コンプレックス
「え…貴方それ着ていくつもり…?」
「いつもの格好だが?」
現れたテトの格好にアレスはドン引きしていた。
アレスの部屋まで迎えにやって来たテトは、初めて会った時と同じ、黒ずくめのコートを羽織り、ご丁寧にフードまで被っていた。
先ほどまでの貴族然とした恰好は全て覆い隠され、どこから見ても完璧な怪しい男に仕上がっていたのだ。
「いや、街に買い物に行くのに、それは変でしょ。せめて顔くらい見せたら?」
「…っ」
アレスの何気ない言葉をきっかけに、突如嫌な記憶がフラッシュバックした。思い出したくもない、忘れたはずの声が次々と頭の中に聞こえてくる。それは、耳元で囁かれているような鮮明な声だった。
『あのお顔で魔力持ちで名家でしょう?是非とも見染められたいわ。』
『好きなところですって?わたくしは、貴方の見た目と地位に惚れ込んだのですわ。』
『あの容貌でしょう?女性なんて毎晩取っ替え引っ替えして遊んでいるに決まっているわ。』
テトの見た目や地位にしか興味のない女性たちの声や勝手に植え付けられたイメージ、彼がまだ少年だった頃から、好き勝手言われ続けて来た。
心無い声に晒され続けたテトは、いつしか自分の容姿をコンプレックスに感じるようになった。
こんな顔だから、誰も中身を見てくれない。
こんな顔だから、皆勝手に決め付けてくる。
こんな顔じゃなければ…
「アレスも、この顔と歩きたいのか?」
「え?」
気付いた時には、抱いた黒い感情が言葉になって口に出てしまっていた。
過去の嫌な記憶に晒され、つい卑屈になってしまった。言うつもりのなかった言葉に、今度は後悔の念が押し寄せてくる。青ざめた表情で慌てて口を押さえたが、もう遅い。言ってしまった言葉は取り消せない。
「は?そんなふうに思う人いるわけないでしょ。私はテトと買い物に行くの。顔だけついて来たら怖いって。うわ、想像したらめちゃくちゃホラーなんだけど。ちょっと、怖がらせないでよ!」
アレスは自分で言ったことに勝手に怖がり、テトの肩をパシっと勢いよく叩いて来た。
自分の想像とあまりにかけ離れたアレスの反応に、昔の嫌な声など、どこか遠くに吹き飛んでしまった。
テトは、気の抜けた顔で、ふふっと小さく笑みをこぼした。
「この顔がコンプレックスで街に出る時は必ず隠してたんだが、アレスの話を聞いたら、そんなことどうでも良くなって来たな。」
「え?は!?そんなに綺麗な顔でコンプレックス!?しかも、だから隠すって…それは勿体無いって。だって、その見た目も含めてテトのアイデンティティ…って伝わらないか、ええと…全部ひっくるめてテトらしさなんだから、隠す必要なんてどこにもないよ。」
異世界に来て早々、名前を変え、地毛の色まで変え、アイデンティティのかけらも見当たらないアレス。自分のことを思い切り棚に上げ、偉そうに綺麗な言葉を並べた。
「ありがとう、アレス。まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思っても見なかった。これはまた…返しきれない恩を作ってしまったな。」
「いや、テトの恩は重そうだから、今貰っているものだけで十分です…お腹いっぱいです…」
アレスの言葉に声を上げて笑うと、テトは羽織って来たコートを脱ぎ捨てた。貴族然とした麗しい姿が露わになり、晴々とした表情だった。
「では、参ろうか。少々騒ぎになるかもしれんが、許してくれ。」
「いいよ、別に。美人は目立ってなんぼでしょう。是非とも皆の目の保養になって差し上げて!」
今度は気合いを込めるために、テトの背中を勢いよく叩いたアレス。気持ちの良い音が廊下に響いた。