第20話「10年」
黒い炎の球がぐんぐんと大きくなっていった。狙いを正確に定める必要がなくなったからか、メェメェ達からの照射が早く、多量になっていった。 最初は何も見えていなかったのだが、徐々にメェメェから放出されている謎の物質が、実体化していったように大きくなっていった。針のように細く、小さかったそれらは、数十秒後には鉛筆程度になっていた(超極細~極細メェメェだと思う)。メェメェ達は自分の分身体をエネルギーとして、もしくは異世界への先遣隊としてブラックホールに突入させていたのだ。
黒い球はバスケットボールサイズを超えて、う~ん、適当な例えが…そうだ、バランスボールほどの大きさまで膨れ上がったのだが、まだメェメェ本体が通れるほどのサイズではない。タイムリミットは…もう10秒も残っていないんじゃないか?
案の定、下のドアが開く音と同時に、幸塚メェメェが飛び込んできた。本体よりも二回り以上大きかった開口部なのに、体をひっかけたようで、灯台は地震が起きたように激しく揺れた。
「まだかかる!」
「わたしがやります! そこをどいて!」
「無茶だ!」
「危険は承知!」
雲妻メェメェが上へ、僕らは斜め下へと緊急移動して球との距離を取った。幸塚メェメェが僕らを追い抜きつつ角度を変えて、上に…黒い球に側面(おそらく正面)を向けた。するとすぐに、その本体の脇をすり抜けるように5体(人?)の中メェメェが前に出て、その内2体が底面を向けて黒い球に突入した。
「ああっ! お前、いつの間に!」
簾藤メェメェのその反応は、その中メェメェ達が幸塚メェメェの分身である事を、また自分よりもはるかに成長を進めていた同輩に、明らかに嫉妬を抱いた事も意味していた。
大量の鉛筆メェメェよりもはるかに質量とエネルギーを備えているであろう中メェメェ達を吸い込んだ球は、急速に膨張し、その上にいた雲妻メェメェを隠した。球の表面を覆う黒い炎が、太陽が纏うプロミネンスのように噴出を繰り返し、白い背景をどんどん侵食していった。ブラックホールという表現も、大仰と言えないくらいのものだった。
「このまま突っ込みます!」
幸塚メェメェがそのまま分身の後を追うように突入しようとした時、いきなり破壊音が鳴り響いた。その音が止む前に下から何十本ものオレンジ色の光線が伸びて、それらは幸塚メェメェ本体に幾重にも巻きつき、動きを制した。そして彼女が左右に振り回されながら、白壁に何度も打ちつけられる光景を見た後で、ようやく灯台の入り口が崩れてしまっている事に気がついた。
下には客が…カンペンメェメェ様が本体を斜め上に傾けて、光った両目を僕らに向けていた。中メェメェが10くらい、幸塚メェメェを拘束している光線を出している小メェメェは30…40? さらに崩れた入り口を通っていくつか入ってきて、床面は完全に定員オーバーの様相だった。
幸塚メェメェの周囲に残っていた3体の中メェメェが底部を下に向けて、中心から赤く、細い光線を照射した。そして瞬時にその光線に沿って、照射先…カンペンメェメェ本体に向かって突撃した。しかし手が空いていた(光線を出していない)中小メェメェ達が束になって前面に作り出した透明のバリア(のように見えた)が、それらをいとも簡単に跳ね返した。反撃への報復とばかりに、幸塚メェメェを拘束していたオレンジの光線が赤く、そして数倍太く変化して、さらに左右の壁に彼女を何度も叩きつけた。
異世界の高い技術で建造されたのであろうが、メェメェのパワーと頑丈さに適う理屈もなく、フェイク灯台は崩壊を始めた。つぎつぎと剥がれ落ちる内壁を吸い込んだブラックホール(仮称)が、拒絶するような激しい反応を示し、真円を崩した歪な形になって、さらに膨張した。
「やり過ぎだろ!」
強制的に視点がメェメェの背後に回って、僕は上を向いた状態で落下していった。雲妻メェメェもまた、もうすぐ床面積を超えそうなほど大きくなっていたブラックホール(仮)をぎりぎりで避けて、らせんを描くように降下してきた。2人はカンペンメェメェに攻撃をしかけたのだ。
金属同士が衝突する音、壁を砕く音、金属が床や壁を引っかく音、そして聞きなれない音色で構成された異世界の言語(主に怒声と思われる)の数々をBGMに、視界がその騒々しさに合わせるかのように四方八方に動いた。
幸塚メェメェが光線から解かれて落下してきたが、僕らにぶつかる前に別の数本の光線に薙ぎ払われて、崩れかけていた壁にとうとう穴を空けて外に放り出された。その直後、ガガガガガガガ…と連続で打撃音が鳴った。僕の視界には映っていなかったが、なんとなく…雲妻メェメェが中小メェメェの集団に袋叩きにされている光景が想像できた。
3人の中で一番強いと思われた幸塚メェメェがあの有様なのだから、勝てるわけがないと思っていた。僕はこれまでの経過からメェメェ内部の安全性に全幅の信頼を置いていたため、冷静に、ただ鞭打ちにならないよう気をつけていた。
ああ…これで異世界転移は失敗か。
残念に思うところもあったが、本当は安心していたと思う。詳しい内容は知らないが、とかくゲーム以外で戦争という言葉がつくものに、僕みたいな凡人が係わるべきじゃない。ましてや実際に人を殺す、なんて事ができるはずないのだ。 この後はかなり面倒なことになるだろうが、正直に説明するしかない。僕と綾里さんは巻き込まれただけで、珠ちゃんは子供だ。雲妻は…まあヤツなら自分で弁解するだろう。
しかし、そんな十数秒の間に感じていた安堵は、視点が上方に固定されて、壁に大きな穴を空けた建物がなおも激しく揺れて崩壊してゆく様子を、そしてまもなくそれ自体が建物を内から破壊しそうなほど膨張していたブラックホール(仮)を改めて見た時、霧となって消えた。
「ちょっと…やばい、やばいって!」
背後の様子(メェメェvs.メェメェ)は見えていなかったのでよく分からなかったのだが、様々な暖色が入り混じった光が僕らを取り囲んでいた。その光は2人のメェメェ本体から放出されていた謎の異世界エネルギーで、どうやらわが簾藤メェメェは果敢にも、必死の抵抗をしていたらしい。
しかし、やはりそれは無謀な挑戦だった。幸塚、そして雲妻メェメェを片づけた数十の中小メェメェのエネルギーが加わった時、拮抗はあえなく崩れて、僕らは真上に強く弾かれた。真上…そう、僕らは異世界への入口に突入した…いや、させられたのだ。そうさせないために襲って来たんじゃなかったのか!とカンペンメェメェに文句を言う間もなく、僕はまたも暗闇に閉じ込められてしまった。
SFアニメや映画で見るような、七色の光が収束していく空間をイメージしていたが、そんなものではなく、無音状態で短いトンネルを通り抜けたような、実に味気ないものだった。その間は異様に寒く、そして手足が痙攣したような、そして顔面の数ヶ所を遠慮なく捻られたような痛覚があった。ほんの3~4秒程度の事だったので、少し焦った程度ですんだのだが、あれはどういう現象なんだろう。
銀河系に存在する惑星なのか、はたまたマルチバース等と言われるものなのか、ともかく異世界は自然としての光と熱、そして大気を備えていた。氷の中から見ているような、ぼやけた景色が見えた。中央からやや下の位置に水平線があって、上は白昼の曇り空に見えて、下は赤茶けた荒野のように見えた。
氷(?)はみるみる溶けていくように見えたが、それでも視界がはっきりするまで1分以上を要した。その間メェメェは喋らず、呼びかけてみたり、両手を置いたままだった光球を、すべての指を動かしてあれこれ弄ってみたりしたのだが、反応はいっさいなかった。
薄くなった氷が、最後は数枚重なった極薄のカーテンのようになって、一枚ずつ素早く捲られたように見えた後、視界はクリアになった。そして、表現し難い奇妙な短音が連続し、その後ブォーンとか、ピーとか…複数の電子音みたいな音が乱雑に鳴った。
「な…に…が、見える?」とメェメェのかなり小さな声がした。
あ… 僕はメェメェの再起動したかのような挙動に少し戸惑った。
「な、何もありません。陸と空しか… 見えないんですか?」
「あと…1分ほど…かかる。…くそっ、なかなか、成長しねえ」
こいつ、やっぱりロボットじゃないのか?
「ここが異世界なんですか?」
「あいつら…他のマエマエどもは?」 声の大きさと調子は戻った。
「僕たちだけのようです。 …いや、ちょっと待って、なんか詳しく見えてきました」
「なんだ?」
「いえ、その、あっちこっちに人が…というか」
「人? 敵じゃないのか」
「いえ、敵だとしても…皆倒れていて、たぶん、死んでいるんじゃないかと…」
メェメェは少し間を置いてから
「死体だな…」と呟いた。彼にも視界が戻ったのだ。
赤土と曇り空だけじゃなかった。ゆっくり確認する間はなかったので、断片的にしか覚えていないが、戦争中…という事を認識できる光景だったのは確かだ。ほとんど地球人と同じと思われる形をした多数の人間が、あっちこっちで死体となって地面に横たわっていた。五体満足のものはほとんどない。手足がちぎれていたり、頭を失っていたり、人の形を成していないものもあった。他にも真っ黒こげになったものや、腐乱してしまっているものも…。 新しいものと古いものが混在しているようだった。 死体たちが皆若くて美形か…つまりクゥクゥなのか確かめる事はできなかった。
「うわぁ…」 僕はまともに見ないよう目を細め、間違っても自ら拡大してしまわないよう、光球から両手を離した。
周囲はまばらに草木が生えた荒地だったが、大きな建物があったような痕跡があった。基礎の部分が地面に残っていたし、周囲には鉄かコンクリートか材質は分からないが、大きなものから細かいものまで、破片がそこら中に落ちていた。陽炎が立つ向こうに森林が見えて、各所で煙が立ち上っていた。空をほとんど覆っていた雲の、所々にあった隙間にもまた緑が…森林が見えた。あんなに背の高い木があるはずない…もっとも異世界なんだから、僕の常識は通用しないだろうが…。
「…ひどいな、虐殺だ」と、僕は呟いた。
「これが戦争ってやつか。まったくもって愚かだ」
その言葉は、彼が初めて戦場に来た、という事を意味していたのだが、この時は違和感に気づいていなかった。
「どうするんです? これから」
「待て……近くに生存者がいる」
「え? どこ…」
「反応がある、 探せ! 俺はまだうまく動けねえ」
「は、はい」
僕は再び光球を握った。適当に指を動かしたのだが、なぜか全方向のセンサー(か何か)が正確に機能しているかのようにスクリーンがせわしなく動いて、やがて位置を定めて拡大画面がいくつも表示された。そのうちのいくつかに首なしやわき腹を失った死体がアップで映し出されて、僕は思わず顔を伏せた。
「ばか! ちゃんと見ろ」
「はい!」 僕は少し切れたような口調で返した。
なんでこんな事しなくちゃならないんだ。他国どころか、異世界の戦争に巻き込まれる謂れなんてないぞ!
正面に表示された拡大画面にひとりの男が映っていた。両膝をついて、茫然とした表情でこちらを見ている。距離は…拡大画面を左にずらし、等倍のスクリーンで確認したところ、200m程度だったと思う。
メェメェならあっという間に傍に行ける…はずだったのだが、転移したことによるダメージからの回復(もしくは再起動?)がまだ不完全だったメェメェは、地面から1メートル足らず上を、時速5キロくらいの速度で浮遊して進んだ。
「ちょ、ちょっと… 遅いな~」訴えるように言った。
「うるせえ! 今はこれで精一杯なんだ」
「走った方が速いな~」
「じゃあお前が走れよ、開けてやるから助けて来い!」
「ちょ、やめてくださいよ! 異世界なんですから、酸素とか菌とか、わかんないんですから。死んじゃうかもしれないでしょう?」
「だったら黙ってろ!」
近づくメェメェをじっと正面で見つめながら、男は震える両足でふんばって立ち上がった。
ああ…おじさん、よれよれじゃないか。立たなくていいからじっとしてて。
…おじさん? …おじさんだ。当然ながらひどく憔悴しているが、たぶん僕より年上…40代に見える。でも平時ならきっと男前だろうから、やはりクゥクゥなのだろう。老けるのも無理はない、いったいどれくらい戦争は続いているのだろう。 服装はふつうの、僕らの世界にあるものとそう違いはない。 深緑色の軍服、ポケットがいっぱい付いているが、防弾ベストやヘルメットと言った装備がない。やはり軍服というよりも作業服に近いな。どうしてなんだろう? クゥクゥ達の規範のひとつなのだろうか。
どうやら命に係わるほどの傷は負っていないようだった。近づくにつれ、最初は怪訝そうだったクゥクゥの表情が綻んで、やがて笑顔になった。つまり彼はメェメェ側だ。喜びの感情が溢れ出ていて、傷を負っていなかったら踊り出しそうなくらいだった。彼らが崇拝する神様が現れたのだ。‟救世主の帰還“ に遭遇した気持ちだったのだろう。
100mを切ったところまで近づいた時、10発以上の銃声が連続して鳴り響いて、男は倒れた。
「ああ!」 僕は思わず大声をあげた。
「くそぅ!」
メェメェも悲痛そうな声を上げたが、速度はわずかしか上がらなかった。これじゃあまだ20秒以上かかる。
「敵?」
「決まってるだろう!」
「速く!」
「精一杯だっつの!」
僕は一瞬 ‟開けてください” と言いそうになったのだが、僕も撃たれて死ぬだけだ、とすぐに悟った。
「なんて役立たずなんだ!」 同時に、お互い自分自身に対して言った。
銃声はさらに続いた。その音は聞き慣れた、いかにもな銃声…拳銃やライフルの発砲音(本物を聞いたことはないが…)に聞こえた。 地面に伏せた男はまだ死んでいなかったが、絶体絶命に違いはなかった。
右から追い抜かれた、と僕らが気づいた直後には、それはもうすでに男の身を十分に隠せる盾となっていた。そしてさらに多くが僕らを追い抜いて、本体を中心に陣を引くように広く展開した。
本体の上部が開いて、すぐさま3メートル以上の高さから、メェメェの搭乗者が地上に飛び降りた。長い金髪を後ろで結った作業着姿の少女は、男に駆け寄った後、その細い体で抱き上げようとしていた。
僕らも追いついた。少女…カンペンの手助けをしたかったのだが、僕はまだ異世界の空気が地球人にどんな影響を及ぼすか分からなかったし、僕がメェメェに乗っている事をばらしてしまっていいのか迷い、躊躇してしまった。簾藤メェメェは何も言わなかった。僕と共に無力感、己の不甲斐なさを感じていたのかも知れない。
カンペンが男を抱き上げ、他の死体を避けながら頭を開けたままのメェメェに近づくと、メェメェは宙に浮いたまま体を横に倒し、蓋(上半身部)を上にして開口部を下げた。彼女が必死の形相で男を持ち上げて中に入れようとした時、メェメェが体勢を変えた事でわずかに生じていたバリアの隙間をすり抜けた銃弾が、カンペンの足元にあった死体をさらに砕いた。驚いたカンペンは尻もちをついて倒れ、抱えていた男の下敷きになった。
「ああっ!」僕が嘆くと同時に、簾藤メェメェも思い出したように動いて、カンペンの傍に行って盾となった。いつの間にか視点を自在に操作できるように戻っていて、僕はスクリーンの中心にカンペンを映した。泥と死体から流れた血で衣服を濡らして、そして大きな瞳から流れ出た涙で顔も濡らして、彼女は男を前に抱えたまま上半身を起こして、立ち上がった。
安全、快適な空間で、しかも楽な姿勢でそれを見ている自分への怒りがふつふつと沸いた。僕は視点を操作し、さらに全方位に頭を振って、多量の視覚情報をメェメェに伝達した。
遠くに見える敵の姿は、戦争映画で見るような兵隊の姿によく似ていた。僕らの世界にもあるようなヘルメットと軍服(なぜかやけに目立つ茶色…それとも赤か?)を着用し、やはりライフルらしきものをそれぞれ手にしていた。 隠れる場所や塹壕がないからか、発砲とほふく前進を交互に繰り返している。機関銃やロケット砲、戦車、ヘリコプター、もしくはそれらに代わる異世界の兵器は見当たらず、やけに前時代的な戦い方に見えた。とは言っても、メェメェ達は一切反撃せず、ただ防衛に徹しているため、その包囲網はどんどん狭まっていった。
カンペンメェメェはすべての中小メェメェを周囲に展開させて防御陣を築いていたが、転移前と比べて格段に数が少なかった(中メェメェが3、小メェメェも10程度)。各々の距離が空いているからか、さらに簾藤メェメェと同様に転移を行ったことによる消耗があるせいなのか、透明のバリアには隙間が多くあったようだ。最初は一方向からだったのだが、弾の数とともに方向も増えていって、その隙間をすり抜ける銃弾が増していった。
簾藤メェメェはバリアを作ることができず、本体そのものを盾にする事しかできなかった。まだ回復していないのか、そもそもまだそこまで成長(?)していないのか。
気を失った様子の男の体をもう一度持ち上げて、なんとかメェメェに乗せたカンペンの右腕に、銃弾がかすったように見えた。彼女はすぐさまその場でしゃがんで身を隠した。
「後ろ!」出さなくても伝わるのだが、僕は思わず大声をあげた。
カンペンの後方に移動した簾藤メェメェに、十数発の弾が命中した。もちろんライフルくらいではわずかな弾痕すら残せないのだが、銃撃は止まなかった。
カンペンはぎりぎりで服を破いただけで済んだようだ。しかし尚もバリアをすり抜けた数発の銃弾が、彼女の周囲に火花や煙を散らせていた。2人の小メェメェが防御担当を任されたかのように彼女に近寄り、それを確認した彼女は意を決して立ち上がった。
狭まった包囲網から激しい雨のように弾丸が降り注いだ。ズームをかけずとも確認できる程の距離まで、後方からざっと百人以上の敵兵が近づいていた。僕らが反撃しない事に感づいたのか、十数名が立ち上がっていた。
やはり…僕らとほぼ同じ…人の形をしている。どんな顔、表情をしているかまではわからなかったが、皆小柄で、細い体躯だった。
女の子を寄ってたかって、…それでもクゥクゥかよ! 知り合ってわずか2日だというのに、僕はクゥクゥに対して、勝手に高潔な人間性を求めていた。
「反撃を!」
「そんな事言ったって…」
「できねえのかよ! あの娘が殺される!」
「わかってるよ! 畜生!」
僕らは背中合わせで怒鳴り合った。
「こういう時は、どうにかして覚醒するもんでしょう!?」
「そんなにうまくいくかよ!」
メェメェに片足を乗せて、今まさに乗り込もうとしていたカンペンに、また銃弾がかすめた。彼女はまた後ろにひっくり返ってしまった。
ああ! 当たってしまったのか? 僕は焦った。そして怒りで我を忘れた。
「ぶっ殺せよ!」
クゥクゥ達の顔が見えた。男ばかりじゃない。それほど若くない。それほど美形じゃない。むしろ…醜く見えた。
僕は光球で操作して、メェメェと視点を揃えた。その時、僕らの前に2体…2人の中メェメェがどこからともなく現れた。それはカンペンメェメェの分身体ではなく、かといって簾藤メェメェが本当に覚醒して、ついに生み出した分身でもなかった。
「こいつら…今までどこにいやがった!」
それは幸塚メェメェが異世界への入り口を拡張するために、先にブラックホール(仮)へ突入させた分身だった。
「助けてくれるのか?」 僕は期待感に溢れた口調で言った。
「どうやらそうみたいだ!」
僕らと中メェメェそれぞれの両端の間に赤い光線が、繋ぐように現れた。それは5~6本ほどのひも状のものが、組紐のように組みあったり、解かれてばらけたりと、伸縮を繰り返していた。まるで筋肉組織のようだった。
僕の全身を支えるシートがぶるぶると揺れ動いた。僕は対抗するように全身に力を入れて、強張らせた。なぜそうしたかは覚えていない。
中メェメェが形を変えた。短くなったと思ったら球形になって、そしてたちまち平べったい真円形状になった。お盆よりも、バケツの蓋よりも大きくなったそれらは、中央をこちら側に出っ張らせた。つまりあちら側(兵士側)には凹ませた面を向けている。
そうか…20人以上の漁師たちをふっとばした技(?)だ。よし、全員吹き飛ばしちまえ! 最低でも100m以上!
吸い付いていた足元が動いた。かかとはそのままで、甲の部分が上がっていた。軽く踏んで確かめてみると、アクセルペダルのような感触があった。やはり見えない(透明)のだが…。シートが動いて、斜め上を向いていた姿勢が、少し前傾になった。踏みこみやすい姿勢だ。
僕は…迷いなく、力いっぱい両足で踏み込んだ。それが引き金を引く事を意味すると、おそらく分かっていた。
衝撃波というやつだろうか、前方スクリーンに映っていた景色が一瞬、すべて魚眼レンズを通したように歪んだ後、赤い砂嵐が発生した。そしてすぐにその嵐を吹き飛ばすほどの強風、いや暴風が吹いた。
…僕らの前には形を戻した中メェメェ達以外、曇り空と赤茶けた荒野、そして水平線上と雲の隙間に見える森だけが残っていた。ライフルを持った兵士も、横たわっていた死体も、さっきまでそれぞれ100人以上はいたが、今はきれいさっぱり無くなり、ただの更地が広がっている。100m後方へ吹っ飛んだ、という程度ではなさそうだ…。まあ例えそうだとしても、きっと死んでいるだろうな。
ほぼ半数を一瞬で失った敵兵達はさすがに怯んだようで、銃撃はみるみる減少していって、やがてなくなった。後退、さらに撤退を始めた様子だった。
視点をまた後方にまわすと、カンペンが無事メェメェに乗り込んで、蓋(?)を閉じて上昇を始めていた。
「良かった…」僕は呟いた。さっき起こった事は、とにかく考えないようにしていた。
いつの間にか、小メェメェが1本、いや1人、スクリーン(外殻)に張り付いていた。
「お前がまだどれだけ役立たずか思い知っただろう、帰るぞ」
野太い男の声だった。声だけでも貫禄負けしているのは明らかだった。
「仕方がねえ…」 簾藤メェメェがようやく観念した。
帰れるのか… ‶人生で一番ほっとした時” が更新された。
まだ簾藤メェメェの速度は遅かったが、それでもかなりマシ(時速20~30kmほど)になっていた。地上2メートルを飛んで、最初に氷に埋まっていた(かどうか分からないが)場所まで戻った。やはり死体も、建物のがれきもなくなっていた。さらに少し移動しながら20メートル程上昇した位置に、3人の小メェメェがいた。それぞれ両端から緑色の光線を放出しながら繋がっていて、それらで三角を描いてある空間を取り囲んでいた。そこには、サッカーボール程度の大きさになっていた…ブラックホール(仮)があった。
光線を解いた小メェメェ達がブラックホールに自ら入ると、それは膨張した。そしてカンペンメェメェの他の分身たちが次々と、小さなものから順番に入っていった。
「私が入ったら、すぐに後を追え。少しでも遅れると縮んで、やがて消失してしまうぞ」
そう伝えた後、張り付いていた小メェメェが僕らから離れ、突入していった。
僕は右側のスクリーンに映っていた景色の中で、何か小さなものが動いている事に気づいた。前方スクリーンに移動させて拡大すると、それは空を飛んでいて、こちらに迫っている様子だった。
「何だ?」メェメェに伝わり、彼が問うた。
「わかりません、赤い…ですね」
中メェメェが次々と突入していった(幸塚メェメェ2人も含めて)。ホールは球形を保ったまま、かなり大きくなっていった。
さらに拡大すると、それはすぐに画面を覆うまで近づいて、外れてしまった。僕は拡大を解除した。また小さくなってしまったが、それでもまた下手に拡大すると追えなくなってしまいそうだ、と気づいた。…かなり動きが速い。
「赤い…メェメェ様? 中メェメェか?」
「そいつは敵だ!」
「え?」
カンペンメェメェが突入した、ホールは一気に膨張したが、やがて収縮を始めた。
「今はまずい!」
「逃げましょう、早く入って!」
「おう!」
気を取られてしまっていたため、ホールはもうメェメェが通過するぎりぎりのサイズまで縮んでいたと思う。僕らは(僕自身はなにもできないが)その時の最高速度で突入した。僕は視点を操作したまま、赤いメェメェを目で追っていた。
速い… 赤いからなぁ、と呑気にバカなことを思っていたが、拡大をやめていたのに前面スクリーンにアップで表示される程まで近づいた時には、顔面がひきつる程にびびった。周囲が暗くなって、その暗闇がやや左側から迫っていた赤い中メェメェを弾くと、正面中心にあった白い光(異世界の出入口)の中に収まって、そのまま光と共に小さくなっていった。どうやら逃げ切った。僕らはぎりぎりのところで突入に成功し、赤メェメェは失敗した。
…僕らを追って来ただけなのか? それともこちらの世界に来ようとしたのか? 分身だけでも?
少し青っぽかったな、赤というよりも紫…赤紫かな。
短いトンネルを通過した後、僕らはまた表面を凍り付かせていた。ぼやけた視界がはっきりするまで数分かかって、ようやく二朱島の景色が復活した。そこは海岸だった。はじめて会った時と同じように、メェメェが下半身の一部を砂に埋めて立っていた。周囲には中小メェメェがたくさん、彼らも半身を埋めていたり、横たわっていたりしていた。僕らも同じように砂浜の上に立っていた。照明塔の灯りが当たっていて、周囲はかなり明るかった。
時間帯も同じくらいだったが、やはり…2日前とは違う。ここは南側の海岸だ。同じく照明塔が立っているおかげで、突堤がはっきり見えていた。フェリーはもう停泊していなかったが…。 そして岬の上に見えていた、灯台の灯りがなくなっていた。 場所が違うわけではない、倒壊してしまったのだ。
ブラックホール(仮)はもう近くになかった。幸塚メェメェも、雲妻メェメェもいない。幸塚メェメェの分身も、…きっと本体のもとへ帰ったのだろう。
カンペンメェメェ本体の上半身部が開いていて、男の頭が見えた。わずかに動いていて、息をしている様子が窺えた。どうやら生きているようだ。そしてカンペンは…メェメェから10m程離れた砂の上で、両手と両膝をついて、僕らに背を向けた状態でへたりこんでいた。
僕の気持ちまで伝わったのか、メェメェが小さな声で言った。
「あの娘にとっては10年ぶりの帰郷だったんだ、無理もねえ…」
そうか、 彼女の家族は…
「あの… お願いします」
「なんだ?」
「降ろしてください」
「は? バカ言うな!」
「お願いします」
「今ばらしちまったら、どれほど面倒な事になるかわかってんのか? ちゃんと時を見計らってから…」
「降ろしてくれ! …吐きますよ!」
「はあ?」
「マジで吐くぞ!」 僕は人差し指を口からのどに突っ込み、おえ~、と嘔吐いて見せた。
「くそ、どうなっても知らねえぞ!」
上部が開き、僕はすぐに腰をあげた。メェメェが立ったまま体勢を少しも変えてくれなかったので、僕は砂浜と言えども慎重に飛び降りた。メェメェの外殻は凍り付いているというほどではなかったが、かなり冷たくなっていた。
ゆっくりと、僕はカンペンに近づいて行った。慰めようと思って外に出たのだが、何と言ってあげればいいか、まったく分からなかった。17歳の少女よりも、はるかに甘ったれた人生経験しか積んでいない自分が、何をどう言えば慰められるというのか。砂浜を歩く足は止まりこそしなかったが、速度はどんどん落ちていった。
呼びかけに適した距離まで近づく手前で、カンペンは立ち上がり、ふり返ってしまった。僕の顔を見た彼女は、十数秒の間固まってしまった。偶然僕が通りかかった…わけがない。背景に2人のメェメェがいるのだ。 この時気づいたのだが、カンペンメェメェ様に何の反応もなかったという事は、彼はずっと前…おそらく異世界転移するよりも前に、僕が、雲妻や綾里さん達が乗っている事を分かっていたのだ。
「あの…大丈夫? ケガは?」
カンペンはまだ固まっていた。やきそばを食べていた時のように、大口を開いていた。
そして彼女は…泣き出した。大声で、わんわんと、小さな子供のように。
「ど、ど、…どうして!」
彼女の全身を確認した。作業着はボロボロになっていたが、どうやら大きなケガはしていないようだったので、僕は安心した。できれば後ろも確認したいけれど…。
「どうしてあなたが!… どうして…」
大きな目の幅いっぱいから大量の涙を流しながら、怒ったような表情になったり、また悲しそうになったり、しまいにはおかしくなって笑いそうになったりしていた。しかしどれほど表情を崩しても、彼女はやはり美少女だった。
「ごめん、成り行きで…」
「ええ?」
本当に成り行きなんだよ。どうしようもなかった、僕の意思はほとんど無視された、関係なかったんだよ。
「成り行きって… そんな… もう… わけがわけら…わかりません」
…君を守るために、大量殺人をしたこと以外は。
「もう~、どうしたらいいんですか~」
彼女は泣き続けた。赤子のように泣き過ぎて、痙攣しそうなくらいだったので、僕は傍によって、遠慮がちに彼女の両肩をポンポンと軽く叩いて、うんうん、と小刻みにうなずいた。何もわかっちゃいない、単に言葉が出てこなかっただけだ。
彼女は頭を僕の胸に軽く預けて、少しずつ泣き止んでいった。
今度は僕が少し、固まってしまった。
次回 第21話「設定説明しましょうか -クゥクゥ編- Part 1」
は6月17日予定




