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第2話「追放されればいいんでしょう?」

挿絵(By みてみん)

 僕のこれまでの29年の人生を要約するならば、ほとんどうまくやっていた、と言えるものだと思う。学業成績は中の付近を上下し、運動能力も適度な部活動のおかげで周囲をイラつかせることは滅多になかった。見てくれはずっと中肉中背のスタイル、美醜共に目立つパーツのない顔の造形だったおかげで、毎日女子と会話する機会が得られ、地味ながらもこれまでに二度、男女交際を経験する事が出来た。受験も就職も失敗する事がなかったのは、ひとえに己を知り、自分の能力値を超える望みを抱かなかったところにある。そうして、僕はあるグループ企業の1社に勤め、本社のある東京で7年間のサラリーマン生活を送っていた。ちなみに独身、ワンルームマンションでひとり暮らし。実にありふれた設定、どんなドラマの主人公にもなりえる素材というわけだ。

 30年未満の若輩者の人生と言っても、もちろん多少の紆余曲折はあり、大なり小なりの壁を乗り越えたり、引き返して他の道を探したりして進んできたのだが、いつの間にか舗装されたところから逸れてしまい、獣道で蹴躓いて崖を滑り落ち、足を折ってしまったのはほんの半年前。社内の派閥争い…親会社との関係が深い天下り&出向経験者が成すエリート組と、叩き上げ精鋭揃いの現場組が入り混じった経営陣の争いは長年の間、停戦の兆しすらなく、出世を望むと望まずの区別なく多くの社員が巻き込まれていた。営業担当区数社の窓口を任されて数年が経過しただけの自分には、まだそういう心配はないと思っていたのに、いつの間にか現場組の一員としてカウントされていたのを知ったのは、エリート組出身の重役が、次期社長に決定した時の事だった。

 人事はもろにその影響を受け、内示を受けた諸々の社員が明暗を分けた表情を露にし、オフィスには険悪な空気が充満していた。社内のこのような実態に気づいた時にはもう遅かった。新型コロナによる制限のせいもあったろうが、ずいぶん鈍感で、おめでたい人間だったのだ。親会社への出向経験がなかった直属の上司を含め、営業職の三割強が転属もしくは支社や出張所への転勤を、一部の優秀な成績を収めていた者は親会社への出向を命じられた。残念ながら、僕は転勤を命じられた側にいた。順当に営業業務を遂行し、目立ったミスは皆無だったはずの僕がそうなったのは、直属の上司の子飼いだったという、根も葉もない噂のせいだ。とんでもない誤解だ。むしろ好かれていなかったと思う。きっとそれは、上司の最後の嫌がらせだったのだ。

 しかし僕には異動を固辞する気概がなかった。そんな事をしても無駄だと思っていたからだ。社内で動揺するそぶりを見せず、「まあ、なんとかなるでしょう」なんて笑顔で強がってみたりしていたが、転勤先の事を詳しく知ってからは、はげしく後悔した。東京から遠く離れているとはいえ地方都市だったので、そう気に病むことはないと最初は思ったのだが、そこは大手競合他社のお膝元で、地域のシェアの大部分を占められているサンクチュアリであり、会社は僕が入社する10年も前に、一度撤退した経緯があったのだ。なぜ今頃再開?それは新社長が提案する新規プロジェクトの一環である販売網拡充のひとつに、その都市が入っていないのでは弱腰が過ぎる、と言われないためのもの、つまり、表向きだけの営業所である可能性が高いのである。実際、さしあたって営業所は社員の社宅住所と同じになっており、しかも古い賃貸マンションの一室である。社員もさしあたって1名、つまり僕ひとりだけの出張所となるのだ。左遷以外の何物でもない。そして、ほぼ営業成績ゼロ、昇進の望みが絶たれると決定しているかのような職務となるのである。なぜそこまで不遇な扱いを受けなければならないのか。それは単に運だろう。きっと優秀な者以外なら誰でも良かったのだろうが、詳しく確認せず、すんなり引き受けてしまったのが自分だけだったのかもしれない。深刻に考え、派閥に組していた覚えがない事をしっかりと説明し、頭を何度も下げてお願いし、エリート組の靴を舐めそうな程の態度を見せる事ができたなら、もしくは激しく怒り、机や椅子を蹴り飛ばし、大暴れしそうなくらいの憎悪を示したならば、回避できたのかもしれない。しかし僕は争いを避けた。蔑まれる事を、嫌われる事を、格好悪くなる事を、避けてしまったのだ。その結果僕は会社から、東京から、いや社会から追放される事になった。

 引継ぎを終えると、転勤日となる5月の連休明けまで、連休と合わせて2週間の休暇が与えられた。その間に引っ越しの準備と転出入の手続きを行い、英気を養えとのお達しだ。当然のように有休を全部消化させられたが…。故郷の両親に電話で説明し、引っ越し業者の手配と準備を終えるのにそう時間はかからなかった。引っ越しは連休前、中は予約がいっぱいで行うことができない。そのため転勤日は連休明けの2日後まで延期になった。それならば、転出入の手続きもぎりぎりでいいだろう。先んじて赴く気にはなれない。そうして10日もの休暇が生じたのだ。しかし仕事がなく、恋人もいない、気を遣わせる、あるいは小バカにするであろう同僚や友人と会う気にもならない僕には、その時間を有意義に過ごせる手立てがなかった。

 色々なものを段ボール箱に詰めてしまい、テレビとネットしか見るものがない自宅で、スウェット姿のまま丸1日を過ごしていると、経験したことのない程の鬱状態が自身を襲った。自分の職務能力が、人より秀でているものとは思わなかったが、劣っているとも思っていなかった。それがいきなりの戦力外通知を受けたのだ。社内の人間関係という理不尽な理由では冷静に分析することもできず、ただ不運を呪う事しかできない。絶え間ない鬱屈に追い立てられ、退職したサラリーマンのブログ、理不尽な人事に対して訴えを起こす方法、ついには苦しまない自殺の方法を検索するまでに至ったところで、我に返った。

 熱いシャワーを浴びて、食欲はなかったがコンビニで買いこんできたジャンクフードを頬張り、缶ビールで流し込んで無理やり気を晴らした。ローテーブルの上に置いたノートPCを閉じて、しばらくテレビ画面に映る報道番組を眺めた。ようやくパンデミックを乗り越えたというのに、世界にはきな臭い空気が立ち込めている。大国による侵略戦争や、永遠に終わりが来ないと思われる中東紛争が取り上げられていて、各専門家が自身の分析や意見を論じ、どうですか?とキャスターが問うと、ゲストの政治家が専門家の意見を踏まえ、各国との連携を重視し、日本が解決への道筋を示せるように取り組んでいかなければならないと思っている、と答える。それを15分おきに繰り返している。アホらしい、そんな事なら誰にだって言える。日本なんかが主導して解決できるはずがない。もし自国の領土が侵略を受けても、それが東京まで及んでいないならば、まずは各国との連携を綿密に…とのんきな事を言うのだろう。 ああ、それにしても政治家と言うのはなんというか、化け物のような顔をしている人が多いなあ。老いだけが理由とは思えない。きっと謀略だらけの競争の中では、歪んだ人間性が表れ出るのだろう。 ああイヤだイヤだ、僕は決して男前ではないけれど、あんなふうに醜くなりたくない。ルッキズムというのは、永遠になくならないだろうなあ。

 僕は敷きっぱなしにしていた布団の上に寝ころんだ。もし70~80歳まで生きられるとしたら、その間に日本も戦争に巻き込まれるかもしれない。経済は深刻なほどまで落ち込む気がする。貧富の差は拡大の一途となり、それによる犯罪や社会問題が多く発生するだろう。それにあと最低3回ほど大きな自然災害が起きて、そのうちのひとつで自身が被災するような気がする。仕事がどうこうなんて、大したことじゃなかったと知るのだろう。ああ、この先の人生は憂鬱の連続になるのだ。どこかへ行きたいなあ。行ったことのない場所へ、きれいな開放感のある自然の風景を見て、かわいい女子と知り合って、話をして、美味しいものを食べて、ほんの一時でもいいいから楽しく過ごしたい。決して高望みしないように注意はするけれどね。

 僕は寝転がったままスマホを手に取った。



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