第1話「異世界に行けばいいんでしょう?」
発光しているかのように明るい黄緑色の角膜とブラックホールのような瞳孔。そこから放たれた視線が、鋼よりもずっと硬い外殻を突き抜けて注がれている、そんな気がして、僕は後頭部をさすった。背後からだけではない。透き通っているかのように映し出された前方の景色にもまた、僕の顔を…向こうからはマジックミラーのように見えていないというのに、まっすぐ睨みつけている日本人の女の子が映っている。僕を前後から挟む視線の持ち主はともに若く、かわいく、美しい女性で、こんな子達が彼女になってくれたなら、それだけで自分の人生において、僕は主役である、と確信できた事だろう。しかし、それはもはや適わない。彼女たちの表情は険しく、僕を憎んでいる、疑っている様子だ。無理もない、僕はしくじった。しくじりまくった。彼女たち両方の好意を得ようとしたのが間違いだ。まさしく二兎を追うものは一兎も得ず。いや、それどころじゃない。僕はさらに右隣にいる、僕と同様にロボットなのか、生体兵器なのか、それとも神仏の類か、得体のしれない物体(それぞれ全長1~3メートル以上ほどの筒状の…大小の円柱状の物体が6、7つ、細かいもの(全長50センチ以下)を入れれば15ほど連結されている…そうだな、大まかにいうと巨大なテトラポット? ドじゃないからいいよね? いや…とにかく簡単には説明しづらい形状の何かの頭部?)に後ろ向きに搭乗している彼女にも、気を散らしていた。彼女もまた僕よりも年下だが、幼い息子をもつシングルマザーだ。なんなんだ僕は、ハーレムアニメやエロゲの主人公にでもなったつもりなのか? 左隣にいる、こいつも同じくロボットか生体兵器か神仏かテトラポットか…の中にいるオタクの、どうかしている変人と違いないじゃないか。いや、実際のところ、彼はまだわきまえている。僕の方がずっと浮かれていたのだ。そして劣っていた。能力的にも、人間的にも。ああ、どうしてこんなふうになってしまったんだ。
「おい、いつまでぐずぐず言ってやがんだ」
その乱暴な言葉は、彼の内部にいる僕にしか聞こえていない。
「声出てた?」
「出さなくても聞こえる。鬱陶しいったらありゃしねえ」
「ごめん」
「覚悟を決めたんだろう? いいじゃねえか、全部ひっくり返してやろうぜ。うまくいきゃあ女どもの評価もまたひっくり返るかもしれないぞ」
「たとえうまくいったとしても、その時僕はもう…」
「心配すんな、俺がついている」
「はあ…そうか、僕はなんだかんだ言って、単にスケベエなだけの男だったんだ」
「いいじゃねえか、どうせどいつもこいつも、人間なんてそう大差はねえ奴らばっかりだ。ほっといたら欲におぼれた挙句、いつか全滅しちまうのが関の山よ。お前らがいるこの世界も、あいつらの…異世界ってやつも、きっと同じようなものなんだろうよ」
「異世界って、あなたの世界なんでしょう?」
「だって、俺も一度しか行ったことねえもん。もともとここで生まれたんだから」
「ああそうか、…同じようなもん、 なのか?」
彼に(性別はないらしいが、僕だけに聞こえる声と言葉遣いが輩のおっさんみたいなので)背後(彼にとっては前方)を見せてくれるように頼むと、すぐに目前のモニター?が切り替わった。やはり、厳しい視線が自分に注がれていた。彼ら異世界人十数名の中央に、彼女が立っている。彼らの瞳の色と似た鮮やかな青空と草原に包まれている中で、僕らは対峙している。彼女の傍らには、彼(輩のおっさん)とほぼ同じ形をした、白い…もうテトラポットでいいだろう、が一体立っている。彼女もまた、それに搭乗する事ができるのだ。
彼女は美しく、凛としていて、それでいて細くて可憐で、異世界人とはいえ同じ人類のカテゴリーに入れていいものか迷うほどの造形だ。 彼女自身は普通以下程度の容姿という。周囲にいる美形揃いの異世界人の中でも頭一つ抜けていると思うのだが。
彼女をはじめ、異世界人は皆、なぜかこの世界にもあるような、ポケットが上下にたくさん備えられた青い消防団の制服のような服装をしている。実に野暮ったい。見るたびに思うのだが、美貌の持ち腐れも甚だしい。…いや、そりゃあ実際機能性には優れているのだろうが、もうちょっとどうにか…露出しろとは言わないけれど多少体の線を出すような…なぜだ? ああ、なぜ僕は今の緊迫した状況で、またこんな事を考えてしまうのか。ふざけてんのか?
「昨今の度重なる領土侵犯、横領の数々に加えてこの状況、我々はもはや不信感しか持ち得ませぬぞ!」
彼女らしい時代がかった、そしてどこか不安定な日本語が響いた。
「説明を乞う! 何を企んでの参集なん?…の、か」
こちらの世界の人類というか…日本人は、今この場に50人以上いる。しかし、その約半数はこの島の住人ではなく、本土から来た軍人であった。服装は迷彩の軍服だが、自衛隊ではないらしい。また各々が武器を携帯している。それは多くが拳銃やライフル、1人だけバスーカみたいなものを…いや、あれは確かRPGとかいうものじゃなかったっけ?
「あくまで話し合いだ! 何度も申し込んでいるというのに、返答がないから玄関先に訪れたまでの事だ!」
島の代表である二朱町長、明日川堂々が叫んだ。その名の示す通り、常に威風堂々とした態度だが、容貌は体の小さな老人だ。
「我々の許可なく島外の人間をこれほど多数連れてくるとは、規約違反も甚だしいです! しかも武器を携帯している。 例えこの場を話し合いで終えたとしても、ただでは済ませぬ、この件にはこれまでにない厳たる態度で臨みます!」
「君たちは常に強大な武器を携行している。 これまでの45年もの間、ずっとの事だ。 それこそが不公平だったのではないか? 」
彼女は町長の言葉に舌打ちし(こういう心情表現は共通なのだな)異世界の言語で、雑言の数々を発した。彼女は白いテトラを武器扱いされた事に激しい怒りを示したのだが、外にいるこちらの世界の人間に、誰も内容を理解するものはいなかったろう。
「相も変わらず立場を理解されていない。それに自らの言葉の矛盾にも気づかれないとは呆れたものです。そこにある3体の出来損ないはなんです! 説明するまでもありませんが、それは我々の領地から、そちら側にいる不届き者が盗んだものです!」
彼女は一旦町長に移していた厳しい視線を、もとに(つまり僕に)戻した。
「あなた達が! あなたが! この、嘘つきで、優柔不断、いやらしい、バカ、アホ、トンマ、トロマ映画、脳みそがクラミジア感染した、エア天ぷら男め!」
「むちゃくちゃ言うなあ」と、僕の心中におっさんの声が被さった。きっと半分以上、言葉の意味をわかっていないだろうな。
「その3体、そしてその真ん中、不吉な赤紫に変色した出来損ないの中に入っているであろう男、簾藤響輝をこちらに引き渡しなさい! 話し合いに応じるかはその後です!」
「それはできん。彼らのおかげで、我々はようやく君たちと対等な協議を行える事になったのだからな」
町長が多量の顔のしわを揺り動かせながら、高笑いした。 このチビの老人、まあ、実はそれほど悪人ってわけじゃないと思うんだけれど…
「いや、もしかしたら対等以上かもしれんな。 そちらは私が知っている限りではもうわずか2匹しかいないだろう。この場ではその1匹だけだ」そう言った後、町長はいやらしそうな引き笑いをした。
いやあ、やっぱり悪人かな。
「匹だと… 対等だと… 言いやがりましたね。 もはや腹にすえかねた! もうペコペコだ! というところまで来ましたよ。いっちゃいましたよ。 許すべし! 打つべし! 撃つべし!」
途中で許しちゃったよ…
彼女がわずかに膝を曲げてから3メートル以上も高く飛び上がると、一秒かからずに白いテトラの主体である、一番大きな筒状ボディの上部(頭部?)が、ジッポーライターのように前に折れて開かれた。 ひねりを加えて宙返りした彼女が後ろ向きになって吸い込まれるように開かれた内部に入ると、直ちに頭部は元通り閉じられて、大小複数の円柱状ボディの、それぞれの連結部や各所に七色の光が生じ、立ち上がったかのように体長が伸びた。そして主体中央部の一部に溝が入るように窪みができて、その溝の中央付近の2ヵ所に、平べったいダイヤモンド型の灯りが点いた。それらは搭乗者の瞳の色と同じような、黄緑色に輝いている。
「最終警告です! ただちにその3体と簾藤を引き渡しなさい!」
彼女の怒声が増幅されて草原に響き渡ると、軍人たちが武器を構えた。青作業服の異世界人たちは何も携帯していないようだが、白テトラを中心に挟んで、2メートルほどのほぼ等間隔で前後2列に整列していた。
「おじいちゃん!」と叫んだのは、僕を前から睨んでいた日本人の若い女性、明日川小恋だ。
町長は孫娘に振り向きもせず、「引ーかーん!」と大声をあげた。
誰も動かない、声を発さない間が流れた。
僕はアームレスト部(別に椅子ではないのだろうが)に乗せていた両肘に力を入れて、中でスノードームのようにきらきらと細かい光が舞っている球形のグリップを左右とも握った。特にこれで彼本体を操縦したことはないのだが…
「おい」 彼が小声で話しかけた。別に僕らの声は外に漏れ出ていないのに。
「雰囲気に呑まれてテンパるんじゃねえぞ。目的を忘れていないだろうな」
「大丈夫」と言いつつも、完全に吞み込まれていましたが…
「異世界に行きます、ああ、行ってやるとも! こうなったらもうやけだ」
「そう! やけのやんぱち日焼けのなすびってヤツよ」
なにそれ?
「いい度胸です! 無地白色が純粋純潔、全知全能の聖なる証、真のマエマエ様とその無様に濁った出来損ない共を同列に並べた大罪、このわたくし、カンペンが裁いてくれよう!」
マエマエとはテトラの事(正確にはマエマエという発音ではなく、僕らには聞こえない発音が混じっているらしい。日本人側は皆なぜかメェメェと呼んでいる) そしてカンペンとは(これも正確な発音ではないようだが)自身が言う通り、彼女の名前だ。
「滅しあがります! 簾藤響輝!」
喰ってやるっていう意味? とにかくめちゃくちゃ嫌われているじゃないの。ああ、どうしてこうなったんだ。
「マジでやり合う事になりそうだな、回想するなら手早く済ませろ」
あ~、どうだろう。かなりかかるだろうな。
商品登録名称のため、テトラポットと表記させて頂いております。
次回「第2話 追放されればいんでしょう?」