脅威
「あのお店、チラッと値段見えて、既製品のドレスでも私の一月分の給料よりも高かったんだけど、オーダーメイドならその何倍するでしよ…それを10着もなんて…勿体無い…王宮に行くのは特別だからと思って仕立ててもらったけど、他はどこに着て行けばいいんだよ…ほんと勿体無い…」
テトが白状した内容を全て聞き終えた後冷静になったアレスに、今度はテトに無駄遣いをさせてしまった罪悪感が押し寄せてきた。
マダム・カメリアの店を出て、馬車が待つ場所まで歩いているのだが、その道中、アレスは「勿体無い」と言い続けていた。
「勿体無いことはない。服は毎日着るものなのだから、邸で着ればいい。ドレスなど、いくらあっても困るものではないだろう。」
「これだから根っからの金持ちは…一度くらい汗水流して必死に働いてみてほしいわ。…って、自分もそんな過酷な肉体労働なんてした事はないけどさ…」
独り言のような自身のボヤキにも、しっかりとセルフツッコミを入れたアレス。
現実味のないテトの金銭感覚に、思考が鈍ってきた。
「ふぎやっ!!!」
ぼーっとしていたアレスの視界は突然真っ暗になった。
いきなりの暗黒に変な声を上げたが、すぐにテトが覆い被さるように抱きしめてきたことに気付いた。
「ちょっ…」
抗議の声は最後まで続かなかった。いきなり息ができないほどの突風が吹きつけ、目と口を塞がらざるを得ない状況になったからだ。テトに抱きしめられていなければ、数十メートルは吹き飛ばされてしまっていただろう。
危機は去ったのか、これからが本番なのか、何も分からなかったアレスは、薄目を開けてテトの腕の中で首だけを動かして辺りを見渡した。
「なっ…………」
テトの顔越しに上を見上げたアレスは、その光景に絶句した。
今は最も陽が高い時間帯であるにも関わらず、空は真っ暗であった。だがそれは、悪天候によるものではなく、何かの巨大な影のせいであった。
全容を把握出来ないほどの巨体であるそれは、四足獣の見た目をしていながら、大きな翼が生えていた。
それは、地上への着地を試みたものの、見えない結界に妨害され、興味をなくしたように遠くに飛び去っていった。
それは一瞬の出来事であったが、初めて目にした魔獣の脅威に、アレスは呼吸が止まりそうになり、テトの腕の中で守られながら小刻みに震えている。
「アレス、もう大丈夫だ。」
テトは自分達にかけていた防御魔法を解除すると、今度は守るためではなく、落ち着かせるためにアレスのことを抱きしめた。
「あ、あれ…あれは、なんなの…あれが、魔獣…?あんなのがこの世にいるなんて…も、もし、もしまた来たら…」
「大丈夫。あれはもう来ない。結界が煩わしくて、他の場所を目指したのだろう。」
「ああそっか…テトと王子様が守ってくれている結界のおかげだったんだ…あんな化け物からも守ってくれるなんて…ほんとうにすごい魔法…」
『テトがいるから大丈夫』そう思えたアレスは、徐々に精神状態が安定してきた。身体の震えも止まった。
反対に、テトの表情に翳りが出てきた。
「…万能などではない。」
「え?」
「いや、何でもない。邸に戻ろう。」
もし、俺の魔法で今すぐに全てを消し去ることが出来たのならどんなに良かったか。
アレスをあんなに怖がらせて、何が歴代最強の魔法使いだ。
まだ足りない。何もかもが足りていない。
これでは何も成し遂げられない。一刻も早く方法を確立させ、実行に移さなければ。何もせずとも数年で尽きる命、そうであるなら、一縷の望みにかけるべきであろう。
せめて、アレスと、彼女の周囲の人間が笑って生きていける未来を。そのためなら、俺の全部をくれてやっても構わない。
だから、俺は
「テト、立ったまま寝てる?」
「…ちゃんと、起きている。」
「はははっ。分かってるって。冗談だよ。ほら、ぼーっとしてないで帰るよ!」
当たり前のように『帰る』と言って差し出してきたアレスの手を、テトは当たり前のように掴んだ。
こんな些細な当たり前が、彼にとっては堪らなく貴重な瞬間で、泣きたくなるほど幸福を感じる一瞬であった。
テトはいつか間にか半歩前に出ると、アレスの手を引くように馬車までの僅かな道のりを進んで行った。




