第14話「メェメェズ」
ない
二朱島沿岸の西と南を分ける…つまり異世界人(が一方的に決めた、と彼ら柄の悪い漁師たちは言うのだが)の領海との境目には岬がある。それは上から見ると十字と菱形の間のような形状をした島の、突端のひとつだ。傾斜がきつい上に、岩石が多く混じった地質のため開墾が難しく、整備が行われないままで、車で行くことはできないらしい。
僕と雲妻は1艘の漁船に乗せられて、その岬の先端部が見えるところまで連れてこられた。古いサスペンスドラマのラストに出てきそうな、50~60メートルほどの懸崖になっている。ごつごつとした山肌で、崖下の周辺には海面に突き出ている岩礁がいくつもあって、それらに打ちつけられた波が、白い泡を大量につくっていた。
船が停まって、操舵室からウェットスーツを着た長身の男が出てきた。僕と雲妻もまた、同様のウェットスーツを身に付けていた。
「沿岸に近づきすぎるなよ、それと沖の方にも行くな。溺れ死ぬぞ」
男は両手で大きな網目の箱を持っていて、それを甲板に座っている僕たちの前に降ろした。中には様々な潜水用の装備品が、乱雑に入っていた。彼は僕と雲妻を除いた5人の男たちのリーダー格で、名前は笹倉、年齢は46歳と言った。いかにもこれまで体ひとつで生きてきた、というような筋骨隆々の風貌で、またさすがに年長者らしく他の男たちよりもずっと余裕がある態度で、それ故に凄味があった。
その威圧感に反して、笹倉はわりと気さくに話をしてくれた。(雲妻に乗せられていたようにも見えたが…)彼は若い頃からずっと漁師をしているが、島の出身ではなく、15年ほど前に誘われて移住したらしい。他の漁師たちも若い者(とは言っても皆30半ば以上らしいが)の多くが移住者で、素行不良で故郷や職場を追い出されたり、貧しくて食い詰めたり、震災で職と家、さらに家族を失ったりと、本土で行き場を失ったものばかりだという。
斜め向かいにいる…研究所で僕とにらみあったアーミーカットの男が被災者だったら嫌だな、憎めないじゃないか…と思った。
彼らを移住させた、集めたのは、曽野上考史という人物で、島の漁業のほぼ全般を取り仕切る ″株式会社 二朱島水産“ の社長だった。ちなみに、養殖業は明日川の管轄らしい。そして、曽野上は明日川の分家である事も教えてくれた。
…なんだ、雲妻と僕の予想がかなり当たっているじゃないか、単純なものだ。
つまり、互いに自陣の票となる人材を獲得しようとしているのだ。おそらく古くからの住民は明日川派が多いのだろう、だから曽野上は新しい住人を募った。そして比較的若く、声が大きい配下たちと島の経済を支える実情を武器にして、徐々に周囲に影響力を広げているんだ。おそらく呑気に構えていた明日川家は、後塵を拝してしまったのだろう。
しかし、彼らはメェメェの事をどう思っているのだろう。もう何年も島で暮らしているのだし、僕よりもずっとこの ″半異世界” に順応しているのだろうが、それでもあんな超自然の存在と対立する立場にいることを、少しも恐れていないのだろうか?
「皆さんは、あのマエマエ様と異世界の人々をどう思っていらっしゃるのですか?」
僕の疑問をずばり、雲妻が尋ねてくれた。さすがだ…
「知るかそんなもん!」
「わしらはキロメで大儲けしたいだけじゃ、それ以外の事はどうでもいいいんじゃ!」
お前たちには聞いてない。
「まあ、俺たちは雇い主に従っているだけだ。拾ってくれた恩があるからな」
…それで、もしもサドルが言うようにキロメが絶滅したらどうするんだ。元も子もないじゃないか。お前らが今儲ける分には十分かも知れないが、その後…未来の事はどう考えているんだ? 随一の資源を失った島が、衰退してしまうと考えないのか?
「キロメが絶滅したらどうするんだ、ってか?」
笹倉が僕の顔を見て言った。…皆、なぜ僕の考えている事がわかるんだ?
「俺たち下っ端が考えてどうなるもんでもないだろう。島は俺たちの故郷でもないし、稼げなくなったら、食えなくなったらまた出て行くだけだ」
「では、曽野上さんはどう考えていらっしゃるのでしょう?」雲妻が言った。
「ん?」
「次期町長…それだけではなく、ずばり島のトップを狙っていらっしゃるのでしょう? もしもキロメがなくなってしまったら、その旨味もなくなるんじゃないですか?」
「さあ知らんな…でもどうだろうな、今のうちに、とでも思ってんじゃねえかな」
笹倉が僕の前に腰を下ろし、自身の足にフィン(足ひれ)を装着しはじめた。
「異世界だかメェメェ様だか知らんが、そんなこの世とかけ離れた存在なんて、いつまで当てにできるかわからねえじゃねえか。養殖だってうまくいってないんだろ? 何もわからないまま、ある日いきなりいなくなっちまうかも知れない。 キロメも、メェメェもクゥクゥも消えちまって、他の魚…海のもんも川のもんも、野菜や山菜やなんだって普通のもんになっちまって、全部幻だったんじゃ…ってなる時がくるんじゃねえか? それなら今あるうちに取れるだけ取ってやれって思うのは…それで莫大な富を得て、一気に島を発展させて、他にいくつもの産業を確立させるって言うのなら…それはそれで正論だと思うがな」
「なるほど」
いや雲妻、なるほどじゃないだろ…
「メェメェとクゥクゥはずっと昔から…少なくとも町長が子供だった頃から、この島に居つづけているのは確かなんでしょう?」
なぜか弁解するような気持ちになった。
「それで、これからもずっといてくれる保証があるのか? 」
「これまで共に生きてきて、それで資源が守られてきたのなら、それを大切に維持しようとするのが最適解じゃないですか?」
「島の発展との、バランスが問題だな」
「…そうですね」
「現状、クゥクゥはかなり厳しい制限を課していて、それに対して俺たちは大いに不満を持っている。もうちょっと獲っても構わないだろう、って事だ。明日川は間に挟まっているが、どちらかというとクゥクゥ寄りなんだろう。まあ、俺たちにはどちらが正しいかなんてわからんし、興味もない」
笹倉は立ちあがって後ろを向くと、船の縁にフィンを履いた片足を乗せた。
「魚を獲るのが仕事だ。それで飯をたらふく食う」そう言ってジャンプすると、足から勢いよく海に飛び込んだ。
飯を食うだけで済ませないから揉めているんじゃないか…いや、僕にはどうでもいい事だ。
「おら、行くぞ」と背中を小突かれて立ち上がり、仕方なく借りた2眼タイプのシュノーケリングマスクを装着した。…これ、ちゃんと消毒してあるんだろうな。身に付けたウェットスーツとフィンも当然借り物だが、サイズはいろいろ取り揃えてあったので、それを理由に辞退する事が叶わなかった。
海に入ると、船上から銛を手渡された。2メートル以上ある。こんなの、手にするのも初めてだ。そういえばあの…クゥクゥの娘も持っていた。
…まさか素潜りで、しかも銛で漁をさせられるとは思わなかった。雲妻が言ったように釣りか、または砂浜で地引網でも手伝わさせられるかと思ったのだが、…せめてスクーバダイビングでも用意しておけよ。
この辺りの海は漁が許可されているらしい。しかしクゥクゥ側の領海との境界線付近だから、岬より西に行ってはいけない。ごくまれにキロメが紛れ込む事があるらしいので、たまに漁に来ているのだという。また、キロメはなぜか釣れたり、網にかかったりする事は滅多になく、銛突きや水中銃で獲る方法がもっとも確率が高いらしい。海中で出くわすと、勝負を挑んでくるような挙動を取るのだという…いったいどういう魚なんだ。
「俺たちから離れるなよ。きついと思ったらすぐに船にあがれ、無理すんなよ」と笹倉が言った。
…無理もなにも、僕はやりたい、なんて一度も言ってない。
「わかりました!」
やりたい、と二度も三度も言った奴(雲妻)がマウスピースを咥えて、息をたっぷり吸い込んだ。…はあ、なんでこんな事に。
まだ少し曇っていたから海中は暗いと予想していたのだが、意外に視界はクリアだった。驚いたのは魚影の濃さだった。わずか2メートル程潜っただけなのに、大小さまざまな魚が群れをなしている様子が見えた。すごい速さでまっすぐ泳ぐグループ、円を描いてターンするグループ、その場で滞留しているグループ…それぞれが多様な動きをしているのに、衝突して混じり合ったり、途中で別れたり、分散したりしない。きちんと取り決めたルートがあるかのように、迷いなく整然と泳いでいる。まるで日が暮れかかった首都高速を、神視点で眺めているような気分になった。
なかなか3~4メートル以上は潜れない。他の男たちは、雲妻も含めて5メートル以上下りていったが、もう1分くらい経っているだろう、限界が近い。僕は無理せず一度息つぎするために水面に戻った。
「どうしたあ!」船に残っていた男が、僕を見つけて呼びかけた。
僕はマウスピースを外して「いえ、ちょっと息つぎを…」と言った。
男は返事しなかったが、「はっ!」と、嘲笑を示すような声をあげた。
仕方ないだろう、こっちは普段海で泳ぐなんてことしないんだから。泳ぎはべつに苦手じゃないが、素潜りで潜水なんて、しかも片手に銛を持ってなんてはじめての事だ。
なんだかバカバカしくなってきた。なんでこんな事しなくちゃならないんだ。僕はシュノーケルの角度を調整し、先端を海上に出したまま泳いだ。こうすると、海中を眺めながら息つぎせずに泳ぐことができる。もう漁なんか知るか、勝手にやってろ。僕はのんびり遊泳を楽しむことにする。
日が差してきて、海の中にも光が通ってきた。さっき潜った時は多種いる魚の体色がどれも黒っぽい、くすんだ色に見えていたが、今は強い光のおかげで赤や黄、白、緑、紫といった種々の波長を反射させている。澄んだ海水はそれらに膜を被せることなく鮮やかに、かつ青色の背景を配置する事で際立たせていた。
美しさは数倍増していたが、距離があるので迫力に欠ける。このまま上から七色の花吹雪を眺め続けるのもいいが、やはりもっと近づいて、生命を感じてみたいと思った。さっきは潜水なんて思ってもみなかったので戸惑い、多少びびっていたが、今はもう水に慣れてきた。そして、まだキロメの効能が十分残っている感じがする。きっと2分は息が続きそうだ。いや、3分くらい行けるかも。
頭部のほとんどを水につけているからよくわからないが、かすかに声が聞こえた。あいつらが上がってきたようだ。何匹か獲物を捕らえたみたいだが、キロメを獲ったような盛りあがりはない。あいつらと合流しても、早々に上がった僕はどうせバカにされて気分が悪くなるだけだ、無視しよう。僕は顔を上げないままシュノーケルで精一杯空気を吸い込み、そのまま潜った。
一気に行ける所まで潜ろうとしたので、魚群の中に割って入ってしまった。魚たちは僕に一切触れないよう鮮やかに体を躱し、すぐに隊列を整えて過ぎ去っていった。悪いことをした…その後は周囲を見て、慎重に潜水を続けた。もう7~8メートルくらいまで潜ったんじゃないだろうか。特に体に異常はない。途中で耳抜きを2回行い、どちらもうまくいった。
ところどころに珊瑚がある…血管のような真っ赤な枝を、扇状に広げている。おもちゃのように明るいピンク色のものもあった。…たしか、もっと深海でないとこれほどのものはないんじゃなかったか? ものすごく貴重なんじゃ…
30センチくらいの魚が目の前を泳いだ。黄色と黒のトラ縞模様で、平べったくて口がとんがっていて、鮮やかな体色を見せつけているようにひらひらと体を揺らして泳いでいて、とても愛嬌があった。他にも、長い白ひげを生やしたようなピンク色の魚、海と同化しているような青い魚、ウニの様に周囲にとげを生やしている危険そうなものや、なんとも説明しがたい形状をした不思議な蛍光色の生物…ウミウシ?ナマコ?もいる。それぞれが自ら発光しているかのように輝いていて、生命力に満ち溢れているように見えた。もちろん普通の…というか地味な色合いの魚もいっぱいいる。マグロやカツオ、サバ、アジ、イワシの大群など、よく見知ったものだ。まさか、サメやカジキなんかもいるんじゃないだろうな…
豊富な資源に加えて、ダイビングスポットとしてもかなり優れた環境だ。知られてしまえば、きっと大勢が押し寄せる事になるだろう。そうしてたちまち環境汚染、資源の破壊へと繋がる…そう考えてしまうのは浅はかだろうか…。
かなり寒くなってきた。いくらウェットスーツを着ているとしても、やはりまだダイビングには早い。水温は深く潜るほどに低くなっているだろう。耳抜きをもう一度してから、海上に向かって泳いだ。3分近く経ったと思うが、まだ息は続く。キロメ…雲妻と二人で大皿ひと皿分を食べた…とは言っても、それぞれ刺身を12~15切れずつくらい…せいぜい200~250グラムだったんじゃないだろうか。一体いつまで効果が続くのだろうか。単に体力増強で収まるものじゃない。珠ちゃんの病気に作用しているというのも事実なのかも知れない。…本当に万能薬、不老長寿の妙薬といえる程のものならば、雲妻が言うように、1尾1億や2億…3億でも、決して大げさじゃない。
上に向かっている途中、何気に周囲に目を配っている自分に気づいた。海上に顔を出すと、すぐにシュノーケルから水を吐き出し、大きく息を吸ってまた潜った。さっきまで邪魔でしかなかった銛の柄を強く握りしめた。 昨晩 ‟キロメなんか食べるんじゃなかった″ と思ったのに…いや、自分のためじゃない、できる事なら本土に帰る前に、珠ちゃんにキロメをご馳走してあげられたら、少しは自分の気が晴れるんじゃないか…そう思ったんだ。
異世界人とは言え、あんな若い娘でもできるんだ、僕にもできない事はない! と意気込んだが、全然見つからないのでは話にならなかった。第一、目が少し黄色みがかっているというだけで他にそう外見上の特色がない魚を、よく知らない僕が探せるわけがなかった。挑んでくるような挙動をすると言ったって、それがどういうものかもわからないし…。
色々とあてのない方向に泳いでしまったから、今自分がどこにいるか急に不安になった。海上に頭を出して周囲を確認してみると、船はかなり小さく…150メートルほど離れてしまっている。こんな所で遭難なんてシャレにならないぞ。僕はまたシュノーケルの角度を調整し、船の方向にむけて海中を見ながら泳ぎ始めた。
…なにか、変な感じがした。水面を泳いでいるというのに、なぜかさっきよりも、水深7~8メートルよりももっと深いところを泳いでいる感覚になった。しかも、一層ひんやりと…寒くなった。ウェットスーツを脱いでしまったかのような、全裸になってしまったかのような心細い気持ちになった。もう一度頭を出して確かめようかと思った時、何かが傍を通って、それによって生じた強い水流が僕の体をさらった。この勢いは…どう手足を動かそうと抵抗できるものじゃない。僕は思わずマウスピースを咥えた口を両手で覆った(当然銛は手放してしまった)。目をつぶって数秒間身を屈めていると、やがて(おそらく十秒程度だったと思う)水流はおさまり、僕はおそるおそる目を開けた。僕は海中に引きずり込まれていて、目の前に…何かがいた。氷のように透明だが、大きなもの…2メートル、いや3メートル近くある。魚の群れがそれを避けているため、うっすらと形がわかった…柱? まさか…メェメェ…様?
さらに水温が低くなって、寒気と共に強烈な、重々しい気配を感じた。僕は囲まれていた。背後にも透明ではない円柱が立って…いや、泳いで?…いたのだ。それも2体、つまり全部で3体…いや違った、3人のメェメェ様がいたのだ。透明だった正面のメェメェ様も姿を現した。…え?光学迷彩? え?なぜ僕を取り囲んでいるの?
3人とも砂浜や突堤で見たメェメェ様と同様の形で、同じく白色だ。少し小さい…か? 周囲に中メェメェや小メェメェ、極小メェメェはなく、本体(?)だけがいる。3人の内、1人は同じヤツなのだろうか、それとも大メェメェも複数あるという事なのだろうか、メェメェ様は4人いるという事なのか、あの娘が中に乗って(?)いるのだろうか…尋ねたいが、水中なので無理だ。いや、というかこの状況…僕はどうすればいいんだ?
3人が僕との距離を少し縮めた。そしてゆっくりと周囲を、円を描くようにまわりはじめた。さらに、それにあわせるように七色の魚群も、僕を中心にして泳ぎ始めた。
ちょっとー! えー! 怖いー! どうすればいいんですかー! 許してくださいー!
心の中で何度も大声をあげた。
万華鏡に放り込まれたような景色の中で、僕の体はゆっくり上昇していった。浮き上がるというより、昇天しているような感覚だった。眼下の3人のメェメェ様は、しばし僕を見送っていたようだったが(目はないが、斜め上に向けて体を傾けていたから)、やがてもの凄い速度で同方向に泳ぎ去った。
なんなんだ ………… いや、なんなんだ!?
僕は自身の体を調べた。良かった…裸じゃない。もしかしたら、さっきの現象で自分もメェメェに変身しているんじゃないかと思った。そんな設定じゃなくて、ホントに良かった。
ところで海上はまだなのか、どこまで連れていかれたのだろう。まずい…もう息が…ヤバいぞ! 僕は上を見た。海中はさっきよりずっと暗くなっていて、今ひとつ海面までの距離が掴めなかった。僕は慌てて手足を動かした。焦れば焦るほどうまく泳げなくなる、そう気づいた時にはもう遅かった。意識を失いかけたところで、すごい力で右上腕を掴まれた。あっという間に船に引き上げらて、シュノーケルを乱暴に引きはがされた僕は、甲板の上に横たわった。
僕を助けた太い腕の主…笹倉が、僕の頬を叩いた。
「おい大丈夫か? 人工呼吸はごめんだぞ」
「…だいじょうぶ、です」 僕は咳きこんだ後、横を向いて水を吐いた。
「岸壁に近づくなって言ったろ、あぶない所だったぞ」
…自ら近づいた覚えはない。
「すみません、気づかなかったみたいです。あと、銛をなくしてしまって…」
「そんなもんいい。お前さんになんかあったら、明日川に殺されちまうところだ。天気が悪くなってきたからもう帰るぞ。しばらくそのまま休んでおけよ」
笹倉は立ち上がって、操縦室に移動したようだ。周囲から「やれやれ」「アホが…」と、呆れた声が聞こえた。くやしいが、怒る気力もない…。
「簾藤さん、大丈夫ですか?」
雲妻が僕の顔を心配そうに覗き込んだ。
「ええ、まあ…」
「もしかして、キロメを追いかけていたのですか?」
「…いえ」 3人のメェメェ様が… やめとこう、僕はもう明日帰るんだから。
「そっちは…キロメは獲れましたか?」
「残念ながら現れませんでした。しかし、わたしは他の魚を3尾も獲ることができました。意外と漁師も向いているかもしれません」
「…そうですか、良かったですね」 じゃあ移住したら、曽野上サイドにつくのか?
養殖研究所の向かいにある漁港に戻ったが、綾里さんたちはとうに移動してしまっていた。笹倉たちに昼食に誘われたのだが、僕は断った。もうこいつらに付き合うのはごめんだ。しかし雲妻はすっかり打ち解けたようで、自分は誘いに応じると言った。
僕は少々不満を態度に現わしてしまったが、雲妻はあくまでも彼ら…曽野上側の情報をもっと得るためであり、今のところは明日川の方に理がある、と考えている事を陰で僕に説明した。今のところ?…どうにもひっかかる部分があるが、僕が不服を唱える道理もない。僕は雲妻と別れて、ひとりホテルに帰ることにした。
ホテルへの道はわかるが、徒歩だとかなり遠い。おそらく1時間弱かかるだろう。キロメの効能に頼って走る事はできるかも知れないが、正直疲れていて試す気にもなれない。タクシーはないだろうし、路線バスがあると言っていたが、バス停は見当たらない。仕方ない、のんびり歩くか…どうせもうする事もないし。 リゾートの最終日だというのに、どうにもさえないなあ。
2つのトンネルを15分くらいかけて通り抜けた。トンネル内にはきちんと照明があって、対面2車線ずつあって広いが、歩道がないので少し危険に思った。しかし、歩いている人の姿はまだ一人も見ていない、住民のほとんどは車を持っているのだろう。お店等があるのは役所周辺、島南沿岸にある中心地で、研究所よりも東だ。ホテルは島の西側なので、僕が今歩いているルート上には、おそらく何もなかったと思う。お腹がすいてきたが、ホテルまで我慢するしかない。…でもあのレストラン、昼間は営業しているのだろうか?
道が対面1車線ずつに狭まって、段々と上り坂になっていった。車移動の時は気づかなかったが、この辺にも田畑や林の合間に民家がある。どれもこれも古い和風建築で、中には誰も住んでいないような、放置された庭の草木で覆われてしまっている家もあった。
道中ではじめて人の姿を見つけた。自転車に乗って家の門から出てくると、角を大回りで曲ってから僕の20メートルほど先を進んだ。かなり遅い…無理もない、自転車の後ろの荷台には、大きなリアカーが繋がれている。それも宅配業者が使用しているものと比べてひと回り以上大きく、しかもたくさんの荷が積まれているからだ。
僕は普通の速度で歩いていたが、すぐに真後ろまで追いついてしまった。随分と年季の入ったリアカーと自転車だな。それぞれギーギー、ガガガと悲痛な音を鳴らしている。どうしよう、追い越すのはなんか悪い気がするし、手伝ってあげるというのも…気持ち悪がられるかな。お年寄りなら素直に受け入れてくれそうだけれど、若そうだし…ん? 若いというか…子供じゃない? 女の子じゃない?
ライトグレーの作業着を着ていて、同色の野球帽を被って、…ロングの金髪を後ろで束ねていた。
彼女は立ちこぎし始めた。なかなかペダルを踏み下ろすことができない様子だが、一回一回精一杯力を込めて、必死に4輪のタイヤを回転させている。自転車とリアカーの軋む音をかき消すような声で、彼女は「ド根性ぉ!」と日本語で叫んだ。
来週は
第15話「カンペンと呼んでください」です。