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第15話「カンペンと呼んでください」




 いくら舗装されているとはいえ、傾斜した道を上っていると、荷は少しずつ後方へ動いていった。荷台の高さを超えて積まれた箱が滑り落ちそうになって、僕は後ろからそれを支えた。リアカーを繋いだ自転車はしばらくの間そのまま走行を続けたが、勾配がきつくなって僕への負荷が増えると、さすがに彼女は気づいた。

 慌てたように数回振り返った時にガキン、と大きな音が鳴って、彼女はブレーキをかけた。広々とした田園風景に、耳障りな高音が鳴り響いた。自転車を降りて調べたところ、どうやらチェーンが緩んでいるようだが、この路上で修理する事はできない。危ないので一緒に押して進む事になった。彼女は何度も僕の手伝いの申し入れを(拒絶に近い態度で)断ったのだが、天候が悪くなってきた理由もあって、しぶしぶ従った。

 リアカーはアルミ製だが、かなり使い込まれていたようで、タイヤの連結部辺りから常に軋み音が鳴っていた。自転車はもっと古そうで、形は普通のシティサイクルだが、フレームが角張っていて現代的なデザインではない。おそらく合金製で、ところどころ薄緑色の塗料が剥げて、錆が付着していた。

「あのメェメェ様を使え…いやお願いすれば、これくらいすぐに運べるんじゃないの?」と後ろからリアカーを押しながら、僕が問うた。

「このような些事にマエマエ様のお力を借りるなんて以ての外です! 自分でできる事は、自分でするべし!」

 自転車を押している彼女が、律儀に度々振り返って答えた。もはや自転車は無用…というか邪魔だが、置いていくわけにはいかないようだ。

「車はもっていないの?」

「わたしは17歳ですよ、普通自動車免許の所得は満18歳からで…」

「いや知ってるよ。でも、君たちはその…地球人じゃないんだろう? べつにこの世界の…日本の法律に従う筋合いはないだろう?」 島には警察が常駐していないらしいし。

「筋…あい? ですか?」

「理由とか、道理とかって意味。確か、サドルさんも運転するよね。彼はまさか、本土で免許を取ったわけじゃないんだろう?」

 僕がサドルの名を出したことについて、特に反応がない。僕を含めた観光客(それとも移住候補者)のこれまでの経緯について、多くは彼女にも伝わっているのだろう。

「…まだ、運転はきちんと教わっていません。万一わたしが事故でも起こしたら、かなりめんどうな事になります」

「それもそうか…」

 事故を起こして、もしも警察に届け出なければならない事態になった場合、確かにめんどうな事になるだろう。島内で処理できたとしても、場合によっては(つまり島民にケガをさせてしまった時は)島民の反感を買う事に繋がるかも知れない。だから小恋(ここ)ちゃんは男たちを吹き飛ばした彼女を、きつく叱ったのだろう。そう考えると、やはり異世界人もかなり気を遣いながら、共存を図っていると思われる。

「あのさ、君…えっと、名前を聞いてもいいかい?」

 彼女は答えずに何度か振り返って、値踏みするように僕の顔を見た。あきらかに不審がっている。しかしそんな表情でも、美少女である事に変わりはなかった。

「ごめん、まずはこちらからだね。簾藤(れんどう)響輝(ひびき)です。えっと、29歳です」

「知ってます…」

 やはり伝わっているのだな。おそらくこの島にいる全異世界人に…。

「ええ、そうですね…」 彼女はひとりで納得したような顔をして、

「こちらだけ知っているというのは公平じゃありません。わかりました、自己紹介致します」と続けた。…ずいぶん真面目な子だな。

「わたしの名前はカンペンです」

「…カンペン?」

「カンペンです」

「あの…鉛筆や消しゴムなんかを入れる?」

「それは筆箱です」

 彼女は振り返ったまま、自転車を押し続けた。

「…そうか、そうだね。…えー、姓は…いや」 サドルもサドルと呼べ、としか言わなかったな。

「カンペンさんね…」

「…ふん、皆そうやって変な名前、っていう顔をするのです。私たちにとっては、あなた方の名前の方がずっと奇妙なのに」そう拗ねたように言って、ようやく前を向いた。

「いやごめん、人の名前では聞いたことないものだったから…。 ああ、そういえば、小恋…明日川(あしたがわ)さんが、君を ″カンちゃん” と呼んでいたような覚えが…そう呼んでいいのかな?」

「…カンペンしてください」

 ………………………… え? それって…言い間違い?  ″に” が抜けただけ? それとも…もしかしてシャレなの? そんな事言うの?この子。

 その後しばらくの間、彼女は決して振り返らなかった。


 カンペンが荷物を持って訪れた数件の家には、どこも他に家族が同居していない夫婦だけ、もしくはひとり暮らしのお年寄りばかりが住んでいた。こういう島でも核家族化が進んでいるのだろうか。 それとも、子や孫の多くが島を出てしまっているのだろうか。

 つまり彼女は…17歳の異世界の少女は、町から離れている上におそらく車を所持していない、もしくは自分で運転できない高齢の日本人のために、生活用品を配達しているというわけだ。オンボロの自転車とリアカーを使って…。

 お年寄りの多くが彼女をよくできた孫かひ孫のように迎え入れ、届けられた箱を開けては感激するように喜んだ。町長は ″島の人間は皆元気で、病気になる者はわずかだ” と言っていたが、それは、″居ないわけではない″ という意味でもあった。

 彼女は荷物を運んだ上に片づけや掃除をしたり、洗い物をしたり、洗濯物を入れたりと家事を手伝った。お年寄りの中には彼女を、異世界人を快く思っていない様子の人もいて、かなり無愛想な態度を取られていたが、彼女はなんら不満を口にせず(表情には多少出ていたが)、黙々とお世話をしていた。

 町はずれに住む高齢者たちは、決して見捨てられているわけではなく、彼女以外にも彼らの生活を助ける人は周囲にいるらしいのだが、何分島の開発が進む中では常に人手不足に陥っており、いろいろと手が回らない部分も多くあるという。カンペンは中学までは島の分校に通っていたらしいが、卒業後は他の子供たちと同様に本土の高校に入学する事はできず(そりゃそうか…)、進学の代わりに彼らの生活の手伝いを買って出たらしい。

 それをお年寄りたちから聞いて…僕は泣きそうになった。僕の顔にキロメを投げつけた異世界の少女は、実はすごく良い子だったのだ。僕はいつしか何も言わず、ただ彼女に感心し、懸命に配達と家事を手伝っていた。彼女は小声でありつつも、何度か僕に「ありがとうございます」とお礼を言ってくれた。

 荷物があと2箱になって、次の配達先が最後と聞いた時、時刻は午後2時を過ぎていた。出会ってからもう2時間以上経っていたのだ(配達だけなら40分ほどで終わっていただろう)。道はなだらかな下り坂になったので、ずいぶん楽になった。むしろリアカーが自転車を押してしまわないように、僕は少し引っ張るように荷台の縁を掴んだ。

 最後の配達先はどこかと問うと、彼女は「ニアファンタジーホテルです」と答えた。

 …ホテル? え? もしかして…そんな名前だったの?


 Near Fantasy Hotel …ほんとだ。玄関口に備えられたお洒落なキャノピー(植物のつるのような曲線でデザインされている)の下に、控え目なサイズのアルファベットが貼られていた。Near(近く)と二朱(にあ)をかけているのか、なるほど…ファンタジーに近い宿という意味…か?

 配達する2箱の中には、異世界人(クゥクゥ)エリアで採れた多種の山菜が入っているのだという。つまり正確な搬入先は、ホテルに隣接しているレストランだ。おそらくホテルとレストランは経営が同じ…きっと明日川(あしたがわ)なのだろう。僕とカンペンはそれぞれひとつずつ箱を持って、レストランのレンガ調の外壁に沿って裏口にまわった。簡素なアルミ製のドアがあって、その前で彼女は、

「ごめんください! カンペンです! 配達です!」と関西の舞台喜劇の様な大声を出した。

 間もなくドアが開いて、エプロンを着けた白髪のお爺さんが、僕らを中に招き入れた。老夫婦の夫の方だ。言葉数が少なく、ぼそっと「ご苦労さん」と言っただけだが、温厚そうで、他の多くの年寄り達と同様に、まるで孫娘を見るような優しい笑顔で彼女を見ていた。裏口はレストランの厨房に繋がっていて、奥にいたお婆さんが僕に気づいた。

「なんだ、手伝っとんか?」

「ええ、少し」

「感心感心」 そう言って僕の左肩を二度軽く叩いた。

 荷物をアルミ台の上に置いた後、ほっとひと息をついた僕は腹加減を思い出して、老夫婦に尋ねた。

「あの、今お店の方で、食事をお願いできるでしょうか?」

 老夫婦は顔を見合わせた後、夫の方が何かを言ったが、小さくて聞こえなかった。妻が代わりに大きな声を出した。

「焼きそばか、焼きうどんでいんならつくるだに」

 焼きそば or 焼きうどん…ファンタジーどころか、ニアファンタジーですらないが…

「それで十分です。お願いします」

「店ん中へ行け」

「わかりました。カンペンさんも食べよう、ご馳走させて」

「…い、いえ、わたしは」彼女は両手を振って遠慮したが、出会った時の様な拒絶の態度ではなかった。

「食ってけ、金はいらん」と、少しだけ大きくした声で夫が言った。夫婦そろって言葉はやや乱暴だが、気は優しいのだ。

「い、いいえ! そんなわけにはいきません。もう失礼します!」

 彼女は逃げるように出入口に向かい、ドアを開けたが、そこで立ち止まった。激しい雨音が聞こえた…とうとう降り始めてしまったか。僕は彼女の傍まで行って天候を確かめた。空一面が黒みを帯びた雨雲で埋まっていた。

「しばらくやまないんじゃないかな? 丁度いいじゃないか、お(なか)すいてるでしょ?」

「でもその…立場上…」

 あれだけ島のお年寄りを助けておきながら、今さら何を言ってんの。

「お願いします、少し、聞きたいこともあるんだ」

「…話せない事が多いと思います」

「それでも構わないから」

 

 店内に他の客はいなかった。ホテルに綾里(あやり)さんや(たま)ちゃんが先に帰っていたとしても、とうに昼食は終えているだろう。老夫婦の手間を増やさないように、中央寄りにある、店内で一番小さな2人掛けのテーブルについた。

 カンペンは野球帽を脱いで、後ろで束ねられていた髪を解いた。琥珀色(アンバー)の照明に照らされて、高貴そうな輝きを放つ金髪(ブロンド)が、(謎の力が働いたかのように不自然に時間をかけて)ふわりと垂れた。‟女が男の前で髪を解くのはその男に気があるから” 等と(のたま)うやつがいたが…まあこの()に関しては的外れだな。猫が水を切る時のように頭を振って一旦長い髪をほぐすと、すぐにまた束ねてしまった。その素早くきびきびした動作に、婀娜(あだ)っぽさはまるでなかった。

 しかし、近距離かつ真正面から見る異世界の美少女の造形に対して…しばし見惚(みと)れる以外の選択肢がなかったのは確かだ。顔が僕よりも二回り小さく、それなのに目は僕よりも二回り大きい。黄緑色の角膜と虹彩にはまるで砕いた宝石が散りばめられているかのような模様があって、くりんとカールした長い上下の睫毛と合わせて、視力を奪い取られそうな吸引力を備えていた。やや日焼けしたような小麦色の肌はまだらな箇所がなく均一で、ピンクの唇と白い歯を引き立てていた。

 そしてプロポーションは…日本人には到底太刀打ちできないほどのものだ。以前空港でインドの若い女性を見かけた時があったが、あれよりも凄い…ほとんどマネキンと同じ頭身じゃないか。この娘は僕よりも20センチ以上身長が低いのに、腰の高さはそう変わらなかった。小恋ちゃんも同じくらいの身長だったと思うが、たぶん足の長さは…。

 まさしくアニメや漫画のキャラクターのようなルックスだ。たまにレベルの高い女性コスプレイヤーの画像を見るとすごい、と思う事があるが、やはり化粧やカラコン、衣装、露出度、そしておそらくは角度と補正の数々に惑わされている感じがする…やはり本物は違うんだな。……本物?

「あの…人の顔をジロジロ見るのは、全世界…全異世界共通で失礼だと思うのですが…」

「あ、ごめん」 ヤバい、何十秒くらい見ていたんだろう。分までいった?

「いや、異世界…クゥクゥの人達はみんなすごい美形だから、間近で見ると驚いちゃって…」

 気持ち悪いかな? これくらい許して。

「嫌味ですか? どうせ私は皆と違って美しくありません」

「いや、君はその…めちゃくちゃ美人さんだよ」

 ちょっと~、おっさんがこんな事言うの、相当危ない橋なんだよ~

「か、からかわないでください! どこがですか!  こ、こんな度を超えた大きな目、一直線の鼻筋、薄桃色の大きな口、ああ、気持ち悪い!」

 …いや君、言う場所を間違えるとぶっ飛ばされるよ? なんだか小恋ちゃんがこの娘に対して常に苛立っていた気持ちが、うっすら理解できた。

「JKだからって調子に乗せようとして、一体何を考えているんです。え、エロ事師ですか」

「エロ…誰から学んだんだその言葉。大体、君はJKじゃないだろ? 高校にいってないんだから」

「え? わたしは17歳ですよ。JKです」

「いや、JKは、女子のJ、高校生のK、でJKだから」

「じょしのじぇい? え?」

「いや、ま、それはどうでもいいよ。ちょっと待って、何を尋ねようとしていたんだっけ…」 

 僕は両目を瞑って頭の中を整理した。色々ある中で一番に聞きたいことは直近の、あの3人のメェメェ様の事だが…たぶん話さないだろう。聞くだけ無駄だし、却って警戒される。また逮捕なんて言い出したらめんどうだ。当たり障りの少なそうな事から聞かないと…。

「君は、いくつからこの島で暮らしているのかな?」

「いくつ…ですか?」

「えっと、何歳の頃から?」

「7歳の時からです」

「その前は…僕たちの立場から言うと、その…異世界で暮らしていたのかい?」

「はい」

「引っ越してきたのかな? 家族と一緒に」

「…わたしだけです」

「7歳の子供が、ひとりで?」

「マエマエ様に連れてきて頂きました」

「どういう事?」

「話せません」

「じゃあ、カンペンさんの家族は異世界にいるという事? (はな)(ばな)れで暮らしているの?」

「わか…話せません」

 クゥクゥ達の常識がどんなものなのかはよく知らないけれど、この2日余りの交流だけでも、僕たちとそう変わらない、いや、もっと立派な倫理と道徳を備えているように思えた。年齢に対する認識に大きな差がない場合、7歳の子供を両親から引き離すなんて行為は当然理外だ。きっとそれ相応の理由があるのだろう。もっとも…メェメェ様に対する認識が、それこそ絶対神と呼べるほどのものだったなら…。彼女はメェメェ様に乗っていた。彼女のこれまでの言動からは、メェメェ様が実はロボットか何か…異世界のハイテクマシンであって、彼女が自在に操縦している、という事はないと思われるのだが…。いずれにせよ、彼女はクゥクゥの中でも、何か特別な存在なのかも知れない。

「君は、メェメェ様にその…乗っていたよね」

「日本語でどう説明するのが適しているかわかりませんが、しいて言えば ″付き従う“ という意味が近いかと思います」

「アシスタントみたいなものかな」

「アシ…スタ? えー、たしか…」

「いやごめん」 英単語やカタカナが苦手なのかな?

「お供とか付き添いとか…それとも補佐かな」

「そうですね、少しお手伝いする、という要素もありますので、補佐が正しいかと」

「あくまでも主はメェメェ様なんだね」

「当然です。マエマエ様です」

 メェメェの補佐という立場に誇りを持っているかのような口ぶりだ。ずっと正面を向いていて、目をほとんど逸らさない。一度逸らせたのは、家族が異世界に残ったままか尋ねた時だけだ。真正直な、嘘のつけない娘に思える。単に僕の思い込みの可能性も高いが…。

「他の人もメェ…マエマエ様に乗せてもらえるの?」このついでに尋ねてしまおう。

「マエマエ様は他にも何人かいらっしゃるのかな?」

「話せません」

 サドルと同じ答えか…おそらくあの3人は、彼女が補佐するメェメェ様とは別の存在なんだろう。彼らは嘘をつきたくないから ″話せない” と言っているように思える。あまり突っ込むと藪蛇になりそうだ。

「あの…わたしからも少しお聞きしてよろしいでしょうか?」

 彼女が少し顔を前に出して、上目づかいになって尋ねた。こういった心情を表現するそぶりは、僕達とそう違いはない。彼女は人生の半分以上をこちらで過ごしているからだろうか、感情の豊かさや振る舞いが、サドルたちよりも幾分か地球人寄りに見える。

「もちろん、たいていの事は話せると思うけれど…」 僕らはわりと簡単に嘘がつけるけれどね。

「簾藤さんは…明日帰るんですよね。ニアに移住されないんでしょう?」

「うん…そのつもりだけど」 やはり知っていたか。

「ではなぜ島の事を、わたし達の事を知りたいんですか?」

「うん…まあ、中途半端に知ってしまったから、可能な範囲で消化…納得しておきたいんだ」

 今のままだと、わだかまりが残りすぎるんだよ。

「マエマエ様やわたしたちの故郷、この島との繋がりについては、ほとんどお話しする事ができません。 簾藤さんがこの島の秘密を狙う人ではない、という保証もまだありませんので」

「それは…誓って違う、と言うよ。僕は普通の会社員です。この島の事は、帰った後は忘れてしまうように努めます」

「忘れる? それは無理でしょう」

「記憶を消すのは無理だと思うけれど、自分の中でなかった事にするのはできる」

「なかった事にする…」

 心なしか、彼女の表情が少し険しくなった気がする。

「それは、欺瞞(ぎまん)という事になりませんか?」

「うん、まあ…でも、自分で自分を騙すんだから、誰にも迷惑をかけないじゃない。その辺は…大人の醜いところだと思ってくれていいよ」

「確かに…醜いですね」

「…ごめん、怒らせるつもりはないんだ。僕にはとても島でやっていく自信がないから、おとなしく帰って何もなかった事にする方が、お互い迷惑がかからないだろうと思ってるんだ…うまく言えないな」

「いえ、こちらこそ生意気なことを言ってすみません、礼を欠いていました。わたしも…人の事言えませんし」

 彼女は(うつむ)いて、あからさまに沈んでしまった。僕の言葉が彼女の心の中にある…なにかに触れてしまったのだろうか。

 シャーッという、おそらくフライパンで具材を炒めている賑やかな音が聞こえてきた。まずい…食事の直前に子供の元気を奪ってしまった。何か…彼女が普通に話せる、別の話題にしなくては…

「小恋ちゃん…」 少し裏返った声が出てしまったが、彼女の頭がわずかに上に動いた。僕は一度咳ばらいをしてから言い直した。

「明日川さんは、君とどういう関係なのかな。けっこう親しい間柄に見えたけれど…」

 彼女は顔をあげた。沈んだ表情が、どう説明しようか考えている表情に切り替わってくれた。

「小恋さんは…わたしの家庭教師をしてくれていました」

「家庭教師?」

「ニアにいるクゥクゥの人数は少なくて、また、それぞれが重要な責務を負っておりましたので、島に来たばかりの幼い私のお世話以外に、教育までしてくださる余裕のある方がいませんでした」

「それで小恋さんが?」

「しばらく島で暮らす事になりましたので、幼いころから日本人の方々と交流し、日本語を学んでおいたほうが良いという事で、町長様のお(うち)に度々通わせていただく事になりました」

「でも、小恋さんはクゥクゥの言葉がわからないんじゃないの?」

「ある程度学んでいらっしゃいました。小恋さんもまた、幼いころからクゥクゥとの交流を深めてこられましたから。ただ、日本人…地球人には発音が難しい音が多くありますので、ある程度聞き取りはできますが、喋るのは苦手と思われます」

「そうか…その頃小恋さんは何歳(いくつ)だったの?」

「14歳、中学生でした。とてもきれいで、優しくて、時々怖い…いいお姉さんでした。日本語だけではなく、算数、理科、社会、歴史を、この世界の様々な事を教えてくださいました。今はもう、こちらの世界の事の方がより知識を持っていると思います」

「今は…少し仲が悪くなっちゃったのかな」

「…小恋さんが高校生になって、島から離れてしまうと滅多に会えなくなって、それでも月に一度か二度は必ず会いに来てくださったんですが、大学生になってからはほとんど帰ってこられなくなって、どんどん疎遠になってしまいました。大学を卒業した後、島に戻られたんですが、その時にはすでに分断が生じておりまして…」

「そういう事か、そのせいもあって、ぎくしゃくした関係になっちゃったんだね」

「戻られてからは何度も私に会いに来てくださったんですが、わたしの方も、長年放っておいて何を今更、という気持ちがございまして…」

「決して嫌っているわけじゃないんだよね、お互いに」

「ええ、まあ…」

 そうかー 僕は両腕を組んで考えた。

「という事は、小恋ちゃんは君より7つ上、いま24か25か…」 もう一つ二つ若いと思っていた。…うん、まあギリ大丈夫な年齢差なんだな。

「どこの大学行ってたのかな?」 やっぱり東京だったのかな。なら、わりと近くで暮らしていたのかも知れない。

 はっと気づいた。案の定、カンペンは訝んだ表情に変化していた。表情豊かだな。

「もしかして、小恋さんの事が好きなんですか?」

「い、いや違うよ。年齢を聞いていなかったから」

「へー、ふーん、出会ってまだ数日と聞いていましたが、日本の男の人って、そんなので簡単に惚れちゃうんですね。率直に言って、気持ち悪いです」

「だから違うよ。…まあ、かわいい女の子相手だと、ついそういう気持ちで見てしまうってところは否定しないよ。それは日本人だけじゃないし…きっとクゥクゥの人たちも…」

「クゥクゥはそんな無節操ではありません。きちんと時間をかけて相手の内面を見て、その誠実さ、心に恋をするのです。見かけで大方を判断するような、性欲の下僕とは違います」

「下僕って…めちゃくちゃ言うなぁ。見かけだけじゃないだろ? 小恋ちゃんは優しくて、いいお姉さんだと言ったじゃない」

「それは確かですが、いろいろと問題もある方ですよ。…たぶん、簾藤さんの手には余ると思います」

 それは…ちゃんとわかっているよ。

 お婆さんが料理を運んできてくれた。僕の前に焼きうどんが、カンペンの前に焼きそばが置かれて、グラスに入れたお冷も2つ用意してくれた。わざわざ両方を作ってくれたんだ。どちらかというと、そばの方が良かったけれど…。しかし、両方ともとんでもなく美味そうだった。大盛で、具材が豊富というか…豊潤だった。見るからにシャキシャキのキャベツや玉ねぎ等の野菜はもちろんだが、他に薄く焦げ目のついた白身の魚や小エビ、トコブシと、少し衣をつけて揚げたイカが刻んで混ざっている。それら魚介のエキスに加えて濃厚バターと醤油、さらに何かわからないスパイスが合わさった香ばしさに、食べる前から胃腸と食道が刺激されて、激しく活動し始めていた。

 カンペンはまずグラスの水を飲みほした。自分も喉がカラカラだった事を思い出してグラスを持った時、彼女が両手を降ろしてじっと待っている様子に気づいた。 いや、犬猫じゃないんだから…。

「食べなよ」

「は、はい、頂きます」

 箸をきちんと持って、空いた片手をきちんと机の上において食べる姿は、日本人から見てとても上品なものだった。それでいて、そばをすする音はしっかり立てて、箸で摘まんだ分を一気に口の中に入れてしまう姿は、実に爽快で微笑ましかった。彼女は両目をきつく閉じて、堪能するようにゆっくり何度も口を動かし、最後に喉を鳴らせて飲み込んだ。そして彼女は甲高い感嘆の一音を発して、左隣にいる透明人間の背を何度もたたくように、手を振った。

「美味しい~です!」

 その恍惚とした表情を見て、さらに胃腸がカッカと熱くなってきた。のどの奥が潤されて、もう準備は万端だ。僕も彼女に負けないよう、一気にうどんを啜り込み、行儀は悪いが、口の中にまだ残っている状態でエビとトコブシを追加し、一緒にして咀嚼した。噛むたびに口内いっぱいに唾が分泌されて、その複雑な旨味を余すことなく脳に伝達した。

 めちゃくちゃ美味い! きっと朝から泳いで、溺れて、荷物の配達を手伝ったおかげもあるのだろう。労働は最大の調味料なのだ。これだけ具が豊富だと、きっと栄養価も高いだろう。キロメだけじゃなく…食べ物だけじゃなく、島にある何もかもが、凄く価値あるものなんだ…。

 僕とカンペンは無言で食べ続け、5分ほどでお互い完食してしまった。食べた後、興奮した脳と胃腸を落ち着かせるため、1分ほど放心していた。そんな僕たちを、老夫婦が笑顔で見つめていた。(してやったり、といった感じの笑顔だったが…)


 雨が止んで、青空が戻ってきた。自転車のチェーンが伸びていて危ないので、リアカーと一緒にホテルで預かってもらうよう提案したが、彼女は自転車を残して、リアカーは引いて帰ります、と言った。他に使う用事があるらしい。

 帰り際に彼女は老夫婦に、その後で僕にも改めて礼を言ってくれた。

「おそらく、二度とお会いする事はないでしょうから、きちんと謝らせてください。海岸でお魚を投げつけてしまったこと…事情を知らないまま逮捕しようとしたこと、大変申し訳ございませんでした」

 彼女は丁寧にお辞儀した。礼儀正しいな…きっと小恋ちゃんの教育が行き届いていたんだろう。中学生までは、部活とか一生懸命やってたんじゃないだろうか。 同年代の友達は皆島を出て行ってしまったのかな? もっと…色々聞きたかったな。

「いいんだ、気にしないで。 最後に君とお話しできて、とても楽しかったよ」

 僕もお辞儀を返した。いい子だ。島の人は…異世界人も含めていい人ばかりだ。(一部鬱陶しいのもいるけれど、彼らにもいろいろ事情があるみたいだし…)

「どうかお元気で、さようなら」

「カンペンさんも、小恋ちゃんと仲良くね。 さようなら」

 野球帽をかぶり、美少女は去って行った。リアカーを引きながら…。

 ほんとに僕は明日帰るのだろうか…。 帰ってしまっていいのか? よく考えるべきじゃないのか? もうすぐ3泊目を迎えてしまうぞ。


次回

第16話「主人公」は4月29日掲載予定です

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― 新着の感想 ―
[良い点] カンちゃんかわいい。 カンちゃんいい子。 案外カタコトじゃないんですね。 カタカナ言葉が苦手なだけか。 [一言] 読んでてボクも食べたくなったので、明日の昼食には具沢山シーフード焼きそばを…
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