第18話「二朱島上空大追跡」
メェメェ様の折れた頭の内側は、(搭乗者の上半身スペースのために)凹んでいるが何もなかった。その表面は外側と同じように大理石のように滑らかで固く、たぶん白くて、いくつもの光の線が走っていた。下半身部に向けて傾斜している上に曲面なので、かなり歩きにくいだろうと思ったのだが、足を降ろしてみると、靴裏との間に磁力が発生したかのように吸い付いて、意外に安定した。2歩、3歩と進んで下半身部にかなり近づくと、吸い付いていた足は今度は逆に反発するように離れてしまい、一瞬バランスを失って後ろに倒れそうになったのだが、すぐに僕の体は重力が断ち切られたかのように軽くなって(おそらく少し宙に浮いた状態になって)、すうっと足から吸い込まれた。そして、頭部が静かに閉じられた。
暗く、何百本もの細かな七色の光線が縦横に走る空間に、僕は閉じ込められた。海中で3人のメェメェに囲まれた時の光景とよく似ていた。幅は少し余裕がある…1メートル30~40センチくらいか。外から見たメェメェの直径と、そう差がないように思えた。じゃあ、外殻はかなり薄いんじゃないのか? 高さは…足元は硬いが、また吸い付くように固定されている。それだけじゃなく、膝や太腿も見えない何かで…緩く固定されていた。腰は…座っているのだが、しっかりとお尻を乗せているような感覚がない。軽く腰をかけて、後ろに全身を預けている、やや斜め上を向いている体勢だ。大手IT企業のオフィスとかに置いてあるようなヤツか? 透明で何も見えないけれど…。とにかく快適だったが、あまりに自分の体格にジャストフィットしていたので、僕は周囲の光が、瞬時に自身の体格を分析したんじゃないかと考えた。
やがて目の前に映像が映し出された。それは夜の、外の景色だった。正面視野の9割以上を覆うほどの広い画角が、圧迫感をかなり解消してくれた。そして両腕にも負荷が少ない事に気づいた。やはり見えないアームレストがあって、二の腕と肘をぴったりと、優しく包んでくれているような感触があった。
手を置くところが、ちょうど手のひらサイズの球形になっていて、それを掴むと…なんか気持ちがいい。硬めなのだが、時々脈打つような動きがあって、それが手の平をマッサージしてくれているような心地いい刺激になっている。すべてが快適だ。 …ああ、このまま眠ってしまいそうだ。
…っていかん! 何をのんきな事を! バカなのか? お前バカなのか? よく考えろ、めちゃくちゃ不気味じゃないか。 ここはメェメェの内部だぞ。 個室ブースじゃないんだぞ。 絶対生体じゃないでしょ? かといってマシンでもないでしょ? だって何にもないもん、計器もレバーもスイッチも。 なにをどうやって動かすの? 動いてもらうの? 綾里さん達はどうやったの? 3人をどうやって追えばいいの? どうして僕は乗ってしまったの?
「…ちょっと、一旦出してもらえますか?」 言ってみた。
…やはり出してもらえなかった。
落ち着け…カンペンは乗っていたし、降りてもいたんだ。一生出してもらえない、って事はないだろう。主導権はメェメェにあるとしても、たとえ神様みたいなものだとしても、ある程度コミュニケーションは取れるという事だ。…でも、日本語が通じるのだろうか?ああ、こんな事なら「こんにちは」「どうかおろしてください」くらいの異世界語をカンペンか小恋ちゃんから習っておくんだった。まさかこんな事になるなんて思っていなかったもの…。いや、メェメェ様だって長い間この二朱島で暮らしているんだろう? 日本人とも長い付き合いなんだろう? なら少しくらい言葉をわかっているんじゃないのか? いずれにせよ、語りかけるしかない。今できる事はそれだけだ。
「はじめまして、僕の名前は…れ・ん・ど・う、です」「乗せて頂いて、光栄…うれしいです」「少し、お話、できますかぁ?」
…なんで片言で話すんだ? もしも日本語がペラペラならば、却って失礼だろう。
「あの…先のお二人はどちらへ行かれたんでしょうかね?」 「知り合いが乗っておりまして、ええ、片方は親子二人が一緒に乗ってしまいまして、まだ小さい子なので、ご迷惑ではないかと…」 「できれば追いかけて頂いて、合流して頂けないでしょうか?」 「一旦ホテルに帰って、後日改めてご挨拶させて頂きたいと思うのですが…いかがでしょうか?」 「なんとかひとつ、お願いする事はできませんでしょうか?」
…なんでビジネス口調になったんだ?
ともかく、返事は一切なかった……バカみたいだった。
どうしよう… やるか? この手の平マッサージ器を強く握ったり、あちこちを強く叩いたりして、「動け動け動け…」「動けよこの~」とか言っちゃうか? それでまた何も反応がなかったら、…死にたくなるんじゃないのか?
本気で ‶ロボットに初めて乗ったアニメの主人公“ を演じてみようかと思った時、よく見ると、前に映し出されている景色が動いている事に気づいた。加速度をほとんど感じないほど快適な乗り心地だったせいもあるが、景色が周囲に何もない夜空で、しかも後方のもの(つまりメェメェは後ろ向きに進んで…いや、僕が後方を向いている)だったので、きちんと認識できていなかったのだ。そうだ、確かカンペンも後ろ向きに乗っていた。なぜなんだ?
うっすら見える山の稜線や、連なった紺碧の雲が徐々に小さくなっていく…速度は遅いが(やはり時速10~20km程度だろう)確かに移動している、そして上昇しているようだ。
僕は後ろを向いたが、やはり後方(進行方向)に映像はなかった。上も下も見えない。後方に固定されてしまっている。意識すると余計に景色のわずかな動きに集中してしまい、そして同じくわずかに感じる加速度に、妙に敏感になってしまった。
微妙に上下左右に揺れながら浮遊している感覚に眩暈がした。酔ってしまったのだ。
今どこを飛んでいるのだろうか。まだ乗ってから10分程しか経っていないから、島の上空だろうか。小さな島だし、もう海の上に出てしまっているだろうか。高度はどれくらいだろう。
不安も重なって、僕はとうとう吐き気をもよおした。焼うどんはきちんと消化されていたが、口の中に酸っぱ味が混じった不快な苦みを感じた。オエッ、と吐くものはないが嘔吐いた途端、強く、冷たい風が僕の顔を叩いた。目前にあった映像が3Dに替わっていた。メェメェがまた頭を開いたのだ。僕は吐き気を忘れ、腰を浮かして(透明の座席はすんなりと僕の体を解いた)周囲を見回した。下が見えるほど身を乗り出すことはできなかったが、左右は見えた。鏡面のような体表が夜空を映していて、ほとんど景色に溶け込んでしまっていたが、僕を挟んでそれぞれ10メートルほど間を空けて、メェメェが並んで飛行していた。3人ともほとんど直立の姿勢だった。
「雲妻さん! 綾里さん! 聞こえますか!」
どっちがどっちだかわからないが、とにかく何度も左右を向いて、大声で呼びかけた。
「無事ですか! 頭を開けられないですか!?」…変な事を怒鳴っているなぁ。
強風が邪魔をしていて、とても声が届いているとは思えなかった。もとより、メェメェの内部にいた時に外の音はほとんど聞こえなかったので、きっと雲妻や綾里さんたちも同じだったろう。メェメェを操縦(?)する事も、コミュニケーションを取る事もできず、ただ乗せられているだけだったのだ。
また頭が閉じられてしまった。やはりほとんど音はしなかったが、僕をケガさせないようゆっくりだったので、閉じる前に外に出る事は可能だったのだが、おそらく最低でも50メートル以上の高度があったと思われる状況では、そんな無謀な行為ができるはずなかった。
閉じきる前に後ろを向いた時、頭部と下半身部の連結部が内側に(外殻を通り抜けたように)引き込まれている様子が見えた。連結部といってもそれは30センチほどの長さの、少し太めの(直径は12センチほど)円柱…つまり小メェメェで、開く時にはそれが外に排出されて、上部にも下部にも接しない…つまり宙に浮いた状態で、謎の引力の中継となって繋ぎとめている、と知ったのは、もっと後の事だった。
なぜさっきは開いたのだろう…。もしかして僕が吐きそうになったからだろうか。中を汚すんじゃない、吐くなら外に吐けって事か?
「吐き気はおさまったか?」
「は、はい」 と反射的に答えた。
「この後しばらくは開けられねえぞ、お前が死ぬからな」
流暢で、やや…いや、かなり乱暴な口調の男の声だった。どこにもスピーカーらしきものはないが、それは後方の、かなり近い位置から聞こえた。背中合わせの位置で話しているような感覚だった。
「いいか、絶対吐くなよ」
「はい…絶対」 僕は口の中に残っていた苦い胃液をすべて飲み込んだ。
前の画面を見た。上昇している…そしてさっきより速度が上がっている。
「あの…メ、いえ、マエマエ様でいらっしゃいますか?」
「あん? 決まっているだろう」
「あ、はい。 …あの、はじめまして、簾藤と申します」
「さっき聞いた」
「そうでしたか」…じゃあその時に返事してくれよ。
「あの、どちらへ行くんですか? どうして僕たちを乗せたんです?」
「お前たちは選ばれたんだ」
「えっと、何に…選ばれたんでしょう?」
「戦士だよ」
「はい?」
「俺たち3人は戦うために生み出された特別なマエマエだ。他のものとは少し違う、人を殺すことだって可能なマエマエなんだ。だからその役割に適合できる相棒が必要なんだよ。高潔すぎるクゥクゥどもじゃ無理なんだ」
「え…と、何がなんやら」 人を殺す?
「おいおいわかっていくだろうさ。今はおとなしく従っていればいい、まだ慣らし中だ」
上昇スピードが一気に上がった。 画面にはもはや何が映っているか判別できなかったが、加速度が急激に増して、身体への確かな負荷を感じた僕は、思わず「ひっ」と情けない悲鳴を漏らしてしまった。
周囲が少し明るくなった。いつの間にか前方だけでなく、全方位に外の景色が映っていた。しかも感度があがったのか、さっきよりも…肉眼で見た時よりも明るく、視力が上がったかのようにクリアになっている気がした。星の光がくっきりと見える。そして月も、地上で見た時よりも形がはっきりしていて……大きいぞ? あれ? ここって…
周囲を見た。 左右にメェメェ様が浮かんでいる。 今度はどちらも白いボディカラーを現わしていて、それぞれ違った角度で傾いていた。というか、天地がなくなっていたのだ。そこはまぎれもなく宇宙空間だった。わずか2~3分の間に、メェメェ様は成層圏とか大気圏とかを突っ切ったのだ。
「どうだ? 体に異常はないか」
「え?」 少し体がふわふわと軽くなっている感じはしたが、無重力ではなかったと思う。しかし、内臓のいくつかを同時にくすぐられているような不快感があった。それが普段着で宇宙に来てしまったせいなのか、それとも夢か幻の中にいるとしか思えない状況に、錯乱しそうになっていたせいなのか…。
「どうなんだよ?」
「いや、その…」 もう許してください!と泣き出してしまいそうな気持ちだったが、ぐっとこらえた。
「ちょっと、気持ち悪いですね、ええ…慣れていませんので」 なんだこのセリフ…。
チッ、と舌打ちが聞こえた。(…腹立つな。じゃあ聞くが、どこに舌があるんだよ)
「僕は我慢できますが、女の人と、幼い子供もいますから…」
「ふん、クゥクゥと比べてあまり頑丈じゃねえみたいだな。まあしょうがない、成長を確かめたかっただけだ。さっさと帰るとするか」
言葉の末尾に僕はほっとした。人生で一番ほっとした。二番目にほっとしたのは今朝、笹倉に助けてもらった時だ。 左遷? 何それ? それがどうしたっていうの? ばかばかしい…本気でそう思った。
両サイドのメェメェが体勢を揃えている。きっとこっちも同じ方向に体を傾けているのだろう。 頭上に地球が見えて、僕は息をのんだ。 映像や画像で見た通りの青い星なのだが、あまりに迫力があった。…当然だ。全方位が透けて見えている…いわば、宇宙空間に生身で放り出されている感覚だったのだから。あまりに壮大すぎる体感に、人生観が塗り替わるような高揚を感じたのはわずかの間で、その後すぐに息が詰まりそうになった。口を大きく開けると、同時に目と鼻の穴もこれ以上ないくらい開いたが、うまく酸素を取り込めない感じがした。自身のヒュー、ヒュー、という異常な呼吸と強い心臓の拍動を聞いて、ストレスはさらに募っていった。過呼吸を経験したのはこれが初めてだった。
「おい大丈夫か? 酸素はまだ余裕があるはずだぞ」
「だ、大丈夫…」
「落ち着け、一旦目を閉じろっ」
言われた通り、僕は右手で胸を押さえながら目を瞑った。外感覚を遮断し、2回吸って1回吐くラマーズ法で、ひたすら呼吸の回復だけに努めた。意外と効果があって、次第に呼吸も心臓の鼓動も整っていった。そして最後に思いっきり深呼吸した後、覚悟を決めて目を開いた。やはり宇宙に放り出されたままだったが、今度はなぜか悟りを開いたように落ち着いた気持ちになっていた。というか、諦めていた。母なる地球を全身に浴びた僕の体と魂は、完全に分離してしまっていたのだ。
「そうだ、落ち着け~、こんなところで死んだらシャレになんねえぞ~」と、メェメェが宥めるように言った。
死ぬ?…そうか、きっと僕は死んでいるのさ。たぶん今朝、海でおぼれ死んだのだ。それ以降の出来事は全て死後に見ている幻なのさ。 いや、 もしかしたらもっと前…島に着く前に、フェリーから落ちたんじゃないだろうか? ああきっとそうだ、メェメェも異世界人も、そんなのいるわけない。宇宙だなんて…こんな事があるはずないんだ。そうか、そういう事だったんだ。そうか~、なんだよ~、あー焦った焦った。 死んじゃってたんだ。 はい終わり~ この物語はここでおしまい~ 死亡エンド! さあ、だったら目を閉じてしまおう。もう二度と開かないぞ~
「おい、いい加減しゃっきりしろ!」
…まあそういう訳にはいかないよね。
「だらしがねえ、こんな程度でビビりやがって。 くそっ、とんだハズレくじを引いちまったみたいだ」
よくわからないが、侮辱されている事は理解した。
「まったく、先が思いやられる」
…先? 冗談じゃない。地球に、二朱島に戻って綾里さんと珠ちゃんを返してもらったら、さっさとホテルに帰りますよ。二度と乗るもんですか。雲妻がどうするかはわからないけれど。
「は…早く帰りましょう」
「わかったわかった。どうやらこれ以上は、まだ時間がかかるようだしな…」
両サイドのメェメェが、およそ5メートルほどの距離まで近づいてきた。太陽の光を浴びて、白いボディが滲むように輝いていた。2人のメェメェ様に宇宙空間で挟まれている光景だったわけだが、さすがに3日足らずでこれほど連続して、しかもどんどんエスカレートしてゆく異様な体験に、僕はとうとう慣れてしまっていた。よし、それじゃあ大気圏突入だ! なんて意気込む事ができるようになっていたのは、まあいくらかヤケクソになっていたからだろう。
全方位の景色が回転して、地球が足の下へ、それから背後へと移動していった。僕の目の前には、地上から見たものよりもずっとクリアな星空が映っていた。 数多の星の光が細かくなって、さらに広がって量を増やしていった。僕は地球に背を向けながら落ちていったのだ。やがて星々は大気の壁で覆われてしまった。
やはり多少の重力…落下の加速度を感じた。全身の骨に響くような振動もあった。もちろん宇宙飛行士が地球帰還時に体験するものとは雲泥の差があっただろうが、両側にうっすら見える赤い閃光…プラズマ光には、恐怖を感じる他なかった。もちろん天下のメェメェ様が、摩擦で燃えてしまうなんて事はなかったのだが…。
おそらく重力の影響をものともせず、あるいは確かな計算の下、3人のメェメェ様は二朱島に向かって落下していった。
やがて振動がおさまって、また少し斜め上を向いた楽な姿勢に変わっていった。いつの間にか恐怖で瞑っていた両目を開けた時、周囲にはたった2日間滞在しただけなのに、故郷のように安心させてくれる景色が広がっていた。高度はまだ50メートルほどあったと思うが、思わず外に飛び出したい気持ちになった。
はあーっと、僕は大きく息をついた。長く、困難な冒険からようやく帰ったよ…メェメェに乗ってから30分足らずの出来事だったけれど、心底そう思っていた。きっと僕はこの島に来てからこの時までの間に、たぶん1歳年をとっていた。
しかし…まだだった。僕はこの後の出来事でもう1歳成長した。いや、老けたのだ。
左に浮遊していたメェメェから、何か小さなものがこちらに向かって飛んできた。それはスクリーン(つまり外殻)に張り付いた後、溶けるように消えた。こちらのメェメェに吸収されたのだ。それはわずか5センチほどの細い棒だった…つまり、ミニミニメェメェだ。
「やはり気づかれたようです」
落ち着いた大人の、女性の声が聞こえた。それはミニミニメェメェを取り込んだ左側から聞こえた。もういちいち ‶今の声は?” なんて問わなかった。こっちが話すんだから、あっちも話すだろうさ。でも聞きやすくてきれいな声だ、なんか色っぽいし。
「くそ、…怒ってるかな」
「当然でしょう、きっと追ってきます」
「もうこれ以上ダラダラするのはごめんだ。全員相棒も見つけた事だし、俺たちだけでとっとと行っちまおうぜ!」
「かなり横暴だとは思いますが、致し方ありません。わたしも早く使命を果たしたいと思います。今の状態でも、3人の力を合わせればなんとか可能かと」
「あとはあっちに行ってから考えようぜ」
何を言っているんだ? どこへ行こうと言うんだ? ところであっちのメェメェは言葉遣いが丁寧だな、羨ましい。
「ちょ、ちょっと待ってください。なにをするつもりなんですか? それに追ってくるって、何が?」
「黙ってな、悪いようにはしねえよ。…たぶんな」
「何を言ってんです? 僕たちを早く帰してください!」
「あなた方は選ばれました。能力が認められたからです。勝手な事を言っているのは重々承知しておりますが、これはもう決まった事なのです。大丈夫、身の安全は保証します」
「ずいぶんな自信だな、無事で済むかどうかわかりゃしないだろう」
「自信はあります。わたしの伴侶はどちらも才能が認められます」
「はっ! 伴侶ときたか」
「だからいったい何を言って… どちらも? もしかして、そっちには綾里さん…親子が乗っているのですか? 変な男じゃなくて?」
「れん…ど…さん、ですか?」
小さいが、綾里さんの声が聞こえた。耳を凝らすと、キャッキャと子供がはしゃいでいるような高い声も聞こえる。
「綾里さん! 無事ですか? 珠ちゃんも」
「…はい、無事ですが。…なにが起き、 のか、これって…げんじ…ですか?」
「僕も同じ気持ちですが、どうか気を確かに。雲妻さんもいますから」
「え、…づまさんも? どうしてこんな事… こわい…」
「お願いですから僕たちを降ろしてください!」
「ごめんなさい、今はできません。どうか協力してください、私たちだけではできない事なのです」
「覚悟を決めろってんだ」
「何を勝手な事を… いったい、どこに連れて行こうと言うんです!」
「言っただろう、俺たちもお前たちも戦士だ。つまり、戦場へ行くんだよ」
「はあ?」
「詳しく説明している時間はありません、きました!」
「え?」と、僕と僕の(?)メェメェが同時に言った。
女(?)メェメェが何か聞きなれない言葉を言った。…それは僕や綾里さんたちにとっては、言葉というよりも音だった。しいていうなら ‟ウーピー” と聞こえた。後でメェメェから説明を受けたのだが、それはピンク色の光線の事で、メェメェとメェメェのご加護を受けたクゥクゥ達、そしてスクリーンを通した僕たちにしか見えないものだ。それは少し幅があって平べったく、見えないほど遠くから僕たちの位置まで、レッドカーペットの様に空中に敷かれていた。もちろんついさっきまで、そんなものはどこにもなかった。
「まずい!」
メェメェはそう叫んで、その場から離れようとした。女メェメェの方が一瞬早かったからか、その後激突された上、そのまま動きを封じられたのは僕が乗ったメェメェだけだった。僕の体は各部を固定されたままでも、見えないシートごと激しく揺れ動いた。どこかに頭をぶつけたりはしなかったが、電気ショックを浴びたような衝撃のせいで、体と脳はしばし固まってしまった。
全方位から大きな音がした。それはメェメェの内側でいくつも反響を繰り返し、僕の聴覚を攻撃した。何を言っているかわからないが、すごく怒っているようだ。怒り主が前面にどアップで映っている。ダイヤ型の両目(?)から放たれた眩しい光が、外殻を通りぬけて僕に注がれているように思えた。
メェメェ様だ。心の声でも ‟様“ をつけてしまうほど、それは偉大なる存在に、少なくとも僕が乗るメェメェよりずっと格上に思えた。
メェメェ様のお怒りに、甲高い女の子の声が交じっていた。きっとクゥクゥ語を話していたのだろう、言葉とは思えない奇妙な音の連続だったのだが、何を言っているかなんとなくわかった。自身が乗るメェメェ様をなだめつつ、こっちのメェメェにすぐに勝手な行動を止めるよう訴えていたのだろう。そしてその音色には聞き覚えがあった。ほんの数時間前に会話した相手なのだから…。
「くそ、動けねえ!」
前面(メェメェにとっては背後)に本体を密着されていて、周囲は全部で30~40ほどある中~小メェメェに囲まれていた。それぞれから赤や黄、オレンジ色のややぼやけた光の線がいくつも投射されていて、何本もの縄や網をかけられているかのように、全身を包まれていた。理屈を知らない僕が見ても、あきらかに完敗だった。小メェメェの1本すら持っていなかったこっちのメェメェに、なす術はなかっただろう。
再び激しい衝撃が僕らを襲った。体当たりを受けたメェメェ様…この場面には4人もいるのでややこしいな。実はそれぞれ名前があるのだが、この時点では判明していなかったし、どうせ発音できないから教えても意味がない。だから搭乗者の名前を使って区別しようと思う。つまり…カンペンメェメェが、簾藤メェメェから引きはがされた。体当たりをしたのは綾里メェメェ…ああ、珠ちゃんも乗っていたから幸塚メェメェにしよう。中小メェメェが全て散らばって、光の縄と網は僕らを解いた後、さっと消えた。
「大丈夫ですか?」
「これくらいなんでもねえ!」
「あなたじゃない、中の人に言っています」
「だ、大丈夫です」 やっぱりそっちがいい。ハズレくじを引いたのは僕の方だ。
「接触された時は話さないで、乗っていることがバレます」
「は、はい」 なぜバレちゃいけないんだ? 僕は巻き込まれただけ…のはず。
「マエマエ同士で争うなんて不毛です。なんとかして逃げますよ」
しばらく気づいていなかったが、すでにメェメェ達は並んで飛行していた。それも高速かつ不規則に。もう1人の…つまり雲妻メェメェも、多少距離(30~50メートル)を空けていたが、しっかりついて来ていた。よく動きを揃えられるものだ、と思った。これも後で知ったのだが、3人のメェメェは兄弟のような関係なので、何らかの技術、あるいは器官で以て、離れていても多少の意思疎通ができるようだ。
天地が上下左右に入れ替わる周囲を、まともに見続けていると気が遠くなりそうだったから、僕は視覚から意識を逸らせて、聴覚に集中した。
「だが、今のところはあっちの方がはるかに強いし速いぞ。こんな小さな島の領域内では、逃げ切れると思えねえ」
「あまり派手な事ができないのはあちらも同じでしょう。 わたしが囮になります、2人はいつもの地点で準備をしておいてください。 撒いた後で合流しますから、その後は一気に……ツワ、…リト、カルゥ」
後半の言葉はきちんと聞きとる事ができなかったし、当然理解する事もできなかった。しかし今はもう知っている。もういっそ説明してしまうと、 ‶異世界へと繋がる…ワームホールみたいなものを開く“ という意味だった。つまり、3人のメェメェは僕たちを中に乗せたまま、異世界に行こうとしていたんだ。
「可能だと思うか?」
「宇宙への移動は成功しました。かなり段階を飛び超える事になりますが、3人の力を合わせれば可能かも知れない。失敗を恐れず、一刻も早く事をすすめるべきです。でなければこうしている間にも…」
「わかった!」
僕と綾里メェメェの間を、幅のあるピンクの光がレーザービームのように突き抜けた。
「来ます!」
すぐに2人は散開したのだが、自ら発したレーザーを吹き飛ばすかのような勢いの体当たりを躱したのは、まさに間一髪のところだった。300mほど行き過ぎて、光る航跡を残しながらUターンの軌道を描いている。きっと5秒とかからず戻ってくると、メェメェも僕も理解した。
目の前に夜空と陸、そして海面が何度も交互に現われた。ずっと強めの地震が続いているような揺れを感じ、その振動が骨と内臓に響いていた。シートベルトはないが、体は両足の膝と腿、両肩両肘が固定されている。しかし頭部には柔らかい(透明の)ヘッドレストがあるだけのようで、首への負担がかなりあった。顎と首にしっかり力を入れていないと、鞭打ちになりそうだった。
あまりにも急加速と急減速(あるいは急停止)、さらに急旋回を繰り返す激しい動きは、宇宙から帰還する時よりもはるかに多量の重力加速度を生じさせていて、またそれらはかなり低減処理を施されていたが故に、ぐるぐる移り変わる景色と微妙なタイミングのずれがあった。そのせいで処理不全を起こしている脳が熱を帯びていって、僕は多量の汗をかいていた。
…しかし、気が遠くなることはなかった。むしろ興奮…覚醒していたように思う。
「おい! ぼーっとしていないで、少しは手伝いやがれ!」
「手伝うって言ったって、何をどうすればいいんですか」
「追っ手を認識しろ、周囲に目を凝らして、俺に伝えろ!」
「こんなに速いと、とても目で追えませんよ」
「お前は俺の中にいるが、一心同体ってわけじゃない。俺の体を通して、お前の目で見るんだ」
「はい、…でも、何を言ってんだかわからないです」
また舌打ちされた。だからどこにあるんだっての。
「俺がどう動いているかは関係ない。視点をもっと後方に、範囲を広げろ。そうすればどれだけ速い動きでも一望できる。この星全部ってわけにはいかないが、この島と周辺海域、いやこの日本って国の領域程度なら見渡せるだろうよ」
…いや、何言ってんのかやっぱりわからない。
だが、なぜか少し気持ちは落ち着いた。すると、せわしなく揺れ動いていた全方位の視界がゆるやかになって…やがて安定した。それはメェメェが体の向きを固定してくれたように見えたのだが、そうではなかったらしい。僕は見るべき方向(追手の方向、たいていは後方)を予測し、体と脳への負担が少なくなるように、絶えず視点を操作していたのだ。その視点は時にメェメェから100メートル以上離れた時もあった。…何を言ってるかわからないだろうが、とにかくそういう事だったのだ。
前スクリーンの中央付近に追っ手を固定できるようになった。いつの間にか、僕は両手ともに球体…例の手の平マッサージ機を強く握っていた。5本の指、それもすべての節部それぞれに、脈打つようないくつもの反応があった。それを指の腹でなぞったり、押したり、軽く叩いたりすることで、視界や自身の体勢のバランスが取られるように感じていた。具体的な操作方法は今でもわかっていないが…。
「ヤツは?」
「あ、あの、ずっと追いかけてきます」
「そりゃわかってる、どんな様子だ」
「本体? じゃないようです。1メートルくらいのメェメェ様と、小さいのがいくつか…10本ほど、あ、いえ、10人?」
「そうか、あっちがかなり抑えてくれているようだな。ようし、分身どもにやられちゃ立つ瀬がねえ、返り討ちにしてやる!」
中小メェメェが急速に接近した。僕の目の前を覆い隠すと共に強い衝撃があって、それらは左右に弾け飛んだ。簾藤メェメェが急停止したからだった。しかし回転しながら散らばった中小メェメェは別に破壊されたわけではない。すぐに方向を変えると、中メェメェを中心にして再び集結した。それぞれが本体と同様の円柱型(寸法比率は違うが)をしたそれらは、底面をこちらに向けて旋回し始めた。
「なんか回ってますけど…」
「まずい!」
10ほどの小メェメェの底部からオレンジ色の光線が発射されて、こちらに向かって伸びてきた。 ひとつが外殻に届いた瞬間、ビリッと痺れるような痛みが僕の体の表面を走ったが、簾藤メェメェは急上昇して離れた。
「いけねぇ、どうやらマジだ。捕まったらただ怒られる、ってだけじゃ済ましてくれねえぞ」
くれねえぞ、って言われても、僕らは何もわかってないんだから…。
「あの…もう降参するしかないんじゃないですか?」
「今更そういうわけにはいくかよ!」
また光線が飛んできた。十本ほどの光線が、今度はそれぞれ放物線を描き、僕らを下から囲い込むように放たれたが、またすんでのところでそれらを躱した後、今度は急降下した。それまでは最低でも50メートル以上の高度を保っていたようだったが、今は夜でも判別がつくほど、足元に海面が見えていた。
降下を止めて、今度は海面すれすれを飛んだ。海面と夜空がぐるぐると入れ替わった。巻き上がった海水が何度も被さって、視界を滲ませた。 僕はいつの間にかスノードームのように、幾多の細かい白い光を散りばめていた球を、少し力を入れて握った。そうすると視点を安定、または固定できる事を理解していたのだ。
メェメェと視点(空方向)を揃えた。上空からオレンジ色の光線がふりそそいだ。さっきよりも多い…倍?(つまり20)くらいあった。 簾藤メェメェは上を向いたまま急上昇して光線のひとつに急接近し、躱した。直後に僕は後方に視点を変えた。他の光線が行き過ぎて海面にたどり着く前に消えた。するとすぐにまた光線が次々と、四方八方からこちらに向けて放たれた。僕は視点を操ってそのすべてを見つけ、情報をメェメェに伝えた。いちいち言葉にする必要はなかった。僕が自分の目で確認したことは、すべてメェメェに伝わっていたからだ。僕はいつしかその事を理解していた。メェメェはすべての情報を整理・分析し、回避ルートを弾き出す。それはピンク色の平べったい光線となって、空中に(場所によっては地上でも海中でも、おそらく宇宙でも)描かれる。そして瞬時にその光線上を走るのだ。ピンクの光線は、メェメェが超高速移動をするときの予定ルートなのだ。それは複数ある場合が多い。
メェメェが選んだルートを、僕は移動が始まると即座に識別できるようになっていった。どれほどの速度でも、どれほど縦横無尽に動いても、レール構成を覚えたジェットコースターに乗ったように、身構えることができた。予測したタイミングで曲がって、宙返りして、うまく体勢のバランスを取りつつ、正確にルートをなぞっていった。雨あられの様に自分に向かって降り注ぐ光線を、メェメェと視点を揃えて、次々と鮮やかに躱した。たとえカーブしても、たとえ直角に曲がっても、その動きを読んでいた。複数の光線が交差して、網の目になって迫ってきても、その目をぎりぎりで搔い潜った。 体温が著しく上下し、発汗と冷汗を繰り返した。かといって気が遠くなっていったわけじゃなく、やはり覚醒していた。高揚していた。正直に言うと…快感だったのだ。
「いけねえ!」
メェメェがレールから逸れて、その後急停止した。予測していなかった制動のせいで僕の視点が激しく揺れて、首に負荷がかかった。思わず右手を光球から離して首の後ろをおさえると、さらに振動があって、ダメージが加算された。光線のひとつが当たったのだ。そしてそれを境に次々と光線が接触し、あっという間に周囲をオレンジの光に覆われてしまった。どうやら、縄と網にかかってしまったらしい。
「しまった~、調子に乗って領域から出ちまっていた」
微量だが、体中に電流が走っているかのような痛みを感じた。
「ど、どうして止まったんですか?」
「外に出ちまうと、いろいろとめんどうな事が起きる。 自衛隊や、外国まで動かしてしまう場合があるからな」
「宇宙まで行っておいて、何をいまさら…」
「そこまでやりゃあ、何かの間違いってなるだろう?」
そんないい加減な…。
動きを封じられたまま、僕らはゆっくり高度を下げつつ移動した…強制的に。
「領域内まで引き戻されているな」
「なんとか抜けられないんですか?」
前方スクリーンの中心部に、四角のフレームで区切られた別角度の映像が映し出された。こんな事もできるのか…。
「完全に捕捉された。下手に動いたら、ただちに大砲を撃ち込まれる」
中メェメェの底部がこっちを向いている。 右の中指で光球をなでてアップにすると(なぜか操作がわかった)、夜の空と雲しかない背景を含めた画面が少し湾曲していて、炎のようにゆらゆらと揺れている様子がわかった。
「こいつは多分避けられねえし、かなりのダメージがあるぞ」
…20人の漁師たちを吹っ飛ばした時とは、きっと威力が桁違いなのだろうな。
しかし、メェメェの中にいる限り、僕たちに命の危険が及ぶような事はない、と確信していた。微量の電気ショックを覚悟して、あとは鞭打ちに気をつければいい、という程度に考えていたし、それは正しかっただろう。空を自由に飛び交い、宇宙まで行って帰ったメェメェと、それに同化した気持ちになっていた自らに、全能感を抱くようになっていたからだ。 …それは、今ならかなり危ういものだったと自省する事ができるのだが、この時の僕の脳は異常なほどのアドレナリンを分泌していて、かなり…バカになっていた。
何の前兆もなく、僕らを囲っていたオレンジ色の光が消えた。同時に、中メェメェも映像から消えてしまった。解かれた体は自由落下したように、すぐに海に落ちてしまった。海面まではほんの3メートルほどの高さだったが、不意だった上に、これまでで一番強い衝撃があったせいで、僕はまた首を痛めてしまった。
「ちょっと、どうして…」
「しっ!」
「…どうなったんですか?」僕は内緒話のような小声で言った。
「可能なかぎり機能を止めた。あっちもな…」
メェメェはもっと小さな声だ。耳元でおっさんに囁かれているようで、気持ちが悪かった。
水深2メートルほどを進んだ。 光球をどう触っても、視点は海面方向に固定されていた。
「案の定自衛隊だ。スクランブルがかかったらしい」
「だ、大丈夫なんですか?」
なぜか…僕はメェメェ様よりも、自衛隊の方を恐れていた。
「なあに、このまま大人しくしていれば、お前らの世界のレーダーなんてもんにはひっかからねえ。何も見つけられないから帰るさ」
「みんなはどこに…無事なんでしょうか?」
「…領域内にいる、捕まっちゃいないようだ。このまま戻って、見つからないよう合流するぞ」
合流してどうするんだった?
…戦場へ行くんだって? 僕らを連れて…
人を殺す?…戦士だって?
何を言ってるんだ。
冗談じゃない、僕らは日本人だぞ。
戦争なんかしないんだ。しちゃいけないんだ。
水中でも、ジェットエンジンの轟音は聞こえた。
背すじがぞくぞくした。
次回
第19話「Ready for 異世界転移」