第28話「雲立 Part 2」
すみません。投稿遅れました
頭の後ろに手を組んで、地面に伏せさせられているというのに、さらに ‶抵抗するな“ と言うのはどういう了見なのだろうか。 まったく、僕はどれほど低い波であろうと流されてゆく男なんだぞ、抵抗などするわけないだろうが…と心の中で自分を皮肉った。ほんの数日前ならば、突然の暴力に平静でいられるはずがないのだが、二朱島での数々の経験が神経を太らせてくれたのだろうか、僕は異常なプレッシャーに、そしてまったく自分の思い通りに進まない展開に、かなり慣れてしまっていた。
「あ~あ~」と、(自身に)呆れかえったような声をあげた僕の反応は、さぞ奇妙に思えただろう。
「名前を言え」と背の上に片膝を乗せた男から問われ、ふてくされ気味だが素直に
「簾藤です」と答えた。
「立て」
「じゃあどいて」
強気だったのは、胸ポケットに忍ばせていた点棒メェメェの存在のおかげもあったのだが、この時は特に反応してくれなかった。 あれ? たしか警護してくれてんじゃなかった? もしかして寝てる?
両手を頭の上に乗せたまま周囲を見ると、僕を拘束した迷彩の軍服を着た男の他にも、20名ばかりの兵隊が暗がりの中に散らばっていた。迷彩の他、黒い軍服と同じ色のキャップ、防弾ベストに身を包んだものがほとんどだが、5~6名スーツを着たものもいる。 軍服の中には4人程度、女性もいた。
それまでちっとも気配を感じていなかった自分を呪った。
軍服は全員武器を携行している。僕を拘束した男は自動式の拳銃だが、その他には短機関銃や小銃を手にしている者もいた。
「簾藤響輝か?」銃口を僕から外しながら、迷彩服の男が言った。
「そうです」
「身分証を見せろ」
「免許証は…鞄の中です。車の中」
「間違いないっす」と、迷彩を着た女兵士が言った。
こいつら…僕を知っている? 島の人間やクゥクゥではないだろうから、つまり…
「あんた達、もしかして雲妻さんの…」
「質問はなしだ。おとなしくしていれば危害は加えない」
「雲妻さんに会わせてください。船に乗っているんですか?」
「質問はなし。しばらくの間、拘束させてもらう」
「いや、ことわります」
(もうこれ以上はどこかへ流されていってる暇はない) 僕は頭から手を降ろした。再度男から銃口を向けられたが、僕は怯まなかった。 左胸に温度を感じていた…おそらく、この状況はきちんと伝わっている。
「抵抗すると痛い目にあうだけだ」
「だいじょうぶ。 いや、その… もしも雲妻さんから情報が伝わっているならば、僕に危害を加えようとすると、何が起きるかわからないんじゃないですか?」
「…何が起きるんだ?」
「実は僕にもわかりませんが、多分、皆さんは多少の被害を被ると思います。反して僕は無傷で終わるかと…」
ヒュー、と口笛が響いた。さっき喋った女兵士が鳴らしたようだ。
「カッケー!」と続けたのは別の兵士だが、それもまた女の声だった。
拳銃を腰のホルスターにしまった男の兵士は帽子を脱いで、僕を睨むために近寄った。30半ばくらいだろうか、鍛えられている事が顔の筋肉にも表れている。素手の殴り合いでも、笹倉といい勝負をしそうな面構えだ。
「少し待て」
そう言って、男は下がっていった。代わりに口笛を吹いた女兵士が僕に近づき、小銃の銃口を向けた。にやにやしている…ずいぶん若いな。
男は自衛隊が持つような携帯無線機を手にしていた。 わずかに話し声が聞こえる…どうやら指示を仰いでいるようだ。 ‶了解しました″ と通話を終えると、カツカツと威嚇するような靴音を鳴らしながら戻ってきた。
「いいだろう、ついてこい。 ただし不穏な動きを見せたら、こっちは死ぬ覚悟で攻撃するからな」
「…わかりました」
男が先頭を歩き、すぐ後ろを4人の兵士が続いた。僕はその後ろを兵士に囲まれながら、急かされるように早歩きで進んだ。車両甲板から出て狭い階段をかけ上がり、廊下を進むうちに、兵隊ははじめから決めていたかのように速やかに分かれて行った。彼らの動きは訓練されたものである事に違いない。おそらく各部を占拠するのだろう。
船内はあまりに人口密度が低すぎたおかげで、道中で他の乗船者とばったり出くわす事なく、余計な暴力は生じなかった。
しかし…まさか他の観光客が島を訪れる同日に、フィクサーが動くとは思っていなかった。これは雲妻から情報が届いた事による電撃作戦なのだろうか。それともずっと前から計画されていた事なのだろうのか? 今日フィクサーの配下達が観光客に紛れて潜入し、島の秘密を探り、資源を奪う、もしくは占領するつもりなのか。ならば雲妻は尖兵という事か。しかしメェメェが…いくら雲妻を相棒に選んだとしても、島の資源を狙う者に協力するとは思えない。 どういう思惑があるのか… メェメェも、雲妻も。
5日前に僕が使わせてもらった個室やドミトリーが並ぶ通路を通り抜けて、最上階の5デッキにあがる広い階段まで来た時、僕を取り囲む兵隊は8名になっていた。一旦止まって配置につくと、それぞれが手にする武器を確かめた。
「君たちは、自衛隊なんですか?」と、傍にいる(口笛の)女兵士に尋ねた。
「う~ん、そのつもりだったけれど、いつの間にかなんか変な、独立部隊に入れられちゃってたみたいだわ」
彼女はあっけらかんと言って、語尾に照れたのか、それとも威嚇したつもりなのか判別できない、‶へっ” という短い笑い声を付け足した。
「あたし達は不良軍人だからね。たぶん違法なんじゃないかな?」
もう一人の女兵士がわざわざ近寄ってきて、嬉しそうに参加した。
こっちもずいぶん若いな…。
「あたし達の事、わかんない?」と後から来た方が僕にたずねた。
「え?」
2人はほぼ同時にキャップを脱いだ。ともに(キャップを被っていたせいでかなり乱れていた)黒のボブカットだが、それぞれに目立つ色合いの髪が部分的に混ざっていた。…ピンクとブルー
「え、ええー!、え~ ええ~」
僕のしつこい感嘆は、(階段は上階のフロアに直接つながっていたから)階上に届いていただろう。
「何をしている!」と、最初に僕を拘束した(どうやら部隊リーダーらしき)男が怒鳴った。…こいつの声も届いたろうな。
「怒られちった…」と言って、ピンクメッシュの女兵士が舌先を出した。
青メッシュが口笛だ。共に雰囲気がよく似た、けっこうかわいらしい顔をしているが、青はやや目つきが悪く、口調が気怠い感じだ。ピンクは以前に会った時と比べてずっと愛想が良い印象なのだが…こっちが本来の性格なのか?
「…雲妻の仲間だったのか」
「はあ~? やめろ~」と、青メッシュがうなだれた。
「あんなアニオタと一緒にすんな」
「こいつはミリオタだから」 ピンクがフォロー(?)した。
結局オタクじゃないか…。
「いい加減にしろ! 行くぞ!」 リーダーはマジギレしそうだった。
「オラ行け」
青メッシュにかったるそうにせっつかれて、僕はなぜかリーダーの次に突入させられた。とは言っても、5デッキの状況はすでに彼らの援護を要する状況ではなかった。拳銃を握ったスーツ姿の5人の男たちが、フロアの中心に集まった…おそらく60か70名余りの乗客、つまり町長や曽野上を含む二朱島に帰る島民に加えて、新規観光客のほとんどを制圧していて、なんら抵抗する気配を見せていない様子だった(皆ぼうっと立ち尽くしていたり、ソファに腰掛けていたりした)。
拳銃を構えて近づくリーダーをはじめ、8名の隊員は少し拍子抜けした感じで、ピンクとブルーは声には出していないが ‶だっせ…” と自嘲するかのような苦笑いをしていた。
「おい! 騒がしくするな」
船内で一番大きくて上等な特別席のソファに、明日川町長と隣合わせに座っている中年の男が、大声で言った。
「銃なんて下ろせ、皆さんに誤解を与えちゃいかん」
中年男から視線を向けられた黒いスーツを着た大柄な男が、拳銃を上着で隠したショルダーホルスターにしまい、他の者にも従うよう首を縦に振って合図した。他のスーツの男たちも拳銃をしまい、兵士たちは皆銃口を下げた。
「明日川さん、少々荒っぽい真似をして申し訳なかった。どうか気を悪くしないでくれ」
「少々とは言い兼ねるんじゃないですか?」と、町長が厳しい表情で答えた。
中年男はグレーのスーツを着ていた。ノーネクタイで、シャツのボタンは上の2つを外している。地味に見えるが、おそらく町長が着ているものと同じような高級スーツだろう。革靴はいかにも欧州ブランドって感じのデザインで、おそらく10~20万円ほどしそうだ。身長は170センチくらいで、少し太っているが、年相応であろう(50代半ばと思える)。 額はやや広いが、白髪交じりの頭髪は少ないわけではない。ヨロイの部分にゴールドの装飾が付いたライトスモークのサングラスが目の形を隠していたが、その下の大きな鼻と分厚い唇、少したるんだ顎がイメージを補足した。(美中年ではないだろうというイメージだ)
拳銃を手にしていた5人の男は、おそらく中年男の側近であり、ボディガードなのだろう。紺や黒の地味なスーツを着ていて、一様にガタイがいい。1人だけネクタイが極端に曲がっていて、左頬に紫色の痣をつくり、唇を切っている者がいた。そして同じように顔の一部を腫らした笹倉が、少し離れたソファ席に座っていて、細かい氷を一杯に詰めたビニール袋を顔に当てていた。曽野上と、たしか木林という男が床に膝をついて手当てしていたようだ。
曽野上は立ち上がって、町長たちの方へ向かった。その早い足取りがすでに抗議を示していた。
「梁神さん、うちのもんをケガさせて、ひどいじゃないですか!」
「襲いかかってきたのはそっちじゃないか」
「急に銃なんか向けられたら、とっさに攻撃すんのは無理ないだに。ありゃあ島のもんを守ろうとしたんだ!」
「うん… ま、こっちも殴られてんだから、ケンカ両成敗って事で水に流してくれ」
「暴力はなしって、約束じゃったろうが?」
その発言を町長は逃さなかった。
「ふん、やっぱりお前が一枚噛んどったか」
町長は腕を組んで、曽野上を睨みつけた。
「いや、違う…」
曽野上が手引きした?
「違うわけなかろう。うかつなところはいつまでも変わらんのう、だもんでわれに島は任せられんのじゃ」
「…こんままじゃ、いずれ同じことになるんだに。なぜわからん?」
「結局、早めとるだけじゃないか!」
「わ、わしは! …平和的に、ソフトランディングさせようとしていたんじゃ。お互いの利益を確保して、関係を恒久的にするよう…」
「ああ、もう!」
梁神という名の男が呆れかえるように言った。
「やめろ、みっともない!」
3人の中で最も年下に見えるが、一番偉そうだ。 …フィクサーというには若い気がする。手下だろうか。
梁神は手招きして曽野上に顔を近づけさせ、明日川町長を加えて3人で内緒話をするように声を落とした。5~6メートル程度の距離だったが、その内容は聞こえなかった。
「とにかくこの場を治めよう。あとは島に着くまでにゆっくり相談しようじゃないか」
梁神は立ち上がって、この場を自分が仕切る事を宣言するような態度で言った。
「観光客の皆さま、お騒がせしました。わたし達は政府の者です。皆さんがこの後訪れる予定でした二朱島には、実は少々税法上の問題がございまして、緊急の立入検査をすることになりました。大変申し訳ございませんが、ツアーは中止とさせて頂きます」
場は多少ざわめいたが、梁神の「もちろん旅行代金は慰謝料を加えて返金させて頂きます」という言葉の援助を受けて、皆階下への誘導に素直に従った。兵隊が税調査…そんなバカな話があるはずないのだが、銃口を向けられる恐怖に、旅行中止への抵抗が勝るはずなかったのだろう。
座席エリアに残ったのは梁神の配下たち…スーツの5名と、観光客を連れて行った男性兵士2名を除いた迷彩服の6名、僕と、そして二朱島の住民たち…その中には、3人の男性クゥクゥも含まれていた。
そのクゥクゥの1人が前に出て、梁神に向かって強い口調で言った。
「わたし達を無視して話を進められても困ります。さっき申し上げた通り、すぐに積み荷を検査させて頂きます。そして完了するまでは停船する事になります」
梁神はため息をついて、力なく返した。
「だから、君がそういう事を言い出したから、こんな騒ぎになっとるんだろう」
「これは決まりです。事前の報告よりはるかに多くの積み荷が載せられています。すべて確認させて頂きます」
「積み荷って言うのは、彼らだよ」
梁神はソファのひじ掛けの上に腰掛けて、右腕を方々に振って兵士たちを指した。
「あとは彼らの装備品、その他諸々だよ」
「わかりました。ではただちに船を戻します。もしくは皆さん海に飛び込んで帰ってもらいます。もちろん荷物もすべて一緒に」 男性クゥクゥは平坦な調子で言った。
梁神は少し彼を見下すように笑った。
「そんなのに従うはずないでしょう。状況をよく考えなさい」
「できないとお思いですか?」と、クゥクゥは口調を変えない。
容貌は男とはっきりわかるが、冷静かつ無機質な対応の仕方は、サドルとよく似ている。彼とは…他の2人も、少なくとも会話した事はない。共同宿舎では見かけなかったと思う。(彼らは皆美形だが、それでもろくに書き分けていないアニメや漫画のキャラクターみたいに同じ顔というわけではない) とすると、普段はオロ達と同じ宿舎で暮らしている人たちだろうか。
「うん、 君たちには不思議な力があるらしいな。鉄砲の弾なんぞ、跳ね返してしまうと聞いた」 梁神は彼らを取り囲む兵士たちに向けて言った。
ずいぶん余裕ぶった態度だ。…好きじゃない。
「二朱島の皆さんもその力に守られているらしい。ずいぶん用心深い事だ。 では、さっき降りて行った観光客の皆さんはどうなのかな? それと船を動かしている乗組員は? 彼らは島民じゃないだろう?」
「…どういう意味ですか?」
冷淡さに、少し怒りが混じったようだ。
「兵士はここにいる者だけじゃないぞ。この船はすでに各所を占拠している。そして周辺の海にもいる。もちろん普通の船じゃない。出港の前からずっと監視しているんだよ」
「…観光客の方々の事は、わたし達が関知する事ではございません」
「そう言われてしまうと、どうしようもないんだがな…」
そう言いながらも、梁神は余裕の表情を崩さなかった。
「だから、島に着くまではおとなしくしているつもりだったんだ。 ああ、誤解しないでくれ、君たちと事を構えるつもりはないんだ。ぜひとも平和的に、話し合いで進めたいと思っている。もうわかっているだろうが、わたし達は少し島の事を調べさせてもらいたいだけなんだ。 そして、より効率的に、効果的に資源を活用する方法を提案したいと思っている。住民だけで運営していくには余りにも勿体ないと思うんだよ。大企業や国の機関のバックアップを受けて、多くの人々に利益を供与し、島だけじゃなく、日本の経済を発展させる。もちろん環境保護にも十分に配慮し、巨額の費用をかけるつもりだ。君たちクゥクゥの利益、そして高い地位の確立も保証する」
「はっ、よく言う」 町長がすごく悪そうな笑みを浮かべて言った。
「明日川さん、あんたもよくわかっているはずだろう。どこかのタイミングで大きな力を取り込んで、守りを強固なものにしておかないと、いずれすべて奪われてしまうって事を」
「それで、どうせ奪われるならあんたに差し出せって言うのか?」
「また人聞きの悪い事を…。 協力しようと言っているんだ。 あんたの手には余るだろうが」
「そんな話をしたいならば、あんたじゃなくて親父さんを連れて来い。もうずいぶん長い間顔を合わせていないが、本当はとっくに死んでいるんじゃないのか?」
「一介の町長が、あまり過ぎた口を聞くな。 もちろん父は健在だ。だがもう高齢である事は知っての通りだ。今はもう、事業の多くはわたしに一任されている」
「ずっと陰に隠れていたボンボンに何がわかる? 親父さんとは色々と約束を交わしていたんじゃ。こんな真似をするならもう魚は卸さんぞ。誰が老いぼれた体を生き長らえさせてやってると思っている」
「キロメだろ? 最近紛い物を混ぜているだろう。 わかっているんだぞ。…まったく、強欲なジジイだ!」
町長が曽野上を睨みつけると、彼は気まずい様子で顔を背けた。紛い物とは養殖物の事か…どっちもどっちだな。
「もう卸してもらわなくても結構だ。自分でやる事にする」
「いいえ、 もうどなたにも勝手な事はさせません。 ニアの資源はすべてクゥクゥが管理致します。あなた方には金輪際、島との関係を断って頂きます」
他の2人のクゥクゥも前に出た。彼らにも極小メェメェが護衛に付いているのだろう。僕と同じように胸ポケットにしまっているのだろうか。 (もしやいつも作業服を着ているのは、それが理由なのかな。あれならいくつも隠し持つことができる、きっとある程度の…この場にいる兵士と武器じゃ相手にならないくらいの攻撃能力も備えているのだろう) おそらく町長もペンダントにして身に付けている。住民には、1人に1つずつとはいかないかも知れないが、この場の全員を守れるだけの数はいると思われる。
梁神が右腕を、肘を曲げた状態で軽く挙げた。
「この手を降ろせば、観光客と船員の皆さんは行方不明になるだろう」
「…私たちには関係ありません」
「ならば交渉決裂か?」
「なんの罪もない一般国民を殺して、日本のため等とぬかすか?」と町長が訴えた。
「あんたも曽野上も島の事しか、自分の事しか考えていないだろう?」
‟やめろ!“ と声を出すべきか? 主人公ならば前に飛び出すべきだろうか。 いや、ちょっと待てよ。 胸ポケットは…熱い。きっとメェメェはスタンバイしてくれている。でも一応、ちゃんと対応してくれるのか最終確認をしておくべきじゃないか? でなければ、もしもすぐに取り押さえられて、いっさい反撃なしですみやかに退場、なんて事になったら…すごく格好悪いぞ。敵役たちとの初対面シーンで ‟あいつ何?” 状態になってしまうじゃないか。 しかし、この場で ‟ちょっと電話かけてきてもいいですか?“ と言うわけにもいかないし…というか、許可してもらえないだろう。どうしよう?
「あなた方はずいぶん人道主義者と聞いたが…。この情報は間違っているか?」
梁神の不敵な態度は変わらない。
「…私たちとは、違う世界の人間です」
クゥクゥの態度には、明らかに苦悶が現われていた。
と、とにかく間に入らないと…1歩前に足を踏み出したその時、
「やめましょう!」
それは拡声器かマイクとスピーカーを通したような音質で、デッキを取り囲むすべての窓ガラスを少し振動させるほどの大きな声だった。5デッキ内で発されたものではない、外からのものだ。
「失礼、少し大きすぎましたかね。マエマエ様、どうかもう少し音量をお下げください」
これは…雲妻の声?
「皆さんこちらです。進行方向左の窓の外をご覧ください」
皆が立って、声がする方向…左舷側の窓際に駆け寄っていった。
150センチ四方くらいの、角が丸い正方形の窓がたくさん並んでいる。窓に向けてソファやカウチが設置されているが、誰も腰掛けず、島民もクゥクゥも、兵士たちも一緒くたに並んで窓に張り付くような状態になった。
ふと右を見ると、リーダーが無線機で「乗客に窓の外を見せるな」と話していた。
僕はクゥクゥの(梁神と話していた人とは別の)1人と隣り合った。どうやら僕に気づいていない。
窓の外側には雨粒がたくさんついていた。海と空しかない景色だが、上下どちらの色も重苦しい色味に変わっていた。
共にくすんだ灰色と青色が混ざるように湾曲すると、空中にフェードインするように立体が現われた。それは5つ離れた窓際からも正面に見えているよう、つまり複数個所で生じていたのだ。ぎりぎりまで窓に顔を寄せると、それらは全て見えた。3、4、5、6…どんどん増えていって、順番に姿を現した。50センチ~1メートルほどのまっすぐの白い円柱。よく見ると30センチほどの小さいもの、つまり小メェメェもある。全部含めると、最低でも20はあった。
そして満を持して、それらの中央付近に、3メートル級の本体が現われた。見慣れているはずの島民や僕でも、その第3種接近遭遇のごとき光景に身を震わせた。新しいメェメェの急成長に、感動と恐怖を感じたのだろうか…カンペンメェメェとの違いがあるのかイマイチわからないが…。
ボリュームを調整した声がまた発せられた。
「皆さんそれぞれのお立場がある事は理解しておりますが、何卒穏便に、まずはお互い矛を収めて話し合いを致しましょう。クゥクゥの皆さんも、ここはマエマエ様に免じて、どうかよろしくお願い申し上げます」
隣のクゥクゥの両肩が、力を緩めたように少し下がった。そうか、メェメェの意思がそこに存在するとなれば、彼らは従わざるを得ない。たとえそのメェメェが最近生まれたばかりだとしても、そして何を考えているか読めないとしても…。
メェメェ本体はゆっくり近づきながら、じわじわと回転していた。真っ白いボディだからわかりにくいはずだが、僕はそのことに気づいた。上部の位置に、ほんの小さな色が付いていて、それが動いたからだ。それは…簾藤メェメェの本体腰部に付いていたものと同じような赤…紫色だったと思う。
クゥクゥはそれに気づかなかった様子だ。気づいたとしても、きっとただの汚れと思っただろう。
その色が後ろに回って、上部3分の1くらいのところを境に、頭部(?)が奥へ折れた。その内部から腰を上げて顔を見せたのは…やはり雲妻薫だった。…2日前と同じ白いワイシャツと黒のスラックス。七三の髪の毛はやや崩れているし、髭も伸びている。もしかして、あれからずっと?
「やや!」
ボリュームがうるさいくらいまで上がったのは、彼自身の声量が上がったせいだろう。
「そこにいらっしゃるのは、簾藤さんじゃないですか! いや~ずっと心配しておりました! ここで再会できるとは恐悦至極!」
雲妻メェメェ、ボリュームを落とせよ。
皆が僕に注目した。思わず窓際から後退りしたが、デッキ内の全員、さらに雲妻と、たぶんメェメェ達の視線をも、固く繋いだままだった。
「なんじゃ、お前さん居たのか?」と少し窓から離れたところにいた町長が、なんの感慨もない様子で言った。
「え、誰?」と、梁神がリーダーに尋ねた。答えを聞いて「あ~あ~」と今更思い出したような反応をした。 え? お前がここへ連れてくるように言ったんじゃないの? 何そのぞんざいな扱い。 メェメェに乗ったんだよ、最重要人物の1人じゃないの?
まだ氷を入れたビニール袋を手に持っていた笹倉が深いため息をついた。‟なんだよ、もう捕まっていたのか“ と言いたげな様子だ。悪かったな、せっかく世話を焼いてくれたのに。
曽野上まで溜息をついている。なんだ、お前にまでそんな態度をされる覚えはないぞ。
3人のクゥクゥも僕を見つめている。その表情は…どの面下げて島に戻るつもりだって意味だよね。 ごめんよ(完全に逆ギレモードになってしまっていた)
ああ、やっぱりさっき声を上げるべきだった。完全にタイミングを失してしまった。もう「やめろ!」も「雲妻に会わせてくれ!」も使えない。どちらも僕が係わらないまま叶ってしまった。
背に掌を優しくあてがわれて、後退りを止めてもらった。
「ざ~んねん」
女兵士の気怠そうな口ぶりに、なぜか少し慰められたような気持になった。
次回
第29話「ただいま混線しております」
は
9月上旬投稿予定です




