焦燥感
久しぶりにダイニングで摂る朝食、アレスの顔は最初こそ喜びに溢れていたが、時間が経つに連れ、その表情からは笑顔が消えていった。
その原因は、目の前に座っている男にあった。暗い顔で紅茶を啜っており、食事にはまだ手を付けていない。
「テト、どうしたの?何かあった??」
「…なんでもない。」
「そう…」
『なんでもない』とは到底思えそうにない弱々しい声音に、アレスは眉間に皺を寄せた。
どうせまた何も話してくれないのだろうと思ったアレスは諦めてため息を吐き、紅茶に口をつけた。
二人の間に重苦しい沈黙が続いた。
『テトラス、今夏、大規模討伐作戦を決行する。』
『…お前気は確かか?そんなことをしたらこの国は、』
『異論は聞かない。これは決定事項だ。僕は前線に立って指揮を取る。君もだ、テトラス。その代わり、アレス嬢は王宮の結界内に匿ってやる。君に心を折られては貴重な戦力を失うことになるからな。』
『そんな勝手なことをして、』
『何になると?では逆に聞くが、このまま弱りゆく守りの中にいてこの国に未来はあるか?僕達と同程度の魔法使いが現れると思うか?後数年で僕らはいなくなる。今さえ良ければ、その後のことはどうでもいいと言うのか?』
『そんなことは誰も言っていない。俺だってこの先を考え、10年も前から禁忌を犯して魔力の増強を試みてきた。条件さえ揃えば最後の制限が取り払われ、この大魔法は成就する。それさえ叶えば、俺一人の力で恒久的な結界を張ることが出来る。俺の命だけで国の安寧が得られるのだ。悪くない話だろう。』
『君はそう言うが、それはいつだ?本当に実現出来るのか?その根拠は?その前に魔物の大群が押し寄せてきたらどうする。お前の賭けにこの国ごと巻き込むと言うのか。…本当は君に賛同してもらいたかったのだが、仕方あるまい。アレス嬢を人質として君の身柄を、』
『…分かった。』
『この国の王太子として、ロワール公爵の協力に最大の謝意を示す。協力、感謝するよ。』
テトは、先日のタテロットとの会話を思い出していた。
国民の命とアレスの命、迷いなく彼女を選んだはずなのに、頭の中で、本当にそれでいいのか?という声が何度も何度も聞こえてくる。何が正解なのか分からなくなってきた。
せっかく久しぶりにアレスの姿を目にしたというのに、彼の心は晴れるどころか陰る一方であった。
朝食を終えたアレスはいつものようにジュリアの店へと向かった。フィオナの授業がなく時間のあるアレスは、週5回の勤務に増やしていた。
フィオナは、家業が忙しいらしく、年が明けて三ヶ月経つというのにまだ一度も邸に来ていない。王宮でのパーティーで軽く挨拶を交わしたきりだ。
周囲の忙しそうな雰囲気に、アレスもどことなく焦燥感を抱いていた。
「おはようございます、ジュリアさん。」
「アレスさん、おはよう。今日も来てくれてありがとうね。」
いつもと変わらないジュリアの笑顔に、アレスは安堵した。
この日はいつもより客足が少なかった。アレスは、この店だけではなく、街全体に人が少ないように感じた。もうすぐ春だというのに、寒々しい空気が流れている。
「ジュリアさん、なんか最近街が静かじゃないですか??」
客のいない店内で、アレスが暇そうに入り口近くの窓を磨きながら尋ねた。
「ああ、それはきっと噂のせいで…」
「ジュリア!」
乱暴にドアが開く音とともにジュリアの名が呼ばれた。驚いた彼女がドアの方を見ると、そこには息を切らしたダミがいた。
「まぁ、ダミアン坊ちゃん。珍しいですね。そんなに慌ててどうなさいましたの?今お茶を淹れますから、良かったら中にどうぞ。」
明らかにいつもと様子の違うダミに、ジュリアは心配そうな顔を向けつつも、アレスに不安を抱かせないように努めて穏やかな口調を意識した。
「ああ、いきなり悪かったな。アレス嬢も久しぶり。ジュリア、少しだけいいか?」
「ええ。アレスさん、お客さんいないから大丈夫だと思うけれど、何かあったらすぐに声を掛けてね。」
アレスに声を掛けると、ジュリアは穏やかな表情のまま、ダミと一緒に奥の部屋に消えて行った。
大丈夫、かな…
ダミが店に来ることなんて滅多にないし、きっと何かあったんだろうな…一体何が起きてるんだろ…みんな忙しそうででも街は静かで、気味が悪い。ダミが帰ったらジュリアさんに聞いてみよう。
私だったこの国で生きているんだから、知らないふりはしたくないよね。
でも、教えてくれるかな…
「ジュリア、また来るから。今の話、ちゃんと考えとけよ。」
「ええ。ありがとうございます、ダミアン坊ちゃん。」
苦い顔をしたダミと嬉しそうに微笑んでるジュリアが奥から出てきた。10分ほどで話は終わったらしい。
急いでいるダミは、真っ直ぐにドアの方に向かって歩いている。アレスも彼を見送るため急いで出口に向かった。
「アレス嬢、テトラスのこと頼むよ。」
ドアを開けたダミはその場で立ち止まって、アレスの方を振り返った。
いつもの彼らしくない、泣きそうで苦しそうな声に、アレスはただ頷くことしか出来なかった。
「それと、ジュリア。」
「はい」
今度はアレスの隣にいたジュリアの名を呼んだダミ。いつもより強張った声は、彼の真剣さと緊張を如実に現していた。
彼を安心させるように、ジュリアはにっこりと微笑んでいつもの声で返事をした。
「もうダミアン坊ちゃんって呼ぶな。次からは名前で呼べ。」
最初こそ、低い声でカッコつけて話せていたが、後半は恥ずかしさが勝り、声が震えて耳が真っ赤になっていた。
心臓が爆発しそうでジュリアの方を見ることが出来ず、なぜかアレスの方を見ている。
「えっ??」
「は?」
「い、急いでるから、もう出る!また会いに来るから、じゃあな!!」
来た時よりも大きな音を出して乱雑にドアを閉めると、嵐のように去って行った。
「は……今のなに……?なんて??」
好きな子を前にした小学生みたいなダミの振る舞いに、アレスは呆れ返っていた。
こっちまで恥ずかしくなってくるんだけど、とジュリアに愚痴をこぼそうとしたが、彼女の顔を見て口をつぐんだ。
いつも穏やかで上品で大人な女性であるジュリアが、真っ赤になった顔を両手で押さえ、ドアを見つめたまま目を潤ませていた。
恋する乙女を間近で目にしたアレスはなんと声をかけて相変わらず、黙って店の掃除を始めた。




