違うって!」
「はっ! その声は簾藤響輝! 二枚ないし三枚の舌を持つという不気味な男!」
「なんだよそれ! どういう了見で…」 って、アホな会話をしている場合じゃない!
「変異体は僕ら、メェメェ様に任せて、君らは負傷者の救助に向かってくれ! 分身達が位置を教えるから…」
「わ、わたしは戦うために!」
「違うだろ! 皆を救うために来たんだろ!?」
オロは歯を強く噛み合わせた。 …そんなに戦いたかったのか?
赤紫の小メェメェ複数がオロ達に連続で体当たりを仕掛けたが、彼女たちが乗る中メェメェが透明のバリアを貼り、すべて跳ね返した。
「ザッサが大ケガをしている」
「えっ!」
「命に別状はないよ、メェメェ様が傷を治してくれたから。 でも、重ねてちゃんと治療しないといけない。他にもたくさんいるんだ、どうか手を貸してくれ」
「とっ! 当然です!」
オロは他のクゥクゥ達に(おそらく持っている小メェメェを通じて)伝えた。やがて先導する分身体に従い、彼らは二手に分かれていった。数十の赤紫色の小メェメェたちが後を追っているが、きっと中メェメェには適わないだろう。
「どうして動いてくれないの!」
綾里さんが声を荒げ、さらにメェメェの内部…シートやコントローラーを強く叩いているような音が伝わった。
「綾里さん、今メェメェ様は転移で失ったエネルギーを補給しているんです。もうしばらく我慢してください」
綾里さんの苛立ちは収まらない。
とは言っても、回復に十分な時間は得られない。本体が動けるようになっても、いずれもエネルギー不足の状態で戦わなくてはならないだろう。しかしおそらく、それは変異体も同じ事だろう。
今戦っている雲妻&綾里メェメェの分身体の総数と、変異体のそれは拮抗しているように見えて、中高メェメェの比率において赤紫の方に分がある。それでも僕ら…動けない本体を襲ってこられないのは、どうにもヤツらの動きがバラバラで、連携が取れていないからだ。最低でも5~6体で編隊を組む白部隊が、単独の赤紫を撃破している光景がよく見られる。 また、30体以上いる赤紫の中高メェメェの中には、不可解な動きをしているものが数体いる。敵味方見境なく暴れているもの、戦線から離脱し、見守るようにただ浮かんでいるもの、そして、さらに小さくなっている(もう直径10メートルほどしかない)ワームホールに突入しようとしているものがいる。ホールを安定させて、かつ警備している綾里メェメェの分身(4人の中メェメェ)が、それを何度も防いでいる。
この期に及んで、どうして分身を異世界に転移させようとするんだ? そりゃこっちは焦るだろうけれど、戦力を分散して困るのはそっちも同じじゃないのか?
一方で、言葉を介さずに、簾藤メェメェと綾里メェメェが相談している。その内容は僕の脳に直接伝わっていた。 実を言うと、オロと話している間に珠メェメェを発見していたのだ。そもそも珠ちゃんの泣き声が聞こえている…つまり珠メェメェと通信が繋がっているのだから、彼らの位置を探るのはたやすかった。5キロ程離れた荒野で、やはり僕らと同様に半身を土に埋めてエネルギーを補給している。 しかしそれを綾里さんに知らせてしまうと、彼女はすぐに合流を求めるだろう。そして珠ちゃんを連れて帰還する事を、強く主張するに違いない。母親としてそれは当然の事なのだが、それに応じてあげられない事もまた当然なんだ。 今は彼女に知らせないまま、戦闘力に優れる珠メェメェの回復を望むべきなんだ。珠ちゃんはまだ泣き続けているが…。
また、綾里メェメェも一刻も早く回復し、自身の大切な役割に注力しなければならない。それは、変異体と戦うよりも重労働かもしれないんだ。
僕は4つの画面を正面に配置し、拡大した。それらには荒野を疾走するバイクと、車数台が映っている。極小メェメェが、バイザーに少しひびが入ったヘルメットの右側頭部に磁石のようにくっ付くと、彼女との通信を繋いだ。
「こちら簾藤です! 小恋さんですか?」
バイクが少しバランスを崩し、蛇行し始めた。
「あっ! 危ない!」
車体を繰り返し左右に傾けた後、なんとか立て直してくれた。
「響輝さん! ご無事で!?」
「ぶ、無事です、 小恋さんこそ! あ、すみません、突然声をかけてしまって」
「今度は怒ってます!」
「ええ、びっくりさせちゃって…」
「そうじゃありません!」
「あ、ええ、それはもう、 多大な心配をおかけしまして…。 しかもその挙句、カンペンさんをはじめ子供たちを、君までこんな所に来させる事になって…」
「違います! それは響輝さんの責任じゃありません。 わたしは、わたしを置いて行った事に怒っているんです!」
「いや、それは…」
「相談してくださっていたら、この身をメェメェ様に縛り付けて、なにがなんでも離れませんでした! カンちゃんも珠ちゃんも、絶対に乗れないようにしました! わたしも響輝さん達と同じ大人です、仲間外れにしないで!」
「ごもっともです、ごめんなさい」
ホントに…君は僕よりもずっと大人だ。責任感があって、がんばり屋で、ちょっとキツ目なところもあるけれど、実のところはすごく優しい、ついコンプレックスを抱いてしまうような尊敬すべき女性…だから僕は惚れたんだ。
「小恋ちゃん、詳しく説明できないんだけど、とにかく今は危険な状況で、しかも時間がない」
「はい! どうすればいいですか!?」
どうすればいい? 彼女になんて指示を出す?
「あの、後ろの何台もの車には誰が乗っているの? もしかして梁神さんのところの?」
「兵隊も乗っていますが、半分以上は島民です」
「え?」
「曽野上さんのところの若衆たちが…実際はそれほど若くないですが」
「ええ!?」
「珠ちゃんを助けるため…なのか、綾里さんに対する下心なのかわかりませんが、とにかく無理やり付いてきちゃいまして、一応戦争中とか変異体とか説明しましたが、たぶんなんにも分かっていません。脳筋バカばっかりなので…」
極小メェメェ達をそれぞれの車の横に移動させた。マルチスクリーンが10以上に増えた。
マジだ、あいつらがいる、分身体にガンを飛ばしている。確かにバカばっかりだ。でも、みんな仕事着の下にあの…クゥクゥが身に着けている白いアンダーを着ている。(たぶん小恋ちゃんも着ているだろう) ワームホール通過時にはバリアを張ってもらっていただろうし、車もバイクも問題なく動いている。きっと転移によるダメージはほとんどないのだろう。
あいつらは、ああ見えて仕事は真面目だ。信用していい!…と思い込もう。
それぞれ開けてもらった窓から車内に入り、彼らを映した分身とも通信を繋いだ。 運転している大柄な男…まだ額や顎にガーゼや絆創膏を貼った顔を見て、僕は驚いた。
「笹倉さん! あんたまで?」
「こいつらをほっぽっとくと碌な事をしないからな、つい心配で来ちまった。…もう後悔してるがな」
右手前に助手席の男が半分映った。あの養殖場で僕と睨みあった色黒のパンパン顔、ミリタリーカット…お前も来たのかよ。それに後部座席には、それぞれ機銃やショットガンを携えた兵士たちがいる。超異常事態に顔がひきつっているが、どうやら彼らも問題なく動けるようだ。
僕はもう一度、ワームホールを映している画面を見た。
この危機的状況…空飛ぶ2島の衝突の事を、綾里メェメェはすでに簾藤メェメェを通して理解している。彼女は自身のエネルギーを補給しつつ、かつワームホールを守る4体の分身に供給している。ホールが閉じてしまうと、変異体を倒さない限り、そして聖地の破壊を免れない限り、もう二朱島に戻ることができなくなるからだ。つまり彼女の役割とは…
「小恋ちゃん、皆さん、可能な限り人を連れて、速やかにこの…異世界から脱出してください! 負傷者や子供は、どうか車に乗せてあげてください!」
「はあ!? 何を言ってやがる。子供って、いったい誰の事だ!」
笹倉が必要ない(通信状態はクリアだから)大声で問うた。
「異世界人です! この小さなメェメェ達が、案内とサポートをしますから!」
つい僕も負けじと大声を出してしまった。お互い無理にでも気合を入れるためなのかもしれない。
「そりゃこの辺にいる異世界人を、全員二朱島に連れて行くっていう意味なのか!?」
「そうです!」
いつも理解が早い。笹倉が来てくれて良かった。
「いったい何人いるってんだ!」
「わかりません! 数百、いや数千でも済まないかも知れない。それに全員は到底無理でしょう。あくまで時間が許す限りで…」
「おい、無茶苦茶言ってんじゃ…」
「わかりました!」
と、小恋ちゃんがさらに大きな声を上げて、議論を打ち切ってくれた。笹倉が不審を抱くのは当然だ。でも、今は説明している時間がない、大勢の避難民を島に送った後の事を、心配する余裕もないんだ。
「子供とケガ人を助けりゃあいいんだな!」
笹倉は少しヤケクソ気味だが、幼い娘を持つ身としての理屈を見つけ、自分を納得させてくれたようだ。でもきっと、彼は子供と負傷者だけを助けるような真似はしない。また、兄貴分と若い女子が覚悟を決めた限り、他の漁師たちもそうしなくては恰好がつかない。それは兵士たちも同じ気持ちだろう。
「分身の、彼らの後を追ってください! 白いのは味方、赤いのは敵です、気をつけて!」
バイクと十数台の車はそれぞれ分身体の先導に従い、4方向に分かれた。相当の悪路でも決してパンクしたり、穴ぼこに落ちてしまったりしないよう、絶えず分身たちがサポートしている。特にオフロードタイプであり、小恋ちゃんのライディングテクニックを備えた白黒ツートンカラーのメェメェバイクは、おそらく時速100キロ以上の速度を保ったまま駆けていった。
僕はマルチ画面を操作して、同時進行で他情報を収集する。画面は20ほどに増えていた。
高度2000~8000メートル間のまだ暗い空中で、いくつもの白い光線が変異体本体を追いかけている。何度も捕らえているが、ひとつ当てるだけではすぐに逃げられてしまう。
雲妻メェメェ本体は、おそらく透明化して姿を隠している。今、本体同士でぶつかりあっても、貴重なエネルギーを消費するだけだ。 雲妻メェメェは変異体を逃さないように、かつ他メェメェが回復するための時間稼ぎをしてくれているのだ。
変異体もまた、時間稼ぎをしていると思われる。メェメェは自身の役割を失ったと認めない限り、死なないという。 もはや聖地の破壊と大虐殺という目的を阻まれる恐れはない、ならば4人のメェメェに寄ってたかって袋叩きにされた状態よりも、健常でその達成を見届けたいと考え、こうして逃げ回っているんだろう。
いや、もしもそれだけならば、全分身を総動員して雲妻メェメェに対抗するはずだ。こうして簾藤、綾里メェメェ、そしてワームホールの近辺に半分以上の分身を割いているという事は、まだ警戒しているという事だ。異世界から現れた僕らが何をしでかすか、予断を許さないと考えているだろう。
不安はこっちにもある。本体から半分ほど飛び出ている…ピノキオの鼻のようなメェメェを引っこ抜いて頭を開けさせ、乗り手を無理やり外へ引きずり出す。 こんなへっぽこな作戦でいいのか? 可能なのか? そもそもまだ飛び出たままなのか? もうとっくに気づかれて、引っ込められてたりして…。
中継する数体の小メェメェでは、変異体本体の動きを捕え切れず、近接する事はもちろん、ズームをかけて寄る事もできない。つまりピノキオの鼻の有無が確認できない。だが心配してもしょうがない。それに失敗した場合の事も考えて、その前に可能な限り異世界人を連れて二朱島に避難するよう、小恋ちゃん達にお願いしたんだ。もうこれを最善策とするしかないんだ。
コントローラーが微妙に動いている。10本すべての指先に、脈打つような振動が伝わっている。これは、エネルギーが回復してきた事を伝えているんだ。
近づいてきた赤紫色の小メェメェを、新しく生まれた小メェメェが追い払った。
気をつけろ、感づかれるかもしれない。心を読まれるかもしれない。ヤツの頭を開けるまで、絶対に気づかれちゃならない。
メェメェの頭が勢いよく開いた。
えっ!?
素早くシートから身を起こし、2メートル程度の高さなんてまるでへっちゃらな感じで飛び降り、着地するとすぐに赤土を蹴って駆けていくその乗り手は、白いVネックのニットを着て、ジーンズとスニーカーを履いた、若く美しい女性だ。
「ちょっ! 綾里さん! 何してんですか!」
「心を読まれました! 彼女は子供の位置を知ってしまった!」
綾里メェメェが焦ったように言った。
「どうして出したの!?」
「開けられたんです! 監禁はできません!」
長い黒髪をなびかせて、すぐ真上で飛び交う分身たちをまるで意に介さない様子で、まっすぐ走っていく。最短コースを選んでいるんだ。
綾里メェメェが身を浮かせた。僕もまた、コントローラーを強く握る。
‟ よせ! 本体が動くとヤツも気づく。まだ刺激するな! ”
と、簾藤メェメェが綾里メェメェと僕の脳に強く訴えた。
‟ し、しかし… “
綾里メェメェの心の声には、強い感情が伴っていた。わずか1週間とはいえ、彼女もまた、その間に幸塚親子と親密になっていったのだろう。きっと珠ちゃんを連れ去られた後、綾里さんに強く非難されただろう。必死で許しを請い、必ず珠ちゃんを無事に返す事を約束しただろう。今すぐ綾里さんを再び乗せて、一緒に珠ちゃんのもとに飛んで行きたいはずなんだ。
‟ 分身に護衛させろ。もう少しの辛抱なんだ、我慢しろ! “
彼女は頭を閉じて、再び着地した。赤紫のベルト模様は消えていない。体の表面を縦横する、七色の細かい光線が大量に増えて、強く光っている。
はやく、はやく回復しろ~
僕らの心配をよそに、綾里さんは赤紫が放つ衝撃波やレーザービームを、上体を左右に振ったり、とんぼ返りをしたりして華麗に躱しながら突き進む。追いついた護衛(小メェメェ)をジャンプして掴み取っては、クゥクゥ顔負けの扱いで敵を跳ね避ける姿を一緒に見て、簾藤メェメェは呟いた。
「何者だ、あの女」
「さあ…」
コントローラーの感触…姿を隠している中高メェメェ数体が復活しつつある、と伝わってくる。右の薬指と小指の先でそっとコントローラーを撫でると、画面が30に増えた。前方スクリーンはマルチ画面で埋まった。
い、忙しくなってきた。
画面にはオロ達、また小恋ちゃんや笹倉たちがそれぞれ合流したクゥクゥや兵士、そして異世界人達に説明し、重傷者を優先して車に乗せている様子が映っている。
オロがザッサに肩を貸し、車の後部座席に乗せている。自分を置いて行ったことについて、ザッサを責めているようだが、その目は潤んでいる。
数多くの重傷者の中にはクゥクゥや兵士だけじゃなく、異世界人…ビチラもいる。彼らの手の中や周囲に、もう赤紫色の分身はいない。まだ変異体の裏切り(本意)を信じられない者もいるようだが、同志の命を助けようとする敵に、抵抗する者もいない。
笹倉をはじめとする漁師たち、兵士たちもまた負傷者に手を貸し、肩を貸して次々に車に乗せている。運転手以外は、彼らはもう車に乗れないだろう。
ヘルメットを脱いだ小恋ちゃんが、町長と話している。多くの異世界人を二朱島に避難させる事を説明、嘆願しているんだ。町長は厳しい表情をしていたが、やがて深く頷き、小恋ちゃんの肩をポンと叩いた。力強く歩き出す町長の後ろを、梁神がコソコソとついて行く。なぜかちょっと猫背だ。
小恋ちゃんは次にサドルと話したが、会話中、彼は何度も頭を左右に振っていた。極小メェメェを彼らに近づけて、彼女たちの会話を盗み聞く。
「ケガをされているじゃないですか!」
「これくらい、大したことはありません。わたしには最後まで見届ける責任があります。たとえその結果、命を失う事になっても」
「タカちゃんが、 鷹美さんがすごく怒っていましたよ」
「…え」
サドルの表情が曇った。
「何も説明しないで勝手に行っちゃって、無責任だって」
「いや、ですから責任があるからこそ、なのですが…」
「それで、島の事はほっぽらかしちゃっていいんですか? いろいろ決めなきゃいけない事や、中途の事業もあったのに」
「それは代わりの者が…」
「代わり? じゃあサドルさんは、代わりの人がタカちゃんと一緒にやればいいって言うんですね?」
「あの、それってどういう…」
怯えるクールビューティー。
「タカちゃんの事は他の人に任せると、そうおっしゃるわけですね」
「そ、そういう意味ではないです! 鷹美さんは、その…そんなに怒っていますか?」
「そりゃあもう… 爆おこです」
「ばくおこ… ですか?」
「泣くほど怒っています」
「な、泣いている? ですか…」
「帰りますか?」
「はい、帰ります」
…サドルよ。 …まあいいか。
彼ら以外にも、廃墟へ退避させた兵士たちの所や、周辺の非戦闘員である異世界人の居住区等へ分身を送り、僕と簾藤メェメェの声を繋いで避難指示を出した。
分身たちのサポートがあっても、残された時間でワームホールへの避難が可能なのは、せいぜい半径10キロ以内にいる者だけだろう。あとはできるだけ遠くへ離れるか、大災害に構えるしかない。失敗した場合、その被害や影響は周辺だけに留まらない。きっと異世界中の、とんでもなく多くの命が失われるだろう。だけど…正直そこまで責任は持てない。
変異体本体を追いかける光線の数が減っていた。やがてすべて無くなると、朝日(?)に照らされたオレンジと黒灰色の雲の中から、数十の白い分身が姿を現した。3体だけいる高メェメェが同方向に飛行する。向かった先には、まとわりつく水滴や氷の粒を引きちぎるようにして、雲の中から姿を現した本体がいた。
三日月の下半分のような額の模様…前に見た時よりもさらに大きくなっている。幅が広くなった先端部は、強く光る両目の上下を渡っていて、やはり見る角度によって向きが変化する。高メェメェ達は3本足の位置につき、本体と連結した。
小メェメェは50ほどか。あの本体よりも大きい腕をつくるには、数が全然足らないだろう。
雲妻メェメェが姿を現したのは、改めて変異体の注意を自身だけに引き付けるためだ。だが変異体には3本足の他に両腕と、羽や角もある。雲妻さん…もってくれるだろうか。
衝突まであと20分…あるだろうか。簾藤メェメェが動けるようになるまで、あと何分かかるんだ? 綾里メェメェが、再びワームホールを広げられるようになるまでには?
もう避難民はこっちに向かっている。小恋ちゃんがサドルを後ろに乗せて、バイクを走らせている。どれもこれも完全に定員オーバーのバンやSUVが、分身の力を借りて爆走している。ちょっと不思議なデザインの異世界の車両もあって、それらには異世界人だけじゃなく、傷を負った兵士たちも乗せてもらっている。無傷の兵士やクゥクゥ、それに負傷者に席を明け渡した漁師たちは、皆自分の足で走っている。車より少し劣るだけの速度なのは、分身のサポートの他に、皆が二朱島でキロメをたらふく食べさせてもらっていたおかげだろう。高齢の町長も、梁神だって走っている。老人たちに追い抜かれた事が不満なのか、まだ身に付けていた拳銃などの装備と迷彩の上着を脱ぎ捨てて、青メッシュが走る速度を上げた。それを見て呆れながらも、ピンクメッシュも同じように上着を脱いだ。足を挫いて転んでしまった女性の異世界人を、後ろにいたリーダーが手を引いて立たせた後、すぐ背に乗せて走った。集まって走っている20人ほどの異世界の子供たちの隣に、白い中メェメェが飛んでくると、10メートルもの円盤状に変形して、下から掬うようにして皆を乗せた。
様々な方角から、朝日に追い立てられているかのように、ワームホールに集結してくる。車はざっと100台、人は…優に2千を超えているだろう。異世界人の中には残った人たちもいるだろう。置いていかれた、そもそもこの危機に気づいていない人たちだって…そっちの方がずっと多いだろう。
「開けて! 開けなさい!」
綾里さんの大声が耳に突き刺さった。半身を土中に埋めた珠メェメェの上に、綾里さんが両膝をついている。
「ママ?」
泣き疲れ、しばらく黙っていた珠ちゃんの声が聞こえる。
「珠!」
「ママ!」
「珠! 中から開けて! ママがやってたように、後ろのレバーを掴んで…」
「届かない…」
「イスから降りて、後ろに回って!」
十数秒たったが、メェメェの頭は開かない。
「無理、動かないよ」
「がんばって!」
「動かない!」
「がんばるのよ、力いっぱい押し出すの!」
珠ちゃんがまた泣き始めた。
もう開けてあげろよ! これじゃ強制している事と同じだ!
‟ あと少しの辛抱だ! ぎりぎりのタイミングでしかけるためなんだ! “
‟ でも、もう珠ちゃんには無理だよ “
綾里さんは両拳で何度も、手を痛めそうなほど強くメェメェの頭を叩きながら、涙だけじゃなく、鼻水や唾もメェメェの頭上にこぼした。
「お願い! 息子を返して!」
赤紫色の分身が超高速で飛来してくる。
まずい! 中メェメェだ。
「綾里さん危ない! 離れて!」
綾里さんはその場から動かない。護衛の小メェメェが彼女の背後に回る。…守れるか!?
小メェメェが貼ったバリアに届く前に、赤紫の中メェメェは、同じく超高速で飛んで来た白い中メェメェの体当たりを受けて、ふっ飛んでいった。ぶつかる直前に分身から飛び降りた少女は、華麗な伸身宙返り二回半ひねりの後、珠メェメェの足元近くに直地した。そして片手に持った小メェメェをくるくると回しながら、その先端から放たれる薄黄色のビームで、周囲に迫っていた赤紫の小メェメェ達を次々と薙ぎはらい始めた。ビームは湾曲し、新体操のリボンのように柔らかく、また鞭のようにしなやかに動いて敵を弾いている。途中で綾里さんの護衛メェメェが、彼女の空いている片方の手に寄っていくと、彼女はそれをも手に取り、2本のメェメェでさらに複雑で、華麗なバトンダンスを踊った。
少女の美貌(解いた金髪のロング、健康的な小麦色の肌、大きくて丸い緑色の瞳、まっすぐの鼻筋、ピンクの唇と真っ白い歯、小柄だけど八頭身…まさしくお人形だ)と相まって、その姿はまるでアニメの…魔法少女か美少女戦士のようで、僕は画面にくぎ付けになってしまった。もっとも服装(青い作業着)だけは至極残念なままだが…。
カンペンはメェメェの頭上に飛び乗り、綾里さんの隣に立った。涙で両目を真っ赤にした綾里さんの顔を見て、彼女もまた両膝をつき、綾里さんに向けて上半身ごと頭を下げた。
「この度は大変な迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません!」
金髪と額、指を揃えた両手を地に…いやメェメェに付けて、膝を揃え、尻を少し上げた、まさしく土下座の姿勢だ。…誰に習ったんだ?
「このような事になったのは、ひとえにわたしたちが、いえわたしが頼りなく、マエマエ様の信頼を得られていなかった事に起因します。そのせいで無関係なあなた方に、ましてや年端もいかぬご子息に、命にかかわるほどの重責を負わせてしまう事になってしまいました。海よりも深く、いえ、マントルよりも深くお詫び申し上げます!」
「あ、いえ…」
綾里さんの涙が少し引っ込んだ。
「わたしは、息子さえ無事に返して頂けたら…」
「それはもう、今すぐに! わたしの命に代えましても!」
カンペンは頭を付けたまま、大声で下に向けて喋った。
「マエマエ様、お聞きの通りです! わたしに至らぬところがあるのは重々承知しております。 ですが、わたしにも意地があります。矜持があります。わたし達を受け入れてくださった世界の方に、ましてや子供に代わりに戦っていただく等、決して承服できません!」
彼女は顔をメェメェから少し離すと、声量を下げて、尚も懇願し続けた。
「さしでがましい事を言って申し訳ございません。ですがお願いします、どうかお子さんを返してあげてください。その結果わたし達が変異体に負けて、たとえ死んだとしても、それは本懐でございます! 何卒! なにとぞー!」
また頭を付けた。
この娘、実は日本の時代劇とか見てるんじゃないだろうか。
カンペン達の位置が上がっていく…メェメェが動き始めた。小メェメェ達がそれぞれ彼女たちの背に身を付け、引っ張り上げた。
頭が開いて、母親と同じように涙に塗れた珠ちゃんの顔が現れた。頭の内側に降りて、両膝を曲げた綾里さんに駆け寄り、胸に飛び込むと、また泣きじゃくり始めた。綾里さんはこれ以上ないほど強く、我が子を抱きしめた。
「マエマエ様、ありがとうございます!」と言って、カンペンもまた頭の内側に降りた。
「パワーダウンは免れない。その分、経験とテクニックで補おう」
しぶい、大人の男の声…
「お供させてください!」
「当たり前だ。それと、約束しなさい」
「なんでもします!」
「二度と勝手に外へ出るんじゃない」
「は、はい!」
まるで父親のような口ぶりだ。
「簾藤さん!」と、別の男の声が聞こえた。
「雲妻さん!?」
「そちらの様子に気づかれたようです!」
そうか、それで…
多数の赤紫が、綾里さん達と珠メェメェに向かっている。カンペンはすぐにシートに座り、頭を閉じた。
無数のレーザービームの集中砲火が彼女たちを襲う。地面に降りた綾里さんが珠ちゃんを抱え込み、2人をカンペンメェメェが身を挺して守った。すべて防いだが、包囲網はさらに厚くなった。中高メェメェ数体が混ざったその総数は、おそらく100を超えている。まともに攻撃を食らい続けては、せっかく補給したエネルギーをまた消費してしまう。
‟ もう僕らも動くしかない!” と簾藤メェメェに訴えた時、高出力の衝撃波が敵陣を吹き飛ばした。耐え残った中高メェメェにカンペンメェメェが特攻を仕掛けると、それらは方々へ散らばった。白い中高メェメェも数体現われて、すぐさまカンペンメェメェ本体と連結すると、追撃を開始した。入れ替わるように幸塚親子の傍に立ったのは、衝撃波を放った綾里メェメェ…いや、幸塚メェメェだった。
彼女が体を傾けて頭を開くと、親子は手を繋いで一緒に中に入った。珠ちゃんはすっかり泣き止んで、意気揚々とママの膝の上に座った。
また僕らがドンケツか…。
‟ 聞こえたぞ “
‟ 回復は? “
‟ 完全というにはほど遠いが、やむを得ん “
簾藤メェメェが土を振り落としながら上昇する。僕は周囲に並べた50余りのマルチ画面を左右上下にスクロールさせて、情報を整理していく。
避難民の先頭は5分以内にワームホールまで辿りつく。殿は、あと15分はかかる。ぎりぎりか、間に合わないかも知れない。いくつか分身を回して、ブーストをかけさせないと。
変異体と雲妻メェメェはけん制しあっているが、まだ本体同士の衝突を避けている。どちらもエネルギーを残しているのだろうが、変異体は避難民たちの異世界への逃亡を許さないだろう。まもなく仕掛けてくる。
幸塚メェメェは5分後にはワームホールの入口(いや出口か?)を広げなければならない。できれば地上に届くくらいまで…。さらに、転移する人々を守ってもらわなくてはならない。クゥクゥと後から来た漁師や兵士たちは、白いアンダーを着ているから大丈夫だろう。 他の兵士たちも鍛えているし、二度目だから慣れている、持ち堪えるだろう…と思っておこう。町長は極小メェメェを身に付けているし、たぶん責任を持って梁神を守ってくれるだろう。負傷者や栄養不足と思われる異世界人たち、子供たちは必ず分身たちに守ってもらわないと、転移によるダメージに、体がもたないかも知れない。2000人となると、幸塚メェメェのエネルギーだけじゃ全然足らない。
…と、10秒間で考えた。
「カンペンさん!」 通じているはずだ。 中高メェメェと戦っている途中で忙しいだろうが、どうか
「応答してくれ!」
「はっ、その声は簾藤さん! 二枚ないし三枚のベロを使って意のままに人を操るという気色悪い男!」
「それさっき聞いたよ! き…君たちを何度も騙したように見えただろうけど、決してそんなつもりはなかったんだ! どうかもう許してくれ!」
「わかっています、ほんの冗談です」
「ホントに?」
「ホントです。 小恋さんからあなた方の真意をお聞きしました。知り合ったばかりのわたし達のために、こんなにもしてくださっている方を、慕いこそすれ嫌うはずございません。あなたはわたし達の救世主…一歩手前なのです」
「え、あ、そう…なんだ」
救世主だって?
「そ、そりゃ光栄です、良かった…はは」
一歩手前だって?
「それで、ご用はなんでしょうか?」
ご用って…
「詳しく説明している時間はないんだけど、異世界の人々を、それも2000人以上も二朱島に避難させる事になったんだ」
「なんと! そのような壮大な作戦を。さすが救世主一歩手前」
もうそれやめて…
「あと5分以内にワームホールを広げる。君たちは多くの避難民を守りながら、一緒にホールに突入して欲しい!」
「なるほど、負傷者や子供を転移の負担から守れ、とおっしゃるのですね!」
「そう、そうだよ!」
良かった、意外とこの娘も理解が早い。
「お断りします!」
「なに!?」
なんて言った?
「その役割は簾藤さんにお任せします! わたし達は変異体を倒します!」
「いやその、倒したってしょうがないんだよ!」
「意味不明です。簾藤さんにはもう十分すぎる程ご協力いただきました。重ね重ね感謝申し上げます。どうかお達者で!」
「そうじゃなくって、メ…マエマエ様! 彼女に言ってあげてくださいよ!」
「この娘と同じ気持ちだ、避難民の事をよろしく頼む!」
…通信が切れた。
「もう十分って、なにを勝手な事言ってんの! こっちは少しでも多く生き残る方法を考えて、色々やってんのに…」
‟ 落ち着け! あいつはもう島の衝突と墜落は免れられない、と計算したんだ。避難を最優先と考え、変異体の防波堤となる役割を選んだ “
‟ わかってるよ! でも… “
‟ 止める方法を知っているのは、俺たちだけなんだ “
派遣している分身からの映像…2つの島を見た。高低差があるから正確にはつかめないが、たぶん間はもう300メートルない。あと10分…あるのか!?
「雲妻さん! 彼女たちとの通信を聞いていましたか?」
「今、取り込み中なのですが…」
雲妻メェメェと変異体それぞれが描いた複雑な光のルートが、広大なローラーコースターのレールのように、空中に敷かれていた。メェメェ達はぎりぎりのところで互いに接触を回避しつつ、レール上を超高速で何度も周回している。
そう離れていない…メェメェなら数秒でこっちまで来る。
「雲妻さん、代わりに二朱島に帰ってください!」
「ええ!? し、しかし私は…」
幸塚メェメェがワームホールの傍に近づくと、それまでホールを保っていた4体の中メェメェ、そしてさらに3体の高メェメェと、50ほどの小メェメェが本体を中心にして集まった。僕らもまた、分身体と共にワームホールに接近する。避難民たちを守る分身を別にして、可能な限りの戦力を集結させた。
簾藤メェメェ本体以外の全メェメェが、ワームホールへエネルギーを注入し始めた。各円柱の底部、表面からピンク、オレンジ、黄色、赤、紫、緑…様々な色の波打つような軌道の光線が発し、ブラックホールに吸い込まれてゆく。見る見るうちにホールは巨大化し、見る見るうちに分身達は縮小していった。中メェメェ達は小メェメェになって、小メェメェは極小に、200以上いたであろう極小メェメェは自らホールに突入し、おそらく全エネルギーを消費して消えてしまっただろう。
小恋ちゃん達を先頭とした避難民の第一陣が、まもなく到着する。ホールは地面ぎりぎりまで…いや、少し赤土を巻き上げて吸い込み、また吐き出すまで近づいている。この状況を見て、変異体は必ず全力で突撃してくる。
‟ 雲妻さん、察してくれっ! “
‟ 察した! “
と、女の子のようなかわいらしい声が聞こえた。
雲妻メェメェがビームレール上から外れた瞬間、変異体が新たなルートを空に敷いた。それはずっと下に伸びて、ワームホールを広げている幸塚メェメェに繋がっている。雲妻メェメェの返事は、タイミングを計るための絶好のサインとなった。
間もなく綾里メェメェのところまで来る!
4…3…
しかし彼女たちは避けない。
2…1…
僕らが守るからだ!
綾里メェメェに辿り着く約30メートル手前のレール上で、透明になっていた僕らが待ち構えていた。
変異体と簾藤メェメェが激突し、僕はその瞬間に確認した。
‟ ピノキオの鼻が…ある! “
心臓や他臓器が胸と腹を突き破るような強い衝撃が背中に伝わって、僕はむせたように激しく咳き込んだ。
お、落ち着け! 絶対に内臓は飛び出ていない!
僕は球形コントローラーを握ったまま、両手首を外と内に繰り返し捻った。その操作が乗り手のケアを代償に、本体エネルギーの消費軽減と転換の活性化に繋がる事を知っていたからだ。簾藤メェメェは攻撃を正面から受けつつもいなし、弾き飛ばされる事なく、本体から放出した七色の光線を変異体に縛りつけた。
が、変異体もまた赤系統の光線を数百本も放出し、僕らを縛った。僕らは身を付けるほどまで接近したいのだが、相手は逆に遠ざけようとした。2メートル程間を空けたままの膠着が3秒程続いた後、遅れてきた変異体の羽と角、尻尾ら…つまり中、高メェメェ達の連続体当たりを受けて、簾藤メェメェの縄は半分ほど(50本ほど)切れてしまい、距離は5メートルまで離れた。
ほんの50メートルほど下では、直径80メートルほどの球形になっていたワームホールへの突入が始まっていた。小恋ちゃんはバイクから降りていて、ヘルメットを被ったまま、赤い土煙が舞うホールの出入口近くで皆を誘導している。サドルもまだ一緒だ。多数の極小メェメェが避難民たちの周囲を舞い、バリアを貼っている。
変異体の分身たちが下降する。
ヤバい!
100を超える赤紫色の部隊に、突如鳥の群れが衝突したかのように、同数以上の白が混ざり込んだ。赤紫が陣を乱して散開する。避難民たちに向かう中高メェメェ達の下を、全表面が純白に戻った純粋純潔、真のマエマエ様が塞いだ。
マエマエ…カンペンメェメェは瞬時に空中にピンク色のレールを敷いて、赤紫たちを取り囲む。複雑に入り組んだレールを掻い潜ろうとした赤紫の高メェメェが、レールを滑走するカンペンメェメェに弾かれると、弾かれた方向にあるレールに超高速移動したメェメェにまた弾かれる。数回それを繰り返し、高メェメェは中~小にすり減っていって、やがて宙に溶けた。
散開した赤紫の極小~小メェメェ達が、レールを迂回して避難民たちに迫る。しかし、幸塚メェメェの分身からカンペンメェメェの分身に持ち替えていたクルミン、中メェメェを乗り換えたオロたちが、ホール周辺に防衛ラインを引いていた。
速度を緩めた車が、次々とホールに突入している。中には分身に支えられ、空を飛んだまま突入している車もある。徒歩の異世界人たちが…当然躊躇してしまう者も多くいる中、背中を押され、恐怖で顔をひきつらせながらも暗闇に入っていく。兵士たちもまた、決死の覚悟を決めたような表情で、咆哮しながら突入していく。一度経験済みではあるが、無理もないだろう。おぶっていた異世界人の女性を降ろし、その女性(やっぱり美女)に身ぶり手ぶりで請われながら一緒に突入するリーダー…照れている。メッシュコンビはなぜか名残惜しそうに、ふり返って手を振りながら暗闇に入っていった。よくわかっていない漁師たちは、粋がった様子で悠々と進んでいる。白いアンダーを着ているからそんな風に余裕なんだ、誰かはぎ取ってやれ。明日川町長はまだ入らず、両腕を組んで避難の様子を見ている。…やはり厳しい表情だ。島民の倍以上となる数の避難民を移送し、どう対処するか考えているのだろう。当面の間の住むところ、食料、他物資…一筋縄ではいかないでしょうが、どうかよろしくお願いします。隣で袖を引っ張っている梁神の事も、どうかよろしく。
金属が軋むような、巨大な建築物が横に倒れかかっているような大きな音が鳴り響いて、メェメェ達を含む全員が固まった。しかし周囲にそんな建物はない。まさか島が…と思ったが、まだ2つとも浮いている。それはきっと変異体の叫び…不満と怒りの感情表現だろう。
あと少し…残りの避難民の数は…車は40台ほど、人の数も500を切っている。あと5分、いや4分で完了する。敵の中高メェメェはカンペン達が、極小~小メェメェはクゥクゥ達が引き受けてくれている。あとは本体同士の力比べなんだ!
‟ メェメェ様、がんばって! “
‟ 精一杯やってる! “
やっている事は綱引きと一緒なのだが、かといってこっちが力を緩めると、近接する前に縦か横に振り回されて、遠くにぶん投げられてしまうだろう。そうなったらもう絶望的だ。つまり相手を力づくで引き寄せるしかないのだが…あっちの方が強い。
‟ 今ここで更なる成長をっ! クライマックスなんですよ! “
‟ おまえこそ! カミングアウトはどうなった!? “
‟ 雲妻さんが勝手に言ってるだけですよ、僕はそこまでオタクじゃありません!“
ホントにアニメも漫画も、学生時代に限った単なる趣味のひとつだよ。だいたいよくあるロボットとか剣とか魔法とか、他にも複雑で大層な舞台や設定をもってきては、結局描いているのは殺し合い、っていうのがあまり好きじゃないんだ。現実にだって悲惨な、弱者ばかりがひどい目に会う争いがいっぱいあって憂欝になるのに、どうしてフィクションでもそんなのを見たり読んだりしなきゃならないんだ。なのにこんなSFファンタジーまがいの、わけのわかんない戦争の真っただ中にいるなんて…
こっちのビームも繋がったままなのに、簾藤メェメェが左右に揺れ始めた。遠心力が僕の横腹と腰に、強い圧力をかけている。
‟ ダメだ! お前が潰れちまう! ”
僕はまたコントローラーを持つ手首を細かく振った。五臓六腑が激しく揺れて、吐き気を催した。
‟ せめてこのまま踏ん張って、避難だけでも… “
‟ よせ、死んじまうぞ! ”
‟ 三度、お待たせしました! “
雲妻メェメェが本体より大きい片腕を前に突き出しまま、変異体の背後に激突した。
「とっておきです!」
変異体が猛スピードで僕らに迫ってくる。 うまく受け取れ! 威力を分散しろ! 絶対に捕らえて、絶対に離すな! 僕と簾藤メェメェはお互いに指令を出し合った。自然と手首と指が動き、コントローラーで的確にエネルギーの循環を操作する。衝突し、変異体から伝わってくる衝撃を変換し、通り抜けさせる。コックピットになにか気持ちの悪い、ぐにゃぐにゃした透明のものが入って来て、背後から僕の全身をねぶるようにまとわりついた後、1~2秒で通り抜けた。メェメェはいくつか内部に残ったそのぐにゃぐにゃを内殻から吸収し、多くをうまく外へ排出した。
簾藤メェメェは変異体に近接した。等倍の全面スクリーンに大きく変異体の両目が映り、その下には半分飛び出した連結メェメェ、さらにその下には赤紫色の表面に反射する、簾藤メェメェの両目の光がある。
「は、はやく!」 あ、声を出しちゃいけない!
‟ 鼻をもぎ取って! “
‟ 動けん! “
‟ どうして!? “
‟ 少しでも他にエネルギーを回すと、またすぐに離されちまう “
‟ そんな、あとひと息なのに! “
ワームホールが急激に小さくなって、地上に届かなくなっていた。幸塚メェメェのエネルギーが尽きようとしている。これ以上無理をさせると、綾里さん達が帰れなくなるかも知れない。避難民は…車はもうなくなっていたが、徒歩はまだ300人ほど残っている。
「雲妻さん! 残りの人達を全員連れて、幸塚メェメェと一緒に二朱島へ!」
「お名残惜しいですが、承知しました!」
雲妻メェメェは巨大な腕を分解し、100以上の小~中メェメェにすると、それらをホールに突入させていった。ホールはまた少し大きくなって、地上になんとか届いた。入口は狭くなったが、統制が取れていた避難はその後順調に進み、2分で完了する事ができた。サドル、町長と梁神も二朱島へ渡った。赤い小メェメェ達との攻防を続けているクゥクゥの他に、バイク1台と、ヘルメットを被ったままの彼女だけがまだ残っていた。
「こ、小恋ちゃん! 君も早く行って!」
彼女は動かない。
幸塚メェメェがエネルギーの注入を止めた。
「簾藤さん!」
「綾里さん! もう十分です、早く行ってください!」
「ありがとうございます! 必ず無事に帰って来てください!」
「は、はい!」
良かった、もう許してくれているみたいだ。
「じゃーなー!」
すっかり調子を取り戻していやがる!
‟ 感謝します、ニアの事はお任せください!” 幸塚メェメェはそう残し、分身たちと一緒にワームホールに突入した。
ホールはまた小さくなって、地上から離れ始めた。
「小恋ちゃん! 早くって言ってんのに、もう消えちゃうよ!」
どうして行かないの!? 君は帰らないと、二朱島はこの後も忙しくなるんだ。町長や鷹美さんを手伝わないと。梁神たちの事も、まだ解決したとは言えないんだからさ。ほら、僕なんかに構ってちゃいられないよ。
「帰れって!」
「お任せを!」
雲妻メェメェが降下する。
「小恋さん、簾藤さんはきっと帰ってきます、今までもそうだったでしょう? なぜなら彼はあなたの事を…」
わー! こんな時に何言ってんだ!
赤い土煙が竜巻のように舞い上がって、すぐにやむと、ワームホールは消えていた。もちろん雲妻メェメェと小恋ちゃんの姿も。
ああ… 最後にもう一度顔を見たかった。
ワームホールが閉じて目標を失った赤紫たち、何度もワームホールへの突入を仕掛けては、幸塚メェメェに追い払われていた中メェメェも、本体周辺に集結してゆく。簾藤メェメェもわずかに残った分身に号令をかけた。
「カンペン、手を貸してくれ!」
「言われるまでもありません!」
朝日が上昇する僕ら…3人のメェメェをそれぞれ照らす。簾藤メェメェ本体と連結したのは脚部に付いたわずか2体の高メェメェと中が1、小メェメェが14体、極小は30程。もっともっといたのに、ほとんどがワームホールの維持と避難民のバリアのためにエネルギーを消費し尽くし、おそらくワームホールの中に消えてしまった。当然まだ20以上の中高メェメェ、200以上の小メェメェを従えた変異体に適う訳がない。しかしカンペンメェメェとその分身たち、そしてこっちに残る事を決めたクゥクゥ達(…オロやクルミン、後で転移してきた若い子たちがいる)が、変異体本体と連結しようとする分身たちの邪魔をしてくれている。
変異体は徐々に高度をあげていった。僕らもこれ以上離れてしまわない事に必死で、上昇を防げない。今はもう1000メートルほどまで上がっている。これ以上になると、生身のクゥクゥ達は付いてこられなくなる。
‟ 分身を1人でもまわせば! “ (連結メェメェを引っこ抜くくらいできるんじゃないのか!?)
‟ いっぱいいっぱいだ、ぎりぎりのところで均衡している。 いや、徐々に不利になっている “
‟ 極小のひとつくらい! ”
‟ 分身はマークされている、気づかれたら終わりだ ”
どこからか、少しずつ赤紫の分身が、いずれも小以下のサイズではあるが集まってきている。やはりまだ残っているのか。
‟ そんな事言ってたって、もう時間がないよ! “
もうこれまでか…。 でも、2000人以上も助けたんだ。これが限界… 僕は自分の役割を果たした、100人余りの異世界人を殺してしまった贖罪を果たした、そう思ってもいいんじゃないか?
「簾藤さん、離れてください! わたし達がやります! 特攻します!」
カンペンメェメェが急接近してくる。
「わー! やめろー!」
カンペン達は急旋回し、僕らをぎりぎりで躱した。
「な、なぜ止めるのです!?」
なぜかって?
まだ諦めていないから
まだ贖罪なんて果たせていないからだ。
僕は右耳に触れた…傷口が塞がっている。メェメェが治してくれたのだろうか。 しかし、この欠けた部分はもう取り戻せないのだろう。
僕は何をやった? 異世界人の命を救った? 救世主…一歩手前? 一歩どころじゃない、あまりにも遠く離れている。だってそうじゃないか、僕がやった事は、命の安全が保障されたメェメェの中でひたすら画面とにらめっこしながら、コントローラーを弄っていただけだ。ちょっと頭痛や電気ショックに痛い思いをしたけれど、それだって命の保障があったから辛抱しただけの事だ。僕は何もやっていない。ネットで記事を読んで、戦争はいけない、独裁者は許せない、とPCかスマホで書き込んだのと同程度の事しかやっていない。こんな事で贖罪だなんて…バカも休み休み言えってんだ!
雲妻は他人の命を救うために自ら外に出た。僕もマネをしようとしたけれど、怖くてすぐにメェメェに逃げ帰った。カンペン、クゥクゥや兵士のみんな、小恋ちゃん、誰も彼も外に出て、命を危険にさらしたというのに…。
‟ 変異体までざっと2メートル強。頭を渡しにすればその間は1メートルもない。僕にだってできる! “
‟ お前、何を考えている? “
‟ 乗り手がしばらくいなくなっても、とくに問題ないですよね “
‟ 何を言っている!? “
僕はシートから腰を上げて、後ろを向いた。
‟ 危険すぎる! 高度は1200を超えているんだぞ! “
両膝をシートの上に乗せて、背もたれに抱きつくような姿勢になって両腕を伸ばし、横一文字の状態で浮かんでいる連結メェメェを強く握った。そのまま内壁に埋めるように押し出す。力が必要なのは最初だけで、内壁に触れた後は、粘土に埋めこむ程度の力で可能だ。
勢いよく頭が開くと、2メートル先にある…平べったいダイヤモンド型の両目が、僕の顔をおそらくピンク色に染めた。
‟ 絶対に死ぬなよ! “
‟ し、死にませんよ、帰ったら仕事があるんですから “
とは言ったものの、ものすごく怖い。やっぱり閉めちゃおうかと思ったが、そう言えば自分で閉める方法を知らない、と今さら気づいた。
シートから降りると、震える両足を拳で数回叩いた。
そして、僕は駆け出した。
次回
第45話「それではそろそろ帰りましょう Part1」
は
9月末までに投稿予定です




