第42話「ご都合はいかがですか? Part 2」
ニ朱島で体験した時と同じように、宇宙にまで上がったような気持ちになっていたが、ピンク色に光る(おそらく)変異体の両目にくぎ付けになっていた数秒間、そこは地中かと思うほどに息苦しかった。
全方位スクリーンに切り替わると、僕は急いで酸素を体内に取り入れた。もちろんそれまでメェメェ内部が真空になっていたわけではなく、単に僕自身が息を止めてしまったせいだ。
真下を見て確認した。僕らは50メートルほどの高度にいる。位置も変わっていない。数百の赤と白の光が飛び交っていて、それぞれの数は拮抗…いや、ドローンのライトや銃の火花をこちら側に入れると、むしろ勝っている。
スクリーンに映っている景色は等倍…つまり僕の視界そのものだ。陽が沈んでしまっているせいで、兵士や異世界人の様子までは確認できない。そして、いつの間にか変異体の目がなくなっている。僕はすぐにマルチスクリーンに戻してもらうよう、頭の中でメェメェに伝え、コントローラーを掴む手に少し力を入れた。
しかしメェメェからの反応はない。 「メェメェ様!」と、今度は少し訴えるように声に出すと、全方位のまま下降し始めた。やがて本体から発する白光が周囲を照らした。白い簾藤メェメェの分身体は、次々と赤紫色の分身体を倒している。それらは黒いドロドロにまみれた挙句、地面に落下して動きを止めていたり、衝撃波やビームの集中砲火を浴びて溶けるように消えたり、制御を失ったようにでたらめに飛び回って、味方同士で体をぶつけあっていたりしている。赤紫はどんどん数を減らしているのだが、戦場は新たなる脅威で逼迫していた。
地面に3本の足(分身体)を付けている変異体は、まるで最初からそこにいて、すべてを見ていたかのようにそびえたっていた。
僕らは彼女…変異体の、ほんの4~5メートルの距離まで近づいた。全方位のまま視界が横方向に回転し、再び正面にピンク色の両目が映った。僕と簾藤メェメェは視点を重ね合わせたのだ。(確認していないが、きっと簾藤メェメェも目を開いている)
その3メートル強あるシンプルな形状…つまり円柱には継ぎ目が見えない。大理石のように滑らかで、かつ硬そうな表面には、無数の光の線が縦横に走っていて、それらはデジタル信号のように思える。この世にあるすべての知識と技術を内包した…形状は違うが、それこそ『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスのような存在に思えた。
…まあそれって、他のメェメェ達も一緒なんだけれど。
「本体ですか?」
また返事がない。しかし脳に伝わってくる…簾藤メェメェは集中している、僕に構っている余裕はない、つまりヤツは本体という意味だ。
僕の役割は補佐する事だ。さっきみたいにマルチスクリーンに切り替えて、大量に、広範囲に展開するには? あらゆる方向から情報を得て、正確に分析するには? スローモーションに見えるようにするには? これまでの経験…すべて彼にやってもらっていたわけじゃないはずだ。ちゃんと脳を伝って手が、指が反応していた。はやく思い出せ。
変異体がわずかに体を浮かせると同時に、表面から赤い光を発した。それは白をほとんど打ち消すほど強く、ずっと遠くまで届いて、すべてを赤く染めた。兵士と異世界人を合わせた300人ほどいる人間の姿形の詳細を、血管や内臓、骨格が見えるほどまではっきりと炙り出している。
その光景に恐怖と殺気を感じた僕の脳が緊急作動し、操作方法を呼び起こしてくれた。両肘と両ひざをぐいっと外側に動かすと、シートが少し後傾になる。その上でコントローラーを少し左右に揺すると、マルチスクリーンに切り替わった。だが画面の数は70~80程度に減っていて、内部の空間も広がらなかった。しかし戸惑っている場合じゃない。攻撃はメェメェに任せて、とにかく皆を守るために分身の配置を確認し直して…と考えた時、まさかの先鞭を切ったのは、メッシュコンビだった。
空と地上それぞれに10前後ずつ戦列を組んでいたドローンが、一斉にドロドロ弾とミサイルを一緒くたにして発射した。巻き上がった炎とピンク色の爆煙がおさまらない内に、青メッシュとその他数名の兵士が、肩に抱えたバスーカやロケットを発射した。
「いや、その…」 こっちから刺激してどうすんの!
「効かないって! 退避してくれ!」
爆音に対抗するように僕は大声を張り上げ、それは拡声器を通して戦場に響き渡った。が、兵士たちはその後も機銃や拳銃に持ち換えて撃ち続け、それも撃ち尽くすと、青メッシュは隣で呆然としている異世界人の単発式ライフルらしきものを奪い、さらに撃った。
しかし、やはり煙が消えた後には、変異体が光を弱めただけの状態でそこにいた。ドロドロがかかった箇所は1つもない。そしてその周囲には、もう回復してしまったのか、あるいは別のところにいたものが集まったのか、中小混じった100を超える赤い分身体が浮かんでいた。
青メッシュがライフルを異世界人に返し、「くそっ」と吐き捨てるように言った後、右手を高く挙げて合図する。ピンクメッシュ達が操作している、ミサイルをすべて消費してしまったドローンが捨て身の特攻をかけると同時に、3方向への一斉退避が始まった。
僕は彼らの周囲に分身体を移動させ、バリアを張る。さっきまでと同じことを繰り返すわけだが、近くに本体がいる事が大きく違う。ヤツがもしも周囲にいる異世界人を、なんら気にかける事なく攻撃した場合、分身体のバリアで防ぎきれるかわからない。
簾藤メェメェはそれを十分わかっている。ドローンをすべて衝撃波らしきもので破壊した変異体に、大サイズの分身体と相対した時と同様に、接近戦を仕掛けた。本体自身、そして本体と繋がった分身体の攻撃力は、衝撃波でもビームでも、ぶつかり合いでも段違いだ。絶対に人間に近づけてはならない。
激しい振動と時折全身をビリリッと襲う電撃に覚悟し、耐えつつ、僕は兵士たちの防衛と情報分析に集中し続けた。分身体は兵士と、そしてさらに数が増えている異世界人をなんとか守り切ってくれている。同サイズの分身同士の能力にはそれほど差がないようだが、さっきまで優勢だったはずなのに、その攻防は拮抗しているように見える。成長後に300ほどまで増えたと思われるが、敵はまだ同じくらいいるのだ。
戦場はここだけじゃない。雲妻、珠メェメェがいるところにも変異体の分身は数多くいるだろうし、きっとクゥクゥたちが変異体のシンパ達と戦っている場所にもいるだろう。南東へ避難させた兵士たちはどうなっている? もう少し護衛を増やすべきだろうか。
画面をスクロールさせたり、何度も切り替えたりして情報を探すが、目と脳が追いついていない。さっき…成長の前後と比べて、僕自身の処理能力が落ちている。キロメの効力が切れてきたのか?
僕はシート後ろの床に置いていた自分のリュックを取って、中から水のペットボトルとシリアルバーを取り出し、急いで胃の中に入れた。メェメェは咎めない、あるいはそんな余裕がない。
シリアルは言うまでもなく、水だって島のものの方が美味しい。こんな事なら老夫婦にお願いして、お弁当でも作ってもらえば良かった。
また正面の画面に映っているピンク色の両目を注意深く見つめながら、僕は水を飲み干した。そして改めてコントローラーを強く握って、ナイフが数本突き刺さるような激痛の再訪に覚悟を決めた。
変異体の分身の総数は、おそらく100の単位では済まないほどの数だろう。簾藤メェメェ本体の援護を割いて、兵士や異世界人の護衛をもっと増やす。本体と戦っていない雲妻や珠ちゃんはその内に敵を倒し、助けに来てくれる。それまでなんとか持ちこたえられれば…。
簾藤メェメェからの反対はない。彼も同意してくれたみたいだ。
中メェメェ2体を含めた分身を11体移動させた分、変異体との取っ組み合いはやや劣勢になった。 僕は両目が飛び出してしまいそうなほどに、数十の画面を凝視する。身を寄せ合うメェメェ本体と、それぞれの分身から排出しているカラフルなエネルギー。それらががなんなのか、強弱すらわかるはずもない。だがなんとなく…僕は理解した気持ちになっていった。
それらはメェメェ自身が保持しているエネルギーではなく、周囲の…大気から生じているように見える。人間には見えない、認識できない微粒子を、メェメェは砂埃を吸い上げるように自身にかき集め、熱や電気を帯びたビームに変換している。あるいはどこかで発生した強い風、竜巻や台風を召喚し、それを凝縮して衝撃波を作っている。そんな風に思えた。
その時、僕は視界の端にあった、変異体本体を映す1画面に何かを見つけた。なのに他の情報処理に意識を奪われて、つい見過ごしてしまった。 改めてその違和感の理由を追求しようとした時、頭にナイフが1本刺さった。しかも刺さった後に角度を変えられて、ぐりぐりと脳を掻き回されたのだ。当然激痛だが、実際は針一本も刺さっていないという事と、メェメェが乗り手の命を保障してくれている事で、なんとか平静を保った。そうでなければとっくに泣き叫んでいるだろう。 気絶してしまっているかもしれない。
僕はコントローラーを強く握ったままなんとか堪える。2本目が刺さって、頭がさらに重く感じるが、痛みはあまり変わっていない。苦痛と引き換えに、メェメェ内部の空間が広がっていく(ように見える)。メェメェ内部の、僕の視界が広がっていく。視点が100から200、さらに300へと増えていく。 足の感覚が、胴体、腕の感覚が薄れていく。ついには両手と、首から上だけの身になったと錯覚した。
脳の許容をはるかに超える大量の情報が注ぎ込まれた。ほとんどが記憶からすぐに零れ落ちてしまったが、大量の残像が、両目の裏を焼き続ける。それらはこの異世界の光景。この戦場以外をも含んだ、異世界のあらゆる場所。荒野ばかりじゃない、美しい自然…山がいくつもあって、広大な森と草原がある。川が至るところにあって、下流に向かうほど広くなっていく。それはもの凄く大きな滝へ繋がって、大量の澄んだ水がずっと、恐ろしいほど下に落ちていく。 数千の異世界人の顔が映った。若く、美しい容貌の男女、老いた顔つきの人もいた。あどけない笑顔の少年、泣き叫んでいる少女の顔もあった。人間だけじゃない、他の動物、地球にいるものと同じ犬や牛、鳥もいれば、きっと異世界にしかいない奇妙な生物もたくさんいる。農耕や牧畜、木を伐り、車や船、鉄鋼を集めて、採石し、住居の建設、町の整備 …自分たちの力で生産活動を取り戻している人たちがたくさんいる。夫婦が、恋人同士が愛情を示し合い、セックスをして、生命活動を維持しようとしている。しかしまた、戦場の光景も無数にあった。武器を持って他者に服従を強いている、傷つけている、殺している。 憎悪、悲嘆で歪む数万の顔もまた、僕の脳裏に焼き付けられた。
頭の上半分が燃えているかのように熱くなっていった。命の危険を感じた僕は、一旦両目をきつく閉じてシャットダウンした。もしくはメェメェが切り離してくれたのかも知れない。視界が目の裏から表に戻ると、僕らは落下していた。自然落下に、さらに上から強い力を加えられている。
僕は外の視点から確かめた。本体に繋げた分身の数に、明らかに差が生じている。 両腕と3本の足、それ以外にも…手足の指? 角? 羽根? あらゆる部位を装備していた変異体に、完全に動きを封じられていた両足だけの簾藤メェメェは、やがて地面に背を強く打ちつけられ、さらに何回も、何十回も連続して変異体の各部に踏みつけられ、地中にめり込んでいった。
メェメェの外殻を通り抜けて、赤い土が内部に侵入してくる。スクリーンが消えて、シートの後ろが土に埋まって、前からは降り注ぐ。(一体どういう構造なんだ)
生き埋めになりそうな状況で、僕はなぜか右耳に触れた。耳たぶが欠けている事、腕と手が繋がっている事、胴体と両足がある事を改めて認識した。
変異体の追撃がおさまると、メェメェは速やかに地中から脱出した。内部の土がみるみる消えていく。外に排出したというよりも、海中で魚を食べた時のように消化していると思えた。マルチスクリーンが映って、僕は状況を確かめるために、全方位に切り替えた。
昼間のように明るくなっている。遮るものが一切ない強い太陽(?)光が、いくつも…10以上あるんじゃないだろうか? あらゆる方向から、何百本もの光芒が地表に降り注いでいる。
異世界には星の周りに複数の太陽があって、夜はかなり短い…のかな? いや? どうも様子が変だ。どうやらここはさっきと同じ場所らしい。できるだけ遠くに変異体を離すつもりだったのに、力負けしてできなかったのだ。多くの兵士がいて、もっと多くの異世界人がいて、皆不思議そうな、そして険しい表情で、昼間より明るい光景を見ている。それを異常と捉えている。
青い空と、照らされて色が薄くなった赤い大地がある。そして変異体と、もう1人のメェメェがそれぞれ10~15メートルほど高く、50メートルほど間を空けて対峙している。そのもう一人の姿形は…太さは本体と同じくらいだが、3倍以上長い(つまり全長10メートルほどの)巨大な両腕をだらりと垂らしている。脚部に中メェメェを3体だけ配置しているが、他には近くに分身がいない。その両腕に特化した成長を成した形状は… そして頭から片方の眼の上下を渡る、前髪のような赤紫色の模様は…
「雲妻さん!」
「お待たせして申し訳ござません」
はっきりと、元気よく彼は返事した。
「ニセモノ相手に色々と手こずってしまいました。倒せたのかどうかわかりませんが、消えてしまったので、少なくとも退けた事にはなるでしょう。 おまけにこうして更なる成長、パワーアップを果たせました」
「そ、そうですか、 良かった、 助かった」
「おふたりだけで本体を相手に、しかも犠牲者を出さずに。さすがです」
「いえ、兵士たちが協力してくれたので…。 それでも…負ける寸前でしたよ」
「さしあたって、ここはサブキャラクターのわたしにお任せください。きっと… 簾藤さんにはまだ、ご活躍の場面が訪れるでしょう」
「活躍?」
「私たちの役割、なぜマエマエ様に選んでいただけたのか。わたし達が成長にどういった影響を及ぼしているのか。 わたしと簾藤さん、そして珠ちゃんの共通点が大体わかりましたよ。思っていた通りです」
「共通点?」
「こうしておとなしく待って頂いているという事は、変異体さんも興味がおありのようです。ご説明しましょう」
…ほんとだ、じっと待ってるよ。兵士や異世界人まで… 今のうちに逃げろよ。
「わたし達の共通点、それはずばり、オタクです」
「は?」
「オタクです」
「は?」
「あ、失礼、説明が足りませんね。オタクというのは、三度のご飯より漫画やアニメ、その他多種の創作物を好む、程度の差こそあれ、主に現実逃避型の人間です。漫画やアニメとは主に絵と文章で構成される架空の物語です。それらは需要側と供給側、双方の理想と妄想、無数の欲望が詰め放題の、実に都合の良い娯楽物であり、それ故に…」
「ちょ、ちょっと待って、そんな説明までするの?」
「変異体さんはご存じないと思いまして…」
「いや、そもそもそんな馬鹿な理由。あんた、またふざけてるんですか?」
「心外ですね。わたしは真面目に申し上げております。なんとなく、簾藤さんも気づいていらっしゃったでしょう? そうやって馬鹿な話なんて思っているから言えなかっただけで…」
「そんな事ないって! まるで意味が分からない! いったいどうしてそんな思考になるんですか」
「珠ちゃんは仮面ライダーが好きでしょう? あの赤紫の変異の形、あれはきっと変身ベルトです。キックが必殺技のようですし、やたらカラフルなのも、きっと近年の作品を反映しているのでしょう。よくは知りませんが…」
「か、仮面ライダー?」
「そしてわたしのこの額の模様は、おそらく髪型です。こういう先っぽがとんがった、現実ではありえない動きをする前髪は…」
簾藤メェメェは体を左右に揺するように回転させた。角度が変わる度に、レンチキュラーのように前髪(変異模様)の向きが変わって見える。
「わたしの好きな、1970年代のキャラクター造形によくありました。例えば血を燃やすような…つまり、いわゆる熱血根性ものが主流だった時代の名作漫画、かつ名作アニメ『あしたのジョー』の主人公、矢吹ジョーです」
知ってるけれど… コイツ、いったい何を言ってるんだ?
「じゃ、じゃあ僕の、簾藤メェメェの模様は何だって言うんです」
「それはわかりません。簾藤さんが心を開かないと…」
「心を開く?」
「簾藤さんがお好きな、いつまでも心に残っている作品を、どうか恥ずかしがらずにカミングアウトしてください」
「はあ? そんなの、特にありませんよ。 …前にも言いましたが、そりゃ嫌いじゃないですよ。 べつにオタクだって言われるのを否定するつもりもないです。今時恥ずかしいわけでもない。子供のころ、学生時代はたくさん見ましたよ。普通に好きなものもいくつかありますけれど、そんな…表明するほどのもの、熱中したと言えるほどのものはありませんよ。 …ってか、こんなバカな話はもうやめましょうよ」
「バカな話ですかね? マエマエ様はとくに否定していらっしゃらないようですが」
「いやいやいやいや、雲妻さんの言っている事が理解不能なだけですよ。そんなの、答えようがない」
ですよね?
…あれ? どうして返事してくれないの?
「マエマエ様は乗り手に人間としての純粋な正義感、協調性、道徳心などをお求めになられている。その上でこの変異体や反乱者との長年にわたる戦争においては、人を殺める事ができる、つまり先に挙げた条件に部分的に反する、複雑なキャラクターを必要とされたのです」
「は… あ… え?」
「私欲を持ってはなりません。平和を愛し、平等、公正を求め、弱きを助け、強きをくじく正義の味方としての高い理想を持ち、またその理想のために最小限の犠牲を辞さない非情さを備え、さらに決して優位性に慢心しない、暴力に溺れない、確かな自己調整能力を備えた人間」
「な、何が言いたいんです」
「つまり、それがオタクです」
「そんなバカな!」
「いえいえ、もちろん全員がそういう素養を持っているとは言いません。バランスが一方的に欲望、主に性欲と自己顕示欲の解消に傾くクズもたくさんいるでしょう。わたしは決してそういうタイプではありません。 珠ちゃん、そして簾藤さんも違うと確信しています。創作を絵空事、青臭い偽善などと安直にバカにするのではなく、またカッコイイやカワイイ、エロい、だけの価値観で評価するのではなく、ストーリーやキャラクターを通してテーマや社会性、ヒューマニズム等を理解し、掲げられた理想や思想について熟考する。それが真なる、聖なるオタクです」
オタク… そりゃアニメや漫画がない異世界にはいないだろうけれど。
「その、オタクって…それほどのものですか」
「いいえ、わたし達の世界には履いて捨てるほどいますよね。この上ない平凡な存在だと思います。ですから決して自惚れてはなりません。わたしはマエマエ様の力を見た時、その理想を膨張させてしまいました。 あやうくダークサイドに堕ちてしまうところだったと思います。お恥ずかしい限りです。幸い、見習うべきバランス感覚を持った友人が傍にいてくださったので、注意深く、己を見つめ直す事ができました」
え? それって…もしも僕の事ならば、過大評価も甚だしいぞ。
「自分を特別な存在などと思う愚か者は、マエマエ様の力を得てはならないのですよ」
彼の口調が力強く、険しくなった。
「こちらに向けて言っているのかな?」
落ち着いた女性の声…変異体が喋った。
「わたしの中にも乗り手がいると考えているね。 しかも君たちと同じ異世界人だと?」
「だと良いですね。話せばわかる、と思いますので」
「残念ながら、間違っているよ」
「となるとやはり… 拳で片をつけるしかねぇな!」
さらに周囲が明るくなった。数百の白い光芒は、はるか上空にいた雲妻メェメェの分身たちから発せられていた。降下してくると共にサーチライトのように角度を次々に変えて、兵士や異世界人たちの顔を次々照らしている。そして幾分かエネルギーを回復させ、体勢を整えていた簾藤メェメェをも照らした。
「簾藤さん、頼みます!」
「え?」
‟ぼやっとするな! 全員避難させるぞ!“
簾藤メェメェが頭の中で怒鳴ると同時に、我に返った兵士と異世界人たちは退避を再開した。白い光に文字通り背を押されて、各々がスプリンターのような速度で走った。足を負傷している者にはさらに援助が加えられて、宙に浮いているかのように地表を滑って、他の者を追い抜いていく。簾藤メェメェもまた協力し、追撃する動きを見せた変異体の分身をけん制した。
まだ戦い足りていないのか、不満そうな表情の青メッシュがピンクメッシュに腕を引っ張られ、殿を走っている。皆が四方へ、だが決してバラバラにはならず、数十人ずつ集まった状態で避難してくれている。それぞれに兵士と異世界人が混ざり合って、ほとんど全員が武器を手放している。少なくともしばらくの間は、彼らの間で争いが起きる事はないだろう。
とは言っても、ここで変異体を倒せなくては元の木阿弥だ。兵士たちの護衛には続けて大部分の分身を付けておくとしても、僕らも雲妻と共に変異体と戦わなくては…。
降下しつつ、光を強めている雲妻メェメェの分身たちがその姿を現し、変異体とその分身たちを取り囲んでいる。変異体はその包囲網から逃げ出せず、あるいは待ち構えているのか、周囲に数百の分身を寄らせて、同じ位置で浮いている。
僕らはおそるおそる近づきながら、別角度、別サイズの数画面を残して全方位スクリーンに切り替え、等倍でその全容を確かめた。
やがて変異体本体から発した細い、様々な色の光線が数百の分身…おそらくすべてを繋いだ。そしてその大中小の分身体からもまた赤い光線が数百、いや、おそらく数千も発せられていく。細いもの、太いもの、レッドカーペットのように幅広で平べったいものがある。そしてそれらすべてを、徐々に間を詰めていた分身体からの強い白光が取り囲む。集まった光はやがて半透明の白いキューブ状のバリアに変化していって、赤い光線をその中に閉じ込めていく。
一辺100mほどのキューブが、地面に底を付けた状態でできあがった。厚みを増したバリアが被さって、やや色が薄まってピンクに見える光が充満している。もはや中にいるはずの変異体、雲妻メェメェの姿はほとんど隠れてしまった。
呆然とその光景を見ていた僕は、今更ながら「ぼ、僕らもあの中に?」と言った。
「入れるわけねえだろ」
「…ですよね」 つい安心してしまった。
「あそこはもうあいつの領域だ。わざとかどうか知らんが、いくら変異体でもああも完全に取り込まれては、きっとただでは済まないだろう。今はあいつらに任せる」
雲妻メェメェの領域 ……オタクの領域?
「じゃあ今、僕らは何をすれば…」
「俺にとっては不本意だが、どうやら俺たちは、違う方向へ成長しているみたいだ」
「違う方向って?」
「戦闘向きじゃない。きっと役割が違う。…お前さっき、何かを見ていただろう」
何かって言われても…
「俺は変異体との戦いで余裕がなく、十分に認識できていなかったが、変異体とは別の、いくつもの情報があった」
「情報って… もしかして異世界の?」
「なんだ?」
「たぶんこっちの、異世界の各地の映像が、いくつかのスクリーンに映っていたと思うんですけど…」
「各地?」
「その…たぶん現在の自然環境や、人々の様子です。この場所のように荒れてしまった土地もあれば、きれいな水や緑が、自然にあふれている場所もありました。変異体がいないところでも戦争を続けている人々がいれば、平和な生活を取り戻そうとしている人々もいる…ように思えました」
「そうか…。俺もいろいろと教えられちゃいるが、実際に自分の目で確かめたわけじゃない。そもそもクゥクゥ達も、10年前からは限られた情報しか持っていないわけだからな」
…やっぱ目なんだ。
「俺たちは視界を広げる、視点を増やす能力を拡大させているようだ。物理的に見る力だけでなく、分析する能力を高めないと…」
「なにかその…イヤな感覚がありました」
「どういう意味だ?」
「その、人を殺す…恐ろしいビジョンもあれば、子供たちの笑顔もあったんですけれど、どれもこれも不穏な… 灰色のフィルターがかかったような…」
「もう少し具体的に言えねえのか」
「その、視点のいくつかが…変異体と重なっていたような気が、繋がっていたような気がするんです。人間を殺すのを、変異体自身はもうやめた、と言っていましたが、それは嘘で、どうもこのまま自滅を待っているだけではなさそうな…。人間同士が争いをやめれば殺戮は終わる、ってわけではない。そういう意思が被さっていたような気がするんです」
「もともとヤツを信じちゃいねえ。だからここで叩き潰すんだ」
「ここ… この場所だけで片付くんでしょうか?」
「あれは本体だ。あそこまでの分身は作れないはずだ」
「でも、なんだか、それ以上の脅威があるような…」
「なんだと?」
キューブは十数台も絡んだ大事故のような衝撃音を鳴らした。外側で浮遊している大量の雲妻メェメェの分身達が、中サイズでさえ小刻みに震えながらも、バリアを堅固に保っている。変異体を閉じ込めているとしても、内側では分身の数量的に、雲妻メェメェが不利と思われる。しかしあの巨大な両腕がその差を埋める、または凌ぐ攻撃力を備えているならば…。
突然スクリーンからキューブが外れて、周囲は暗くなった。簾藤メェメェが急上昇し、光から離れたためだ。
「どど、どっ、どこへ!?」
「お前が嘘をついていない事はわかる」
「へ?」
「本体以上の脅威、それを俺も認識した。だがそれが何か、どこにあるのかはまだ分からない。超高速で探しまくるぞ!」
「探す? 異世界中を?」
「集中しろ! 必ず見つけるんだ!」
すでに100を超えているマルチスクリーンに切り替わった。
また頭にナイフが2、3本…今度は刀や斧くらいを覚悟しなきゃならないかも。
まさか2度目、それも最終日に至って、ついに『異世界の旅』が実現する事になるとは…。
次回
第43話「ご都合はいかがですか? Part 3」




