第37話「設定説明しましょうか –完結編- Part 2」
森の中に隠されて(?)いたワームホールを見た後、僕と小恋ちゃんを乗せたメェメェはほんの1~2分ほどでクゥクゥが待っている場所まで移動した。そこはやはり数日前にサドル達に連れられ、ニアやニーナさん達と初めて会い、彼らの故郷…異世界とメェメェのあらましを聞いた洞窟の中だった。
違うのは、以前は整備された道の上を歩いて鍾乳洞を進んだ果てに、大量の分身体が放つ光や、土石の中を這う、同じく大量の宝石に照らされた広いステージがあったのだが、メェメェは別のルート…とても人が歩いて行けそうにない歪な洞窟を通っていた。
そうして辿り着いた場所は、かなり広い…盛大な結婚式やパーティーが開ける程の広間だった。平らで滑らかな白い床は、メェメェの表面と同じような材質に見える。天井はあるのかないのかわからないほど高く、つらら石などは見当たらない。金色や赤銅色の比率が多い、無数の光る宝石が埋まった石壁に囲まれている。
宇宙にいるかのような幻想的な空間なのに、彼らは相も変わらず青い作業服を着て、地球産の簡素なパイプ椅子をそれぞれ1~2メートル程の間隔を空けて、円をつくって座っていた。 30名ほど…サドルがいて、ザッサとクルミンの姿も見える。車を運転してくれた彼や、パンやサラダをよそってくれた彼女、コーヒーを注いでくれた彼、島に戻ってくるときにフェリーにいたあの…カレーを作ってくれた3人もいる。
メェメェが頭を開いて、僕と小恋ちゃんは腰を上げて後ろを向いた。メェメェがゆっくり体を傾けるとともに、僕らは互いに体を支え合いながら体勢を整え、頭部を渡って本体から降りた。クゥクゥらが皆立ち上がって、僕らを迎えてくれる。
…カンペンやオロはいない。
「ようこそ」と、サドルが落ち着いた口調で言った。
金色に照らされた彼の美貌は、もはや女神としか言いようがない。服装以外は。
「ここは…前に連れてきてもらった所と、同じ場所なんですか?」
「そうです。いろいろご案内したいところですが、時間と、あなた方への信用がまだ足りません」
小恋ちゃんもまた初めて来たかのような表情…びっくりしている。
「信用していい。彼らは同志だ」
メェメェの大きな声が反響して、どよめきが起きた。クゥクゥ達が驚いている。
サドルが両手を軽く上げて、皆に静まるよう促した。
「失礼しました。マエマエ様から直接お言葉をいただく事は稀なので…」
乗り手以外にはそうなのか… 雲妻メェメェ以外はわりとお喋りなのに。
「マエマエ様が信用なさっているならば、我々が疑う余地はありません。しかし時間がない事は変わりません。これからお話する内容は、明日の作戦についてのものに限定させていただきます」
「作戦…ですか?」
「落ち着かない場所だと思いますが、どうかご容赦ください。ニーナさんが暴走しないよう見張る必要がありましたので…」
男性のクゥクゥが、僕と小恋ちゃんのためにイスを持ってきてくれた。皆が席を移動して、円周を少し広げる。僕はサドルの左隣に、小恋ちゃんは僕の隣に腰を下ろした。
「明日の午後、故郷への帰還、つまりあなた方にとって異世界への転移を行います。転移するのはマエマエ様の他、この場にいる者と他を入れて、合計49名。25名はニアに残るものとします」
サドルは僕にじゃなく、クゥクゥに向けて力強く言った。
前に聞いた時よりも島に残る人数が増えている…。カンペンやオロ…他にも数名の若い人たちを、当初の計画から外したんだ。たぶん…当人たちはそれを知らされていないのだろう。
「サドルさんも行かれるのですか?」
「…ええ、覚悟を決めました」
「でも、こっちにもリーダーが必要なんじゃ…」
「年長者も数人残ります。彼らに任せても大丈夫。可能な限り、若い人達を残します」
「時間がないとは言っても、どうして明日なんですか? そこまで急を要する事態なんですか?」
「総合的な判断です。故郷の状況については、10年前からずっと急を要する事態でした」
「しかし…」
「昨晩、治療中だった彼が、意識を取り戻しました」
え? …あっ 転移した時にカンペンが助けた…。
心の声を察知したサドルが頷いた。
「長きに渡る戦乱のせいで資源が、資源を生み出す自然環境と命が失われ続けた結果、全土に飢えと病気が蔓延しております。主義主張の違いによる争いは、単に食料と薬を奪い合う、また肉親や親しい者の命を奪われた憎しみを晴らすためだけの、未来のない、無駄な殺し合いに成り代わっております。 わずか10年で、その数百倍もの長い時間をかけて築きあげてきた秩序が、正義が、互いを慈しみ合う優しい心が、駆逐されようとしています。もう限界です。ずっと限界でした。我々は一刻も早く武器を持つ多くの者を討ち、今も尚、命を尊ぶ多くの者を救い、これ以上の退行を防がねばなりません!」
サドルは少々力が入り過ぎている自分に気づき、一度深呼吸をした。
「最大であり、唯一とも言える障害である変異体。戦乱を引き起こした根源であり、これまで数人…不確定数のマエマエ様が倒されています。人間を武力で支配していた大昔の能力を有しており、命を奪う事に躊躇がありません。人間がいくら束になってかかっても、簡単に一掃されてしまいます。変異体に対抗できるのはマエマエ様のみ、それも、変異体と同じく大昔の殺戮能力を備えた…つまり、このニアで新しく生まれた3人のマエマエ…様です。 ‟出来損ない“ と呼ぶ者もいますが、それでも時間をかけてようやく得た強大な戦力です。不安要素は確かにございますが、これを外す手段はあり得ません。全員知っての通り、紆余曲折はありましたが、こうして乗り手を選ばれて、ともに戦ってくださる事になりました」
‟おお~!“ というこの世界と、鈴や鐘を鳴らすような異世界の感嘆の声がいくつもあがって、その後拍手が鳴り響いた。
ずっとシリアスだったのに…。
「でも、僕とマエマエ様はその、戦う事を決意しましたけれど…」
「わたしも戦いますよ!」と小恋ちゃんが挟んだ。
「あ、うん。 その、2組…だけなんですよね」
「彼らも聞いている」
マエマエ様が喋った。またクゥクゥ達が感嘆する。
「聞いている?」
「簾藤メェメェも、幸塚メェメェも、雲妻メェメェも、この会話を聞いている」
周囲は光だらけで気づかなかったが、多数の極小~小メェメェが、ホテルを抜け出した時からずっと近くを飛んでいた。てっきり簾藤メェメェか小恋メェメェの分身体だと思い込んでいたが…。
「他の2人も、異世界に行ってくれるのでしょうか?」
3日前の転移の時は、彼らも行くつもりだったはずだ。
「それはまだ分からない。だが、彼らはもともとそのために生まれた。このままニアでのんびり好き勝手に生きたい、とは思っていないだろう。誰かのようにな…」
誰か?
メェメェが入って来た道とは違う(きちんと整備された)入口から、コツコツとハイヒールの音を鳴らしながら、場違いな格好の女性…ニーナさんが、艶やかな黒髪を両手でかきあげながらやって来た。
「はー歌った! 両目いっぱい歌ったー! 気持ち良かったー!」
周囲に十数の小~極小メェメェ、そして背後に本体を引き連れている。畳んだタオルを頭に乗せている小メェメェや、身をくっつけて大きなリクライニングチェアを浮かばせて運んでいる極小メェメェ達がいる。
「おー 皆さんお揃いですね~。 あ、はーい! 簾藤さん、元気してたー?」と、手を高く上げて、笑顔で呼びかけてくれた。 スカートを揺らしている。
「あ、はい、どーも」と、一応手を振った。
「あ、小恋ちゃんがいる! きゃー! ひさしぶりー! あっ、やせた? また美人に戻ったねー 良かったねー」
「…お久しぶりです」
と彼女が返事する前に、わずかだが舌打ちが聞こえた。確かに聞こえた。
「ごゆっくりね~」
はあ…。
「えっと、じゃあ、あと2人のメェメェ…様も、一緒に転移してくれるんですか?」
「彼らはそのつもりだろう。だが…」
「だが?」
「雲妻薫と、幸塚綾里はまだわからない」
ああ… そうだった。
「まだ説明してもいないだろう。目の前にある事態に加えてそんな話を聞かされたとして、彼らは対応できないと思われる。降りてしまう可能性も高い。だが、代わりの乗り手を探す時間の余裕はない」
「うん… あ、でも、僕は確認なんてないまま転移させられたような…」
「そういう方法もある。だが、もしも土壇場で降ろしてくれ、と言われたら、降ろすしかない。私達は強制しない。お前には才能があるのだ。その場の状況につい流されてしまう… いや、対応できる才能が」
え? メェメェがこれまで何度か言ってくれていた僕の才能って、それなの? 流される才能って何? ただの優柔不断じゃないか。
…でも、確かにもうそんな手は通用しないだろう。 メェメェに慣れた雲妻さん達は、きっとこれまでに3日前の事を何度も尋ねているだろう。今度また同じように、あの禍々しい大きな黒い炎を前にした時、事情を聞いても聞かなくても、拒絶する可能性は高い。
いや、雲妻なら喜び勇んで行くのかも…。
ニーナさんが音を立てて、床に置かれたリクライニングチェアに腰掛けた。長い足を重ねて、ミニスカートから太腿を露にした。どこか挑発的な色っぽい視線を、なぜか僕に投げかけてくる。
「はあ~、アンコールに備えてちょっと休憩しよっと」
なぜ会議の場で休憩する? そして、アンコールがかかっているのか?
クゥクゥ達が ‟また始まったぞ“ というような呆れ顔になっている。
「ジャーマネ! のどが渇いたわ、ミルクセーキを持ってきてちょーだい!」
誰? 誰がジャーマネなの? 誰も動かないけれど。
「糖分補給よ! すっごく甘いミルクセーキを持ってきて!」
まだ誰も席を立たない。困ったように極小メェメェ達が彼女の周囲を飛び回っている。どうする? どこにあるんだ? と相談しているかのようだ。
「ねーねー 小恋ちゃん小恋ちゃん」と、ニーナさんが気安く呼びかける。
「はい」と、小恋ちゃんはあきらかにめんどくさそうに返事した。
「ミルクセーキってさ、すっごくエッチだと思わない?」
うわぁ…
「ミルクの… セェーキって、 えろっ!」
ケタケタと笑う。 最っ低だ。
「退場!」と、小恋ちゃんが大声で断じた。
ニーナさんをあえて無視していたクゥクゥ達だったが、小恋ちゃんの言葉にはすぐに従った。4人の男性クゥクゥの手により、ニーナさんがチェアごと強制退場させられて行く。
「ごめん! ごめんなさい! もう邪魔しません!」
謝罪もむなしく、美しい声は遠ざかっていった。分身体たちが後を付いて行く。なぜか焦っているように見えた。
「失礼いたしました」と、サドルが改めて謝罪した。
「えっと、あの…」 何だっけ? ちょっと待って。まだ回復できていない。
「メェメェ様は2チームのみ、と考えておいた方がいいと思います」
小恋ちゃんが代わりに言ってくれた。そうだ、これ以上不確実な要素をあてにしてはいけない。
「そうですね。では、それに則った作戦を説明します。…とは言っても、作戦と呼べるほど具体性のあるものではございません。指針という程度ですね。漠然とした情報しか存在しませんので、状況に合わせて臨機応変に戦い方を選択しなければなりません。各自理解して、その心構えをしておく事が重要となります」
「というと?」と、僕が問う。
「転移するにあたっては、エネルギーが必要になります。2人のマエマエ様と我々、そしてその他大勢が通るワームホールとなると、その大きさに比例したエネルギーは膨大なものになります」
…その他大勢。
「多くはニア様が供給してくださいます。しかし、それでもなお通り抜ける際にはマエマエ様、人間共にかなりのエネルギーを消費します。転移した先で、しばらく動けなくなるほどに」
そうだった。確か…
「これまでの経験と情報から申し上げますと、マエマエ様でも数分から十数分間、人間は生身で通過した場合、数時間はまともに動けない状態となります」
戦場では致命的だろうな。
「しかし、マエマエ様のエネルギーの一部を人間の防御に割いて…つまり個々に強固なバリアを張って頂いた場合、人間への負担はかなり軽減されることになります。もちろん、その分マエマエ様の負担が増すことになるのですが」
「個々にバリアって…どうやるんでしょうか」と、小恋ちゃんが不安そうに尋ねた。彼女はやり方なんて知らないだろう。僕だって知らない。
「心配するな、こっちでやる」と、マエマエ様がフォローした。
「分身体が守る。兵士たちもな」
やはり…
「戦場に、梁神さんや兵士たちも連れて行く、彼らを巻き込むというわけですか」
「そうだ」
「無理強いはしないんじゃなかったんですか?」
「案内するとお誘いし、彼らは来るとおっしゃった。 ご自分たちの意思じゃないですか?」と、サドルが冷たく答えた。
「騙すも同然ですよ。初めから、ずっと前からそのつもりだったんでしょう?」
「帰ってくださいますようお願いしました。あれが最後通告です。以降は彼らの意思と見なします」
「でも、彼らを連れて行っても、変異体との戦いに役立つ訳じゃない」
「それは我々も同じです」
「じゃ、じゃあ…」
「戦いは、結局のところマエマエ様と変異体の戦いです。その結果がそのまま勝敗に繋がります。人間は、神々の戦いにすべてを委ねるしかありません。マエマエ様の肉の壁となるため、また変異体の肉の壁となる同胞を排除するために、我々は戦うのです。梁神さんと兵士の皆さんは…我々に組して戦って頂きます。それしか彼らが無事に故郷に、こちらに帰る手立てはありません。我々が敗れれば、彼らは一生異世界に残る事になります。もしくは死ぬでしょうね」
「肉の壁って… 変異体はそんな戦い方を仕掛けてくるのですか?」
「変異体を狂信的といえる程に支持する者が、少なからずいます。戦争終結の果てに主権を握るつもりでいるのでしょう。何も残らないのに」
「メ…マエマエ様による統治を否定しているくせに、変異体に従っているのですか? 本末転倒じゃないか」
「主義などどうでもいいのですよ。富と権力を得るための道具にしているだけです」
なんてこった…。 こっちの世界と何も変わらないじゃないか。
「兵士も、クゥクゥの皆さんも行くことはないでしょう。僕らだけで、マエマエ様だけで変異体を倒せばすむ話じゃないですか」
「あなた方に殺せますか? 変異体を守る人間を」
僕はすでに百人以上を殺して…
「何百、何千、何万…それ以上を殺して、それでも負けるかも知れないのです。それをご理解されていますか?」
千… 万…
「その覚悟です!」
小恋ちゃん?
「だって、変異体に味方する人たちなんでしょう? 欲に駆られて罪もない多くの人を、同胞を殺してきたんでしょう? 逆に殺されたって、文句言えないじゃない」
「時間が経ってしまって、クゥクゥ、ビチラ、その中間、どれもはっきりと善悪で分けられない状況になっているんです。 実際、治療中の彼はビチラの一員です」
えっ? 「ど、どういう事ですか?」
「簡潔に申し上げます。彼は所謂、資本主義者でした。マエマエ様による統制に反発し、知能と労働力に応じた地位階層の確立を、肯定していた種の人物です。しかし戦争を望んでいたわけじゃありません。なのに突如として始まり、全世界に広がり続けた戦いに参加せざるを得なくなり、以降、乱立したナショナリズムに翻弄され続けてきました」
「でも確か、あの人はマエマエ様を、白いマエマエ様を見て安心…笑顔になっていましたよ」
「変異体は、べつに反乱者たちの味方をしているわけではない。ヤツの側に付いている人間は、用が済めば皆殺しにされるだろう」
いつの間にか、僕らの背後に移動していたメェメェが言った。
「用って…」
「ヤツは単に戦争を引き起こし、人間を減らし、仲間を、他のマエマエを倒している」
「なんのために? 変異体はいったい、なにがやりたいのですか」
「たぶん、ただ否定しているだけだ」
「否定?」
「マエマエがこれまで作ってきた世界を、秩序を、人間を否定している。失敗作だと思っている」
「そんな… 自分たちで作っておいて…」
「彼は…マエマエ様を見た時に、救われると思ったそうです。言葉通り命を救われるか、もしくは奪われるかのどちらかだろうと。 いずれにせよ、これ以上飢えに苦しむ事はない、そう思って安心したのです。もはや主義など関係ありません」
………
「そんな…」 小恋ちゃんが不安そうに言った。
「じゃあ、敵にも戦争なんかしたくないっていう人が、たくさんいるという意味ですか?」
「そうです」
「やめればいいじゃないですか! みんな武器を捨てて、しばらくどこかに隠れていてくれればいいんですよ。わたし達が変異体を倒すまで、邪魔にならないように!」
「小恋ちゃん、そう簡単にはいかないよ」と、優しく言ったが…不要な言葉だった。
「わかってますよ!」彼女はキレ気味に返した。
「戦争ってそういうものだと…わかっていますが! でも、敵を悪と決めつけられなければ、戦えないじゃないですか、殺せないじゃないですか!」
「小恋ちゃん…」
サドルが両目を閉じて穏やかに、しかし力強く「だからといって、事を単純化してはいけません」と言った。目を開けて、この場にいる全員に視線を投げかけた。右から左へ…ひとりずつ、そして、僕と小恋ちゃんを見つめる。
「マエマエ様の力で以てすれば、人間を掃討する事はたやすい。もしもあなた方が敵を殺すことを厭わなければ、あとはマエマエ様と変異体の戦いだけになります。しかし、さっきも申し上げました通り、多くの人間はもう主義の違いで戦っているのではありません。これ以上殺し合う意味は、とうになくなっているのです。ならば、可能な限り命を救うべきです。敵も味方もないのです」
「でも、いったいどうやって助ければ。 彼らは命がけで攻撃をしかけてくるし… 殺さないよう手加減するにしても、限界があるんじゃないですか?」
あんな貧相な武器でメェメェに向かってくる奴らだぞ。もはや正常じゃないんだ。
「無理だな」と、メェメェが冷たく言い放った。
「変異体は敵味方お構いなしで、しかもわざと人間がいる場所でしかけてくる。こちらが周りを気にして加減等していたら、負けるのは必至だ」
「ですから、我々がその役割を担うのです」
「え? どういう事ですか?」
「同胞たちの相手は私たちが致します。彼らを変異体から遠ざけ、制圧し、そして助けます」
「たった50人足らずで?」
「もちろんマエマエ様の力をお借りします。そして、各自の主導権を一時譲渡して頂きます」
「主導権を譲渡?」
「分身体のお力を個別に、自由に使わせていただく、という意味です」
「そんな事ができるんですか?」
「今のところ、私とニアだけが持つ能力だ。その情報はこの世界に、この島に隠されていた」
そうか、昼間に兵士たちと戦った時も、彼らは分身体の力を使いこなしていた。つまり、ずっと訓練していたんだ。なるべく殺さずに、制圧する戦い方を…。
「でも、数が違いすぎるんじゃ…」
「短期決戦が前提です。何千、何万もの相手をするのは不可能です。転移した後、可能な限り速やかに態勢を整え、大勢が来る前に戦いを終結させます。マエマエ様は変異体との戦いに集中して頂きます。本体はおろか、分身体も我々を攻撃する余裕がなくなるほどに」
「でも、すぐに変異体を見つけられるかどうか…」
「ヤツの方から来る」
メェメェの度々の言葉に、さすがにもうクゥクゥも驚いていない。
「あの時も追いかけて来ただろう。ヤツは待っている。きっと転移を察知したらすぐに来る。今度は本体も一緒にな」
「どうしてそう思うんです?」
「ヤツもわかっている。マエマエを倒せるのはマエマエだけだ。先日の転移の時に、お前たちの事を知った。危惧しているはずだ」
「なんだか…うまくいくイメージがわきません」
「お前たちの命は保障する。中にいる限り、絶対に死なせはしない」
「そんな… 僕らだけ助かったって、それじゃあ意味がないですよ」
「響輝さん!」
小恋ちゃんが僕の顔をまっすぐ見つめた。
「必ずうまくいきます! 全員無事に、一緒に島に帰ってこられますよ!」
明るい茶髪と瞳が、黄金の光を反射してキラキラと輝いている。
「う… うん」
勇ましいな。過去に一度失敗して落ち込んだ経験があっても、彼女は本質的に前向きな性格なのだろう。 でも僕は大きな失敗を恐れて、小さな失敗を繰り返してきたような男だ。悲観的なイメージが頭を覆う。いきなり異世界に連れてこられた兵士たちは錯乱し、クゥクゥを攻撃してしまうんじゃないだろうか。変異体の攻撃を僕らは抑えきれず、クゥクゥも兵士も虐殺されてしまうんじゃないだろうか。それに脅え、逆上した僕は、また何百人も、何千人も異世界人を殺してしまうんじゃないだろうか。
上からの光が一部遮られ、僕の顔だけが薄く陰った。見上げると、いつの間にかメェメェ本体…ニアが僕の頭上を浮遊していた。彼女(ニーナさんがお婆ちゃんと言っていたから)の弱く光るクリーム色の両目を、僕は初めて見た。
もしも負けたら… そう言葉にして問う事ができない。 全員がわかっているはずだ。負けたら終わり…クゥクゥと兵士は全員殺されて、僕と小恋ちゃんは、メェメェが言う通り命だけは助けられたとしても、二度とこっちに戻れなくなるだろう。
僕はサドルにひとつ質問した。 「異世界の方には、ワームホールの入口はないんですか?」
「ありますが、地上にあったものはすべて戦争で、またクゥクゥ自らで破壊したため、今は使えません」
地上?
「じゃあ、あっちからはどうやって帰るんですか? 以前は分身体が穴を保ってくれていたようですが、今度もまた?」
「いえ、規模が違い過ぎます。それは無理でしょう」
「じゃあどうやって?」
「変異体を倒せたならば、時間はかかりますが、復旧する事は可能です。また、……にあるものが使えます」
「え? どこ?」
「そうですね… 聖地とでも訳しましょうか。まだ戦争に侵されていない場所があるのです。そこは空にあり、ご健在のマエマエ様と、数万のクゥクゥが暮らしています」
「空? まだ他にもマエマエ様がいるんですか?」
「ええ」
…すべて説明してもらうには、時間が足りなそうだ。
「その…空にいるマエマエ様たちは、 戦争に、変異体に対して何もしていないんでしょうか?」
「訳しました通り、そこは聖地なのです。すべての歴史と知識、技術が保管されている、何よりも大切な場所なのです。何があっても守り通さなければなりません」
やはりまだ複数いるのか…。
「で、でもその、他が、地上が戦争になってるっていうのに… 人がいっぱい死んでるっていうのに…」
「そこは…ご理解ください」
歯切れが悪い。…サドル自身、なにか思うところがあるのだろう。
「では聖地が占領されない限り、敵がワームホールを使ってこっちに、ニアにやって来ることはない、という事ですか」
「そうです、そしていくら変異体でも、それは不可能と思われます」
良かった。 僕はザッサとクルミンの顔を見た。 彼らも…改めて安堵したようだ。 最悪の場合でも、カンペンやオロ達は島で、平和に暮らせるんだ。
その後は梁神と兵士100~200人を巻き添えに行う、異世界集団転移作戦についての説明が行われた。とは言っても、ほとんどはメェメェ頼みのもので、僕の役割と言えば、ただ覚悟を決めておくだけだ。もっとも困難と思われるのは、カンペンやオロ…当初参戦する予定だった若いクゥクゥ数名をこっちに残す事だ。明日の正午、梁神らと対峙する事はクゥクゥ全員どころか、島にいる全員が知っている事だ。彼女らを、特にメェメェの乗り手であるカンペンをその場に来させないようにする理由は見つからない。 無理やり拘束しようとして、もしも混乱が起きてしまうと、それが梁神らに伝わる危険性もある。
他はいざ知らず、あの2人は絶対に残る事を固辞するだろう。小恋ちゃんとメェメェの乗り手を交代するなんて、カンペンは夢にも思っていない。しかし、乗り手を決める主導権はあくまでもメェメェにある。小恋ちゃんが代わりに乗ると決めている限り、どちらを乗せるかはメェメェ次第なのだ。
あの巨大なブラックホールに、半ば飲み込まれるように転移するわけだが、あの灯台の時のような混乱した状況下で、果たして転移する者、させる者と、させない者を正確に分ける事なんてできるのか? その点についてもまた、メェメェと分身体たちにほぼ丸投げする事になる。小メェメェや極小メェメェがカンペン達を強制的に退避させる、たぶん逃げようとする梁神や兵士たちを、動けないよう抑えつける、という方法になる。
そんなふうに簡単にいくだろうか。転移する簾藤メェメェと小恋メェメェは、転移するクゥクゥや兵士たちの保護で、ニアはワームホールを安定させる事で手一杯になるんじゃないだろうか?
僕の不安を察知したメェメェが声に出して、あちこちを浮遊している分身体に語りかけた。
「この島に残るなら、サポートと後の事を頼みたい。ニーナとニアだけでは心許ない」
雲妻メェメェと幸塚メェメェの分身体に向けて言ったのだ。 彼らがこの頼みを聞いてくれたならば…心配はかなり減る。
会議が終わった。数々の不安要素を残したままだが、これ以上時間をかけると、僕と小恋ちゃんが所在不明になっている事に気づかれて、梁神たちに余計な疑惑を持たれてしまう。
来た時と同様に、僕と小恋ちゃんはメェメェの中に乗せてもらって帰途に就いた。2人とも疲れ切っていたせいもあるが、それほど会話はなかった。小恋ちゃんはとにかく前向きな言葉を言って、自分と僕を奮い立たせようとしていた。僕は彼女に調子を合わせて、せいぜい ‟明日から部活の地区予選が始まる” くらいの緊張を演じていた。
当然、内心ではそんなお気楽なわけがない。明日…多くの人間が死ぬかもしれない。異世界の戦争で、変異体との戦いで敗れて…
もしくは転移中に前回とは違う異変があってワームホールに取り残されたり、別の異世界や異次元に飛ばされてしまったり…
または転移する前に兵士たちとの間で争いが起きて…
もしもなにもかもうまくいって、変異体を倒せたとしても、その時に成長を遂げた簾藤メェメェが完全に変異体に変わってしまって、僕の頭がおかしくなって、クゥクゥや小恋メェメェを殺しちゃうなんて事になったら…
いずれにせよ、自分も含めて多くの命がかかわる、大変な事が起きてしまうのだ。そして僕が、僕みたいな平凡な男が、その中心に近い位置に立っているんだ。
…もう逃げられない。もしもここで逃げてしまうと、僕はもうこの先自分を許せなくなる。左遷のショックなんか比較にならないくらい程にメンタルをやられて、鬱を発症し、自死を選択するまで追い込まれるかもしれない。 もう小恋ちゃんを、カンペンを失望させるのは絶対に嫌だ。 雲妻、綾里さん、珠ちゃん、クゥクゥ、島のみんな…梁神や兵士たちにも、軽蔑されたくない。
だが…怖い。 うんざりしていた仕事や人間関係、だらだらと過ごすだけの怠惰な休日、ろくに会いもしなくなっていた両親や友人達から離れてしまう事が、もの凄く怖い。
メェメェは小恋ちゃんを先に家に送った。彼女は明日川邸を見張る兵士に気づかれないよう2階の窓を開けて、さっと自室に飛び渡った。振り返って僕とメェメェに微笑んで手を振った後、すぐに窓とカーテンを閉めた。
僕はメェメェの透明シートに座った。小恋ちゃんの体型に合わせていたのだろう、狭かったが、ぐにゃぐにゃと動いて、やがて僕の体に合わせてくれた。そして…ニアファンタジーホテルまで、わざとゆっくり移動した数分の間に、僕はメェメェと会話した。
それは、ただでさえ不安だらけで混沌としていた僕の脳みそを、さらにぐちゃぐちゃにかき混ぜる内容だった。
メェメェはクゥクゥを愛している。中でも、このニアで生活しているサドルやカンペン達を気に入っているようだ。彼らを守るためなら、わが身をかけるほどの覚悟らしい。そして二朱島と、一部(クゥクゥを敵視する奴ら=輩の漁師たちなど)を除く島民の事も気に入っているらしい。 クゥクゥほどではないが、愛すべき、守るべき存在と見なしている。比較して、僕や雲妻、幸塚親子にはそれほど親しみを覚えていないが、これまでの経緯から大切な協力者という認識らしい。まあ、嫌いじゃないという程度みたいだ。梁神や兵士たちは好かん、の一言で評した。
つまり彼の…おそらく3兄弟やニアも含めたメェメェ達の価値判断はこうだ。
・最優先=クゥクゥ(中でもカンペンやオロら、若い人)
・優先=島民(小恋ちゃんや町長ら、クゥクゥに好意的な島民)
・普通=観光客(簾藤、雲妻、幸塚)、クゥクゥに反抗的な島民(曽野上一派)
・どうでもいい=梁神とその配下(兵士たち)
…そういう事なのだ。
僕はスノードームのように細かい光を散らばせている球形のコントローラーに、左右とも手を軽く乗せた。操作させてくれると思わなかったが、全方位だったスクリーンが細分化された。100ほどあるマルチスクリーンの内のひとつに、僕は彼の姿を見つけた。
とうにニーナさんのショウは終わっていて、夜空には月と星以外に見るものがなくなっている。だが彼はホテルの近くにある海岸に、珠ちゃんと僕がメェメェと初めて出会った砂浜にいた。
僕はメェメェに、彼が立って海を眺めている位置から200メートルほど離れた砂浜に下ろしてもらった。透明で、かつ音もなく着地するメェメェに、彼は気づかなかった。だが、彼を護衛する分身体は気づいているだろう。
逃げられない。逃げてはならない。…逃げちゃダメだ、と念じるように繰り返す、あのアニメの主人公を思い出した。その後も大概逃げまくっていたと思うけれど、結局は最後まで乗り続けた。僕は彼の倍以上の年齢だ。まだ大して痛い目にもあっていないくせに、怖がってばかりでは彼に申し訳ない。
ゆっくり砂浜を歩く僕の左手に、何かが触れた。 腕を伝わって、低い男の声が頭の中で鳴った。
‟ どうするつもりだ? “
‟ 話を聞いたでしょう? とても僕ひとりで、明日の正午まで胸にしまっておく事はできません。 このままじゃあ、今夜眠れそうにない “
‟ 情けないことを言うな、勝ちゃあいいんだ “
‟ 僕は悲観主義者なんですよ、これはもう変えられない。でも、もう逃げはしません。そのために勝つ確率をあげる、最大限の努力をします。 つまり、味方を増やすんです “
‟ 全部話すつもりか? 油断ならないヤツだと、わかっているだろう? “
‟ わかっています。 でもそれ以上に、彼がいいヤツだという事もわかっています。
僕の…友人ですから “
次回
第38話「最強」
は
2月17日投稿予定です
残り5話…の予定です




