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第38話「最強」

 分身体の力を借りれば、宙に浮いて窓から部屋に入る事は可能だが、余計に目立つかも知れないし、もしも見つかった時は言い訳ができない。むしろ堂々と玄関から入ったほうが、ニーナさんに見惚れて(?)注意を怠っていた兵士たちが自責し、スルーしてくれるんじゃないだろうか。そう考えて、僕は何食わぬ顔をつくり、軽い足取りで駐車場を通ってホテルに戻った。雲妻(くもづま)と一緒だとさすがに怪しまれるだろうから、彼は僕より30分(あと)にずらす事になっている。まあ、彼なら誰にも見つからずに戻る事も可能だろうが。

 ホテルに入ったところで、やはり1人の男兵士に見つかったのだが、ちらっと互いに目を合わすだけで、やり過ごす事ができた。内心では心臓がバクバクしていたが…。

 ドアの前で僕は自分のうかつさに気づいた。カードキーを持たないまま、僕は分身体に乗って出て行ってしまったのだ。ドアノブに手をかけるが、当然鍵がかかっている。フロントに戻って開けてもらうようお願いするしかないが、さっきの兵士にもまた会う事になる。怪しまれる可能性もずっと上がるだろう。

 やはりメェメェに頼むしかないか、と考えた時、勢いよくドアが開いた。外開きだったら頭をぶつけているところだ。 細い、だが鍛えられた右腕が伸びてきて胸倉をつかまれると、部屋の中に引きずり込まれた。驚きはしたが、それが誰かはすぐに分かったので、抵抗しなかった。

「奥へ行け!」

 背中をドンと押されて、僕は言われた通りに奥へ進み、両手を頭の上にのせてから振り返った。バクバクが耳に響くほど増していた。

「座れ」

 迷彩服を着た青メッシュは、拳銃を握っていた。 座ろうにも、彼女が先に1脚しかないイスの背を掴んでいたので、ベッドの上に座るしかない。

「びっくりした~  何ですかいったい」 腰と一緒に両手も降ろした。

「何ですかじゃねえよ、どこへ行ってた?」

「え? いや、見てたんですよ。さっきのあの、ニ…異世界人が歌っていた映像を。誰だって見るでしょう?」

「2時間も前に終わっていたぞ、その後から今まで、どこにいたんだよ?」

「とにかく銃をしまってくださいよ。落ち着いて話せないじゃないか」

 彼女は無言のまま拳銃を腰のホルスターにしまった。僕について部屋に入っていた、3体の極小メェメェを見たからだろう。さっきの兵士がスルーしたのも、それが一番の理由だ。

 彼女はイスに腰掛けた。男っぽく足を開いて、少し前かがみになって僕を睨む…いつでも戦闘態勢に入る気構えだ。

「その…せっかく外に出たから、海岸やその辺をうろうろしていただけだよ。僕はもともと観光客なんだから、それくらいしてもいいでしょう? 監視から逃れていたのは、単にそっちの落ち度だよ」

「言うじゃねえか。…オタク野郎もいない。お前ら、何か企んでんじゃねえのか?」

 …まずいな。

「雲妻さんとはさっきそこの砂浜で会いましたが、ちょっと話しただけです」

 念のために少し本当の事を混ぜておこう。

「怪しむのは勝手ですが、今日はもうこれ以上の面倒事はごめんですよ。梁神(はりかみ)さんや兵士の皆さんも、昼間で懲りたんじゃないんですか?」

 彼女は鼻からフン、と短く息を吐いた。

「前以て聞いてはいたけど、頭が変になりそうだ」

「僕だって、今でも夢を見ているんじゃないかって思ってるよ」

「お兄さん、人を殺したって言ってたね。しかも1人や2人の話じゃない口ぶりだった。どうして? 何があったの?」

 …不用意だった。異世界に転移したなんて、説明できないぞ。

「それを聞きに来たんですか?」

「まあね」

「事故だったんですよ。攻撃されて、思わず反撃してしまった。力加減がわからなかったんです」

「事故? 誰に攻撃されたっての?」

「…言いたくありません。 僕の落ち度です。 相手に原因はない、とは思っていませんが、殺すべきじゃなかった」

「言えってんだよ」

 青メッシュは再び拳銃を抜いた。

「疲れているんです。別の日にしてください」

 操作したわけじゃないが、極小メェメェ3体が僕の傍に寄ってきた。

 彼女ははっきり聞こえるほどの舌打ちをした。

「鬱陶しいヤツらだ」

 立ち上がって、僕を睨みながら拳銃をしまう。

「明日、君やあのピンクの髪の()も、異世界人のエリアに侵入するの?」

「侵入? あっちから誘ってきたんだろ?」

「…そうだね。 それで、2人とも行くのかな」

「行くよ。 まだ油断ならねえからな、武器を、土管野郎用のものも大量に持っていく。少しでも変な動きを見せやがったら、遠慮なく撃ちまくってやるからな」

「君らはどうしてその…兵士なんかになったの?」

「 ‟なんか” 呼ばわりかよ」

「ごめん、そういうつもりじゃなく。その、もちろん自衛隊の方々の事は尊敬しているんだけれど…」 自衛隊じゃないんだろ?

「君みたいな若い女の人がどうして兵士になったのか、ちょっと気になって。気に障ったなら無視してくれていいよ」

「若いからやってんだよ。 こんな落ち着かない世の中で、銃の扱い方ひとつ知らないままこの先何十年も生きようとしているヤツらの方が、あたしには信じられないよ」

「…なるほど」

「なめてんのか?」

「いや、ホントに納得したんだよ」 戦争が身近にあると、確かにそう思える。

「もう朝まで部屋から出るんじゃねえぞ」

 そう警告を残して、彼女は部屋から出ていった。…メッシュコンビは、どうやら巻き込んでしまう事になりそうだ。 兵士たちはエリートか、または過去に何か問題を起こした不良軍人か、あるいはその両方なのかもしれない。 事情を知らせないまま無理やり異世界の戦争に、殺し合いに参加させていいものだろうか。 でも、たとえ梁神(やといぬし)の命令だとしても、兵士たちはクゥクゥに向けて実弾を撃ったのだ。

 僕はそのままベッドの上に寝ころんだ。

 この後、青メッシュが梁神に僕の事を報告したとしても、むざむざ進展を遅らせはしないだろう。僕と雲妻に関する監視が少し増えるかもしれないが、もう意味はない。すでに意思は伝えあった。 僕らは明日、一緒に異世界に行く。 協力して、変異体を倒すんだ。


 島に初めて訪れた時と同じように、空は晴れ渡っている。数羽の黒い鳥…いやドローンが、尚も上空から島を監視している。しかし、分身体の影は見当たらなかった。

 僕はジーンズを履いて、長袖の黒いシャツに袖を通し、モスグリーンのフライトジャケットを羽織った。少し暑いが、戦争向き(?)と思われる服はこれしか持っていない。リュックには下着を数着とタオル、ホテルでもらった水のペットボトルを3本、実は本土で買っておいた栄養補助食品のバーを5本、そして簡易トイレを入れている。短期決戦だが、どう事態が動くかわかるはずない。 返せないままの青い作業服が入った紙袋をリュックの傍に置いて、準備は整った。

 朝食を…もしかしたら地球最後となるかもしれない食事を取るため、僕はホテルに併設しているレストランに入った。非常事態下だというのに、老夫婦は営業してくれている。それどころか、兵士たちの分の食事も作っているらしい。雲妻が先に来て、壁際にあるテーブル席で僕を待ってくれていた。あいさつを交わし、僕らは向かい合わせで座った。彼は迷彩色の軍服を着ている。しかし、彼はもはや梁神の部下ではない。

 入口に近い席で、兵士(ホテルに配備されている兵士は全員男)が1人で食事している。皿を持って、目玉焼きやサラダを一気に口に放り込み、水で流し込んだ後、(腹いっぱいになったせいか)ベルトを緩めて退席したが、すぐに入れ替わりで2人の兵士が入って来た。僕らからひとつテーブルを挟んだ席に座ったが、共に足を開いて、僕らに向けて半身の体勢を取っている。

 お婆さんが持ってきてくれたホットコーヒーを啜りつつ、僕らは話し始めた。もちろん監視がいる前で、昨晩話し合った内容を繰り返すわけにはいかない。正午に行われるクゥクゥ達との接見について、互いに大事ない事を祈る言葉を交わした。

 …大事は必ず起きる。森の奥で、クゥクゥとカンペンメェメェが待ち構えている。互いが武装を解除し、サドルと梁神が握手を交わした時、全員の頭上に巨大化、強大化したあれ(・・)が出現して、全員を飲み込もうとする。ニアと幸塚(こうづか)メェメェが島に残る人間を守り、簾藤(れんどう)、雲妻メェメェは異世界に連れていく人間を保護しつつ、ワームホールに突入するのだ。そしてカンペンメェメェ、いや、小恋(ここ)メェメェは…。


 昨晩の砂浜で…雲妻は黙ったまま、最後まで僕の説明を聞いてくれた。異世界が内戦状態にある事や、クゥクゥとメェメェの歴史、カンペン達の境遇、そして変異体の事。僕が100人以上の異世界人を殺してしまった事を話した時、感情が溢れてしまって、たどたどしい、要領を得ないものになってしまったが、疑うそぶりは一切なく、何度も深く頷いて、僕の心を落ち着かせてくれた。この異常な状況下で今更ウソをつくわけがない、と分かっていたのだろうが、よくもまあ信じてくれたものだ。

 僕の話を聞いた後、彼もまた、自分の心情を吐露してくれた。彼はメェメェに長時間乗っていたせいで全能感に捕われ、誇大妄想めいた理想を持ってしまった事を、改めて自覚していた。世界中の不幸な人々を助けたい、平等にしたい、という理想は多くの人が心の奥底に持っているものだろうが、それを実現するためには今ある不幸の何倍、何十倍もの犠牲を生む過程が必要だろう。そしてすべての人間が価値観を揃えるために、気が遠くなるほどの長い時間がかかるだろう、と漠然と想像する。つまりそれは、クゥクゥの歴史と同じなのだ。ならばメェメェという神の力を得て理想を追い求めることもまた、クゥクゥと同じ歴史を辿るものとなる。 前段階としての大虐殺…そんな事はできない。 僕のような凡人には到底無理だし、雲妻にも、梁神にも無理だろう。独裁者や暴君と言われている権力者にとっても、それは規模が違い過ぎる。きっと人間には無理なのだ。

 そんな話をした後で、僕らは互いを嘲るように笑い合った。世界平和のために大量虐殺を行う…いかにもオタクが妄想する、これまで何度もアニメや漫画、映画、小説で描かれてきた定番の虚構(フィクション)だ。僕らはタイトルをいくつか挙げて批評し合い、しばらくオタク談議に花を咲かせた。

 雲妻は理想を肥大化させていた原因を自己分析していた。メェメェの力に魅せられ、酔いしれていた事が一番の理由だが、それ以外にもあった。彼は島でスパイ行為をしている最中に、役所に預けていた自分のスマホを見つけた。 (おそらくツアー初日の夜、(たま)ちゃんを探すために役所へ走ってくれた時だ) その時にプライベートメールを確認したところ、彼の奥さんから判が押された公正証書や離婚届の画像が届いていた。彼は以前から自分の記入欄を埋めて、判を押した各書類を、奥さんに預けてあったらしい。その画像を見て、彼は落胆した。実際の夫婦関係がどのようなものだったのか知らないが、彼はメェメェに初めて乗る前から、小恋ちゃんや綾里(あやり)さんに逆ギレしてしまった僕を慰めてくれた前から、小恋ちゃんに島を案内してもらい、皆で写真を撮る前から、ずっと動揺し続けていた。僕なんかよりも、ずっと落ち込んでいたんだ。異世界の実存は彼にとって絶好の逃避先になり、オタクの願望を刺激され、妄想が膨張しやすくなっていったのだ。

 きっと彼は奥さんの事を、どれだけ嫌われていても好きなんだろう。 判をついていても、まだ提出したわけじゃない、きっと奥さんも悩んでいるから画像を送ったんだと思う、まだやり直すチャンスは残っている、と並べ立てて、僕は彼を慰めた。 彼は礼を言って、今後も相談に乗ってくれますか? と僕に尋ねた。

「もちろんです」 ようやく彼から受けた温情を少しは返せる、そう思って僕は喜んだ。

 雲妻はまた礼を言って、深呼吸をした。

「それでは、難しいことを考えるのは後にします。まずは大切な友人のために、そして憧れの異世界を救うために、わたしは全力を尽くしましょう」

 雲妻がそう宣言すると、様々な大きさの分身体が百以上も、砂の中から、海から姿を現し、僕らを中心にして集結していった。そして目の前の海上に、透明化を解いて、本体が並んで姿を現した。簾藤メェメェと雲妻メェメェだ。

 今や完全に見分けがつく。赤紫色の変異のおかげ…せいだ。雲妻メェメェには三角の、サメのヒレみたいな形をした変異が頭部にある。尖った先を前髪のように下に向けていて、今両目は出ていないが、開いた時にはその上下を渡る位置にある。簾藤メェメェには腰部に縦長の長方形が(いつの間にか)6本も、短冊状に並んでいる。もし今後も数を増やして腰をひと回りしてしまえば、まるで腹巻や腰蓑を巻いているように見えるだろう…カッコ悪いな。 以前ははっきりと色がついていたのだが、範囲が広がった分、少し薄くなっている。輪郭がややぼやけていて、見る角度を変えると動いて見える。 雲妻メェメェの前髪の先は左右に向きを変えるし、簾藤メェメェの短冊はくにゃくにゃと、風に揺られるように曲がりくねっている。どういう現象なのだろうか。

「一緒に戦う、サポートを頼む…よ」

 初めて聞く声…それは雲妻メェメェのものだった。意外にも少年のような、少女のような、どこか控え目な …というか

「ちょっと雲妻さん」

「はい」

「今の、どうしてあんな…かわいい声なんですか?」

「声?」

「女性なんですか? 雲妻メェメェは」

「雲妻メェメェ? ああ、そう呼んでいらっしゃるのですか。はて、マエマエ様に性別はないらしいですが、 分身や子を産むという事は、女性といっていいのかも知れませんね」

「いや僕の…簾藤メェメェは完全におっさんなんですけれど、声も性格も…」

「へえ、どういうお声なんですか?」

「…かなり野太い、怒っている時はちょっと高くなる…ひと昔前のハリウッドのアクションスターの吹き替えみたいな… しいて言えば、哲章(てっしょう)さんみたいな声です」

玄田(げんだ)の?」

「玄田の」

「超ベテラン、レジェンド級じゃないですか! それは実に羨ましい!」

「いや、そっちの方が全然いいですよ。めっちゃかわいい声じゃないですか」

 調子(テンション)を取り戻した雲妻に比べて、僕の口調は平坦だった。

「あまり喋ってくださらないのですよ。そちらこそ憧れじゃないですか、わたしもそのお声で怒鳴られてみたいものです。 あっ! ぜひとも今、お願い致します!」

「ですって…」

 簾藤メェメェは両目を出して、「真面目にやれ!」と僕らを叱った。

「おお! ま、まさしく…。 ありがとうございます! 感激致しました!」

 …マジで感激してるよ。

「余裕ですね、安心しましたよ」と、さらに違うメェメェの声が聞こえた。

 もう2人のメェメェが、僕らの背後に現われたのだ。カンペンメェメェ(小恋メェメェ)と、声を出したのは幸塚メェメェだ。

「ようやく、全員の意思疎通が叶ったというわけだ」と、カンペンメェメェが色気と説得力のあるしぶい男性ボイスを発した。

 …全員といっても、小恋ちゃんと綾里さん、そして(たま)ちゃんはこの場にいない。

「すみません。変異を危険視される事を恐れていました」

「それは変わらない。だが、たとえ諸刃の剣であろうと、強力な武器が必要だ」

「私たちも乗り手の皆さんも、平和と秩序、道徳を何より重んじております。想いは皆一緒です。だからこれらの模様は、変異体とはきっと別物だと考えております」

 幸塚メェメェの変異部は、簾藤メェメェと同じく腰部にある。しかし形は全然違っていて、ベルトのように腰を一周し、前の中央部…つまりバックルの部分が太くなって楕円形になっている。そしてメェメェ本体の表面を走る何千、もしかしたら何万もの細かな七色の光が、すべてそのバックル部を経由しているようだ。その光は数も光量も他のメェメェよりずっと多く、夜なので余計に派手で…なんだか一番強そうに見える(実際そうなのかも)。 彼女(?)の声は凛として、それでいて柔らかく、母性を感じさせる。 でかいテトラポッドなのにカッコいいな~、と僕はうっとりした。

「あとは、お前のパートナーどもの気持ちだけだな」と、簾藤メェメェの荒い口調が雰囲気を壊す。

「ええ、それについてはまだ何とも…」 幸塚メェメェの声が沈んだ。

「心を通わせたお前には辛いかも知れんが、もう時間はないぞ」 カンペンメェメェが労わるように諭す。

「心得ております」

「お前はもしもの時の予備戦力として、そして島に残るニアとクゥクゥ、住民、幸塚綾里を支えなければならない。大切な役割だ」

「ええ」

「どういう意味です?」と問うた雲妻に、僕が説明した。カンペンメェメェが言う通り、幸塚メェメェと綾里さんはこっちに残る。そして… 

 雲妻の表情が歪んだ。僕も同じ気持ちだ。でもメェメェが言うには、もっとも才能があるらしいのだ。


 お婆さんが何度も行き来して、次々と料理が運ばれてくる。定番の目玉焼きやハム、ソーセージ、サラダ、ヨーグルトの他にフィッシュフライやフライドチキン、豆と細かく切った玉ねぎ、人参、ジャガイモ、それに牛モツが入っている赤いスープ、パイナップルとバナナをのせて、その上に溶けたチーズがかかったトーストなんて変わったものもある。

「これはまた、すごいボリュームですね」

 雲妻が呆気に取られている。同感だ。「こんなに食べられませんよ」

「しっかり食べておくだに」 お婆さんは兵士たちのテーブルにも、同様の料理を運んでいる。彼らも驚いている。

 テーブルの上いっぱいに並んだ料理はどれも美味しそうだが、とても2人では食べ切れそうにない。そう思った時に丁度良く、‟おー!“ という元気いいあいさつ(?)と共に、最強の助っ人が来てくれた。

「珠ちゃん! 綾里さん!」 思わず上擦った声が出てしまった。

「これはこれは、おはようございます」と言って、雲妻が立ち上がった。僕も慌てて立ち上がり、隣のイスの上に置いてあった上着を取って、雲妻の隣に移動した。

「どうぞ座ってください」 自分のコーヒーカップを手前に寄せる。

「どうもすみません、この子が今朝はこちらで食べたい、と言い出しまして… ご迷惑じゃないですか?」

「とんでもない! ご一緒できて嬉しいです。ね、簾藤さん」

「ええ、ぜひ一緒に。 丁度僕たちだけじゃあとても食べきれない、と思っていたところなんですよ」

「わあ、すごいですね」

「さあ、座ってください」 とうに珠ちゃんは座っているが。

 綾里さんは珠ちゃんの後ろを回って、壁際の席、雲妻の対面に座った。Vネックの白いニットにジーンズ、髪をあげて額を露わにしている。珠ちゃんは水色と白のボーダー柄のトレーナーに紺のハーフパンツ、さらさらの髪の毛先が、眉のすぐ上で揃えられている。

 お婆さんがやって来て、珠ちゃんの頭をなでた。

「あら~ また来てくれたんか。ばあちゃん嬉しいだに」

 ホントに嬉しいんだろうな。 それほど子供好きじゃない僕でさえ、かわいいと思うもの。

「いっぱい持ってきて!」

 顎をあげて、なぜか内緒話をするような掠れた声を出す。

「はいはい、パンにするか? それともご飯がいいか?」

「ごはん。 あとオレンジジュースと、牛乳も」

 ちょっと普通じゃない、ぎりぎり不快にならない程度の太々しさがこの子の魅力だな。元気な姿しか見たことがないけれど、ずっと病気で苦しんでいたんだよな。笑顔の綾里(おかあ)さん…フェリーで初めて会った時とはまるで雰囲気が違っている。とても柔和で明るい。メェメェに乗っている時の彼女はとても勇ましく、頼もしかった。きっと本来の彼女はそういう人なんだろう。美人だし、優しいし、スポーツ万能っぽいし。なにかを間違えて不幸に…いや、間違いや失敗なんて誰にでもある。単に運が悪かっただけで、彼女は苦労していたんだ。この世は不公平だから…。

 途中で喋ったりぐずったりしないで、もぐもぐと一心不乱に食べ続ける姿が微笑ましい。僕らもそれに倣って、食事を味わう事に集中していた。キロメ(天然)の刺身を出してもらって、改めてよく味わった。今日の午後から始まる怒涛の展開に備えるための、重要なエネルギー源になる。珠ちゃんも1人前を平らげた。和洋、異世界がごちゃまぜになった朝食を、僕らはすべて食べ切った。兵士たちが唖然としていた。彼らは2人だけだったせいもあるが、半分以上を残していた。

 食事を終え、僕らはしばらくの間談笑した。話題のほとんどを珠ちゃんが大好きな仮面ライダーの事にしていたので、監視に飽きた兵士たちがようやく席を立った。しかし僕と雲妻は、今日の作戦について話せない。珠ちゃんが最強と思う仮面ライダーの名前を挙げ続ける。最強が20人くらいいるみたいだ。僕は珠ちゃんと同じ年頃以降、ほとんど見た事がなかったからまったく知らないのだが、いつの間にそんなに増えていたんだろう。

 食事を終えて店を出る前に、僕は厨房に入ってお爺さんに挨拶し、朝食の、これまでの美味しい食事のお礼を言った。片手を上げただけの返事だったが、お互いの気持ちは通じたと思う。アルミ台の上に野菜が入った段ボールが2つと、細かい氷と一緒に肉や魚が入った発泡スチロールの箱が1つ置かれていた。今朝届いたばかりだろうか…。



 午前11時30分。前線基地にサドルとザッサ、クルミンの3人が訪れた。昨夜と同じメンバーにしたのは、昨夜と同じく融和の姿勢を示している事になる。梁神は余分な警戒を(表面上は)示すことなく、3人を伴って予定通りメェメェエリアへの更なる進行を指示した。

 梁神は高級そうなライトブラウンのサファリジャケットを着ている。やけに上半身がごつく見えるのは、下に防弾ベストを着用しているからだろう。四人乗りのオフロード用バギーの後ろ座席に座っている。後方指示ではなく、自ら最前線にいる事に梁神の意欲が表れている。それはクゥクゥにとって好都合だった。明日川(あしたがわ)町長が彼の隣に座っている。いつものスーツ姿ではなく、紺色の作業着とジャンパー(右胸部分に白文字で‟二朱(にあ)町“ とプリントされている)を着ている。この後起きる事について、町長はすべて心得ている。…確認していなかったが、まさか行くつもりじゃないよな。

 梁神が陣頭指揮を執るため、進行に参加する兵士は前線に100名、後方に50名、両翼に別動隊をそれぞれ30名ずつ展開しているらしい。つまり進行部隊だけで210名、島の各所を見張っている者や海上で待機している者を入れると300名を超えている。山林の中を進むため、ほとんどの車両は進入できず、6台のバギーと8台のバイクに乗るもの以外は、すべて徒歩で移動している。大きなリュックを背負い、いくつものアルミボックスを手分けして運んでいた。メェメェの力で運んでやってもいいのだが、中立のポジションを崩してしまうと、却って怪しまれる可能性がある。きっとボックスの中にはドローンやそれらを操作する機器、そしてドロドロや各種武器も入っているのだろう。

 バイクに乗る兵士は大した荷物を運べないため、周辺の警戒に当たっている。先導するサドル達を追い越して前方の安全を確認し、また後方、両翼との連携を取っている。1台だけ町長と梁神らが乗るバギーに、ずっと並走しているバイクがある。ヘルメットを被っているが、誰かは分かっている。昨晩と同じジャケットを着て、厚いハンドグローブを着けて、デニムパンツと硬そうなショートブーツを履いている。上下ともに黒で、太っていた時期が想像つかないほどスリムでカッコいい。僕と同様に、パンパンに膨らんだリュックを背負っている。

 僕はすでに100を優に超えていた分身体を使い、マルチスクリーンを通してすべてを見ている。木漏れ日が落葉と枯れ枝、苔と木の根に覆われた大地と、兵士たちを斑に照らしている。やはりメッシュコンビもいるが、2人は離れて歩いている。青メッシュは小銃を携えて前方を歩き、ピンクメッシュは後方で重そうなリュックを背負い、不満げな表情でドローンのコントローラーらしきものを弄りながら歩いていた。電波状況を確認しているのだろうか。リーダーや、フェリーやホテルにいた兵士、クゥクゥに向けてネットランチャーや催涙ガスを発射した兵士、他にも見た顔がたくさんいる。

 雲妻メェメェが上空をゆっくり浮遊している。彼が上を監視し、僕と綾里さんは地上を監視する役割になっていた。綾里さんが怪しいもの(=ワームホール)を見つけてしまわないようにするためだった。

 幸塚メェメェを、またも10人ほどの漁師たちが取り巻いている。おそらく全員独身なのだろうが、まさかお前たちの誰かが綾里さんとどうにかなれるなんて、本気で思っちゃいないだろうな。こいつらを連れて行くわけにはいかない、どうせ足手まといになるだけなのだから。どうにか引き下がらせられないだろうか。 でも綾里さんには事情を説明できないし、それどころか彼らの雇い主である曽野上(そのうえ)とボディガードの木林(きばやし)までいる。仲間外れ(利権から外される事)を恐れたのだろうが、利権どころの話じゃないんだぞ。負傷中であり、妻子がいる笹倉(ささくら)がこの場にいない事にほっとしつつも、彼がいてくれれば任せられるのに、とも思う。

 先頭を歩くサドルらクゥクゥの3人に、鷹美さんが混じっている。気を遣うようにザッサとクルミンが少し距離を空けている。鷹美さんは黒いパーカーとジーンズ、スニーカー、ベースボールキャップを深めに被っている。サドルより2~3センチほど背が高く、肩幅も広い。並んで歩いている姿は思いの他お似合いだ。(性別が逆ならば…)サドルがあんなに晴れやかな笑顔で話すのは、彼女を相手にしている時だけだろう。どう見ても恋する()の表情だ。…これが最後になるかもしれない、と考えているのだろうか。当然、彼女は絶対に連れて行かない。

 もうすぐ正午になる。周囲の景色にさしたる変化はなく、当然異世界の発電所なんてものは一向に見えてこない。昨晩小恋ちゃんと一緒にメェメェに乗って通ったルート…昼間は見えないのか、それとも隠されているのか、そこは謎のエネルギーで満ちていた。七色に輝く光が、土の中を、幹を、枝を、葉を伝って、島のすべてに行き渡っていた。発電所があるとすれば、それはこの森そのものをいうのではないだろうか。

 梁神が表情を曇らせた時、前方偵察を行っていたバイク兵が戻って来て、梁神に報告した。まもなく横並びで立っているクゥクゥの姿が、スクリーンに表示された。やはり全員が青か紺の作業服を着ているが、少し違う。お揃いの白いアンダーを着ている事が、首を包むハイネックで分かった。伸縮性があるのか、首にぴったりと張り付いているように見える。同様の白い手袋をしていて、その繊維はきめ細かく、しなやかで丈夫な、特別な材質に思えた。異世界の技術なのかもしれない。

 彼らの背後には大木が何本も並んでいて、それらに比べると小さく見えるメェメェが、整列しているクゥクゥ達の中央の上(およそ地上5メートル)に浮かんでいる。その真下にカンペンがいる。鷹美さんを下がらせたサドルがカンペンの隣に立ち、ザッサとクルミンがオロを挟んで、50を超える異世界の兵士が揃った。カンペンとオロは共に強張った表情をしている。転移と戦争に向けて緊張しているのだろうが、彼女たちは兵士たちを巻き添えにすることを知っているのだろうか。

 駆け出し、梁神らを追い抜いた兵士たちが銃を手にしたまま、しかし構える事はなく、周囲を確認し始める。50人以上が展開したその場は木も少なく、比較的開けていて、平坦な足場になっている。150人以上…300人でも余裕がある、運動会くらいなら開けるくらいの広さだ。

 メェメェは両目を閉じたまま、少し体を斜めに傾けて、漂うように浮かんでいる。昨日のドロドロのダメージがまだ残っている、と偽装しているつもりだろうか。

 まんまとひっかかった梁神がバギーから降りた。町長も降りて、並んでサドル達に向かって歩き出す。すかさずリーダーと5人の兵士が2人の周囲を取り囲み、ともに歩く。他の兵士たちは銃口を下げたままにしながらも、グリップからは手を離さない。クゥクゥらに相対するように、戦列を整えてゆく。そして小恋ちゃんは、バイクのエンジンを切らない。

 最後にもう一度復習する。簾藤、雲妻の2チームで兵士達を拘束し、クゥクゥ達と合わせて全員にバリアを張る。ニアがワームホールの調整と誘導を、幸塚メェメェが島に残る人々を正確に選別して守り、避難させる。そしてカンペンメェメェはカンペンを乗せず、小恋ちゃんを…。

 僕は全方向スクリーンに切り替えて、上を向いた。雲ひとつない空が見える。霞みも歪みもなく、ただ鮮やか過ぎる青が覆っている。 その上に、黒がある。


次回

第39話

「会敵 Part 1」

3月3~6日の内に投稿予定です

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― 新着の感想 ―
みーさんの感想と右に同じです。 4人が兵士達よりもモリモリ朝ごはん食べてる姿を思い描くと微笑ましい〜 最後の晩餐(朝食だけど…)かもしれない場なのに、珠ちゃんの最強の仮面ライダー話で談笑するのが良い…
これから始まる戦いを前に、胸が高鳴る。 前夜の雲妻との人間くさい会話、翌日の朝食の風景の描写がとても細やかですばらしい。 自分=簾藤になった気持ちで、ぐいぐい物語に引き込まれた。
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