第25話「小恋襲来 Part 2」
体の方はもう回復したようだ。カリカリと音をたててクゥクゥの携帯用食料を齧っては、アップテンポで咀嚼し、見る見るうちに1つ食べつくすと、彼女はさらに皿からもうひとつ手に取った。
日本人には発音し難いその食べ物は、少し大きめのクッキーやクラッカーのような四角い板状のものだが、2枚で何かをサンドしているくらいの厚みがある。鮮やかな小麦色をしていて、香ばしくて、少し甘い香りもした。表面はわりと硬いのだが、齧って口の中に入れてしまうと唾液に反応し、次第に解けていく。中にはもちっとしたすり身のようなものが入っていて、砕いた表面が混ざり合ってじゃりじゃりする歯触りが心地よく、淡白な味は噛めば噛むほどに甘みを増していった。いつまでも咀嚼し続けていたい気持ちになるが、意識しない間に喉に流れていってしまう。
しかし、その食べ物の真価はその後にあった。付け合わせで出してくれた(すでに作ってあった)野菜のシチュー(小さめに切ったキャベツや人参、ジャガイモに知らない数種の茸と葉物をコンソメと生クリーム、数種の果汁で煮て、塩と少量のバターを加えている)を一口啜ると、動物性の油分がほとんどないというのに、異様な旨味を感じたのだ。携帯食を食する事により、交感神経と副交感神経が活性化し、唾液の分泌が促され、味覚が鋭敏になり、また胃腸の働きも活発になる…らしい。これを食した後では、たとえ塩と野菜くずだけのスープでも多少の旨味を感じるのだという。
「ほんとだ。 …うまい」
思わずそう発してしまった僕に、隣に座るカンペンは満足そうな表情を向けた。
「これには多種多量の栄養素が効率よく含まれており、わずか2枚で1日分の栄養補給が可能となります。そして保存性が高く、そのままでも2週間、真空パックにしておけば5年以上もちます。十分な食料補給が見込まれない戦場においてもその活用は…」
「食べている間は他の事に口を使わない、がクゥクゥのマナーなんでしょ?」
そう注意するように、僕の向かいに座っている彼女は言った。
「は、はい、すみません」
小恋ちゃんはすぐに本題について話そうとしたが、カンペンは "先に食事を" と言って譲らなかった。 時刻は正午をとうに過ぎていたし、クゥクゥは食事をかなり重要視している事を、小恋ちゃんも理解しているようだ。 おとなしく待って、彼女も昼食がまだだったため、カンペンの誘いに素直に応じた。しかし食事の準備をするカンペンの様子は、明らかに動揺…ビビっていた。
シチューをたいらげ、小恋ちゃんは静かにスプーンを置いた。僕もまた(まだ少し残っていたが)同じくスプーンを置いて、水を一口飲んだ。そしてカンペンも…ナプキンで口のまわりを拭き、机の上から手をおろして、覚悟を決めたように姿勢を伸ばした。
なんだ、この緊張感は…。
表情を消しているが、確かに小恋ちゃんは怒っているように見えた。アイドルのようなかわいい容姿なのに、突然拳銃を抜いて僕らを撃ち殺し、バイクに乗って去っていきそうな迫力があった。どこかにそういう要素を持っている事はうすうす感じていたが(主にカンペンと接している時に)、基本的には明るくてしっかりした、人好きのするいい娘のはずだと思うのだけれど…。
「ここ…」 静かなトーンで話し始めた小恋ちゃんを、構えすぎていたカンペンが
「はい!」と大きな声を出して遮ってしまった。
「まだ何も言ってないよ」
「は、はい…どうぞ」
ふう、とひとつため息をついてから、彼女は改めて話し始めた。
「久しぶりに来た。もう10年近く経ったかな…。カンちゃんがこっちに来て…まだ小学生だったころ、毎日一緒に登校していたね」
意外に優しい口調で始まった。
「は、はい! その節はありがとうございました」
やはり学校だったんだ。生徒数が少ないから、小学生も中学生も同じ校舎を使っていたんだろう。
「いつあっちに移転したんだっけ? わたしが大学行ってた頃だっけ?」
「はい、6年前です。老朽化が深刻になっていたので…」
「でも、その後も取り壊さずに修繕してくれたのよね。 こんなにきれいにしてくれて…。大事に使ってくれて…。 卒業生として嬉しい」
「ありがとうございます! 日本人の方々にもいっぱい協力頂きました。 わたしももう少し大人だったなら、ぜひお手伝いしたかったと思います」
「あんた…相変わらずいい子よね。 しかもまあ…こんなにきれいに育っちゃって」
「え?は? ま、またそういう事を… 煽てるのはよしてください、自分の容姿がどんなものか、きちんとわかっています」
カンペンは真っ赤になった顔を伏せて、小刻みに震わせた。
「わかってないよ。 あんた、どっからどう見ても美少女なんよ」
「そ、そんな、ば、ぶ、べ…少女だなんて」
どうして正解だけ抜かす?
「簾藤さんはどう思いますか?」
「え?」
小恋ちゃんと僕がちゃんと顔を見合わせたのは、一昨日の夜、彼女が謝罪した時以来の事だった。
「いい子でしょう?」
「え、ええ、そうですね。 ホントに…」
「わたし、この子の家庭教師をしていたんです」
「あ、はい、彼女から聞きました」
小恋ちゃんは僕から視線を逸らせて、またカンペンの方を向いた。
「島に来たばかりの頃は、同年代の子たちと比べてもちっちゃくて、細くて、お人形さんみたいに可憐で… お父さんやお母さんと離れ離れなのに、わがままを言う事もなく毎日健気に、一生懸命勉強していて…。 あの頃の姿を思い返すと、今でも涙ぐんじゃうくらいです」
「…小恋さん」と呟いたカンペンが、一足早く涙ぐんでいた。
「わたしが島を離れた後、なかなか会えなくなっちゃったけれど、そのまま真っすぐ育ってくれたみたいで、ホントに嬉しい。 妹みたいに思ってた。もちろん今も…」
「わたしだって! …本当のお姉さんのように思っています」
なんだ、やっぱり本音では仲が良いままなんだ。 良かった…僕まで泣けてくるよ。
「ホント?」
「本当です!」
「嬉しい」
「わたしもです!」
「じゃあ簾藤さんを返してもらうね」
「それはダメです!」
「なんでじゃ!」
よく見ると、小恋ちゃんは涙ぐんでなどいなかった。
「あ、う、お…お電話で、説明しました。れ…れれ、の、簾藤さんはわたし達の事を、多くの事を知ってしまわれ…」
カンペンの両目に浮かんでいた涙は、瞬時に違う種のものに変化したようだった。
「何があったかは聞きました。 不可抗力じゃない、巻き込まれただけよ!」
「た、たとえそうだとしても、それで済ませられる事態ではなくなりました」
「どうして? どうせ事情を知らない人が信じるわけないじゃない。それに、きっと簾藤さんは他所でベラベラ話したりしないよ!」
ええもちろん、 だけど…ちょっと声が大きいな。
「ももも、もうそういう問題ではなくなったのです!」
完全に怯んでいたカンペンだったが、意を決したように語気を荒げた。まあさしたる迫力はない、かわいらしいままだ…。
「簾藤さんはマエマエ様に認められたのです! これは、たいへん名誉な事なのです! だから、…だから、簾藤さんはもう私たち、クゥクゥの仲間です! 一員なのです!」
「何をバカな事言ってんの! 簾藤さんは観光に来られているの! 一般の方、本土の人なのよ! 島の、異世界の勝手な事情を押し付けていいわけないでしょう!」
「でも… でも…」
…完全に泣いている。ちょっと、これはまずい、僕までビビっている場合じゃない。
「あ、明日川さん、ちょっと落ち着こう、ね」
彼女は僕を見た…というより睨んだ。…怖い。
「何のんきな事を言ってんですか? もうとっくに船は到着していて、皆簾藤さんを待っているんです! お仕事があるんでしょう? さっさと準備してください!」
ひ~
「れ、簾藤さんは! わたし達に協力してくださると!…まだ決められたわけではございませんが、真剣に考えてくださるとおっしゃいました!」
「そら使うな!」
方言らしい(→ 嘘をつくな)
「本当です!」
彼女はまた僕を睨んだ。
「…簾藤さん、本当ですか?」
「え…まあ、その…本当です。 彼女たちの事情をいろいろ聞いたので…」
「島への移住ははっきり断られたのに、異世界の事情は検討されるのですか」
「いや、その…」
移住も前向きに考えていたんだよ。 君に電話しようとしていたんだ。 それなのに、予期しようがない事態になっちゃって…。
「…カンちゃん、簾藤さんと2人だけで話をさせて」
「だ、ダメです」
「この後、お仕事あるんでしょ? 行かないと困る人がいるんじゃない?」
「え… でも…」
お年寄りの世話は、本来は町政を司る明日川の仕事だろうに…。
「どうせマエマエ様が見張っているんでしょ? 連れて逃げるなんてできるわけないじゃない」
「それはそうですが…」
「お姉さんを信じなさい」
「…は、はい。 では、食器を片づけてから…」
カンペンは手早く食器を重ねると、それを持って室内で繋がっている隣の部屋(厨房)に入っていった。蛇口から水が勢いよく出て、食器に当たる音が聞こえた。丁寧に洗って、乾拭きしてから食器棚等にしまっている様子が窺い知れる。その間、小恋ちゃんは黙ったままだった。視線を落としたまま、僕の顔を見ようとしなかった。
机の上に置かれていたフルフェイスのヘルメットを見て、"バイク乗っているんだ" と話しかけようかと思ったのだが、下手にそんな話を出して、すぐに大して詳しくない事がばれて気まずくなるのを懸念した。今の小恋ちゃんには、最初の頃にあった愛嬌を求められない、そう思った。もしかしたら、もう二度と示してくれないのかも…。
片づけを終えたカンペンが戻ってきて、
「…それでは、これで失礼します」と、僕らに挨拶をした。
「はい、さようなら」と、小恋ちゃんが職員室にいる教師が生徒に向かって言うように返した。
「簾藤さん、それではまた後ほど…」
「うん、気をつけて」
カンペンは軽く頭を下げた後、食堂から出ていった。気のせいか、少し寂しそうに見えた。もしも小恋ちゃんがいなかったら、彼女は僕にまたお年寄りの世話を手伝うよう頼んだんじゃないだろうか…。 それほど信頼してくれるようになっていたんじゃないだろうか。
どこからか小メェメェが食堂に入ってきて、俯瞰で僕らを監視し始めた。カンペンメェメェの分身だろうか、簾藤メェメェだろうか、それともニア様か?
「響輝さん」
「は、はい」
下の名前で呼んでくれた彼女の表情からは、いつの間にか剣が消えていた。愛嬌はまだ復活していないが、真面目な、心配そうな表情で、僕をまっすぐ見つめてくれた。
「どこまでご存じなんですか? 彼女たちの事」
「その、異世界が、彼女たちの故郷が内戦状態という事は…聞きました。 クゥクゥの多くとメェメェ様がいずれ、 近いうちに帰って戦うつもりであることを。それから…」
午前にニーナさんとニアと会った事を、そして彼らの過去、歴史の概要などを教えてもらった事を伝えた。彼女のリアクションから推測すると、3人のメェメェが戦闘用としてこの島で生まれた、という事だけは知らなかったようだ。
小恋ちゃんが額と両目を右手で覆った。"なんてこと…" と言葉にはしていないが、そう聞こえた。
「明日川さんは昔から知っていたの?」
「わたしが詳しく知ったのは…島に戻ってきた後です、ほんの3年ほど前です」
大学を卒業した後か…。 それもそうか。きっと町長や彼女の両親、何人かの責任ある立場の大人たちはある程度知っていたのだろうが、未成年だった彼女には話さない事にしていたのだろう。
「あの子もみんなも、わたしにはずっと話さなかったくせに、会ったばかりの本土の人に簡単に話すなんて…」
「その…僕はメェメェ様に乗って宇宙に行ったり、それから異世界にまで行ったりしたから、きっともう隠す事なんてできないと思ったんだよ」
「ええ …大変だったみたいですね」
「そうだ! 綾里さんと珠ちゃん、雲妻さんは…」
「綾里さんと珠ちゃんは無事です。昨晩遅くに…ホテルに戻られました。その…メェメェ様と一緒に。こちらで安全に保護しています」
「良かった」 ん? でも…
「雲妻さんは?」
「…行方不明なんです。私たちも、クゥクゥも島中を探していますが」
どういう事だ? カンペンメェメェにボコボコにされていた様子だったが、まさか殺してしまったなんて事はあるはずない。彼らは重要な戦力のはずだ。 まさか彼らもあの時異世界に? …いや、もしそうならば他のメェメェ達が気づかなかったはずがない。彼らは何かで通じ合っているように思える。
とすると… 雲妻はキロメをはじめとする島の資源を狙うフィクサーのスパイだった。島の最大の謎といえるメェメェの力に触れた雲妻は、もしかしたらそのままフィクサーのもとへ行ってしまったのではないか。 いや待て、メェメェが雲妻の思うままに従うとは思えない。あくまでも主はメェメェのはずだ。 雲妻メェメェは最近生まれたばかりで、変わり者と言っていたけれど。まさか刷り込みみたいな現象が起きているんじゃないだろうな…。
「響輝さん、なにか思い当たるふしがありますか?」
「い、いや…」
そのフィクサーは明日川と関係がある人物のはずだ。まだ根拠のあやふやな疑いを話すわけにはいかない。雲妻は…あれでいい奴だ。理屈抜きで島に不利益をもたらすような真似はしない…と思う。
「心配ですね…」
「ええ …でもこれは島の問題です。響輝さんが気になさる事ではありません」
「え、でも…」
「響輝さんには本土にお仕事があります。ご家族もいらっしゃいます。それらをおいて異世界に、それも戦争に行くなどと、正気の沙汰ではありません」
言葉にして言われてみると、確かにその通りだが…。
「でも、約束しちゃったし…」
「今日帰るとおっしゃったのも確かです。こちらの方のお約束は違えてもいいと?」
「いや…」
「ごめんなさい、意地悪な言いようでした」と、彼女は頭を下げた。
「あの、 こ…小恋さん」
真剣で節度がある彼女の態度を見て、僕もまた背すじを伸ばした。
「怒ってるよね、僕の事。言ってる事とやってる事が違ってて、いい加減で、優柔不断で、まわりに流されてばかりいて… ほんと情けないよ、ごめん」
「いいえ、怒ってなんかいません」
彼女ははっきり言った。
「でも…」
自らのコンプレックスを吐露してしまいそうになったが、小恋ちゃんはそれを知ってか知らずか、首を横に振って制止した。
「一昨日の夜の事、あれは本当に私の考えが浅はかでした。あんなふうに焦ってしまって、こちら側の一方的な事情、わたしの思いばかりを皆さんにぶつけてしまって…お恥ずかしい限りです」
「いや、そんな事は…」
「響輝さんのお返事は、至極真っ当だったと思います。昨日今日知り合った者の誘いに乗せられて、ご家族、友人、お仕事、慣れ親しんだ生活、場所から離れる事を検討するなんて、できるはずがありません」
君はそんな乱暴な言いようはしなかった。時間をかけて、一旦本土に帰った後でゆっくり検討してみて欲しい、そう言っていたよ。
「今は…昨日今日知り合った事に違いはありませんが、僕は島の人々を理解しました。小恋さん達の事も、カンペンさんやサドルさん達の事も」
「…ありがとうございます。でも、響輝さんは帰らなくてはなりません」
「でも…」
「すみません、また自分の思いを一方的に話す事になってしまうと思うのですが、よろしいでしょうか?」
彼女はまっすぐ僕を見つめたまま、真面目に、誠意を示していた。やはり彼女は大人だった。頷く以外の態度を取れるはずない。
「わたしは、高校に進学した時に島を出ました。この島には高校がないので、八丈島か本土に渡るしかありません。わたしは、本土の寮制のある学校へ入学し、大学進学後は一人暮らしを始めました。
高校生の時はちょくちょく島に帰っていましたが、大学生になってからはほとんど帰らなくなりました。自分の事で一杯一杯になっちゃってて、島の事をほとんど気にかけなくなっていました。こんなに特殊な事情の故郷なのに、そんなの、お祖父ちゃんと親に任せておけばいいやって、わたしはそんなの知らないって…。それで、カンちゃんにはずいぶん寂しい思いをさせてしまっていたみたいでして…」
彼女もそう言っていたな。でも、さっきのやりとりの中の2人の言葉は、決して嘘ではなかったと思う。
「わたし、調子に乗っていたんです。高校も大学もそこそこいいところに進学できて、大した挫折を経験しなかったせいで自分を優秀だと思っちゃって、今思い返すと大した根拠も持っていなかったのに妙に自信満々で、何事にも積極的になれました。なんにもなかった島から出て、急に大都会のすぐ近くで暮らすことになったから、すっかり浮かれちゃっていたんですよね」
彼女はアイドル級といえるほどかわいらしい容姿を持っている。島でもそうだったろうが、きっと都会でも人気者になれただろう。ド田舎の孤島出身とは言え、その島の実力者の孫だから、卑屈なところもないだろう。頭が良くて、美人で、活動的で、おまけにお金持ちのお嬢さん…誰もが羨む存在。 だから僕は彼女に対して情けないコンプレックスを抱いてしまった。
「でも、ガツンとやられました。東京には、同年代でもわたしなんかより優れた人はいっぱいいました。負けん気が強かったせいで、いろいろ分不相応な事を… 大学在学中にいろいろやらかしてしまって、お祖父ちゃんや両親にすっごく迷惑をかけてしまって、かなり落ち込みました。なんとか卒業して、都心にある会社に就職したんですが、不本意だったために…今は何を偉そうに、って恥じているのですが、その…仕事に価値を見出せなくて、そんな態度だからヘマばかりして、怒られても全然反省しないでいて…そして半年もたたないうちに、仕事を投げ出した挙句に、逃げるように辞めちゃいました」
彼女は顔を伏せた。耳まで真っ赤になっている。よほど恥ずかしいのだろう。そして、なんて勇気があるのだろう。
「それからしばらくの間は、ほとんど廃人になっていました。バイトすらせず、マンションに閉じこもって遅くまでマンガとかラノベとか読んだり、配信でアニメ全話一気見したりして、スマホとPCを弄っているばかりの毎日を送っていました」
「そこまで?」
「ええ、だらしないでしょう? 化けを剥がせばそんな女なんですよ、あたしってやつは…へへ」
真下を向いていて彼女の表情は見えないが… 根っこにはわりと卑屈なところがあるんだな。
「さすがに厳しく叱責されて、あえなく島に帰ることになりました。 3年近く帰っていなかったし、同級生の友達は島を出た子も多くいて、まわりはお年寄りばっかりだったのでつまんないな~と、帰ってからもしばらく怠惰に過ごしていたのですが、そういえばカンちゃんはどうしているだろ~、というか、異世界の人やメェメェ様って、あれからどうなってるんだろ~って今更ながらに思い出しまして」
「それまで全然気にしていなかったの?」
「恥ずかしながら…」
顔をあげると、少し立ち直ったかのような、開き直ったかのような笑顔になっていた。
「それは、何ともまあ…」 結構いい性格してるな。…でも、かわいいんだよな~。
「その…クゥクゥの人達がそんなシビアな背景を持っているなんてその時はまだ知らなくて、故郷の島には異世界人が一緒に暮らしていて、メェメェ様って言うすごい、万能の神様みたいなのがいて、それでその力のおかげで島は結構裕福です、っていう認識しかなくって…」
「めちゃくちゃ特殊な環境だよ」
「それはよくわかっていたんですが、外の人には話しちゃいけない、って幼い頃からきびしく言われていましたし、どうせ話したって誰も信じないから話す気にもなれなかったし、島の人達も、まわりの友達もみんな普通にしていたし、特に…悩む事でもないのかなって思っていまして…」
「そうなんだ…」 二朱島の人たちって、そういう気性なのかな。
「それで…どこまで話したっけ。 ああ、それでカンちゃんに会いに行ったんですが…。彼女、その時中学3年生で、もうその…正直引くくらいの美少女に育っていて、びっくりしちゃって。わたしはその頃、不摂生が祟って今より8キロくらい太っちゃっていたので、恥ずかしいやら情けないやら、むかつくやらで…」
「…むかつく?」
「いえその…彼女の方も、ずいぶんひさしぶりに会ったっていうのに、すっごく感じ悪くて、"何しに帰って来たの?" っていう態度を取るもんですから…」
「それは…きっと拗ねていたんだよ」
「ええ、後からはそう思えたんですが、その時はその…怒っちゃいまして。 "あんたこそまだ島にいたの? とっくに帰ったかと思ってた" って言っちゃったら、泣いちゃって…」
「えっ、…そりゃあ泣くよ」
「ですから、その時は知らなかったんですよ! そんな…彼女の故郷がずっと戦争中だなんて、両親が安否不明だなんて…想像したこともなかったんです」
いつの間にか、彼女の表情にはいくらか愛嬌が戻っていた。表情が豊かで、瞬きが多くて、感情がこもった話し方をする。大人なところもあるけれど、情け深くて、ダメなところも多い…いい娘なんだ。
「お祖父ちゃんの仕事を、島の政務をいろいろ手伝う事になって、そこではじめて色々と教えられたんです。ほんの3年前ですよ、もっと早く教えとけよ、って思いましたよ。知っていたら、絶対あんな事言わなかったのに」
「他に戦争の事を知っている人はいるの?」
「明日川の中でも、ほんの一部です」
「なら、小恋さんが知らないまま本土で人生を築くことになった場合、ずっと隠し通そうとしたかも知れないよ」
「…そうですね。 でも、知ってしまった限り、わたしにも重責が生じたと思っています。ですから、カンちゃんの事は、クゥクゥやメェメェ様の事は、簾藤さんよりもわたしに責任と義務があります。そして簾藤さんを無事に本土に帰すことについても同様です」
「そんな、なにも君が負う必要なんて…」
「あります、島の住民は彼らのおかげで裕福に暮らせているのですから。昔から町政を仕切る明日川に責任が生じるのは当然です」
「でも戦争なんて無理だよ、僕はメェメェ様に認められてしまったから…」
「戦争になど行かせませんよ! カンちゃんも… 他の皆も…」
「…小恋ちゃん」 君はいったいどうするつもりなんだ?
「響輝さん…」
厳しくなった口調をもとに戻して、彼女は続けた。
「どうかお家に帰ってください。大変でしょうけれど、お仕事をがんばってください。ご両親を大切にしてください。わたしは仕事を投げ出して逃げてしまいました。今でも恥じています。後悔しています。辞めるにしろ、きちんと自分で始末をつけるべきでした」
「僕は…その…」 僕だって、辞職する事を何度も考えていた。昨晩にはもう…
「帰られた後で… いつか、もしもまた二朱島を訪れたい気持ちになられたら、どうぞわたしにご連絡ください。 歓迎いたします!」
これ以上ないほど愛嬌が溢れ出た、癒しの笑顔だった。
「で、でも…」
僕は泣いてしまいそうな気持ちになった。
「カンペンに、皆に言っちゃったんだよ。彼らの力になりたいって…」
「わたしが無理やり本土に帰したと言います。代わりに謝ります。何度だって頭を下げます」
「そんな事、させられないよ」
「これはわたしの自己満足です! わがままです! わたしがそうしたいのです! どうかわたしのために、と思ってください」
「無理だ」
泣くな! もう30になるんだぞ! なさけなさ過ぎるぞ!
「大人なら! すべての事に責任を果たすべきです。 仕事も、家族も、この世界も、異世界も、自分に係わるすべての事に。 簾藤さんもわたしも…もう大人でしょう?」
小恋ちゃんは受け身でいる事を許そうとしなかった。 二朱島の、異世界のせいにして仕事を捨てる事を、家族を忘れる事を許さなかった。だから僕は彼女に従った。 いや、それだと矛盾する。彼女も間違っていた。彼女のために、なんて言い訳こそ許されない。僕はいったん家に帰る事を、自身で決断した。 そう肝に銘じたが…
いくらクゥクゥが(たぶん)皆留守にしているとしても、メェメェの監視がある限り簡単に抜け出すなんてできないと思ったのだが、小恋ちゃんは周囲を飛び交う(いつの間にか3つに増えていた)小メェメェをほとんど気にしない様子で、僕を連れて外に出た。
小メェメェの1つは数回行く手を遮るような動きを見せたが、小恋ちゃんは "ええい、鬱陶しい" と言わんばかりに腕を振ってそれを追い払った。小メェメェとはいえ、ハエや蚊のように扱って大丈夫なのだろうか、と心配したが、彼らは特に僕らを拘束しようとしたり、攻撃を仕掛けたりする事はなかった。
「どうして何もしてこないんだろう…」
僕は小恋ちゃんから彼女のものと同様の白いヘルメットを受け取りながら、独り言のように言った。
「話はつけておりますから。 カンちゃんはすっごく怒ると思うけれど…」
「それってどういう意味?」
「気にしないで早く、 クゥクゥに気づかれると面倒です!」
すでにヘルメットを被っていた小恋ちゃんは、回し蹴りをするように片足を高くあげて素早くバイクに跨ると、キックスタート1発でエンジンをかけた。2ストロークの激しいエンジン音に急き立てられた気持ちになって、僕は慌てて頭をヘルメットに押し込み、リアシートに跨った。
「飛ばしますから、しっかり腰につかまっていてください!」
映画やアニメで何度も観た事があるシチュエーションだったが、実際遭遇してみると邪な気持ちを持つ余裕はなかった。道なき道を進んだわけじゃないが、宿舎を後にしてから数分間は、舗装が十分でない道が多かった。速度標識はないが、きっと法定速度をはるかに超えたスピードだったと思う。細い腰を囲んだ両腕から伝わる彼女の挙動を感じ取り、体重移動のタイミングを合わせる事、激しい振動に舌を噛んでしまわないよう口をしっかり結ぶ事、尻と両腿に力を入れて車体に体を固定させる事に必死だった。
やがて振動はおさまったが、スピードはさらに上がった。何度か通った事がある、島の幹線道路に入っていた。左手にニアファンタジーホテルが一瞬見えた。青々とした林、きらきらと太陽光を反射している川面、古い和様建築、養殖場と漁港、役所…わずか3日の滞在で慣れ親しんでいた島の景色が左右をものすごいスピードで流れていった。
3人の小メェメェがまだついてきている。バイクの速度に合わせて並走しているが、小恋ちゃんの邪魔をしないよう、決して前には出なかった。僕を見送ってくれているのだろうか、それとも非難し続けているのだろうか…。
15分程で突堤に着いた。島に着いた時と同様の晴天の下で、白い小型の(個室などはないと思われる)フェリーが停泊していた。すでにエンジンがかかっていて、今にも離岸してしまいそうだった。
バイクを停めた小恋ちゃんがヘルメットを脱いで、船に向かって大声を出した。
「ちょっと! 待っててって言ったでしょう!」
「もうぎりぎりじゃ、さっさと乗るだに!」と、甲板に立つライフジャケットを身に着けた年輩の男が大声で返した。
「響輝さん、早く!」
「は、はい!」
僕は急いでバイクを降りて、ヘルメットを脱いだ。ヘルメットを返すとき、僕はどうしても言っておきたかった事…
「きっとまた、島に帰ってきます!」
と言った。…が、エンジン音と、風と波の音に邪魔をされて、伝わらなかったと思う。
小恋ちゃんは笑顔で「お元気で、後の事はお任せください!」と大声で返した。
僕も大声を出すべきだった。自信をもって、確信をもって、"すぐに" と付け加えてもう一度言うべきだった。それなのに僕はそれをせずに船に乗ってしまい、もうどれ程大声を出そうとも届かないところまで離れてしまってから…後悔した。
小さくなった小恋ちゃんが、後部甲板に立っている僕にずっと手を振ってくれている。僕もずっと手を振り続けた。
彼女の背後で白い乗用車が1台停まった。後部座席から飛び出してきた小柄な女の子が小恋ちゃんの隣に立って、僕に向かって大声で呼び掛けている。もう声は届かない。でもなんて言っているかはわかる。
"嘘つき!"
これ以外にないだろう。
次回
第26話「タッチ アンド ゴー」
は
8月5日投稿予定です




