第22話「設定説明しましょうか -クゥクゥ編‐ Part 2」
暗い下り坂の先には広い平面があって、そこで車は停まった。降車して周囲を見渡すと、床はコンクリートで塗り固められたような平地だと分かったが、他はほとんどなにも見えなかった。ところどころに白色のライトスタンドが据え付けられていたが、広さに対して不十分な数と光量で、しかも低い位置からなので天井にはまったく光が届いていなかった。
そして陽の光もない…もしかしなくても、ここは地下…山の内側なのだろう。
トンネル工事か鉱山の採掘現場だろうか、と思ったが、他に車はなく、人気もなかった。車のヘッドライトと室内灯が消えてさらに暗くなり、すぐ傍にいるサドルたちの表情も見えなくなった。
「何も見えません…」 もしかしたら、猫のような青や緑色の瞳を持つ異世界人たちは夜目が利くのかも知れない、と思ったので一応ことわっておいた。
「少し待ってください」と答えたのは、車を運転してくれた男性のクゥクゥだった。
「ただ今、わたし達を認識なさっています」
認識? またその辺に監視メェメェがいるのだろうか。それはそうと、この人も日本語が話せるのか…。もしかしなくても、皆話せるんじゃないのか?
真っ黒だった周囲の一部が灯された。それは半円型の…1車線分のトンネルの入口くらいの大きさで、金銀財宝でもあるのか、と思えるほどのフレアを放出していた。
「あそこへ」と男性クゥクゥが言った。
光は色素の薄いクゥクゥ達の髪を輝かせるだけでなく、周囲にも届いていた。平地は400~500㎡ほどありそうなくらい広く、石と砂が積み重なって描いたストライプ模様の地層が見える。山留工事がいっさい行われていないようなので、もしも今地震が起きたら生き埋めになってしまうんじゃないか、という不安を覚えた。ひんやりとしていて、当然湿気があった。地下水が染み出ているのだろう、地面に水滴が落ちる音がいくつも鳴って、少し反響していた。
入口を境に一気に明るくなった。目を慣れさせるのに十数秒かけた後、またも神秘的で美しい…理解不能な光景が視界を彩った。…まあ、もうわざわざ理解しようなんて思わないけれど。
複数…数十の小さいが、強い白光が、あちこちを浮遊している。監視兼照明用の小メェメェだろう。しかしそれ以外にも赤、青、黄、緑、と様々な色の光が混ざっていた。それらは僕らを取り囲む多くの岩石から放たれていて、メェメェの光を補助し、隅々までを照らしていた。
トンネルの奥まで続いている道は鉄筋コンクリート製に見えた。道幅は4人が横並びで歩いても十分余裕があるほど広く、両側には側壁まで備えられていた。
「かなり歩きますが、その間に前段の説明をしておきたいと思います」と、僕の左に並んだサドルが言った。
男性クゥクゥが先導し、後ろをカンペンが歩いた。逃げ出さないように囲まれたのかも知れないが、皆僕よりも頭1~2つ分背が低く、男2人も10代といっても差し支えないほど若々しいので、どうにも緊迫感に欠ける。僕も含めて全員青い作業服を着ているし、外から見ると、僕はまるで社会科見学の学生を案内している建設工事会社の社員みたいだ。
小メェメェと整備された道路、それを支える柱以外は、自然のままの…鍾乳洞のような景観だった。15~20mくらい上にある天井は、曲面でできた大きな岩がいくつも隙間なく敷き詰めて組み上がっているように見えて、それぞれもっとも出っ張った個所から、長短不揃いのつらら状の石を、何十本も下に向けて垂らしている。それらはずっと奥まで続いていて、巨大クラゲの大群の下を歩いているようだった。その大群の両脇には風に揺られたまま固まってしまったかのような石のカーテンが、天井と壁の境目を隠すように、何枚も重なってぶら下がっていた。
視線を水平位置に戻すと、右には波たつ海面を塗り固めたような石壁が、サドル越しに左を見ると、謎の巨大生命体の心臓が化石になったみたいな形をした巨大な岩があった。他にも多種多様な、自然にしかデザインできないイカれた造形芸術がたくさん並んでいたのだが、切りがないので取り敢えずここまでにしておこう。
「こんな所で会合をするんですか?」
「まあ…ご心配なさらず。単なる舞台装置です。ふつうの部屋で話すよりも説得力が生じると思いまして…」
「もう何を見せられても、受け入れられると思います」
「ええ、でしょうね。わずかな間で、かなり度胸が据わったように見受けられます」
体つきを見ると確かに男なのだが、それでも細く、顔はどう見てもクールビューティーだ。カンペンに比べてどうもとっつきにくい。なるべく顔を見ないで話そう、と右の石壁の方を向いた。
砂や土の色ではなく、いかにも硬い鉱石といった灰色や黒っぽいものだが、その中には青色やエメラルドグリーン、赤や紫、ピンク、黄金色に輝く宝石のような小さな石が数多く混ざっていた。そしてそれらは時折、エネルギーが注入されたかのように強く輝き、僕らをカラフルに照らした。この島自体が普通じゃない事はもう十分わかっているが、その全貌を知ろうとするのは底なし沼に嵌るようなものだと思い、僕は好奇心を抑制した。
「私たちの社会体制というものは、あなた方の世界で言う共産主義か…独裁なのでしょう。もっとも、このニアで生活している我々は、ある宗教団体の共同生活といった規模のものでしょうが」
そっぽを向いている事を意に介さない様子で、サドルは僕の横顔に向かって話した。
「日本人にとっては、どれもこれも悪印象でしょうね」
「いえそんな…事情が違いますから」
「そうです。大きく違うのは、独裁者…いえ、指導者が同じ人間ではない、という事です」
「…マエマエ様ですか」
「そうです」
「いったい、マエマエ様って何なんですか?」
結局顔を向けてしまった。
「ですから指導者です。人間よりもはるかに優れた存在です」
「マエマエ様が政治を行っているんですか? 立法、行政、それから…司法をすべて司っていると?」
「まあ、そうですね。 実務の多くは我々クゥクゥ…人間が行っておりましたが」
「人間には何も決める権利、権限がないんですか?」
「ありますよ、最も大事なものが」
「何です?」
「生きる権利です」
「それは…当然です」
「ええ、当然です」
メェメェは…人間を殺さない?
「マエマエ様は私たち…人間ができ得る限り長く、健やかに生きるためにその力を、知恵を尽くしてくださるのです」
「そんな都合のいい…」
「…ありがたい存在なのです」
確かに…少し強引で横暴なところはあったが、メェメェ達の言動に、こっちの独裁者のイメージにあるような傲慢さ、酷薄さは感じられなかった。むしろやけに人間くさく、情に厚いところがあるような…。敵味方の区別はあっても、自分が組する側の人間の事はとても大切に思っているように感じた。未熟な状態で異世界に転移しようとしていたのも、一刻も早く助けたい、という強い思いがあっての事だったのだろう。
「マエマエ様は…どこから来たのですか? クゥクゥよりも前に存在していたんですか?」
「さあ、わかりません」
「…かなり大昔からいる、って事ですね」
「こちらの時間に換算すると…少なくとも3000年以上前から実存しておられる記録があります」
3000年前? つまり紀元前1000年頃…縄文時代とか、エジプト文明とか…か? 別にこっちの世界の歴史は関係ないだろうが…そんなに前からいたとしたら、異世界はものすごい技術発展をしていてもいいんじゃないか? あんな単発のライフルで戦争するなんて…。しかしその反面では、異世界転移できる技術があるわけだし…。
「3000年にわたって、ずっとマエマエ様に従い続けてきたのですか?」
「逆らう理由がありますか?」
「でも、…そんな得体の知れないものに盲目的に従えられるものでしょうか?」
「得体の知れないもの…ですか」
「あっ、いえ、決してマエマエ様を侮辱しているつもりではなく…」
「ええ、わかっています。そうですね…。 長い歴史の中で、疑問に感じなかった者がいなかったわけではありません」
「というと?」
「そうですね …人間が作った、という説があります」
「え?」
「人間がマエマエ様を作った、という考えです」
「サドルさん!」
後ろにいるカンペンが厳しい口調で訴えた。
「根も葉もない妄言です!」
「ええ」 サドルは立ち止まり、振り返って、険しくなった彼女の表情を見るよう僕を促した。
「このように厳しく批判されていますが、確証がないのは他の説も一緒です」
「そんな事までこの人に話すのですか?」
「まあいいじゃないですか。彼にお願いする内容を考えれば、我々もできるかぎり腹を割ってお話しするべきかと思います」
「え? は…お…お腹? を、割るんですか?」
カンペンの表情が困惑に変化した。…もはやお約束に思えてきた。
「隠し事をしない、という意味です」
「はあ…そんな表現があるのですか。 勉強になりました。 あっ! そういえば昔、‶切腹“ と言う言葉を日本史で勉強した記憶があるのですが、よくわからなかったのです。あれも実際は本当の事を言う、つまり罪を白状してごめんなさいする…いえ、謝る、という意味だったのですね!」
「違います」
「え? それでは…」
「あれは腹を切ります。武士が行った自害の方法です」
「なぜ…そんなえげつない事をするのです」
「…あとで教えてあげます。話が逸れてしまっています」
「失礼しました」
サドルが前を向いて、再び歩き始めた。
「何の話をしていましたっけ?」
ちょ、ちょっと待って… 腹が… 腹が割れる。
「単純に言うと、マエマエ様は人間が長く、健やかに生存し続けられる社会を形成してくださっている、という事は、そもそも人間が自分たちのために生み出した、とする考えです」
「3000年以上前の異世界人に、マエマエ様を作るような技術があったと?」
「はるか昔に、現在よりも高度な文明が存在していた、という説はこちらにもあるでしょう?」
「はあ… 超古代文明というやつですか? アトランティスとかムー大陸とか…。 でも、それは多分フィクションですよ」
「ええ、こちらでもそういう風に捉えられています。しかし、さっきも言いましたが、マエマエ様の由来を論じるもので、確かな根拠と言えるほどのものは何も残っていないのです。我々の世界でもマエマエ様を除いて知的生命と言えるものは、人類の他に見つかっておりません。もちろん、この世界の人間も知的生命と認識しております。まあ他の世界に我々が知覚できていないものが存在する、という可能性は否定できませんが…」
「え…と」 よくわからなかったが…
「という事は、サドルさんたちと僕たち地球人以外に、人間はいない?」
「我々の知識が及ぶ範囲内では」
「では他にその…ワームホールで繋がっている場所には…」
「人間はいません。我々の故郷と、ニアがあるこの地球のみです」
「…そうなんですか」 まあ、だからと言ってとくに感慨はないが。
「…すみません、また話が逸れましたね」
サドルが悟った。彼らと僕ら、2つの世界以外の事まで説明を広げてしまっては、僕のキャパをオーバーすると思ったのだろう。それは正しい。
「人間以外でマエマエ様を生み出した知的生命体がいたのかも知れませんが、それならその知的生命体を誰がどのように生み出したのか…と疑問は果てしなく続くでしょう。きっと誰にも証明できません」
「ええ、その話もやめましょう」
サドルはくすっと笑った。鷹美さんにだけ見せていた表情だ。顔だけ見ると美女だから始末に負えない。
「種々のエネルギーを生み出す能力を持つマエマエ様は、我々が生きやすい環境を整えてくださいます。そしてその環境が到達したところは、他の生命体、つまりあらゆる動植物が人間の生活を脅かさないぎりぎりのラインで共生できるよう、調整されたものとなりました」
「ぎりぎりのライン…」
「そう、あくまで人間が主体です。その過程で絶滅まで追い込んでしまった種も数多くありますが…。それでも、地球よりも整った生態系が確立されています」
「じゃあ、クゥクゥの世界では人間は何もしないでただ生きている…」かなり失礼な言い草だな、やばい、訂正しよう。「…ってわけじゃないですよね」
「失敬な」と、背後のカンペンがひと言だけ挟んだ。
「私たちにとって生きるとは、マエマエ様の下、生態系を正しく保ちつつ存続する事を示します。そのための労働は当然発生します。もっとも主となるものは食物の生産…こちらの世界で言う第一次産業です。そして医療。この2つが労働の大部分を占めます。次いで建築や製造…つまり第二次産業ですね。あなた方と私たちはほぼ同種と言っていい組成ですから、異世界といえども生活様式にそう違いはありません」
「そう…ですね」 でないと、これまで一緒に生活するなんて無理だったろう。
「大きく違うのは、それ以外の産業が、我々の世界にはほとんどありません」
「え、というと…」
「お金がないので銀行などはありません。サービス業、スポーツ、芸術、娯楽などはごくわずかです」
「…はあ」…そうなんだ。
「音楽や歌、踊りは少しありますね。福祉は医療に含まれます。教育は社会生活と労働に組み込まれている、という考えです。あと料理はございますが、こちらの世界のものと比べると拙いものです。それに関しては敬服している位です」
「じゃあ、 テレビとか映画とか(アニメとか漫画とかゲームとか…)は当然…」
「理解できない位です」
「…そうですか」
「生命の維持、種の継続を至上命題としておりますので、飢餓はありません…でした。疫病も多くのものを克服し、平均寿命は男女ともに約80年から90年と、こちらの人間とそう違いはありませんが、健康寿命と寿命の差はわずか2~3年です」
彼らの見た目が皆若々しいのは、そのおかげという事だろうか。
「通貨がないという事は、資本主義の要素はまったくないという事ですか?」
「ありませんね。労働の対価は飢えと病気からの解放です。それ以上の事をむやみに求めません。身分による生活レベルの格差はぎりぎりまで抑えられています。人々が差別なく労わりあえる、平等な社会を形成していた、といって良いでしょう」
…いかにも理想的な社会主義だ。こっちじゃ眉唾物の…ただの妄想と扱われるだろう。なるほど、島民と多少の確執が生じているのは理解できる。島の経済発展が、彼らの矜持を否定し得るラインまで迫っているのだ。いや、もしかしたらもう超えてしまっているのかもしれない。
「しかし…」 この先を尋ねていいのだろうか。しかし彼は腹を割る、と言っていたし…
「そんな平和な世界で…なぜ戦争が起きているのですか?」
「ええ… それをお話しするのは断腸の思いです」
表情はそんな風に見えない、クールビューティーのままだった。
「偉そうなことを言っておりましたが、実は我々の世界にもたくさんの問題がありました。そもそもマエマエ様という絶対的君主の下、格差を否定する人類平等社会が確立されたのは、実は150年程前の事なのです」
「え、じゃあ、それ以前は…」
「それはまた後で… ‶設定説明マエマエ様編“ でお話しします」
「へ?」
「平等とは言っても、人それぞれに能力差はありますし、生まれ持っての幸不幸という要素も少なからず存在します。そして格差の少ない社会においては、強者は不満を持ちやすくなります。どれほど周囲が奉仕精神を訴えたところで、中には理解できないものが一定数存在します。それ自体を受け入れる寛容さを皆が持たなければならないのですが、やはり人の心は弱いものです」
「…社会には軋轢があった、という事ですか?」
「ええ…しかしそれでも、戦争と呼べるほどの争いはありませんでした。それどころか、殺人まで発展する事もありませんでした」
「殺人がなかった? 150年もの間?」
「ええ」
「それは…凄いですね」
「マエマエ様の存在あっての事ですが、長い時間をかけて、人は人を殺す事、傷つける事の無意味さを本能に刷りんでいったのです」
「…じゃあ、なぜ?」
「飢えと病の苦しみが取り除かれれば、人は善を追求し続けられる、という我々の信念は、マエマエ様の絶対性が脅かされた後、楔が外れたように脆く崩れていきました」
…いちいち勿体ぶった言い回しだな。
「マエマエ様がその、倒された、という意味ですか?」
「そうです」
皆が示し合わせたかのように、揃って立ち止まった。
「でも…一体どうやって?」 メェメェが人間に倒されるなんて…
「ある日、変異体が生まれたのです」
「変異体? 生まれた? それって…」
「マエマエ様にも寿命があります。そして誕生があります」
「マエマエ…様が、生まれる?」
「そうです」
「子が生まれるように?」
「そうです」
…………そう、か。 3人のメェメェは、この島で生まれたんだ。彼らはまだ子供(?)なのだろうか。
彼は自分たちが特別なメェメェと言っていたな。人を殺すことができる、と。実際殺した。しかし僕が引き金…ペダルを踏まなければならなかった。
それで?メェメェを倒せるメェメェとは? 3人はカンペンメェメェに手も足も出ない様子だった。メェメェ同士なら相手の命(?)を奪うまで戦う事ができるという事か?
…なんだかこんがらがってきた。整理できない内に色々と考えを巡らせてはいけない。
「変異体って、あの…赤紫色の?」
「そうです」 …サドルよ、さっきからそればっかりじゃないか。
「赤紫が、他のメェメェを攻撃したのですか?」
「マエマエ様です」と、後ろから突っ込みが入った。
「マエマエ様は、一体何人いるのですか?」
「そこまでお教えする事は… 多くはありません、と言っておきましょう」
「でも、あの赤紫色のヤツは、あ、いえ、マエマエ様は…」
「 ‶ヤツ“ でいいです」
僕は振り返った。カンペンが、まっすぐ僕の顔を見て言った。
「出来損ないは、ヤツ呼ばわりで結構です」
「出来損ない? じゃあその…ヤツはその、中くらいの大きさのメェメェでしたが…」
「それは分身体です」と、サドルが言った。
ああ、そうか。本体が別にいるという事か。分身相手でも ‶今は適わない“ と言っていたな。そんなに強いのか…。
「その…赤紫のメェメェが他のマエマエ様を倒したことで秩序が乱れ、戦争が起きたという事なんでしょうか?」
「簡単に言えば」
「なぜ変異体が生まれたのですか? なぜ他のマエマエ様を攻撃なんて?」
「それは判明しておりません。私たちは…逃げてしまったのですから」
カンペンが俯いた。見えないが、歯を食いしばっている様子が見て取れた。
「私たちは近いうちに帰らねばなりません。そして戦わなければなりません。長い…10年もの時をこのニアで過ごしたのは、赤紫の…メェメェを倒すための十分な戦力を生み出すためでした。つまり3人の、特別なマエマエ様です」
「えっ…? でも…」
「そうです、予期せぬ事態が起きました」
僕と雲妻、そして幸塚親子が…乗ってしまった。選ばれてしまった。
発光している小さなメェメェが頭上に飛んできた。僕らが眩しくならないよう光量を落としつつ、回転したり、不規則に動いたりして、僕の両目を上下左右に泳がせた後、高く上がっていった。
天井は高く、さらに複雑な形状になっていた。また道路を挟んでいた左右の石壁は、それぞれ10m以上離れていた。いつからか景観に参入していた石の床には、天井のつらら状のものと同じような形の石があり、それらは上に向かって突起している。上下に大量の鋭い牙を備えた、怪獣の口の中にいるような気分になった。
水滴が落ちる音の数が増え、水が流れる音も加わっていた。所々に大小の水たまりがあった。石壁から染み出た地下水が集まって、小さな川をいくつも作っている。天井からまっすぐ下に伸びたような、極細の白い滝もあった。
様々な水の音の重奏は、段々とメロディーを奏でているように聞こえてきた。数十から百を超える極小~小メェメェが時折石に身を当てて高い音を鳴らし、伴奏を足した。さらにどこからか不思議な音が届いて、それは歌に変化していった。
「これは?」 僕はあらゆる方向に顔を向けた。口をぽかんと開けていた。
ずっと背を向けたまま先頭を歩いていた男性クゥクゥが振り返って、
「あなたを歓迎なさっています」と言った。
「歓迎? …僕を?」
数日前ならば、不思議な音を歌とは思わなかったろう。しかしこの時の僕は、その聞きなれない音の連続をクゥクゥの言葉…つまり歌詞だと抵抗なく理解した。当然意味はわからないが、歓迎してくれているという説明を素直に受け入れた。
歓待の歌はさらに多層的に、アンサンブルの規模を増していった。音色に合わせて石壁に埋まっている七色の宝石がリズミカルに点滅を繰り返して、自然が生み出した美術品を彩るように照らした。反響音の数々はコントロールされているかのように縦横に移動し、躍動感を演出した。
僕は自然の総合芸術に感動した。サドルが仕組んだ舞台装置に、まんまと乗せられてしまったのだ。
透き通るような高音が空気に溶けていくように小さくなっていく…演奏は終了した。そして、道路のたどり着く先が見えた。ひと際大量の宝石が散りばめられた大きい岩壁と、加工されたかのような平らな石の床がある。そこは神々が集うステージかのように光り輝いていた。
3人の青い作業着姿のクゥクゥ達の他に、女性が1人…オレンジ色のサマードレスを着ていて、長い黒髪だが…遠目からでも美女とわかる。小柄だし…やはり彼女もクゥクゥだろうか。右手を大きく振っている。数年ぶりに帰郷する親友を迎えるような…はしゃぎっぷりだ。
そしてメェメェがいた。たぶん簾藤メェメェとカンペンメェメェ。そして、一番奥にもう1人いた。そのメェメェ…マエマエ様が皆を、この場にあるすべてを従えているように感じた。それほど威厳があったのだ。
僕はこの後、マエマエ様にはそれぞれきちんと名前がある事を教えられた。僕ら日本人が発音できる名前を持っていたのは、この場で一番偉いマエマエ様… ‟ニア“ だった。
次回
第23話「マエマエ様 編」




