王太子殿下との対面
静かにドアが開き、硬質な床を引き摺る重そうな布の音が静かに聞こえた。独特な歩き方をしているのか、足音は聞こえない。ドアから部屋の中央まで音が移動すると、布の擦れる音は止まり、静かになった。
目の前に人の立っている気配がするが、こちらから顔を上げることは許されていない。
「面を上げよ。」
アレスは、思っていたよりも年若い声だと感じた。だが、たった一言であるにも関わらず、身体全体がひりつくほど威圧を感じる声音であった。
その声にどうしていいか分からず、横目でテトのことを盗み見た。彼は、アレスの方を見て頷くと、床に膝をついたまま顔を上げ、タテロットと目線を合わせた。
「王子殿下におかれましては、ご健勝のこととお慶び申し上げます。新年のご挨拶をさせて頂く機会を賜り、幸福の極みにございます。本年もより一層王国の繁栄のため、日々精進して参りたく思います。」
「アレスと申します。此度は、ご尊顔を拝謁する機会を賜り、至極恐悦にございます。」
アレスは顔を下げたまま、テトに続いてフィオナに習った口上を述べ、恐る恐る顔を上げた。
チラッと見上げたつもりが、自分の方を見て美しく微笑む青い瞳とバッチリと目が合った。
「君がテトラスの…」
タテロットは興味深そうにアレスのことを眺めると、一段高い台座からトンッと軽やかに降り、彼女の正面に立った。
膝をついているアレスの顔を覗き込むように軽く屈んだ。
「噂通り素敵な女性だ。僕の第一夫人にならないか?」
タテロットは勘違いしてしまいそうな甘い顔で微笑みかけてきた。
だが、アレスが彼の言葉を理解して何か反応を示すよりも先に、テトが瞬時に発動させた魔力の塊をタテロットの横っ面にぶつけてきた。
予想通りの展開に、タテロットは微笑みを浮かべたまま片手で防御魔法を展開し、自身の魔力とテトの魔力を相殺して無に返した。
いきなりの魔力衝突に、控えていた護衛は全員魔道具を構えてそれぞれ防御壁を展開した。
魔力を持たないフランタンは、周囲の異変に剣のツカに手を掛けていたが、そんな彼の一体はタテロットの青い魔力でちゃんと守られていた。
「全く、気が短い男は嫌われるよ?」
慣れているタテロットは、テトの魔力攻撃に動じることもなく、飄々としている。
一切乱れていない長い黒髪を髪を耳に掛けた。
「お前が余計なことを言ってきたせいだろ。本当に性格が悪い。」
挨拶の時とは全く異なり、テトは立ち上がってタテロットのことを思い切り睨んでいる。彼の方が身長が高いため、見下ろす形だ。
状況がよく分からず呆然としていたアレスは、テトの腕に引っ張られて立ち上がり、そのまま彼の背中に隠されてしまった。
「え、まだ話してないのに…なんで隠しちゃうのさ。」
「お前が余計なことをしてくるからだ。で、要件は何だ。さっさと言え。私たちは忙しいんだ。」
「だから、第一夫人に誘うため…って、お前は…それは止めろ。無闇矢鱈に魔力を練り上げるな。貴重な魔力をこんなところで使うなよ。」
「だから、お前がそうやって人の大切なものを揶揄ってくるからいけないんだろ。用がないならもう行くぞ。」
テトは背中に隠していたアレスの方を向いて彼女の手を引き、そのまま部屋から出て行くつもりだった。
しかし、タテロットの言葉に足を止められた。
「今来たばかりじゃないか。それに、いずれは僕の義妹になる人だろう?挨拶はすべきだと思うが。」
「タテロット、余計なことは言うな。」
テトはドアの方を向いたまま足を止め、低い声で脅すようにタテロットの言葉を遮った。
アレスは、いきなり出てきた自分だと思われる話に、勢いよくタテロットの方を振り返った。だが、彼は相変わらず微笑んでおり、感情を読むことが出来ない。
「なんだお前、まだ話していないのか?」
「…話すタイミングは自分で決める。」
「肝心なところで逃げ腰になる癖、昔から変わってないんだな。」
ふふっと馬鹿にしたように笑ったタテロット。現状事実でしかないそれに、テトが怒りで魔力を暴発させることはなかった。
代わりに、凍てつくような瞳でタテロットのことを睨み、精神攻撃に出た。
「そういうお前は、まだフィオナのことを引きずっているのか?」
「何をいきなり…」
タテロットの顔からスッと微笑みが消えた。
常に微笑んでいるタテロットが無表情になるなど、図星であると言っているようなものだ。
「だから、自分は国のために沢山の側室を迎えると口で言うだけで、未だに正妻すらいないのだろう?分かりやすいにもほどがあるな。」
「もういい黙れ帰れ煩い。」
否定する気も失せたタテロットは、両手で耳を塞ぎ、強い拒絶を示した。
王太子と臣下ではなく、これはもう完全に子どもの喧嘩であった。
「うそ…王子様がフィオナ先生のことを…ってことは昔からの知り合い?え…王子殿下ってまさかの初恋拗らせ男子…?」
アレスは、脳内の混乱を整理するため、無自覚に思ったことを全部口に出してしまっていた。
雑音の一切しないこの部屋では、驚くほどにアレスの声がよく通った。部屋の隅に控える護衛の耳にもしっかりと届き、フランタンの口元が引き攣っている。言ってはいけないことを言ってしまったアレスに、心臓が止まり掛けている。
「アレス嬢?」
タテロットは、にっこりと微笑みながらもこめかみに青筋を立て、アレスの名を呼んだ。笑顔の圧力にビビったアレスは、無礼と思いながらも自らテトの背の後ろに逃げ込んだ。
「アレス、殿下から退出の御許可も頂いたことだし、私達は戻ろう。」
「え、ええ、そうね。」
二人は軽く頭を下げると、タテロットからの返事を待たずに、逃げるように部屋から出て行った。
「お前達、今ここで見聞きしたことは他言無用だ。いいな?」
二人の退出後、タテロットの低い声が部屋に響き渡った。
その迫力に、言葉を発することなど出来るはずもなく、皆敬礼をしながら全力で頷くことしか出来なかった。




